家族 - みる会図書館


検索対象: 男尊女子
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1. 男尊女子

7 夫婦別姓 選択的夫婦別姓に反対する人は、「家族の一体感が失われるから」という理由を言う場 合が多いようです。選択的夫婦別姓は、希望する人だけが別姓となるわけですから、「家 族の一体感を守りたい」と同姓結婚をする人は、同姓のままでいいのです。 それでも「家族の一体感が失われるから」と反対するのは何故なのかと考えてみますと、 彼等は他人の別姓のことを心配している、ということになります。 「私は同姓結婚をしますから家族の一体感は盤石ですけど、別姓結婚をした人の家庭が崩 壊してしまうのが可哀想」 A 」カ 「身近に別姓家族がいると、その我儘な空気感が飛んできて、同姓で幸せに生きる我々家 族の一体感まで失われるのではないか」 と、彼等は心配しているということなのか。 日本名物・同調圧力がそう簡単に無くなることはないでしようから、九十六 % が夫の姓 を名乗るという世において、別姓を選択する人が半分になる、といったことは考えづらい ものがあります。そして、身近に一組くらい、別姓の夫婦がいたからといって、別姓は伝 染しませんから安心して、と言いたいところ。 家族や夫婦の一体感は、確かに無いよりはあった方がよいと思います。しかしその一体 わがまま 0 9 3

2. 男尊女子

感は、苗字という文字によってでなく、家族間の関係性によって醸成されるべきものでし よう。実際、私が育った家庭はなかなかの〃火宅 , でしたが、両親の姓は同じでした。そ して私は、姓は違っても仲のよい両親の元で育ってみたかったよ : : と、とつぶり大人に なった今となっても思う者なのです。 昨今の家族に関する政策を眺めていますと、このように決まった枠組みの中に家族を押 し込むことによって家族というものを維持したい、 という政治家側の感覚が見えることが ままあります。二〇一七年一月からは、三世代同居住宅を建てる時は工事費を補助すると いう政策が始まりました。これは、少子化対策の一環でもあるのだそう。つまり、親の手 が近くにあれば子育てしやすい↓子供が増える、という目論見がそこにはある。同時にそ れは介護支援ともなり、介護の手が近くにあれば↓介護もしやすい、ということに。 確かに、北陸などでは「三世代同居が多いので、子育てもしやすい」という声をよく聞 きます。が、あちらは一軒あたりの面積も広く、三世帯でもプライバシーが確保できたり するわけで、都会と同様に考えることは難しいでしよう。また最近のジジババ達は、 「私達は自由に老後を楽しみたいのだから、孫の世話とか押し付けないでね」 という人も多い。「昔みたいにおじいちゃん・おばあちゃんと一緒に住めば、子供も増 えるし、お年寄りに優し、 しいい子が育っ」という政府の思惑通りになるのかどうか : 0 9 4

3. 男尊女子

べテラン一般職女性はお母さん、若い男性社員は長男で、若いさんは末の妹 : : : とい った疑似家族プレイをすることによって、日本の会社は安定を保っていたのではないか。 しかし雇均法によって、会社という家庭には、総合職という名の「男のような女」が登 場してしまったのです。それは、疑似家庭の中では明らかに異物だったのであり、会社の 中でお母さん役や妹役を務めていた一般職女性は、「男のような女」のサポ 1 トもしてあ げなくてはならなくなりました。それは面倒を見る方も見られる方も、何とはなしの居心 地の悪さを感じざるを得ない関係性。 そして冒頭の「美味しいお茶を淹れたい」発言に戻るのですが、この発言をしたのは、 一般職の女性ではなく、総合職の女性であったということが、この話のポイントです。男 に伍して働いている女性が、「会社で男性にお茶を淹れたい」と、言っていたのです。 その時は、発言の意図が掴めなかった私でしたが、彼女が言った意味が、じわじわとわ かってきました。つまり総合職は「男性と同じ、働き方を求められる立場であるが、彼女 はそんな立場にありながら同時に、「女性らしさを捨てるべきではない」と思っていたの です。「女子力」という一一一一口葉は世に登場していない時代でしたが、彼女は仕事の能力のみ ならず、女子力も持っていることを職場で示したかったのではないか。 「男は外に出て、女は家を守る」という家庭の形態と同じでした。管理職男性はお父さん、 0 3 2

