こんな作品、見たことがありません。 「詩」の概念に、揺さぶりをかけられたような気がしました。 「ゆめは : : : 」といったまま絶句してしまった彼の心。 表現していないことで、こちらにより強く問いかけてきます。 作者のくんは重い罪を犯して、長い懲役で服役中。 この詩を書いて、教室で朗読をすると、 どうしても書けなかった「 : ・ : 」の部分を、自ら語りだしました。 「ぼく、競艇の選手になりたいんです。 小さいころ、よくおとうさんに連れて行ってもらって、好きになりました。 試験も受けたんですが、落ちてしまいました。出所したら、また受けたいです」 世間の風は冷たく、差別もあり、悪い仲間もいます。 どんな未来が、くんを待ちうけているのでしよう。 あたたかく受けいれる社会であってほしいと、心から願います。
へ来てしまったのか。そう思わずにはいられない。 一ヶ月に一回、一時間半の「物語の教室。の授業は、六回で最終回となる。最後 の授業を迎えたとき、彼らは確かに変化している。始めて教室に来たときとは、確 実に違っている。もっともっと、彼らと会っていたいと、わたしは思う。彼らも、もっ この教室に来たいと願っているのが、ひしひしと伝わって ともっと詩を書きたい、 す くる で の けれど、それはできない。より多くの受刑者にこのプログラムを受けてもらうただ ら めに、一期は半年、と決まっているのだ。 え 彼らが意欲を持って詩を書くようになり、そのすべての作品の合評ができないま白 ら まに、「物語の教室」は、幕を閉じることになることが多い。積み残しがある。わ 青 たしも残念だし、彼らも残念に思っている。 空 より多くの受刑者にこの授業を受けてもらうために、この教室を細胞分裂のよう に二つにして、一期二クラス開講する、ということも検討されている。そのために、 新たな教官や刑務官に、この授業に参加してもらっている。マニュアルだけでは伝 えられないことを、いっしょに授業をするなかで、伝えていければ幸いだ。 面白いこと、というと失礼だけど、こんなことがあった。期の途中から授業に参 202
ということを学ん どんなことでも「知ってるでしよ」と決めつけてはいけない、 だ。「知ってるかな ? 」と問いかけるのでなければならない。そして、もし知らな い子がいても、それを責めるようなことを言っては絶対にいけない。知らないこと は、少しも恥じることではない。それを感じてもらわなければ、彼らは心を開こう としないだろう。 わたしは「ぞうさん」を知らない彼に「ごめんね」と心から謝った。その日の授で の 業の間、彼はすっと反抗的だった。ところが、授業の締めくくりの挨拶で自分からだ ら 「わがまま言って、ごめんなさい」と実にすなおに謝ったのだ。わたしはびつくりし、 え を 白 、つばいにまっ そして胸が詰まるような思いがした。そこに彼の複雑な思いが、し ら ていた。反抗しつつ、やつばり受け容れられたいのだ。 さて、「絵本・絵本・詩を読む、の三回の授業の後「詩を書いてくるという宿靖 空 題を出す。題材は自由。なにも書くことがない人は「好きな色ーについて書いてく ること、と課題を出す。 彼らは、房に戻って、自由時間に宿題をする。紙は教官から与えられた宿題提出 用の紙で無地だ。原稿用紙ではない。 すると、本書にあるような詩が提出される。読みにくい、ヘタな字を書いてくる 196
彼らの史生を成就させるには、二つの条件がある。一つは、彼ら自身が変わるこで の と。そして、元受刑者を温かく受け容れてくれる社会があることだ。 ん 彼らは詩を書くことで、自らが変わった。その詩は「詩集、として多くの人の心 え を に届き、見知らぬ人から、こんな励ましの言葉さえ、かけてもらえたのだ。彼らよ ら 自分たちの言葉で、自分たちが社会に戻っていく道を切り拓いている。そのことに 胸が熱くなる。 空 いまここに、文庫本というハンディなスタイルで、新たにお届けできることを、 とてもありがたく思っている。彼らの詩に出会って感動し、わざわざ奈良まで足を 運んで文庫化を申し出てくださった新潮社の寺島哲也さん、出版一年目なのに文庫 化することを快諾してくださった長崎出版の方々に、深く感謝したい。また、刑務 所の美しい写真を撮影してくださった上條道夫さん、講師助手としてともに受刑者 君に幸あれ 君の心に安らぎあれ Amazon. CO. 一0 カスタマーレビューより 208
