「何が」 「週に一回とか男に会うの」 「週に一回 ? 」 「うん」 「週に四回以上会うんじゃなきや、恋愛ってあたしは呼ばないよ」 森村は涼しい顔で答えた。ちゃんと会社に勤めているのに、そのうえ森村はけっこう会社で ぎようてん は大事な仕事もまかされているのに、四回も ! あたしは仰天する。 新田義雄は、会社の同期だ。六人いる同期のうち、女は二人で男が四人、その四人の男の中 でいちばんめだたないのが、新田義雄だ。 新田義雄のことが気になりはじめたきっかけは、出張、だった。 あたしたちの会社は、京都に本社がある。だから、年に二回ほどは京都出張がある。 たいがいの社員は、京都出張が好きだ。 東京からは新幹線で一本で便利だし、時間があいたら観光もできるし、それになんといって も、京都だし。 「日本人って、みんな京都が好きですよね」 いっか、課の後輩の女の子が言っていた。 253 ーーーー信長、よーじゃ、阿闍梨餅
ていう名前を持ってたからじゃないのかなあ」 そう言って、女の阿部さんは笑った。たいして本気であたしを説得しようとしているわけで はないのだ。 そういえば、女の阿部さんは、いろんなタイプの服を持っている。今日は、体にびったりは りつくようなまっ里 ハンをぐるぐ いミニのワンピースに、紫色のレギンス、頭には黄色いター る巻きつけている。 「それ、何ふうっていうの」 聞いてみたら、女の阿部さんは少し首をかしげた。 「インドネシア ? か、それとも、アルゼンチン ? 」 本人も、よくわかっていないらしい 女の阿部さんとあたしは、会社の同僚だ。服装の傾向が日によってあんまり違うので、あた しと会うまで、女の阿部さんには同僚の友だちがいなかったのだという。 「服装って、友人関係を左右するんだ ? 」 驚いて聞くと、女の阿部さん ( 会社では、ただ「阿部さん」と呼んでいるわけだけれど ) は うなずいた。 「そうなの。どうもねえ、日本人って、ある一定の型にはまってない人間を見ると、不安にな 228
つに小さな机が一つあるだけの、古びた八畳間だった。 「絵とか小物とか、ないんだね」 あたしが言うと、伊吹はうなずいた。 「何もない方が、めんどくさくない 「夢」を持っている男の部屋には、なんとなくたくさんのものが飾ってあるんじゃないかと、 あたしは思っていた。 「めんどくさくない、かあ あたしは伊吹の顔を見た。いつもよりも、伊吹は寒そうにみえた。 伊吹との合奏は、思いのほか充実していた。 人まえで演奏するためでなく、純粋に自分たちのためだけに曲をさらうのは、楽しかった。 あたしたちは、二曲、五曲、十曲と、レバ ーをふやしていった。 いつの間にか、あたしも伊吹も三十歳を過ぎていた。伊吹も千絵もあたしも、だんだん「働 きざかりになりつつあった。 たまに三人で会う時は、必ず千絵の「ぶつぶつ大会」になった。まず第一に、会社の上司に 対するぶつぶつ。次に、会社の後輩に対するぶつぶつ。そのまた次に、仕事先に対するぶつぶ つ。そして次に、もっかの恋人に対するぶつぶつ。 155 クリスマス・コンサート
いてくださし 、。パン切り包丁は、ごめんなさい。もっと精進しておきます。でも、師匠 ( 秋葉 原の石板の ) は、すでに死んでしまっているので、どうやって精進していいのか、難しいです。 このへんの海藻は、東京の海藻と違うので、奈美ちゃんの会社で使ってみたらいいんじゃない かと思います。今度上司に進言しておいてください。必要なら、がんばって乾燥させてから、 海藻を送ります。 手紙のひでちゃんの字は、下手くそだった。そういえば昔からひでちゃんの字は、下手くそ だった。急にひでちゃんに会いたくなった。