4. 男尊女子

あきら パ」北斗晶、神田うの、野田聖子、アグネス・チャン 「名前」松本伊代 ( 「ヒロミさん」 ) 、青田典子 ( 「玉置浩二 D 「彼」吉川ひなの ・ : といった結果。全ての既婚者女性プログを見たわけでなく、統計的に有意差が出る ほどのサンプル数があるわけではありませんが、「主人」と呼ぶ人が多い傾向はある気が します。若い人でも、「主人」派は意外に多いのです。 夫を「主人」と呼ぶ女性タレントさん達は、個人の資質を生かすと言うよりは、結婚し ていること、子供がいることなど、「家族持ちである」ということをセールスポイントと している人が多いように思います。保守的な家族観を持ち、そのことを皆に知ってもらい たいと思っている人が「主人」と呼ぶ傾向にあるのではないでしようか。 それは、一般人においてもあてはまります。仕事をしていても軸足が家族にあり、かっ 「家族の一員であること」にアイデンティティーを置く人は、夫を「主人」と呼びがち。 対して、たとえ専業主婦でも、自立心が旺盛だったり、 「家族持ちである」ということに 既に飽き飽きとしていたりすると、「ダンナが」とか「夫が」とか「ウチのが」といった 言い方になりがちなのです。 私は結婚していませんが、もし結婚していたとしても、決して夫を「主人、とは呼ばな 0 8 2

5. 男尊女子

と思った次第。 では何と呼べばいいのか、という問題が発生するわけですが、名前で呼ぶことが最もフ ラットなのでしよう。日本人は、名前を呼ぶことが不得意です。会社においても、「部 長 ! 」「課長 ! 」など、上司のことは役職で呼ぶケースが多いもの。家庭においても、夫 パ」「ママ」と " 役職 , で呼び合うこととなり、互いをパパマ 婦に子供が生まれると、「パ マと呼び出せばすぐ、セックス回数は激減するのです。そしてママは外でも「〇〇ちゃん のママ」となり、人格がぼやけてくる : このように、他人を名前で呼ぶよりも、役職やら立場の名前で呼ぶことの方が安心する 私達。「個」が前面に出る生々しさを避けようとしているのかもしれませんが、一種の国 民性ではあるのでしよう。 市川房枝は前出の文章の中で、 「外国では夫婦や親しい友人の間では皆呼びすてにしています。夫が妻をケイトと呼べば、 妻も夫をチアリーと呼びすてにしています」 と書いていますが、「呼び捨て」は、日本では普及しないものなのでしようか。 家の中では互いに呼び捨てというパターンは、今や珍しくありません。が、家族以外の 人と話す時に、 0 8 6

6. 男尊女子

2 お茶女子 ということなのです。 私はそれを耳にして、うっすら哀しいような寂しいような気持ちになったことでした。 二十代のうちから、子供を産みたいときちんと考えていることは、人生設計の上でとても 良いことです。これもまた、ヘトへトになるまで働いて結局、子を産むタイミングを逸し た先輩女性達の姿から学んだことなのでしよう。 しかし、働く楽しさと家族を持っ喜びを、男女が共に両方味わえるようにしたいもので すよね : : : と色々な立場で考えている人達は、この「取れるものは全部ふんだくってから、 会社辞めたい」という発言を聞いたら、がっかりすることでしよう。それもこれも、日本 において、それも特に東京において会社員として働くことが、人間にとってハードすぎる からなのではないか。子供を預けて長時間通勤して会社で働いてさらに帰ったら家事育児 が待っている : : : となったら、やはり「産まない」となるか「ふんだくってから辞める」 かにならざるを得ないでしよう。 その昔、就職活動の時、総合職を目指す気配を微塵も見せず、大手商社の一般職などに 収まっていく友人達を見て、私は女子マネを見る時のような気分 ( 前章参照 ) を覚えてい ました ( 実際、女子マネ達はその手の仕事に就いていったのだが ) 。「仕事がしたいんじゃ なくて、男の人、それも条件が良い男の人をサポートしたいってことでしよう ? 」と。 0 3 9

7. 男尊女子

が、日本家屋の扉は引き戸ですから、鍵は家の内側からねじ式でかけるもののみ。つまり、 外から鍵をかけて家族全員が留守にする、ということができなかったのです。 昔の日本、特に地方では鍵などかけずに外出していたわけですが ( 我が家も近場であれ ば鍵をかけずに外出していた。のどかな時代でした ) 、しかし一家全員が何日も鍵をかけ ずに留守にすることはできないわけで、基本的には「家にいる人」が必要。それが嫁の役 割でもあったのでしよう。 そう考えると、鍵さえかけてしまえば家にいようと外に出ようとご自由に、という今は と思 嫁良い時代なのです。家にいなくてはならなかったからこそ、昔の嫁は「外に出たい った。そしてウーマンリプの時代も、「鍵は外からかけられるかもしれないが、嫁は基本、 家にいるべきもの。という意識が強かったからこそ、その時代を知る人達は、「嫁」とい う言葉に対して今も嫌悪感を持つのだと思う。 そういえば、前回ご紹介した元軍国少年であるところの私の父は、兄が結婚した後、兄 の妻が結婚後もずっと働き続けているのを見て、 「いつまで働かせておくつもりだ」 と、兄のことを怒ったことがあるのだそうです。昭和一桁世代の男性にとって、妻を働 かせることは男の恥、という意識があったのです。

