たとえ、それが世間で言う「詩」に似ていなくても、それは確かに「詩」だ。日 常の言葉とは違う言葉だ。ふだんは語る機会のないことや、めったに見せない心の うちを言葉にし、文字として綴り、それを声に出して、みんなの前で朗読する。 その一連の過程は、どこか神聖なものだ。そして、仲間が朗読する詩を聞くとき、 受講生たちは、みな耳を澄まし、心を澄ます。ふだんのおしゃべりとは違う次元の 心持ちで、その詩に相対するのだ。 すると、たった数行の言葉は、ある時は百万語を費やすよりも強い言葉として、カ の 相手の胸に届いていく。届いたという実感を、彼らは合評のなかで感じとっていく。場 その「詩の言葉」が、人と人を深い次元で結び、互いに響きあい、影響しあう。 の せいひっ そのような神聖な時間、静謐で精神的な時間を、わたしたちは普段、あまりにも 持たないできた。 わたし自身、詩を書く者であるのに、詩の言葉をどこかで信用していなかった。 詩人という人々のもてあそぶ高級な玩具ではないか、と思っている節さえあった。 けれど、この教室をやってみて、わたしは「詩の力」を思い知らされた。それま で、詩など、なんの関係もなかった彼らのなかから出てくる言葉。その言葉が、ど あ のように人と人をつなぎ、人を変え、心を育てていくかを目の当たりにした。それ ま 177
自分も相手も傷ついて悲しくなる 言葉はむずかしい けれど毎日使うもの 大切に使って 言葉ともっとなかよくなりたい 母のないさみしさを友の前で語ってから、彼は変わりました。 言葉となかよくなれれば、自分を開放し、人ともなかよくなれます。 世間とも、うまくやっていけるはず。 きみの思い、ちゃんと伝わってるよ ! 言葉で。
は、日常の言語とは明らかに違う。出来不出来など、関係ない。 うまいへたもない。 「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持 つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのだ。 しん 大切なのは、そこだと思う。人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっ と耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、 そのような「場ーにこそあるのではないか、とさえ感じた。 と同じように、全国の小学校や中学校で、このような詩の時間を持てたらだ どんなにかいいだろう。詩人の書いたすぐれた詩を読むだけが、勉強ではない。す ぐそばにいる友の心の声に、耳を澄ます時間を持つ。語りあう時間を持つ。それが白 できたら、子どもたちの世界は、どんなに豊かなものになるだろう。 この詩集は、前半が「社会性涵養プログラム」の「物語の教室 . から生まれた作靖 品、後半は「母」をテーマに文芸の課題として受刑者が書いた作品である。そのよ うな血の通った生きた言葉を、あえて活字にして本に閉じこめてしまったので、そ れがどれだけ伝わるか、心許ない。 このような言葉を共有した場があったことを、 思い浮かべていただければと思う。 178
一一一一口葉 言葉は人と人をつなぐ ひと言だけで明るくなり ひと言だけで暗くなる 言葉は魔法 正しく使えば たがいに楽しいし気持ちがいいけど 間違えば
何気ないひと言が、子どもの心を深く傷つけることがあります。 言った本人はすっかり忘れていても、 言われた方はいつまでも忘れられない。 のろ 使い方一つで祝福にもなれば、呪いにもなる言葉。 ことだま 言霊の宿る言葉を大切に使いたいものです。 149
うれしかったです」 それを聞いて、思わず熱いものがこみあげてきました。 世間のどんな大人が、どんな先生が、 こんなやさしい言葉を、くんにかけてあげることができるでしようか。 「くんは、ほんま赤と青が好きなんやなあって、よく伝わってきました」 仲間の言葉のすべてが、くんへの大きな励ましです。 普段、あまり表情のないくんの顔がふわっとほころび、笑顔が咲きました。 こんなやさしい、こんな素朴な子たちが、どんな罪を犯したのだろう。 なぜ、犯罪者になったのだろう。そう思わずにはいられませんでした。 何も書くことがなかったら、好きな色について書いてください そう課題をだして、くんが提出した作品がこれでした。 あまりにも直球。 どんな言葉をかけたらいいのか、ととまどっていると、 受講生が二人、ハイツと手を挙げました。 「ぼくは、くんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つ聞けてよかったです」 「ぼくも同じです。くんの好ぎな色を、二つも教えてもらって