ひでちゃんは遠くにいるんだなと、実感した。 それにしても、進言って。乾燥って。 ひでちゃんには、会いにいったりしないだろうと思う。 そういう、友だちなのだ。 もっとしよっちゅう会って、打ち明け話とかもして、メ に何人か、あたしにはいる。 でも、ひでちゃんほど、何かにつけて思いだす友だちは、いな、。 あたしは、ひでちゃんに返事を書いた。 精進、がんばってください。東京に来たら、連絡してね。乾燥した海藻は、そのうち送って ください。ではまた。 ] ルもいつも交わす友だちは、ほ、 99 ー - ーひでちゃんの話
ただしそれは、何かを取材して文章を書く「ライター」の人たちの仕事とは違うし、詩や小 説やエッセイを書く「創作家」というものとも違うし、辞書や事典をつくるような仕事とも違 たった一人の人にしか役に立たない文章。 そういう文章を書くのが、わたしの仕事なのである。 大学生のためのレポート書きが、この仕事の中ではいちばん多く来る注文だけれど、それ以 外にも、さまざまな種類の、時に思いもよらない注文がある。 ラブレターは、久しぶりである。 クライアントとは、直接会わないようにしている。 今回も、メールで諸条件を伝えてもらった。 送り主の歳は、三十六。男性。既婚。職業は技術系の会社員。 送る相手の歳は、六十五歳。女性。三年前に夫を亡くし、今は一人住まい。娘が二人いて、 すでに結婚している。趣味はバドミントン。 相手の方と二人ぎりで会ったことは、何回ありますか。 という質問をすると、 三回です。
森村が言っている。このところしよっちゅう森村に会うのは、森村が久しぶりに熱烈な恋愛 をしているからだ。 「会わないでいる時間が耐えられないから、亜由に隙間を埋めてほしい」 そう言って、日曜の午前九時から、とか、土曜の夜十一時から、とかいう妙な時間に、森村 はあたしを呼びだす。あたしはいやいや出てゆく。もし出て行かなかったとしても、森村は五 分おきに電話してきては、「隙間」を埋めようとするからだ。 「ちがうんだって。恋じゃないの。あのね、あたし発見したんだ。新田が風邪をひくのって、 必ず京都出張の時なの、 京都 ? 森村は首をかしげた。ていうと、その新田って男は、京都出張をさぼりたくて風邪 ひくってことワ・ 「うん。たぶん、 「でも、どうして ? 」 なぜ新田義雄が京都出張をそんなにも避けるのか。あたしの方が聞きたいくらいだ。 風邪と称して有休をとったあとに会社に出てくる新田義雄は、実際弱った様子をしている。 だから、たまたまそれが京都出張と重なっただけで、ほんとうに風邪をひいていたという可能 性だってあるのだけれど。でも。 「なんか、ものすごく怪しい気がするの 255 ー - ー - 信長、よーじゃ、阿闍梨餅
修三とは、年に最低四回は、会う。 しいわねえ」 「お宅の息子さん、まめに帰ってきて、 菅谷さんの奥さんには、しよっちゅう言われる。菅谷さんのところは娘と息子がいるのだけ れど、両方とも東京の大学に在学中で、帰省することはめったにない。 「ときどきは、東京でご飯をごちそうしてくれるんでしよう。会社も一流で、ほんと、うらや ましいわあー そんなことを菅谷さんが言っていると、すぐにおばあちゃんが出てきて、私たちの話に聞き 耳をたてる。 「だからね、あたし、若尾さんに言ってやったんですよ。その間の取りかたは、だめよ、って」 おばあちゃんは、のんびりと話に割って人ってくる。 あやこ 若尾さん、というのは、若尾文子のことである。菅谷さんのおばあちゃんと、同い年なのだ そうだ。 「そろそろ修三さん、結婚も近いんじゃない」 おばあちゃんにはかまわず、菅谷さんは好奇心いつばいに訊ねた。 「そうねえ」 私はうっすらとほほえむ。 もしも、こういうご近所の人たちが周囲にまったくいなくて、修三のことなんて誰も知らな はにわ
