妄 頭のなかで物語を考える 一人黙々とつぶやく いつつ , も 物語はできるけど しい結果にならず途中で諦める そしてまた妄想の世界へ 考えすぎてたまーに被害妄想 あきら
へ来てしまったのか。そう思わずにはいられない。 一ヶ月に一回、一時間半の「物語の教室。の授業は、六回で最終回となる。最後 の授業を迎えたとき、彼らは確かに変化している。始めて教室に来たときとは、確 実に違っている。もっともっと、彼らと会っていたいと、わたしは思う。彼らも、もっ この教室に来たいと願っているのが、ひしひしと伝わって ともっと詩を書きたい、 す くる で の けれど、それはできない。より多くの受刑者にこのプログラムを受けてもらうただ ら めに、一期は半年、と決まっているのだ。 え 彼らが意欲を持って詩を書くようになり、そのすべての作品の合評ができないま白 ら まに、「物語の教室」は、幕を閉じることになることが多い。積み残しがある。わ 青 たしも残念だし、彼らも残念に思っている。 空 より多くの受刑者にこの授業を受けてもらうために、この教室を細胞分裂のよう に二つにして、一期二クラス開講する、ということも検討されている。そのために、 新たな教官や刑務官に、この授業に参加してもらっている。マニュアルだけでは伝 えられないことを、いっしょに授業をするなかで、伝えていければ幸いだ。 面白いこと、というと失礼だけど、こんなことがあった。期の途中から授業に参 202
あたりまえ 青いイルカの物語 雨と青空 お母さん バカ息子からおかんへ 誕生日 もうしません ごめんなさい いっからだろう 妻 母 おかあさん ? 誓い 一直線 いつもいつでもやさしくて おかん 100 100 106 112 120 90 86 96 94 102 115
青色のイルカは小魚をおいかけて浅瀬にきました 子どもがイルカを見ていました イルカは子どもを気にしながら泳ぎました イルカは子どもが体をうまく動かすことができないことに気づきました イルカは子どもと長いこと目を合わせつづけました イルカは子どもの思いをかんじました それは一度で、 しいからイルカといっしょに泳ぐことでした けれどもイルカは泳ぎ去ってしまいました 青いイルカの物語
物語の教室・使用教材 『おおかみのこがはしってきて』 ( パロル舎 ) 『どんぐりたいかい』 ( チャイルド本社 ) 『ほしのメリーゴーランド』 ( フレーベル館 ) 『すてきなすてきなアップルバイ』 ( 鈴木出版 ) 『まど・みちお詩集』 ( 角川春樹事務所 ) 『金子みすゞ童謡集』 ( 角川春樹事務所 ) この詩集が、刑務所の矯正教育と受刑者理解の一助となり、 者を得て、彼らが二度と塀のなかに戻らないことを祈っている。 一人でも多くの理解 詩のカ場のカ 181
室に来た当初は、土の塊のように見えたのか ? 彼らはそれまで、そのような「場」を、ほとんど持たすに育ってきたのかもしれ ない。家族、学校、友だち。上手にその輪に入れず、または弾きだされてきたのか もしれない。お手本になる大人もいなかったのかもしれない。社会から排除された 彼らに手を差しのべてくれたのは犯罪傾向のある人々で、彼らを助けるためではな く、利用するために近づいてきただけなのかもしれない。そんなことすら、思わずで にはいられない。なぜなら、一人一人話してみれば「この人がなぜ犯罪を ? 」と思だ うような人ばかりだからだ。 芸術のカ詩のカ もうひとつ、心底感じたのが「芸術の力」だ。とくに「詩」に関しては、わたし 自身、詩に対する考え方が変わるほどの大きな衝撃を受けた。 「物語の教室、で、童話を読み、詩人の書いたすぐれた詩を読む。それだけでも、 もちろん彼らの様子は違ってくるのだが、目に見えて何かが大きく動くのは、彼ら 自身に「詩」を書いてもらい、それを合評する段階に人ってからだ。 176