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そうしてふと気がついたら結婚も出産もしていませんでした、という人もいれば、母親 の言いつけを守って、結婚・出産後もきちんと仕事を続け、ふと気がついたらへトへト : とい一フ人も。 では我々世代の男性はどうかと見てみると、親の感覚を引き継いで家では偉そうにして いる人もいるものの、だいぶ男尊女卑感覚は薄れている人が多いようです。彼等は青春期 に「ポパイ」など読んで育った世代であり、とにかくモテたい気持ちが強いし、「家族の 仲が良い方が格好いい」という感覚も持っているのです。本当は偉そうにしたくても、男 争尊女卑感覚をむき出しにしてしまうと現代を生きる人間としてダサいから隠している、と いう感じか。 かって私は、結婚した兄が週末だけは自分でバスタを作るという話を聞いた時、 「可哀想に・ と母が漏らしていたのを、聞いたことがあります。私はそれを聞いて、どこが可哀想な のだか皆目わからず、頭の中が「 ? 」でいつばいになったものでしたつけ。 母は、戦後の民主的教育を受けた世代であっても、「家庭で料理を作るのは妻」という 固定観念から逃れることはできていなかったのです。自分の息子のこととなると、週に一 回の料理すら、「可哀想」という単語と結びつけざるを得なかった。もしも私が結婚して、 1 6 9

9. 男尊女子

二〇〇九 ( 平成二十一 ) 年になると、女性は三十七・三 % が賛成、五十八・六 % が反対 に。男性は、四十五・八 % が賛成、五十一・一 % が反対ということで、男女ともに「反 対」の人の方が多くなりました。 が、しかし。次に調査された二〇一二 ( 平成二十四 ) 年に、異変が起こります。ずっと 減り続けていた「賛成」が激増、そしてずっと増え続けていた「反対」が激減、女性では 賛成と反対がほぼ半々になり、また男性では賛成が五十五・二 % 、反対が四十一・〇 % と、 再び賛成が多数に。 なぜこのような現象が起こったのかというと、調査の直前に発生した東日本大震災が理 由の一つではないかと言われています。震災の時に注目されたのは、家族というもの。非 常事態になった時に、伝統的な男女のあり方が再注目されたのでしよう。 その次、二〇一四 ( 平成二十六 ) 年の調査では、男女ともに「賛成 , が増加したものの、 男性の場合は「賛成」「反対」が拮抗状態。女性は「反対」がかろうじて半数越え、「賛 成」が四十三 % を超えています。 震災の影響があるにせよ、四割以上の女性が「自分達は、家庭を守る『べき』性なの だ」と思っている、ということは注目に値しましよう。バブルの時代までは、「女性の時 代 . 「キャリアウーマンプーム」などと言われ、専業主婦が格好悪いかのような気運もあ 2 3 8

10. 男尊女子

そして私は、日本が昔のような時代に戻ったなら、と考えるのです。そういえば日本の 女性も、昔はイスラムの女性と似たようなものでした。結婚前にセックスなどしたら、傷 物扱い。家族以外の異性と外を歩くなど、とんでもない。親の決めた相手と結婚し、嫁し たなら婚家の奴隷のように働く そう考えますと、やはり「時を戻すのは嫌だー ! 」との思いが強くなるのです。外で働 いてお金を稼ぐことはしなくてもよいかもしれないけれど、その代償は大きすぎる。どち らかが主でどちらかが従、と決まった瞬間、「従」の側にも心というものがあることを忘 オくさんいるのですから。 れてしまう「主」は、こ 本当の男女平等など成立するのか、という話もありましよう。男と女は異なる性なので あり、それぞれ生きる道は違うのではないか、と。 また主と従とをきちんと決めた縦社会の方が、管理が容易であることも、明らかです。 軍隊が厳しい縦社会であるのは、その方が強い組織をつくることができるから。「軍人、 皆平等」などと言っていたら、「突撃 ! 」と言われた瞬間に兵隊が散り散りに逃げ出す弱 」軍になってしま一つことでしよう。 家庭でも会社でも、「皆、平等、というシステムよりも、大将役を決めて後の人は絶対 服従にした方が、組織運営はラク。大将以外の人々も、従ってさえいれば他のことは考え 2 3 4