気持ち - みる会図書館


検索対象: 猫を拾いに
21件見つかりました。

1. 猫を拾いに

あたしは、左手の機械に白い気持ち、右手の機械に黒い気持ちを担当させていることを、告 げた。上原菜野は、首をかしげた。 「島島さんは、真面目なんだね」 「えつ、どうして」 「気持ちを、ちゃんと分類しようとするなんて、真面目だよ」 「上原さんは、白黒わけないの」 「うん。だって、いい気持ちがほんとうはいやな気持ちだったり、反対に、いやな気持ちが、 後で考えると、楽しい気持ちとつながってたりするから、わたしは、自分の気持ちをちゃんと 分類するのが、めんどくさいって思っちゃうんだ 気持ちを分類するのって、めんどくさい 上原菜野の言葉に、あたしはちょっとショックを受けた。 「でも、わたしだってやつばり、島島さんと同じように、真面目なんだね。その証拠に、こう やって律儀に自分の気持ちを数えてるわけだし。なかなか母親の言うようには、不真面目にな れないよね、わたしたち世代は 上原菜野は、なぐさめともぼやきともっかないことを言い、カウンター機を、かち、かち、 かち、と押した。 「三回ぶんのカウントのうちわけ。かわいそう。でもわかる。ちょっとしょんぼり」 108

2. 猫を拾いに

1 も、 あたしは、ふられて、ものすごく傷ついていた。ようやく忘れかけていたところだった。で ハルオに拝まれて、あたしは嬉しくなってしまった。よりは戻った。 けれど、ものごとは、そううまくは運ばない。せつかくハルオとっきあっても、前とは何か が違ってしまっていた。好き。でも、もどかしい。だけど、好き。 恋愛の相談は、あたしは誰にもしない。 親しい友だちにもしないし、むろん知り合ったばかりの上原菜野にもしなかった。 だけど、結局あたしは、上原菜野に助けられることになる。 カウンター機方式を、あたしは試してみることにしたのである。 ハルオといる時に、どのくらい気持ちが動くか。それを、数えてみることにしたのだ。 びつくりした。 白、五。黒、十八。 。、、ハルオと過ごした五時間のあいだの結果だった。 白は、楽しい方に気持ちが動いた回数。 黒は、いやな感じ方面に気持ちが動いた回数。 あたしは、カウンター機を二つ用意したのだ。 左右の手に一つすっ握りこんで、かち、かち、と、押していった。左手は、白い気持ち。右 106

3. 猫を拾いに

「前田さんは、自分の恋人のこと、好き ? 」 金子さんは聞いた。空を見上げたまま。 「好きです。すごく、好き 言いながら、鼻の奥がつんとした。セックスをしないのが、いやなんじゃないんだ。わたし の気持ちが、光史の気持ちにはじかれるのが、いやなんだ。どうやって光史の気持ちにさわっ ていいんだかわからないのが、いやなんだ。 「好きなら、しようがないわねー 金子さんは言い、ふふ、と笑った。 「もうちょっと、じたばた、したら」 えつ、とわたしは声にならない声をあげた。金子さんには、ひとことも、具体的なことは言 っていないのに。 「わかるわよ、そのくらい。じたばたしてるんでしよ、今この現在」 いまこのげんざい、という言いかたに、わたしはちょっと笑った。笑った拍子に、涙がひと すじ、つうっと流れた。でも、右目からだけだった。 ああ、わたしはこんなに光史が好きなんだ。そのことを、今この現在まで、わたしは知らな かった。いや、今この現在まで、知らないふりをしていたんだ。 「金子さんのところは、セックスするとき、どういう始めかたをするんですかー 184

4. 猫を拾いに

手は、黒い気持ち。ハルオがいくら訊ねても、何を数えているのかは教えてあげなかった。 その夜、カウンター機の数字をじいっと見ながら、あたしはしみじみ思った。 十八回も、いやな気持ちになったんだ。 あんまり黒い気持ちの方が多かったので、げんなりするよりも前に、しんとした感慨深い気 持ちになった。 「こりや、だめだ」 あたしは、声に出して言ってみた。 五対十八。その数字を見た瞬間に、すでにハルオとのつきあいはやめようと思っていたけれ ど、こうやって声に出してみると、そのことはもう確定的になったような気がした。 あたしは翌日、静かにハルオに言った。別れよ。 うん。ハルオは答えた。そして、さみしそうに、 こくりと頷いた。 カウンター機を持っているあたしを見て、上原菜野は目をまるくした。 「それって」 上原菜野は言った。 「うん。上原さんの真似して、あたしも数えてみることにしたの , 「でも、二つあるー 107 ーー - 真面目な二人

5. 猫を拾いに

なるほど。 あたしは思った。 気持ちは、分類できない。それなら、カウンター機を二つも持ってても、しようがないんだ あたしは片方のカウンター機を、机の奥深くにしまった。 ハルオとは、今も時々会う。映画を見たり、カラオケに行ったり、たまには手をつないだり する。 「やつばり、気持ちって、分類できないね」 あたしは上原菜野に言った。 「ねえ、島島さんー 「なあに」 「島島っていう名字、わたしとっても、好き」 そう言って、上原菜野はカウンター機を、かち、と鳴らした。 「うれしい あたしも答え、カウンター機を、かち、と鳴らした。 うしろの席から、顔見知りの中文の女の子が、聞いた。 よ。 1 10

