そうだよね、故障だよね。このごろほとんど固定電話なんて使わないから、そのせいだよね、 きっと。ルツはうなずき、一度並べた編み物をまた帽子ケースにしまった。 それから一カ月ほどが過ぎ、あたしはまたルツを訪ねた。大樹が風邪ぎみだったので少し迷 ったのだが、珍しくルツの方から、来てよね、と言ってきたのだ。 ヒナに会えて大樹は嬉しそうだったけれど、風邪ぎみで体がしんどいせいか、ほんの少しの ことで泣いてしまう。 「大ちゃん、おうちに人っておやっ食べよう」 ルツは一一一一口い、 団地の階段をのぼっていった。ヒナと大樹とあたしは、ルツの後にしたがう。 リーン、リーン、という立日が聞こえてきた。 途中で、 「電話だよ、なんか、ルツの家つぼい」 あたしが言うと、ルツは足をはやめた。鍵を急いでまわし、 「ねえ理絵、出てくれない」 と一一一一口った。 あわててサンダルを脱ぎちらし、あたしは電話のところまで走った。受話器をとる。耳に当 てると、サー、という音がした。もしもし、と言っても、返事はない。 振り向くと、ルツがすぐうしろに立っていた。 りえ うみのし一る 193
ずっと、隠してきたことがある。 あたしは、サンタクロースを信じたことが、一度もないのだ。 最初に「サンタクロース」というものの存在を知ったのは、保育園に通っていた頃のことだ。 保育園の中でも、ことに上のクラスのおねえちゃんやおにいちゃんたちが、クリスマス近くに なると、いそいそ、そわそわ、しだすのだ。 「おれさあ、おてがみかいた」 「マジ ? おいのりするだけじゃ、だめなのかな」 「わかんねえ。うちのママは、おてがみ力しし ス、、って、いってた」 クリスマス・コンサー 147
どうしても欲しいものがあった。 それは、深緑とえんじと白の、ゆがんだ球形の、まんなかのあたりにどこか遠い国の人の顔 が描いてある、小さなトンポ玉である。 ねえ 玉は、レナ姉のものだった。 たんす レナ姉の部屋の、丈の低い簟笥の上には、その玉だけでなく、たくさんのこまごまとしたも のが飾られていた。 ビーズでできた、意地悪そうな顔の小さな人形。さみどり色の、てのひらより小さな豆本。 ちびたとりどりの色鉛筆。ひびの人ったガラスの瓶。桜貝。片割れをなくしてしまった、いく つものピアス。 トンポ玉
「恵子さん」の、 「大事なものなんて、そんなには、ないわ」 という一言葉のせいかもしれない。 自分のためのラブレターを書いてみようと、急に思いついた。 けれど、誰に宛てればいいのか、わからなかった。 いろいろ考えて、結局は夫に書くことにした。 うな 三時間近く唸ったすえ、こんな文章になった。 結婚してよかったです。 長生きしてください 好きです。 長生きしてください、くれぐれも。 ス いつもクライアントに用意するような、意表をついた表現や、多少は気のきいた比喩は、ぜ ア の んぜん思いつけなかった。 顔 そういうものなのかもしれないと思いながら、きちんと便箋に清書して、封筒に人れ、封を朝 した。
三十一歳の誕生日は、少し曇っていた。 いつものように、ナナの部屋で、わたしの三十一歳の誕生日は祝われようとしていた。 ナナと、のぞみと、わたしは、中学時代からの友だちである。いつの頃からか、誕生日には、 実家を出てひとり暮らしをしているナナの部屋に集まってーーー恋人がいる年は、恋人と二人で 過ごす誕生日当日から少しずれた日に集まって 互いがこの世に生まれてきたことをお祝 いする習慣となっている。 ナナの部屋からは、桜がよく見える。児童公園の桜である。 「ねえ、幻世紀って、いっから始まったか、知ってる 誕生日の夜
