加賀美 - みる会図書館


検索対象: 猫を拾いに
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1. 猫を拾いに

「そのうちに、あたしが売れっ子になって、宗司はここで農業とかするといし 加賀美宗司は農家の三男坊なのだ。 広間にすっと置いてあった舞子の学生時代のポーイズラブ同人誌を、加賀美宗司は熱心に読 んでいた。 「過激だなあ。こういうの、お母さんやお父さんに見せるものなの ? 」 加賀美宗司はびつくりしたように聞いた。 そう ? ふつう、見せない ? 舞子は反対に驚いていた。伯父や伯母のうちの数人が、加賀 美宗司が開いた同人誌を、じっと見つめた。やだ、恥すかしいから見ないで。舞子が叫んだ。 「へんな奴だなあ、ご両親なら平気で、この人たちには恥ずかしいの ? 加賀美宗司は首をかしげた。 舞子と美咲を育てたのは、もしかしたらこの伯父や伯母たちだったのかもしれないなあと、 わたしは思った。人間なんて、なんにもでぎないのだ。死んだ伯父や伯母たちに手伝ってもら って、ようやくなんとか形ができあがってきた、そのくらいのものなのだ。 かん、と鉦を鳴らしながら、伯父や伯母は還っていった。 「還っていく時は、少しさみしそうねー 美咲が、初めて気づいたように、つぶやいた。 願い事は、叶いました、ありがとう。水色のごばん縞の精霊たちに向かって、わたしは心の 224

2. 猫を拾いに

「どう、なかなかいい男でしょ 舞子は自慢した。 加賀美宗司は、紺色のギンガムチェックのシャツを着ていた。誰かに似ていると思ったら、 マサ伯父に似ているのだった。 加賀美宗司は、舞子からマサ伯父を紹介されて、目を白黒していた。紹介といっても、言葉 をかわしあうわけではなく、舞子が一方的にマサ伯父の目の前にゆき、無理やりのようにして 加賀美宗司をマサ伯父に見せつけるのである。 マサ伯父はいつものように放心していた。 その夜の食卓は、はなやいでいた。加賀美宗司がいやがらないので、広間に座卓を置き、娘 たちと夫とが作ったごはんを、みんなで食べた。わたしは座椅子に寄りかかり、少しすつより わけてもらった魚や野菜を、ゆっくりと口に運んだ。加賀美宗司はお酒に弱いらしく、ビール を少し飲んだだけで顔をまっかにしていた。 伯父や伯母たちは、わたしたちを遠巻きにしていた。こんなふうに広間で食事をすることな どなかったせいかもしれない、い つもと少しすれた場所に移動し、不思議そうにわたしたちを 眺めていた。 「男の子」と呼びたくなるような雰囲気の子だった。 222

3. 猫を拾いに

ビール瓶が何本かあき、一升瓶のなかみもずいぶん減ったころ、マサ伯父が広間に人ってき 「あっ、珍しい」 舞子が嬉しそうに叫んだ。マサ伯父は、まっすぐ座卓まで進んできた。そして、あたりまえ のような表情で、加賀美宗司の隣に座った。飲みますか、と、夫が聞くと、マサ伯父はうなす ちょこ いた。マサ伯父の前にお猪口を置き、お酒をついだ。マサ伯父は首を深くまげて、お猪口にロ をつけた。しるしのように口をつけただけだったけれど、舞子も美咲も夫も大喜びだった。加 賀美宗司も、まっかな顔で、にこにこしていた。 気がついてみると、ほかの伯父や伯母たちも、座卓のまわりに座っていた。どうそどうそ、 お好きなものをめしあがって。夫が言うと、伯父や伯母たちは、ある者は指の先を、ある者は 口を、ある者はてのひらを、卓の上の食べものに、しるしのようにふれさせた。どの伯父も伯 母も、決して音をたてることはなかったのに、広間はなんだかとてもにぎやかだった。 送り火を焚く日まで、娘たちと加賀美宗司は泊まっていった。 加賀美宗司はフリ ーの編集者なのだという。舞子は、子供が生まれる前にこの家に帰ってき たいと言った。加賀美宗司は、しばらくは東京とここを行ったり来たりしながら仕事を続ける そうだ。 22 ターー一九月の精霊

