空が青いから 白をえらんだです 良年集幵 奈少詩」 空が青いから白をえらんだのです寮美千子・編 奈良少年刑務所詩集 寮美千子 9 7 8 4 1 0 1 5 5 2 4 1 1 受刑者たちが、そっと心の奥にしま っていた葛藤、悔恨、優しさ 童話作家に導かれ、彼らの閉ざさ れた思いが「言葉」となって溢れ出 た時、奇跡のような詩が生まれた。 美しい煉瓦建築の奈良少年刑務所の 中で、受刑者が魔法にかかったよう に変わって行く。彼らは、一度も耕 されたことのない荒地だった 「刑務所の教室」で受刑者に寄り添 い続ける作家が選んだ、感動の 57 編。 Ryö Michico 1955 ( 昭和 30 ) 年、東京生れ。千葉に 育つ。中央大学中退。外務省勤務、 コピーライターを経て、 ' 86 年、毎日 童話新人賞を受賞し、作家活動に入 る。 2005 ( 平成 17 ) 年、小説「楽園の 鳥カルカッタ幻想曲』で泉鏡花文 学賞受賞。 ' 06 年、奈良市に移住し、 ' 07 年より、奈良少年刑務所「社会 性涵養プログラム」講師。宮沢賢治 学会会員。児童文学からノンフィク ションまで幅広い著作がある。絵本 「父は空母は大地』 ( 編訳 ) ほか、 「小惑星美術館』「ラジオスターレ ストラン』「ノスタルギガンテス」 「星兎』「夢見る水の王国」「雪姫遠 野おしらさま迷宮」など。 http:〃ryomichico.net/ Phot0 ( 0 Kamijyo Michi0 IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII 1 9 2 0 1 9 2 0 0 5 2 0 5 定価 : 本体 520 円 ( 税別 ) I S B N 9 7 8 ー 4 ー 1 0 ー 1 5 5 2 4 1 ー 1 C 0 1 9 2 \ 5 2 0 E 5 1 新潮文庫 カバー写真上條道夫 カバー装幀島田隆 新潮文庫 カバー印刷錦明印刷デザイン新潮社装幀室 520
詩など、ほとんど書いたことのない彼らには、 うまく書こう、という作為もありません。 だからこそ生まれる、宝石のような言葉たち。 心のうちには、こんなに無垢で美しい思いが息づき、豊かな世界が広がっています。 家庭や学校の環境、社会環境などが、複雑に絡まっています。 どこかひとつでも、助けになる何かがあったら、 理解してくれる人がいたら、溜めこまずに少しずつ思いを吐きだせたら、 もしかしたら、その犯罪は、防げたのかもしれません。 被害者を作ることもなく、彼らは犯罪者にならずにすんだことでしよう。 す で の ん この詩集は、奈良少年刑務所の更生教育である 「社会性涵養プログラム。から生まれた作品を中心に五十七編を編んだものです。 「詩」は、閉ざされた彼らの心の扉を、少しだけ開いてくれました。 かんよう から
生まれるためには 自分の両親 それまでの先祖 色々な人たちの命 無ければ 自分という人間は 感謝して一生懸命生きなければいけない 生きること
それはあなたが母になった誕生日 産んでくれなんて頼まなかった わたしが自分で あなたを親に選んで生まれてきたんだよね おかあさん産んでくれてありがとう
は、日常の言語とは明らかに違う。出来不出来など、関係ない。 うまいへたもない。 「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持 つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのだ。 しん 大切なのは、そこだと思う。人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっ と耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、 そのような「場ーにこそあるのではないか、とさえ感じた。 と同じように、全国の小学校や中学校で、このような詩の時間を持てたらだ どんなにかいいだろう。詩人の書いたすぐれた詩を読むだけが、勉強ではない。す ぐそばにいる友の心の声に、耳を澄ます時間を持つ。語りあう時間を持つ。それが白 できたら、子どもたちの世界は、どんなに豊かなものになるだろう。 この詩集は、前半が「社会性涵養プログラム」の「物語の教室 . から生まれた作靖 品、後半は「母」をテーマに文芸の課題として受刑者が書いた作品である。そのよ うな血の通った生きた言葉を、あえて活字にして本に閉じこめてしまったので、そ れがどれだけ伝わるか、心許ない。 このような言葉を共有した場があったことを、 思い浮かべていただければと思う。 178