「どんな凶悪な犯罪者も、はじめは心に傷ひとつない赤ちゃんだったはずです。と ころが生育していくなかでさまざまな困難に出会い傷ついてゆく。受刑者の多くが、 子どものころ、精神的、身体的な傷を受けています。その傷をうまく処理できなかっ た者が非行に走り、犯罪者になるのかもしれません。更生させ再犯を防ぐためには、 元の自分に戻してやることだと思うのです。子どもらしさを素直に出させ、それで も大丈夫だ、と安心させてやることができれば、立ち直るきっかけになり、非行や カ 犯罪と無縁の生活を送れるようになるのです」 の 場 乾井教官はこれを「思いを汲んで、寄り添い支え、手塩にかける」と表現する。 といっても、教官だけが教育に関わっているわけではない。ケンカなどに走りがの 詩 ちな受刑者たちを律し、規律正しい生活に導いてくれる刑務官の先生方の力なしに は、教育は成り立たないという。奈良少年刑務所の職員のうち、約九割が刑務官で あり、残りの約一割が教育の教官、心理技官、作業技官、医療技官である。企画部 門の教育担当は十四名にすぎない。現在、約二百名の職員で、七百名あまりの受刑 者を、二十四時間、管理している。 「刑務所の職員全員がそれぞれの立場でその役割を果たしながら連携していくこと で、歯車のようにうまくかみ合 い、はじめて、教育や改善指導の効果もあがるので 173
そんな受刑者の変化を感じた工場担当の刑務官の先生方が、彼らを適切なポジ ションに配置してくださる。すると、工場全体に、更生に向けて前向きの明るい雰 囲気が漂うようになるという。 一人の変化が、全体に影響する。悪循環の反対の、 良循環のはじまりである。 逆に、工場に一人でも歩調を乱す者がいると、悪循環がはじまってしまう。授業 の効果を実感した刑務官の先生から「次は、問題を起こしがちなあの子を人れてやつで の てください」と依頼されるまでになった。そうやって「社会性涵養プログラム」を ん ら 受けた者のなかには、受講後、工場で指導的立場に立っている者すらいる。 え へんぼう 彼らの大きな変貌ぶりを思うと、わたしはなんだか泣けてきてしまうのだ。細水白 ら 統括のおっしやるとおりだった。彼らは、一度も耕されたことのない荒れ地だった。 くわ ほんのちょっと鍬を人れ、水をやるだけで、こんなにも伸びるのだ。たくさんのつ靖 ぼみをつけ、ときに花を咲かせ、実までならせることもある。他者を思いやる心ま で育つのだ。 , 彼らの伸びしろは驚異的だ。出発地点が、限りなくゼロに近かったり、 時にはマイナスだったりするから、目に見える伸びの大きさには、目をみはらされ る。 こんな可能性があったのに、 いままで世間は、彼らをどう扱ってきたのだろう。 170
うにしつかりして、みんなとうまくいくようになっている、と、刑務官の先生から の報告があったという。「くんが、あんなふうに変わったなら」と、自ら志願して、 この社会性涵養プログラムを受けたいと申し出る者も出てきた。 足を広げてふんそり返って座っていた o くんは、俳句をほめられたことをきっか けに、腰かける姿勢まで変わってしまった。授業に興味を持って、身を乗りだすよ うになった。 自傷傾向があり、情緒の安定を欠くくんは、妄想や空想をノートに書きつけ、カ 心から取りだして客観化するようになった。すると、心が落ち着き、醸しだす雰囲場 こた カ 気さえ変わってきた。いまでは、仲間から人生相談を受け、応えてあげる立場にま の 詩 でなっている。 人間、たった六ヶ月、十八回の授業を受けただけで、そんなに変われるなんて、と、 わたしは我が目を疑った。。 ヒギナーズ・ラックで、たまたまうまくいったのだと最 初は思っていた。 ところが、そうではなかった。今回、五期目が終了したが、効果が上がらなかっ たクラスは一つとしてない。ほとんどの受講生が、明る、 工場の人間関係もスムーズになる。 ししい表情になってきて、 かも 169