なるほど。 あたしは思った。 気持ちは、分類できない。それなら、カウンター機を二つも持ってても、しようがないんだ あたしは片方のカウンター機を、机の奥深くにしまった。 ハルオとは、今も時々会う。映画を見たり、カラオケに行ったり、たまには手をつないだり する。 「やつばり、気持ちって、分類できないね」 あたしは上原菜野に言った。 「ねえ、島島さんー 「なあに」 「島島っていう名字、わたしとっても、好き」 そう言って、上原菜野はカウンター機を、かち、と鳴らした。 「うれしい あたしも答え、カウンター機を、かち、と鳴らした。 うしろの席から、顔見知りの中文の女の子が、聞いた。 よ。 1 10
驚きながらも、あたしはたしかめた。 「最初から」 あたしはまた、息をのんだ。まさか。 「坂上って、頭固いからな」 そのあと、あたしたちはクリスマスイヴの街に出て、夕飯を食べた。モッ焼き屋さんで、ビ ールとホッピー。それにワインを一杯すつ。 イヴの街には、クリスマスソングがし 、、、つばい流れていた。 あたしと伊吹は結婚して、今は子供が二人いる。 クリスマスには、サンタクロースからのプレゼントが子供たちに届けられる。来年小学生に ゆり なる長女の由里に、この前あたしは聞いてみた。 「サンタクロースって、どう思う ? 由里は少し考えてから、こう答えた。 「よくできたお話だよね。なんか、いし 、感じー 千絵にその話をしたら、大笑いされた。 「ねえ坂上、サンタクロースを信じないって、かたくなに思いつづけてた坂上こそ、夢を持っ 158
阿部さんの家に遊びにいっこ。 家は海辺にある。太平洋に面した砂浜から少しだけ陸地がわに歩いたところの、うす茶の二 階建て。家のまわりには、漫然と植物がはえている。庭と道のさかいめは曖昧で、塀も門もな 、と、うので、缶人りのクッキーを買っていった。 みやげはクッキーがししし 阿部さんの家には、阿部さんが三人いる。一人は、女の阿部さん。もう一人は、男の阿部さ ん。そしてもう一人は子供の阿部さん。 三人のうちの誰かに呼びかける時には、「ねえ、女の阿部さん」「あの、男の阿部さん」とい うふうに言わなければならない。阿部さんの家では、名前というものが嫌われているのだ。 ラッキーカラーは苗 ( 226
「ごめん、て、謝ることじゃないよ。だいいち、ヒナの方が大樹より三歳としうえでしよ。じ ゃあ、あたしと結婚する前は、ケンはルッとっきあってたの ? 」 「半年くらいね」 ケンならば、大いにありそうなことだった。 ケンとあたしが結婚した時。ケンが出ていった後。どの時も、ルツは優しかった。少しさみ しそうないつものルツの笑顔を、あたしは思い浮かべる。 「いや、最初は言わないでおこうと思ってたんだけど。でも、ヒナも大樹も一人っ子で、こん なふうに仲良しだから ケンのことを思い出して腹がたっことはあっても、未練みたいなものは、これつぼっちもな っこ。 「なんか、嬉しい あたしは言った。けっこう、心の底から。 「それでね。これからも、よろしくっていうことで」 ルツは、ちょっと照れたように言った。 よろしく どひやーだね。あたしがはしゃいで続けると、ルツはひっそりと笑った。 うみのし一る 191
「オケの方は、忙しくてだめなんだけど」 を完全にさらってくるのだった。 そう言いながら、伊吹はカルテットのチェロのパート 「ねえ、そんなにたくさんの女の子と、どうしてつきあうの」 千絵は、ときどき伊吹に聞いた。 「わからないけど、女の子たちって、夢があるから、好きなんだおれ」 「はあ ? 」 あたしと千絵は、声をそろえた。半村は笑っていた。 四年生になると、カルテットは活動を停止した。 「就活が終わって、暇ができたら、またやろうな」 半村も伊吹も言っていたけれど、結局カルテットを再開することはなかった。半村と千絵が、 別れてしまったからだ。 卒業してからは、時間はとぶように過ぎていった。 伊吹は銀行に勤めた。千絵は小さな編集プロダクション、そしてあたしは予定通り公務員に 半村以外の三人で、あたしたちは時々集まった。千絵はたいがい遅れてやってくる。 「編。フロって、ほんっと、体力いるわ」 よっこ。 153 クリスマス・コンサート