ろう 盟司の表情は、私が廩重に言葉を弄して事実をねじ曲げていることを、はっきりと物語 っていた。 このときだけは、私もサイキックになったのかもしれなかった。宮永の肩に置かれ だま た垣田の手から、 ( ロ車に乗るな。騙されるな ) という警告が伝えられてゆくのを、 まのあたりに見たような気がしたから。 「頼む。話してくれ」私は繰り返した。 だが、手遅れだった。宮永はゆっくりとかぶりを振った。「僕たちは何もしてない」 眠「何も知らないよ」と、垣田が言葉を添えた。「なんにも そのとき、慎司が壁際からはじかれたように身体を離し、垣田に飛びかかった。 龍止める間もなかった。二人はもんどりうって床に転がり、スツールをいくつか道連 れにした。体格ではるかに勝っている垣田は、驚きながらも簡単に廩司をねじふせ、 馬乗りになった。私と今市が両側から飛び付き、彼と慎司を引き離した。だが、廩司 、。ほんの一瞬だが、私は総 の右手は頑固に吸い付くように垣田の腕を握って離さなし 毛立った。 「慎司、やめろ」そう呼びかけた自分の声が、遠く聞こえた。 しりもち 真司は床に尻餅をつき、背後から今市に抱きかかえられながら、それでも垣田の腕
閉垣田のそれと似て感じられた。 「やってない ! 」垣田が叫び、私を跳ね飛ばすような勢いで身もがいた。はすみで慎 司の腕が離れた。 うそ 「やってない ! そんなことやってない ! 嘘だー 彼は激しく暴れ、私と一緒にカウンターの下の壁にしたたかぶつかった。がつんと せんこう いう音がして一瞬目の前に閃光が走り、気がつくと私は垣田を抱えるようにして床に る腰を落としていた。 眠廩司はだらりと腕をのばし、呼吸困難に陥ったようにあえいでいた。背後にいて彼 をつかまえていた今市が、少しずつ、少しずつ身を引いて、気味悪そうに彼から離れ 「大丈夫か ? 」 声をかけても、垣田は放心していた。震えていた。 「こいっ いったい何なんだ」 ようやくそう一言うと、彼は這うよ、つにして私から離れ、宮永にすがって立ち上がっ た。二人は叱られた子供のように寄り添っていた。窓を背にしてその顔は暗く、ただ 激しい息遣いが聞こえるだけだった。 しか
直也が彼を使ったのだ。見えない思念の手をのばし、彼一人ではカバーしきれなか った部分を、垣田にやってもらったのだ。 「なんであなたがここに ? さあな、と言ってやった。 「〈アイリス〉ってレストランへ行ったか ? 」と、訊いた。「そこの洗面所に赤い札入 れを捨ててきただろ ? 今夜江戸川区の水上公園の近くで、一一九番通報したのも君 るだな ? 」 眠信じられないというように目を見張りながらも、垣田は頷いた。 「そのこと、忘れてしまえ」 「もう終わったんだ。忘れちまえよ。それでいし おれ 「だけど : : だけど、俺・・ 「君がどうしてその声に従ったのか、当ててみようか」 私は慎司が入れられている集中治療室の方へ目をあげた。 「君が彼をあんな目にあわせたからだ。そうだろ ? 」 長身の垣田が、ひどく小さく見えた。
表情を大きく崩して、近寄ってこようとした。すると、私が何か一一一一口うよりも先に、垣 田がゆっくりと首を横に振って、 ( 来るな ) という意思を示した。廩司はじっとこち らを見たまま立ちすくみ、その肩に父親が手を置くのが見えた。 「出棺まで時間がある。少し歩こう」と、私は垣田に言った。できるだけ、この場か ら遠くへ離れたかった。理屈抜きでそうしたかった。慎司は、その気になれば、姿の 見えないところにいても我々のやりとりを聞くことができるのだーーーそう思ったから。 る「あの子ですねーと、垣田は低くつぶやくように言った。「あの子、見てたんでしょ 眠う ? 俺たちのしたこと。見てたから、ハイアライまで追いかけてきたんだよな」 かたわ 宮永家のある区画から二区画ほど離れたところまで来て、我々は歩調を緩めた。傍 龍らの電柱に、宮永家への順路を示す表示が貼ってあった。 いささかも迷わずに、私は「そうだ」と答えた。そうしておこう、と決めた。 「でも、そのあとどうするかを決めたのは彼じゃない。俺だよ」 酔っ払いのような足取りで歩きながら、垣田は黙っていた。 「君たちがやったんだな。あの子の言っていたとおり、車のエンジンを濡らしたくな ふた いからマンホールの蓋を開けて水を流した うなず そう尋ねると、黙ったまま頷いた。やがて、目を宙に泳がせたまま、小さく訊いた。