ざっぱ スのトビックや、小説なんかの題材にもなっていたし。言葉どおり、本物ではないけれど、お 母さんやお父さん、お兄さんや妹のふりをする、という仕事である。 小田切さんの会社は、最初は「にせ家族」会社として発足した。週のうちの決まった曜日、 あるいは毎日ずっと、誰かの家族のふりをしてほしい。そのような需要をあてこんだのである。 けれど実際には、にせ家族の需要は、それほど多くあるわけではなかった。 継続的ににせ家族を演じる、というような仕事は、物語としては面白いけれど、実際には本 物とみまがうばかりのにせ家族を演じ続ける力のある者はごく少ないし、雇う方にしてみれば、 やたらにお金がかかるばかりなのだ。 結局「にせ家族」で稼ぐのには無理がきて、小田切さんはすぐに会社の仕事内容を方向転換 した。 小田切さんの会社「ジェット」が、今請け負っているのは、「にせ家族。よりももう少し大 雑把な、「にせ」仕事だ。 五人一組くらいが自然である集団。 たとえば、会社の一部署、とか。学生時代の仲間、とか。サークルの知り合い、とか。ラン チ仲間、とか。そしてたまには、一つの家族、とか。 そういう集団のふりをするのが、あたしたちホワイト、レッド、ブラック、イエロー ーの、五人組なのだ。 おお
愛い ときどき僕は、涼音の可愛さが、面倒になるのだ。 そんな時、涼音は僕の気持ちを感知して言う。 「タイチって、なんか、ときどき感じ悪いよね , その通りだ。僕は感じの悪い恋人だ。よくもこんな男とつぎあってくれていると思う。 携帯につるしたトンポ玉を、僕はさわってみる。描かれている顔は、笑っている。あるいは、 嘆いているのか。どちらともとれる顔で、二つ並んでいる。 感じの悪いことへのバチがあたったのかもしれない。 、、、ほかの男を好きになった。 涼音が 「ごめん」 涼音は謝った。僕は下を向いていた。こんな日がくるような気がしていた。たぶん少しの間 つらくて、でもじきに平気になると思った。 涼音は立ち上がり、伝票を持っていって素早く支払った。そこは、はじめて人った、会社の 近くの、れいの古びた珈琲店だった。なにも別れ話をするのに、僕が毎日通る道筋にある店をポ 選ぶこともないのにと、ぼんやり思った。 つらさは、薄まらなかった。時間がたっても、だめだった。意外だった。涼音に会いたカ
しは目をまるくした。 「考えてるうちに、ぐるぐるしだしちゃったから」 女の阿部さんはにやっと笑った。 女の阿部さんは、会社ではめだたない。服装に統一性はないけれど、会社に着てくるのは女 の阿部さんの手持ちの服のうち、ごく穏当なものばかりなので ( あたしが女の阿部さんちを訪 ねた時に着ていた、れいの紫色のレギンスに黄色いター 、ハン、なんていう類のものは、むろん 会社には着てこない ) 、人の目はべつにひかないのだ。仕事は真面目で、でもひどく自己主張 をすることもなく、飲み会の出席率はだいたい五十パーセント。 ところが、ある時異変が起きた。 女の阿部さんを、「さゆりさん」と呼ぶ女があらわれたのである。 女の阿部さんは、ものすごく不快な顔をした。下を向いてこっそり表情を変えただけだった ので、久しぶりに名前を呼ばれた女の阿部さんの反応を知りたくてじっと観察していたあたし にしか、わからなかったはずだけれど。 「下の名前じゃなく、姓を呼んでください」 女の阿部さんは、女に頼んだ。 「あら、そんな他人行儀なこと言わないでよ。ね、せりなさんだって、そう思うでしよ」 230