童話から詩へ 「表情カード」の挨拶が一巡すると、 いよいよ授業の本番だ。六回ある「物語の教 室」の最初の二回は、絵本を読み、朗読劇として演じる、という授業を行う。すで に単行本版のあとがきで書いたように、それだけのことで、彼らの心はかなりほぐ れてくる。 三回目は、金子みすゞやまど・みちおの詩を読んで、感想を述べあう。これは、 彼ら自身に「詩」を書いてもらうための導人でもある。「詩を書く」というと、つ い身構えてしまうところを、なんとかしてハードルを下げたいと思ってこの授業を 行っている。 五期のクラスで、まど・みちおの「ぞうさん」を題材にしたことがあった。こん なにやさしい言葉でも「詩」なのだ、ということをわかってほしいと思って選んだ 題材だった。黒板にこの詩を板書すると、すぐに「あ、そ 5 うさん、ぞ—うさん ) の歌でしよ」と、腕を象の鼻のように左右に振りながら、反応してきてくれた子が いた。すると、みんな楽しそうに「知ってる」「ぼくも知ってる」と、 いい感じでノッ 文庫版あとがき 193
らの拍手を得られるということの大きさ、誇らしさ。もしかしたらそれは、彼らに とって、生まれて初めての体験かもしれない。 このような有機的な交流が、その場をよき温床として、彼らの芽をぐんぐん伸ば していく。その速度たるや、驚くばかりだ。 わたしは、彼らと合評をしていて、驚くことがあった。誰ひとりとして、否定的 なことを言わないのだ。なんとかして、相手のいいところを見つけよう、自分が共 感できるところを見つけようとして発言する。大学で授業をしても、批評と称してカ ばりぞうごん の 場 相手の人格さえ否定するような罵詈雑言を吐く学生がいるのに、 ここでは、なぜか カ そんなことはない。 の 詩 なぜだろう、と思って観察していて、あることに気づいた。」 刑務所の先生方が、 彼らのいいお手本になっているのだ。それはもう、 間違いのないことに思われた。 先生方は、普段から、彼らのありのままの姿を認め、それを受けいれているという メッセージを発信し続けていらっしやる。そのメッセージを受けとった者は、同じ ように仲間のありのままを受け人れようとする。すると、受刑者のなかに、互いに 受け人れ、高めあおうという前向ぎの雰囲気が、自然と醸されてくるのだ。 と , もか ) 、 しい機会さえ与えられれば、こんなにも伸びるのだ。それがなぜ、教 175
口に出してそう言ったとたん太郎は気づいた いままで自分が母を許していなかったことに そしていま許そうとしていることに 一恵はずっと泣いていた 太郎は、 しままでにないスガスガしい気持ちで言った 泣ぎやまぬ母を見て 置いていかれるより置いていく方がつらいのかな と思ったりした 「会ってくれてありがとうと 「いいんだよ気にしてないよかあさん 141
受講生たちの心の扉までが開き、中に眠っていたやさしさや思いやりを引きだして くれるのだ。 まさか、なぜ、どうして、と最初はふしぎに思った。魔法のように感じられた。 どうしてこうなるのだろう ? ビギナーズ・ラックではないか ? しかし、それは 繰り返し起こる。まただ、またこんなすごいことが起こっている、と。一体、なぜ す で そんなことが起こるのか ? の ん ら 心を開いてもらうということ え を 白 ら 詩を書いてもらうまでの三回の授業が、特別なものではないことはもう、おわかか りいただけたと思う。ここにはなんの魔法もない。あるとすればそれは、教官たち靖 空 が心の底から、彼らの更生を願い、彼らが少しでも生きやすくなるよう、なんとか 力になりたい、 と真剣に願っているということだ。具体的には、なにをしているの 、刀 教官たちは、日常から彼らをよく観察し、適切に声を掛けている。刑務所は この 二十四時間体制で受刑者を見つめているから、このことはなによりも大きい 198
へ来てしまったのか。そう思わずにはいられない。 一ヶ月に一回、一時間半の「物語の教室。の授業は、六回で最終回となる。最後 の授業を迎えたとき、彼らは確かに変化している。始めて教室に来たときとは、確 実に違っている。もっともっと、彼らと会っていたいと、わたしは思う。彼らも、もっ この教室に来たいと願っているのが、ひしひしと伝わって ともっと詩を書きたい、 す くる で の けれど、それはできない。より多くの受刑者にこのプログラムを受けてもらうただ ら めに、一期は半年、と決まっているのだ。 え 彼らが意欲を持って詩を書くようになり、そのすべての作品の合評ができないま白 ら まに、「物語の教室」は、幕を閉じることになることが多い。積み残しがある。わ 青 たしも残念だし、彼らも残念に思っている。 空 より多くの受刑者にこの授業を受けてもらうために、この教室を細胞分裂のよう に二つにして、一期二クラス開講する、ということも検討されている。そのために、 新たな教官や刑務官に、この授業に参加してもらっている。マニュアルだけでは伝 えられないことを、いっしょに授業をするなかで、伝えていければ幸いだ。 面白いこと、というと失礼だけど、こんなことがあった。期の途中から授業に参 202