4. 猫を拾いに

夫に言うと、夫はうなすいた。 「みんなで揃うことなんて、このところめったになかったから、どうかね。でも、久しぶりに 四人で食卓を囲みたいねー 伯父や伯母たちは、静かにそのあたりにいた。鉦がひとつ、ふたっ鳴って、すぐに静まった。 翌年、思いがけない知らせがきた。 舞子がみごもったという。 「九月に帰ります。彼と一緒に。出産予定は、来年の二月。おばあちゃんとおじいちゃんにな るんだよ」 プリントアウトしたメールを、夫が嬉しそうに見せてくれた。 美咲も、舞子の帰省にあわせて休みをとるという。夫ははりきって、作りためた保存食の味 見をし、畑で栽培しているかぼちややきゅうり、トマトや茄子の熟れ具合を、毎日たしかめた。 家じゅうの大掃除をし、広間もきれいに拭き清めた。 送り火を焚く少し前に、娘たちは到着した。 かがみそうじ 舞子が連れてきた「彼」は、加賀美宗司と名のった。 あとさき 「はじめまして、後先が反対になりましたが、どうか娘さんと結婚させて下さい」 ぬうっと大きな男の子だった。男の子、という年齢でもなかったけれど、なんとなくまだ 221 ーー - 九月の精霊

5. 猫を拾いに

「六十でも、するんだー」 グレープフルーツ色のカクテルをすすりながら、みみちゃんがつぶやいている。 日が暮れる前に、わたしたちはてぎばきと片付けをし、解散した。金子さんも佐野さんも美 代子さんも、晩ごはんまでには家に帰るという。 「みんな、旦那さんと仲良しなんだねー」 カクテルの最後のひとすすりを、みみちゃんは大事そうに干した。もう一杯。おんなじの。 みみちゃんは手をあげて言う。 「そうだね」 わたしはうなずき、泡の消えてしまったビールのグラスをかたむけた。金色の面が、ななめ にかしみ、 「あのね、実はうち、ちょっと今、あぶないの。今の部屋、出てくかも」 みみちゃんが、さらりと言った。 「どうして」 「好きなひとが、できそう」 びつくりして、わたしはビールのコップを倒してしまった。みみちゃんは、半年前から恋人 と住みはじめた。結婚したくて結婚したくて、でもなかなか恋人が結婚を言いださないことに、 みみちゃんはじれていた。住みはじめたのは、もつのすごい前進。そう言って、大喜びしてい 174

6. 猫を拾いに

やがて娘たちも成人した。 夫がじきに定年で信用金庫を退職するというころ、たっふり時間ができたら奥の細道をたど る旅をしようと話し合っていた矢先に、わたしに病気がみつかった。命にかかわる病ではない けんたい が、体ぜんたいの機能が低下し、全身の倦怠が強くなり、寝つくことが多くなるという。 病の進行はゆるやかだったので、ごくごく気をつけながら、奥の細道の旅には何回か行くこ とができた。象潟の本屋では、舞子の好きな「ポーイズラブ」とやらの本をたくさん見つけ、 送ってやった。 「あたしの分野とはちょっと違うけど、けっこう当たりだったです」 という葉書がきた。舞子はどうやら、その方面の漫画家をめざしているらしかった。ときど き同人誌を送ってくれるのだが、わたしにはよくわからなくて、伯父や伯母のくる広間の隅に 重ねたままになっていた。 なる′」 鳴子温泉では、こけしを買った。美大で学んでいる美咲に送ってやったら、 「こけしって、すごい造形。なんかすごい、新しいって感じ」 いが二回も使ってあるわよ、まったく日本語の乱れた娘ね。夫 という葉書がきた。「すご にこぼしたら、夫は笑った。 ぼつぼっと旅に出られたのも三年くらいで、あとは家でほとんど寝つくようになった。夫は 娘たちとメールをかわしていたので、プリントアウトしてもらい、ロづてで娘たちに返事を書 きさかた 218

