強がり わたしは時に強がって生きてしまう 本当はものすごく辛くて苦しいのに : 本当は周りの人たちに甘えたいのに : だけど何より一番怖いのは周りの人たちに流されて 自分自身を追い込んでしまうこと そして悲しいのは後戻りできなくなるということ だからそうなる前に 自分自身の弱さを認めて生きて行きたい つら
室に来た当初は、土の塊のように見えたのか ? 彼らはそれまで、そのような「場」を、ほとんど持たすに育ってきたのかもしれ ない。家族、学校、友だち。上手にその輪に入れず、または弾きだされてきたのか もしれない。お手本になる大人もいなかったのかもしれない。社会から排除された 彼らに手を差しのべてくれたのは犯罪傾向のある人々で、彼らを助けるためではな く、利用するために近づいてきただけなのかもしれない。そんなことすら、思わずで にはいられない。なぜなら、一人一人話してみれば「この人がなぜ犯罪を ? 」と思だ うような人ばかりだからだ。 芸術のカ詩のカ もうひとつ、心底感じたのが「芸術の力」だ。とくに「詩」に関しては、わたし 自身、詩に対する考え方が変わるほどの大きな衝撃を受けた。 「物語の教室、で、童話を読み、詩人の書いたすぐれた詩を読む。それだけでも、 もちろん彼らの様子は違ってくるのだが、目に見えて何かが大きく動くのは、彼ら 自身に「詩」を書いてもらい、それを合評する段階に人ってからだ。 176
握することができる。これにより、授業の進め方も変わってくる。たとえば、授業 中に妙に投げやりな発言があったとしても、実は工場での作業が遅れていて気に病 んでいるから、というようなことがわかれば、こちらの言葉のかけかたも違ってく る。 「表情カード」は、彼ら自身にとっても役に立つ。彼らの多くは、感情を表現する のがとても苦手だ。それどころか、心を固く閉ざすあまり、自分自身の感情すらよ くわからない、 という場合もある。 そんなとき、この単純なカードが、心を開く助けになる。カードにより、小さなと 手がかりが得られれば、彼らもぐっと語りやすくなるし、自分で自分のコンディショ版 文 ンに気づくきっかけにもなる。なぜ「しんどい」のか、なにがあって「いらいら」 しているのか、心のうちにある原因を、自分で見つけられる。それを思いきって言 葉にして吐きだしてみれば、教官たちが「そうか、そうか。それは大変だね。よく がんばってるねーとしつかりと受けとめてくれる。それだけで、彼らの心が少しほ ぐれる。自分の心に気づくこと、吐きだすこと。それは凝り固まっていた心を解放 する第一歩にもなるのだ。 初回の授業のときは、ほとんど全員が「『緊張』していますーという。「でも、ど
きようの空は一面のあでやかな青 この空を見てみんなは 何を思い 何をするのだろう ぼく自身は今日の空のように バッジの色は青 いつまでも青バッジでいられたら 亠冂バッジ
むじやきに笑う。すなおに喜ぶ。ほんきで怒る。苦しいと訴える。 悲しみに涙する。いやだよと拒否する。助けてと声に出す。 日常のなかにある、ごくあたりまえのこと。 そんなあたりまえの感情を、あたりまえに出せない子どもたちがいます。 うつくっ 感情は鬱屈し、溜めこまれ、抑えきれないほどの圧力となり、 爆発して、時に不幸な犯罪を引きおこしてしまいます。 その原因は、さまざま。その子自身の性質だけではなく、 はじめに はしめに
母のような気持ちが持てる親になりたいと 心の底から強く思いました 期待されてうれしいこともあれば、重荷になることも。 まして、亡くなった兄や姉を投影されたら、 どれだけ苦しいことでしようか。 と感じても仕方ありません。 愛されているのは、自分ではない、 親も、悪気があって、そうしているわけではないのが悲劇 「ぼくはぼく。兄さんでも姉さんでもない」って 大声で叫べればよかったのに、まだ言えないくんに、胸が痛みます。 そこにいる、その人自身を見つめること。 それが「ほんとうの愛」の第一歩ではないでしようか。 126