そんな受刑者の変化を感じた工場担当の刑務官の先生方が、彼らを適切なポジ ションに配置してくださる。すると、工場全体に、更生に向けて前向きの明るい雰 囲気が漂うようになるという。 一人の変化が、全体に影響する。悪循環の反対の、 良循環のはじまりである。 逆に、工場に一人でも歩調を乱す者がいると、悪循環がはじまってしまう。授業 の効果を実感した刑務官の先生から「次は、問題を起こしがちなあの子を人れてやつで の てください」と依頼されるまでになった。そうやって「社会性涵養プログラム」を ん ら 受けた者のなかには、受講後、工場で指導的立場に立っている者すらいる。 え へんぼう 彼らの大きな変貌ぶりを思うと、わたしはなんだか泣けてきてしまうのだ。細水白 ら 統括のおっしやるとおりだった。彼らは、一度も耕されたことのない荒れ地だった。 くわ ほんのちょっと鍬を人れ、水をやるだけで、こんなにも伸びるのだ。たくさんのつ靖 ぼみをつけ、ときに花を咲かせ、実までならせることもある。他者を思いやる心ま で育つのだ。 , 彼らの伸びしろは驚異的だ。出発地点が、限りなくゼロに近かったり、 時にはマイナスだったりするから、目に見える伸びの大きさには、目をみはらされ る。 こんな可能性があったのに、 いままで世間は、彼らをどう扱ってきたのだろう。 170
犯罪者のなかには、 ドメスティック・ヴァイオレンスにさらされ、 ぎやくたい 虐待されたという生育歴のある者が、多くいます。 自分は、絶対にそんなふうにはならない、 と思いつつ、 悲しい連鎖をして、暴力をふるってしまうことも多いのです。 奈良少年刑務所では、暴力で犯罪を起こしてしまった者に対して 「暴力回避プログラム」を実施しています。 これは、アンガー・マネージメントという 最新の心理療法を取りいれたもの。 トラブルが起きたり、強い怒りを感じたとき、 自分も相手も傷つくことなく、穏便に解決するには どうしたらいいカ その方法を、みんなでともに学んでいきます。 109
らできるだけ答える。答えられないときは『わかりません』という」「みんなのた めの時間なので、一人で長く話さない」などの、ごく基本的な事項が含まれている。 当たり前のことばかりだが、毎回これを確認しあうことに意義がある。 教室が、お互いを尊重しあう学びの場である、ということを、声に出して確かめ あうことは、とても大事なことだ。これだけのシンプルな事項を、もしみんなが守 す ることができたら、小中学校でも「学級崩壊」などありえないのではないか、と思っ で の たりもする。 ん ら 次に「表情カード、を使い、一人一人に、きようのコンディションや気分を手短 え を かに伝えてもらう。 ら 「表情カード」とは、笑ったり泣いたり怒ったり苦しそうにしている、わかりやす い表情の顔の絵に、「たのしい」「たのしみ」「緊張」「リラックス」「ブルー、「疲靖 空 れている」「いらいら」「しんどい」など、気分を表現する言葉がついているもの。 そのカードの一覧を黒板に掲げ、その中から、いまの気分に近いものを選んでもらっ て、該当する絵を指し棒で指しながら、話してもらう。 これもまた、とても単純なものではあるが、実に役に立つ。表情カードの発表を 一巡するだけで、彼らの気分、体調、緊張度、意欲などを、授業の前に大まかに把
「犯罪者」と聞くと、一体どんな凶暴な人だろう、 どんな恐ろしい怪物だろう、と思ってしまいがちです。 けれど、一人一人と会ってみれば、 どうしてこの人が、と思うような者ばかり。 イルカと子どもに託して、ちょっと悲しい童話を夢見たり、 ういういしい恋をしたり。 何がこの子を追いつめたんだろう、 どうして犯罪を犯してしまったんだろう、と思わすにはいられません。
「太郎ちゃんよね、と声をかけられた と言われた 、と思ったが ど、つで , もいし 太郎はとりあえず「会う」と答えた 待ち合わせの駅前 母というものは十年間会っていなくても 子どもの顔がすぐにわかるらしい うんとうなずくと母は泣き崩れた 十三歳のとき一恵からいきなり電話があった 「会いたしー ししカわからなかった 太郎はどうして、、、 「ごめんね、と何度もくりかえす 140