7. 猫を拾いに

マガジンハウスの本 ざらざら 川上弘美 あいたいよ。あいたいよ。 一回、言ってみる。 それからもう一回。あいたいよ。 あたしはスープをたっふりとスフ。ーンにすくって、そろそろと口には こんだ。スープは熱くて、少しだけ泣けた。そのままあたしは我慢せ すに、泣きつづけた。ふられてから初めて流す、自分のための涙だっ た。ようやく、泣くことができたのだった。 愛しい風が吹き抜ける短篇小説集。「クウネル」の人気連載、第一弾。 パスタマシーンの幽壷、 川上弘美 どば。ばりばり。 どかんと恋に陥って、 あたしは、しわしわの黒豆みたいになる。 このパスタマシーンを使うのは、いったい誰 ? あたしの胸は、大き く一つ、どきんと打った。「小人じゃないの」というのが隆司のこた ・・・あたしはすぐさま、隆司を問いただしたのだ。 えだった。 料理は下手だけれど、そのかわりあたしはものすごく率直なのだ。 深々と心にしみる短篇小説集。「クウネル」の人気連載、第ニ弾。

8. 猫を拾いに

猫を拾いに 二〇一三年一〇月三一日第一刷発行 かわかみひろみ 著者ー。川上弘美 発行者ー石﨑孟 発行所ー株式会社マガジンハウス 〒一〇四ー八〇〇三東京都中央区銀座三ー一三ー一〇 電話〇四九ー二七五ー一八一一 受注センター クウネル編集部電話〇三ー三五四五ー七〇六〇 印刷所ー凸版印刷株式会社 製本所ー牧製本印刷株式会社 ◎ 2013 Hiromi Kawakami Printed in Japan ISBN978 ー 4 ー 8387 ー 2619 ー 6 C0093 乱丁本、落丁本は購入書店を明記のうえ、小社製作部宛にお送りください 送料小社負担にてお取り替えいたします。 ただし、古書店等で購人されたものについてはお取り替えできません。 本書の無断複製は禁じられています。 断りなくコピーやスキャン、デジタル化することは 著作権法違反に問われる可能性があります。 定価はカバーと帯に表示してあります。 マガジンハウスのホームページ http://magazineword.jp/

9. 猫を拾いに

【初出一覧】 「クウネル」連載 ( 42 号 クリスマス・コンサート まっさおな部屋 猫を拾いに 真面目な二人 ひでちゃんの話 トンポ玉 新年のお客 はにわ 誕生日の夜 ぞうげ色で、つめたくて ハイム鯖 朝顔のヒ。アス ~ 62 号 ) 旅は、無料 ( 「大根・かぶ・豚肉」を改題 ) ピーカン うみのし一る 金色の道 九月の精霊 ラッキーカラーは黄 ホットココアにチョコレート 信長、よーじゃ、阿闍梨餅 42 号 43 号 44 号 45 号 46 号 47 号 48 号 49 号 50 号 55 号 52 号 51 号 53 号 54 号 56 号 57 号 60 号 58 号 59 号 61 号 62 号 ( 2010 ( 2010 ( 2010 ( 2010 ( 2010 ( 2011 ・ ( 2011 ( 2011 ( 2011 ( 2012 ( 2011 ・ ( 2011 ( 2012 ( 2012 ( 2012 ( 2012 ( 2013 ( 2012 ( 2013 ( 2013 ・ 5 ) ( 2013 ・ 7 ) ・ 1 ) ・ 5 ) ・ 1 1) ・ 7 )

10. 猫を拾いに

「だから、何よー 「信長、だと思う」 新幹線のホームまで、あたしと新田義雄は走った。やってきた新幹線はこだまだったけれど、 あたしたちは迷わず飛び乗った。 「で、どうなのよ、東京には怨霊、 いないの ? 」 森村が聞く。東京にも、怨霊はたくさんいる。ただ、京都の怨霊が古代からの怨霊とまじり あってどんどん力を増すのに対して、東京の怨霊はちりちりばらばらな傾向があって、一つ一 つの存在は薄い。 「亜由もついに霊能者か」 「ちがうよ、新田義雄に聞いたこと言ってるだけ」 「その後、手はつないでないの」 「つながないよ、東京じゃ」 森村は、ため息をつした。、 : べつに、怨霊のせいじゃない。森村の熱烈な恋は、あれからすぐ に終わってしまったのだ。せつかくあぶらとり紙、買ってきたのにね。あたしが言うと、森村 はまたため息をつき、携帯の画面用じゃなく、自分用に使うからいいよ、と答えた。 「霊能者どうしの恋。すごいねー。でも、負けないよ、恋だったら」 265 ーー信長、よーじゃ、阿闍梨餅