母の日に一度はしたい肩たたき 体が大きな 0 くんは、話すのが苦手。 それをカバーするように、し 、つも威圧的な態度で通してきました。 けれど、それでは通用しなかったから、刑務所に来てしまった。 そんな O くんのなかに、こんな言葉の結品があったとはー みんなもびつくりして、ほめちぎりました。 すると、 O くん、いままで足を開き、ふんぞり返っていたのが、 姿勢がよくなって、やがて前のめりに体を乗りだし、 みんなの言葉に耳を傾けるようになったのです。 評価されること、共感してもらえること。 それは、人間にとって、とても大切なことなのだと感じました。 101
彼らの史生を成就させるには、二つの条件がある。一つは、彼ら自身が変わるこで の と。そして、元受刑者を温かく受け容れてくれる社会があることだ。 ん 彼らは詩を書くことで、自らが変わった。その詩は「詩集、として多くの人の心 え を に届き、見知らぬ人から、こんな励ましの言葉さえ、かけてもらえたのだ。彼らよ ら 自分たちの言葉で、自分たちが社会に戻っていく道を切り拓いている。そのことに 胸が熱くなる。 空 いまここに、文庫本というハンディなスタイルで、新たにお届けできることを、 とてもありがたく思っている。彼らの詩に出会って感動し、わざわざ奈良まで足を 運んで文庫化を申し出てくださった新潮社の寺島哲也さん、出版一年目なのに文庫 化することを快諾してくださった長崎出版の方々に、深く感謝したい。また、刑務 所の美しい写真を撮影してくださった上條道夫さん、講師助手としてともに受刑者 君に幸あれ 君の心に安らぎあれ Amazon. CO. 一0 カスタマーレビューより 208
本来ならそれは、コミュニティで教えられていくものだが、それが機能していな いいまの日本では、一つの救いの道になるかもしれない。 次は「絵画」のプログラム。三原色、暖色と寒色などの、絵画の基本を学び、実 際に絵を描いてみる。筆をとり無心に色を塗ったり、対象をきちんと見つめて写生 することで、彼らは言葉からも日常からも解放された無心な時間を過ごすことがで きる。これは、美術の専門の先生がいらして、教えてくださる。 そしてもう一つが、わたしが担当する「童話と詩」の授業だ。わたしは仮にこれ を「物語の教室」と名づけている。「言葉を中心とした情操教育」をしてほしいと いうだけで、なんの縛りもなかった。ともかく思うように進めてほしい、というこ とで、手探りのなかで授業を始めた。受講生の反応を見ては、次の授業を決める、 という繰り返しのなかで、一つの方向性が定まってきた。 授業は全六回。最初の回では、絵本『おおかみのこがはしってきて』を教材にす る。この絵本は、アイヌ民話を題材にしたもので、父と幼い息子の対話という形で 詩のカ場のカ 165
加した教官。すでに「場・座」ができていたから、どうしても浮いてしまう。なか なか返答できない子がいても、言葉が出てくるまで辛抱強く待つ、という姿勢が、 わたしたちのなかにはできていた。しかし、世間のスピード感のなかから、急にこ の教室に飛びこんできた教官には、この時間の流れと沈黙が耐えられない。「はよ のど 答えてみ」などとつい促してしまう。すると、ようやく喉まで出かかっていた言葉 が、すっと引っこんでしまう。カタッムリが、その角を引っこめてしまうように。 わたしたちには、それが見えるのだ。教官も、みんなの白い目線に気がついて、はっき とする。ああ、ここは待つべきところなんだ、日常の時間の流れと違うんだ、と気 あ 版 づく。「社会性涵養プログラム」は、こうして教える側の社会性まで涵養してしま 文 うのだ。わたしも、この教室に通うようになってから、すいぶん自分自身を成長さ せてもらったと感じている。 この詩集には、五期の授業までの作品が収録されている。あれから一年、いま、 七期目が終わろうとしているところだ。またしても、小さな奇跡や魔法のようなで きごとが起きている。すばらしい作品も生まれている。いっか、お伝えする機会が あればと願う。 かもく 寡黙な子が、最終回の授業になって、とんでもなくすばらしい詩を提出してきた