そして : 幸せになりたい 犯罪者なのに「幸せになりたい」とはなんだー と思われる方もいるでしよう。 幸せになりたい、と控えめな小さな文字で書かれていたこの詩。 ほんとうは誰もが幸せになるために生まれてきたはずです。 自分の命の大切さに気づいてこそ、人の命を大事にできるのです。
待ってくれる人がいる、というのは、何よりもの励みになります。 しかし、問題のある家族から問題行動が生まれた、というケースも多く、 出所後待ちうける家庭環境は、必ずしも理想的なものではありません。 それでも、人所をきっかけに家族がそれに気づき、学んで、反省し、 関係を再構築していくことも多いのです。 奈良少年刑務所では「保護者会」を実施しています。 罪を犯した子どもにどう対処したらいいのか、 家族の多くは、途方に暮れています。 教官は、そんな家族の相談冫 こ乗ったり、指導をしたり、 なかなか本音で話せない受刑者と家族の橋渡しをしたり、 家族ぐるみで更生に取り組めるよう、環境作りをしています。
かたく だした。頑なに主張する。すると、ほかの受講生も同調して「イヤだ」と言いだし た。「まあまあ、そう言わずにやってみようよ」とやっとなだめて、ともかく一度 声に出して歌ってみる、というところまで漕ぎつけたとき、最初に拒否した一人が 「やつばりイヤだ、と言いだした。 「どうして ? この歌、知ってるでしよう。 一度でいいから、歌ってみようよ」と 重ねていうと、意外にも「知らないつ」と、投げつけるような一言が返ってきた。 「え。幼稚園とか小学校で歌わなかった ? 」 「幼稚園も、小学校も行ってない 言葉を失った。ああ、わたしはなんてことをしてしまったんだろう、と後悔の念 が押し寄せてきた。生まれてからずうっと日本に住んできたのに「そうさん」の歌 ひとっ歌わないまま、育ってしまう子がいるのだ。どんなにかきびしい環境だった だろう。想像もっかない。そんな子がここに来ているのだ。 それなのに、わたしは「だれでも『ぞうさん』の歌を知ってるはず」と決めつけ、 押しつけてしまった。それによって、彼をより深く傷つけてしまった。歌いたくな かったのではない、歌えなかったのだ。歌を知らないことがバレるのが嫌だったの 、、こプつ、つ 文庫版あとがき 195
らの拍手を得られるということの大きさ、誇らしさ。もしかしたらそれは、彼らに とって、生まれて初めての体験かもしれない。 このような有機的な交流が、その場をよき温床として、彼らの芽をぐんぐん伸ば していく。その速度たるや、驚くばかりだ。 わたしは、彼らと合評をしていて、驚くことがあった。誰ひとりとして、否定的 なことを言わないのだ。なんとかして、相手のいいところを見つけよう、自分が共 感できるところを見つけようとして発言する。大学で授業をしても、批評と称してカ ばりぞうごん の 場 相手の人格さえ否定するような罵詈雑言を吐く学生がいるのに、 ここでは、なぜか カ そんなことはない。 の 詩 なぜだろう、と思って観察していて、あることに気づいた。」 刑務所の先生方が、 彼らのいいお手本になっているのだ。それはもう、 間違いのないことに思われた。 先生方は、普段から、彼らのありのままの姿を認め、それを受けいれているという メッセージを発信し続けていらっしやる。そのメッセージを受けとった者は、同じ ように仲間のありのままを受け人れようとする。すると、受刑者のなかに、互いに 受け人れ、高めあおうという前向ぎの雰囲気が、自然と醸されてくるのだ。 と , もか ) 、 しい機会さえ与えられれば、こんなにも伸びるのだ。それがなぜ、教 175
加した教官。すでに「場・座」ができていたから、どうしても浮いてしまう。なか なか返答できない子がいても、言葉が出てくるまで辛抱強く待つ、という姿勢が、 わたしたちのなかにはできていた。しかし、世間のスピード感のなかから、急にこ の教室に飛びこんできた教官には、この時間の流れと沈黙が耐えられない。「はよ のど 答えてみ」などとつい促してしまう。すると、ようやく喉まで出かかっていた言葉 が、すっと引っこんでしまう。カタッムリが、その角を引っこめてしまうように。 わたしたちには、それが見えるのだ。教官も、みんなの白い目線に気がついて、はっき とする。ああ、ここは待つべきところなんだ、日常の時間の流れと違うんだ、と気 あ 版 づく。「社会性涵養プログラム」は、こうして教える側の社会性まで涵養してしま 文 うのだ。わたしも、この教室に通うようになってから、すいぶん自分自身を成長さ せてもらったと感じている。 この詩集には、五期の授業までの作品が収録されている。あれから一年、いま、 七期目が終わろうとしているところだ。またしても、小さな奇跡や魔法のようなで きごとが起きている。すばらしい作品も生まれている。いっか、お伝えする機会が あればと願う。 かもく 寡黙な子が、最終回の授業になって、とんでもなくすばらしい詩を提出してきた