れんがづく 奈良少年刑務所の建物は、明治四十一年に完成した煉瓦造りの建物。 「明治五大監獄」の一つで、政府の威信をかけた壮麗な建築物です。 ゆいいっ 五大監獄のなかで唯一現役で残った貴重なものでもあります。 煉瓦は、すべて当時の受刑者たちの手作り。 ふぜい その味のある煉瓦の風情は、それはそれは美しいものですが、 夏は熱を持って夜も赤外線を放射し、オ】ブンさながら。 冬は冬で底冷えします。 寮舎には冷暖房もなく、刑務所暮らしは楽ではありません。 そんななか、くんの思いは地球温暖化にまで広がっていきました。 世間から隔絶されていても、世界情勢に関心を持ち、 とら 自分自身の問題として捉えている—くんです。
人は変われる 平成二十二年版「犯罪白書」によると、日本の刑務所に収容されている人の 五十五パーセント弱が、再犯者であるという。刑務所が、矯正施設として機能し、 すべての人がきちんと更生して社会に戻るならば、世の中の犯罪の半分以上はなく なる勘定になる。受刑者が史生することこそが、わたしたち自身の安全を守ることカ の につながるのだ。 カ 奈良少年刑務所には、現在、七百名あまりが収容されている。彼らはみな、犯罪 の 詩 傾向の進んでいない若い世代で、入所時の年齢は十七歳以上二十六歳未満。ここで 彼らが再教育され、一人も刑務所に戻ってこなければ、日本の刑務所はガラガラに なるはずなのだ。 犯罪そのものは、憎むべき行為である。被害者の無念やそのご家族の心の傷は、 計りしれない。償おうとしても償いきれるものではない。加害者には、生涯、それ を重く受けとめてもらわなければならない。犯罪を犯すのは、個人だ。その個人に 責任は帰せられて然るべきである。 179
子どものころから、教師からも見放され、授業で当てられることもなく、ただ教 室の片隅にいた子どもたち。それがここではじめて「主人公」として人前に立ち、 かたく 演じる。 小さなことだが、その達成感が、頑なな彼らの心をほぐすきっかけとなっ てくれるのだ。 二回目も絵本を読み、三回目は詩を読むことに挑戦する。金子みすゞと、まど・ みちおの詩を教材にさせていただいた。「教える」のではなくて、声に出して読み、 一人一人の感想を聞いていく。回を重ねるほどに、表現がのびのびとしてくる。 そして、いよいよ彼ら自身に詩を書いてもらうことになる。それまでの授業で言場 葉に親しみ、「詩」というもののイメージをなんとなくつかんでもらっているので、 さほどむずかしいことではない。「書きたいことが見つからなかったら『好きな色』 について書いてきてください」と言って宿題にする。そうすると、たいがいの者が 提出してくれる。そして、その詩を本人が朗読し、みんなで感想を述べあう。 驚くべき伸びしろ それだけのことである。たったそれだけのことで、目の前の彼らが、魔法のよう
であると同時に、この社会の被害者なのかもしれない、 しはその仕事をお受けすることにした。 「社会性涵養プログラム」とは 「社会性涵養。フログラム」と名づけられたプロジェクトの対象は、」 用務所のなかでで も、みんなと歩調を合わせるのがむすかしく、ともすればいじめの対象にもなりかた ねない人々。極端に内気で自己表現が苦手だったり、動作がゆっくりだったり、 え ぎやくたい を 虐待された記憶があって、心を閉ざしがちな人々だ。 ら 「家庭では育児放棄され、まわりにお手本になる大人もなく、 学校では落ちこぼれ の問題児で先生からもまともに相手にしてもらえす、かといって福祉の網の目には靖 空 かからなかった。そんな、いちばん光の当たりにくいところにいた子が多いんです。 ですから、情緒が耕されていない。荒れ地のままです。自分自身でも、自分の感情 がわからなかったりする。でも、感情がないわけではない。感情は抑圧され、溜ま りに溜まり、ある日何かのきっかけで爆発する。そんなことで、結果的に不幸な犯 罪となってしまったというケースもいくつもあります。先生には、童話や詩を通じ と感じだした。結局、わた