大前提があって、はじめて、前向きの授業が成り立つ。 いざ授業というとぎ、わたしたち講師陣がもっとも留意することは、ます彼らに リラックスしてもらうこと。刑務所というところは、規律のきびしい場所だ。いっ も背筋を伸ばしてしゃんとしていなければならない。歩くときも、号令に合わせて 歩く。そんな彼らにとって「物語の教室、が、心をほどいてくつろげる場所になる 必要がある。ここは安全な場所、なにを言っても正面から受けとめてもらえる場所、 心を開ける場所、開いてもだれにも傷つけられない場所であることを、彼らに感じき てもらわなければならない。最初の三回の授業は、そのためにあるといっても過言と 版 ではない。 庫 文 まるで甘やかしているように見えるが、どうしてもこれが必要なのだ。信頼して もらわなければ、どうにもならない。その先に進めない。 授業には、いろんな子がくる。見たこともないほど内気な子。逆にひどく横柄で 「オレサマに近づくなよオーラ」全開の子、心ここにあらずで魂の抜け殻のように ぼうっとしている子、落ち着きがなくおどおどしている子。どんな形も、それは一 つの自己防衛の形。内側にある柔らかで傷つきやすい心や、すでに深く傷ついてし まった心を守り、隠すための固い殻なのだ。 おうへい 199
童話から詩へ 「表情カード」の挨拶が一巡すると、 いよいよ授業の本番だ。六回ある「物語の教 室」の最初の二回は、絵本を読み、朗読劇として演じる、という授業を行う。すで に単行本版のあとがきで書いたように、それだけのことで、彼らの心はかなりほぐ れてくる。 三回目は、金子みすゞやまど・みちおの詩を読んで、感想を述べあう。これは、 彼ら自身に「詩」を書いてもらうための導人でもある。「詩を書く」というと、つ い身構えてしまうところを、なんとかしてハードルを下げたいと思ってこの授業を 行っている。 五期のクラスで、まど・みちおの「ぞうさん」を題材にしたことがあった。こん なにやさしい言葉でも「詩」なのだ、ということをわかってほしいと思って選んだ 題材だった。黒板にこの詩を板書すると、すぐに「あ、そ 5 うさん、ぞ—うさん ) の歌でしよ」と、腕を象の鼻のように左右に振りながら、反応してきてくれた子が いた。すると、みんな楽しそうに「知ってる」「ぼくも知ってる」と、 いい感じでノッ 文庫版あとがき 193
は、日常の言語とは明らかに違う。出来不出来など、関係ない。 うまいへたもない。 「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持 つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのだ。 しん 大切なのは、そこだと思う。人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっ と耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、 そのような「場ーにこそあるのではないか、とさえ感じた。 と同じように、全国の小学校や中学校で、このような詩の時間を持てたらだ どんなにかいいだろう。詩人の書いたすぐれた詩を読むだけが、勉強ではない。す ぐそばにいる友の心の声に、耳を澄ます時間を持つ。語りあう時間を持つ。それが白 できたら、子どもたちの世界は、どんなに豊かなものになるだろう。 この詩集は、前半が「社会性涵養プログラム」の「物語の教室 . から生まれた作靖 品、後半は「母」をテーマに文芸の課題として受刑者が書いた作品である。そのよ うな血の通った生きた言葉を、あえて活字にして本に閉じこめてしまったので、そ れがどれだけ伝わるか、心許ない。 このような言葉を共有した場があったことを、 思い浮かべていただければと思う。 178
本来ならそれは、コミュニティで教えられていくものだが、それが機能していな いいまの日本では、一つの救いの道になるかもしれない。 次は「絵画」のプログラム。三原色、暖色と寒色などの、絵画の基本を学び、実 際に絵を描いてみる。筆をとり無心に色を塗ったり、対象をきちんと見つめて写生 することで、彼らは言葉からも日常からも解放された無心な時間を過ごすことがで きる。これは、美術の専門の先生がいらして、教えてくださる。 そしてもう一つが、わたしが担当する「童話と詩」の授業だ。わたしは仮にこれ を「物語の教室」と名づけている。「言葉を中心とした情操教育」をしてほしいと いうだけで、なんの縛りもなかった。ともかく思うように進めてほしい、というこ とで、手探りのなかで授業を始めた。受講生の反応を見ては、次の授業を決める、 という繰り返しのなかで、一つの方向性が定まってきた。 授業は全六回。最初の回では、絵本『おおかみのこがはしってきて』を教材にす る。この絵本は、アイヌ民話を題材にしたもので、父と幼い息子の対話という形で 詩のカ場のカ 165