おび けれど、初めて教室に来たときは、怯えぎった子猫か子大のようでした。 おかあさんのスカートの後ろに隠れる幼い子どものように、 教官のそばにびったりとついて、一つ答えるにも、 教官に「こう言ってもいいですか ? 」と何度も何度も確かめ、 「いいんだよ、きみの思ったように言ってごらん , とさんざん励まされて、 やっと消えいるような小さな声で、自信なさげに話すのです。 それが、ある日、彼が釣りが好きで、魚に詳しいとわかりました。 魚のことなら、くんも言葉が出やすいのです。 AJ い、つことに。 教室では、魚や釣りのことならくんに聞けばいい、 くんは自信をつけて、やがて自ら立ちあがって黒板に行き、 図を描いてみんなに説明できるほどになりました。 あの、怯えてロもきけなかったくんとは思えないほど、堂々としています。 この詩は、海の魚のようすを、実によく観察しています。 くんでなければ、書けない詩です。 得意なことが一つあればいい。ほめてもらえれば、自信が持てる。 その小さな自信が、大きな世界への扉になります。
らの拍手を得られるということの大きさ、誇らしさ。もしかしたらそれは、彼らに とって、生まれて初めての体験かもしれない。 このような有機的な交流が、その場をよき温床として、彼らの芽をぐんぐん伸ば していく。その速度たるや、驚くばかりだ。 わたしは、彼らと合評をしていて、驚くことがあった。誰ひとりとして、否定的 なことを言わないのだ。なんとかして、相手のいいところを見つけよう、自分が共 感できるところを見つけようとして発言する。大学で授業をしても、批評と称してカ ばりぞうごん の 場 相手の人格さえ否定するような罵詈雑言を吐く学生がいるのに、 ここでは、なぜか カ そんなことはない。 の 詩 なぜだろう、と思って観察していて、あることに気づいた。」 刑務所の先生方が、 彼らのいいお手本になっているのだ。それはもう、 間違いのないことに思われた。 先生方は、普段から、彼らのありのままの姿を認め、それを受けいれているという メッセージを発信し続けていらっしやる。そのメッセージを受けとった者は、同じ ように仲間のありのままを受け人れようとする。すると、受刑者のなかに、互いに 受け人れ、高めあおうという前向ぎの雰囲気が、自然と醸されてくるのだ。 と , もか ) 、 しい機会さえ与えられれば、こんなにも伸びるのだ。それがなぜ、教 175
きちょうめん かな 哀しみを湛えた端正な句。煉瓦の一つ一つまで描かれた儿帳面な絵。わたしが抱 きまじめ いていた「凶悪犯」のイメージとはまったく違う。こんなに生真面目で繊細では、 社会でやっていくのは大変だろうな、と思わず心配になってしまった。 その感想を近くにいらした刑務所の方にお話ししてみた。すると、その方は教育 専門官の方で、刑務所での教育や指導について、詳しく説明してくださったのだ。 その時わたしは、こんなに真剣に他者の人生を考えている人がいるだろうか、と 思った。驚くほどやさしく純粋だ。社会のほかの場面では、こんな人は見たことがカ それから一年ほどして、急に講師のお話をいただいたのだが、ともかく、お話を よくお聞きしてから考えたいと思います、としかお答えできなかった。 刑務所に行き、その当時、教育統括だった細水令子さんのお話をお伺いした。 聞けば、受講予定者には、強盗、殺人、レイプなどの重罪で刑を受けている人も いるという。怖い、と思った。ところが、よく説明を受けているうちに、やってみ 刑務所が新たに試みようとしている ようか、という気持ちに変わっていったのだ。」 かんよう 改善指導「社会性涵養プログラム」に共感したということもあるが、何より、細水 統括の、受刑者たちの史生を願う深い愛情を感じたからだ。受刑者たちは、加害者 たた 161