6. 猫を拾いに

と一一一一口った。 その日はじめて、あたしたちはすぐに電車に乗らないで、駅前でコーヒーを飲んだ。自動販 売機で、あたしは徴糖のを、上原菜野はミルクと砂糖がたくさん人ったのを、選んだ。コーヒ ーを飲みながら、上原菜野は二回カウンター機を押した。 「あのね、これ」 上原菜野は言った。 「気持ちが動いた時に、押すの」 ふうん、と、あたしは答えた。 「今は、どんなふうに気持ちが動いたの」 そう聞くと、上原菜野は少し考えてから、こう答えた。 「うれしい、と、おいしい そのころあたしは、ちょっとややこしい恋愛をしていた。 すっとっきあっていたハルオが、よその子を好きになって、別れたのはいいんだけれど、す二 ぐにまた戻ってきてしまった、という状態だったのだ。 ごめん、許してほしい、やりなおしたい。 ハルオは拝むようにして、頼んだ。

7. 猫を拾いに

ートケーキを選んだ。 「やめるって 「だって、釣り合わない相手は、つらいよ」 「釣り合うとか釣り合わないって、今の世の中でそんなこと、あるのかなあー 「だからますます、困るんだよね」 口にはこんだ。それから、ペ なおみちゃんは、きやしゃなスプーンで生クリームをすくい ろりと舌でくちびるをなめた。 ( 純子さんは、決して舌でくちびるをなめたりしないんだろうな ) あたしは思う。 「外国みたいに、クラースがどうのこうの、とかいうことじゃなくて、でもやつばり、そうい うのって、なんか、ある気がする、日本にも。純粋に気持ちの問題なんだけどさ」 「きもち」 あたしはなおみちゃんの言葉について、考えてみる。クラース。不思議な一言葉だ。なおみちコ チ ゃんは、のびのびとチョコレートサンデーを食べつづけている。純子さんとは、まったく違う ア 雰囲気で。ほんの少しお行儀わるく。でも、とびきりおいしそうに。 「ね、あたしときどき、しびれるように甘いものが食べたくなるんだけど、なおみちゃんはそ ういうことって、ない ? 「あるある」 247

8. 猫を拾いに

あたしと伊吹は、クリスマスイヴにミニコンサートを開いた。といっても、実際に人まえで 弾いたのではない。伊吹の部屋で、きちんと礼装して、二人だけのコンサートを開いたのだ。 お客は誰もいなかったけれど、数百人ほどの聴衆が会場をうめつくしている、という設定で、 あたしたちはちゃんとアンコール曲まで弾きおえた。 最後に、立ち上がった伊吹とあたしは、がっしりと握手した。 万雷の拍手。 は、聞こえなかったけれど、すごく気持ちがよかった。 「坂上、ちょうど今日はクリスマスだし、これからどっか行かない」 アンコールの後、楽屋 ( ほんとは廊下 ) にひっこんだ伊吹は、言った。 「でもクリスマスって、不得意なんだ、あたし 「サンタクロースを信じたことがないから ? 」 伊吹はあたしをじっと見つめている。今もかわらずきれいな顔だなあと、あたしは思った。 でも、髪は少しうすくなっている。 「おれ、ずっと坂上のこと好きなんだけど、そのことは、知ってた ? 」 あたしは息をのみ、まじまじと伊吹を見返した。 「いっから」 クリスマス・コンサート 157

9. 猫を拾いに

ゲイになるかどうかは、生まれつき決まっていることなので、育ちかたや環境とは、まった く関係ないのです。 という説があることは、よく知っている。 ゲイのひとたちを、わけへだてする気持ちも、ぜんぜんないつもりだ。 男と女、というへテロの関係が最上のものだとも、思っていない。 しゅうそう カミングアウトした息子ーー・・就職してしばらくたってからようやく、息子の修三は自分が ゲイであると、私に打ち明けたのだ。さぞ勇気がいったことだろう。私がおろおろすることが わかっていただろうから。そして、修三は親思いの息子だから。ーーのことは、カミングアウト 、とおしい した後だって、前と変わらず同じように、し それじゃあ、ゲイだってかまわないじゃない。 何回、自分に言い聞かせたことだろう。 そう。かまわないのだ。修三にはちゃんと恋人もいるようだし。無理に女のひととっきあっ て結婚するより、その恋人といる方がずっと幸福なのだろうし。 でも、それでも私は後悔してしまうのだ。 私の中の何かが、育てかたのどこかが、修三がゲイになる原囚を作ったんじゃないか、って。

10. 猫を拾いに

「今まで見たことないくらい、でこでこしたのにして」 「日曜までに少しでもはがれたら、ほんとに困っちゃうんです」 さまざまな事情と気持ちをかかえたお客さんが、さまざまな細かい注文をしてゆく。 いつもよりも一時間半長く、あたしたちは働いた。桐谷さんは、あたしたちを居酒屋に誘っ た。ふみ乃ちゃんは「ちょっと、やぼ用、と言って帰っていったけれど、亜美ちゃんとあたし はついて行った。 金曜日の居酒屋は、にぎやかで煙っていた。 「ふみ乃ちゃん、お店に行ったんだってー 開口一番、亜美ちゃんが言った。 「お店って」 あたしは、とぼけた。でも、胸がどきどきしていた。 「桐谷さんが教えてくれた、占いのお店ー 「だから、占いじゃないって , やぎとりをていねいに串からはずしながら、桐谷さんは首をふった。ここの居酒屋は、やき とりセットを頼むと、五本出てくる。一つ一つの串から肉をはずして、公平に食べるというの が、桐谷さんの流儀だ。 126