に警察に行けたらよかったろうに、と思ったんだよ 垣田が素早く目をそらしたので、私は続けた。「もちろん、自戒をこめて言ってる んだけどね。俺ももっと君らに働きかければよかったんだ。放っておかないでー 「ヘンに説得されたりしたら、俺たち、余計し、 こ逃げだしたくなって、もっとひどい結 果になってたかもしれません。だからそれは、 ) 、 ししんです ひと言ひと言、噛みしめるようにして、そう言った。それを聞いて気分が軽くなっ 転たわけではなかったが、これ以上、何もできることはなくなったということは、確認 できた。 暗 「俺、あの子にも話します。警察に行くよって」 章 第垣田はやって来た方へ引き返し始めた。 「だから、もう何も気にしないでくれって、話します」 宮永家に戻り、彼がそのとおりにするのを、私は眺めていた。何も言わなくても、 廩司はすべて察知しているかもしれない と、生駒に聞かれたら「また、はまって るな」と言われそうなことを考えながら。 話の終わりに、垣田が慎司の手をとって、握手するように握り締めた。感動的にも 思える光景だったが、私は今ひとっピンとこないものを感じたし、慎司もほとんど無 405 なが こま
ホ 1 ルを開けて道路に溜まってた水を流したんだ。そのあと蓋を開けつばなしにして ーカを着てた。そっちの人は、プルーのラインの入 いったんだ。昨夜あんたは赤いパ ったスニーカーを履いてた。二人で笑いながらマンホールの蓋を開けたんだ」 慎司は言いつのる。そして垣田は、私が予想していたとおりに答えた。 「どうして俺たちが ? なんで俺たちだってわかるんだ ? 慎司は私を見た。それに引っ張られて、ほかの三人も私を見た。この短兵急な少年 遇は、勝手に突っ走っておいて、危ないところだけ私に押しつけているのだった。 私は黙って垣田の顔を見返していた。それしか方法がなかったし、それがいちばん 遭 効果的だった。 章 第「俺たちーーーー宮永がおずおずと口を開きかけた。 「おまえは黙ってろ」垣田は彼の方を見もせずにびしやりとさえぎり、私を睨んでい る。 今や我々は、微妙な縁に立っていた。余計な説明も理屈も要らないが、ショックを 受けている彼ら二人に、退路を開けてやることも考えてやらねばならなかった。彼ら のしたことが重大な事故を引き起こしたと認識させると同時に、まだ最悪の事態では 聖ないと思わせてやらねばならなかった。
「どうして警察に話さなかったんですか 私は答えなかった。どう答えても言い訳に聞こえるだろう。それなら、彼が思って いることを、そのまま答えとして受け取ってもらった方がいい すると、垣田は言った。「俺たちに同情してくれたからかな。そうでしよう ? 」 「同情 : 「そうです。俺たち、馬鹿みたいなことをやったんだけど、あの時はそれに気がつい 転てなかった。とことん馬鹿だったから。だから、俺たちのこと、警察にしゃべっちゃ 気の毒だと思ってくれたんでしよう ? そんなことしなくても、俺たちが自首すると 暗 思ってたんでしよう ? 」 章 第わかってましたよ、と言った。「少なくとも、俺はわかってた。せつかく猶予をも らったんだ、自分たちでなんとかしなきゃいけないって、ずっと思ってた」 「宮永君はどう言ってた ? 」 垣田は質問には答えなかった。 「俺たち、『アロー』の記事、読みました」そう言った。「それでまた、聡に、『自首 しよう』って言ったんです。『まだ間に合う、今ならまだ間に合うぞ』ってね : : : 」 風向きのせいか、ここまで離れても、まだ線香の香りがした。宮永聡も一緒につい 399 ばか ゅうよ
「ええ。絵を描き始めたころに知り合ったんだけど : ようやく、垣田の顔に不審 そうな表情が浮かんだ。「あの、用件はなんです ? なんだか身元調べされてるみた いだな」 「おい、よせよーと、宮永が相棒をつつく。「失礼だぞー いいんだ。こっちこそ失礼だった。実はね、ちょっと訊きたいことがあっ 二人の若者はちらっと視線を交わしあった。 眠私は肩ごしに窓の方をさした。「今、下に停めてある赤のポルシェ、君たちの車 か ? 」 龍ワンクッションあって、宮永が答えた。「そうです。僕の : : : 」 たか 「凄いね。高価かったろ」 「実は兄貴のなんです。昨夜、黙って借りてきちゃったんだ。ここまで作品を運んで くるのに、どうしても必要だったから 「タクシーが拾えなかったもんで」と、垣田が補足する。 「そう。昨夜は何時ごろここへ着いたのかな」 二人よりも先に、じっと黙ってやりとりを聞いていた今市が答えた。 114
さかんに呼んでいる。 「こっちは無事ですよ。 いったい何があったんです ? 」 「わかりません。一一九番通報があったというだけで 私は公園の外に出かかっていた。そこで、野次馬のなかに思いがけない顔を見つけ て、イヤホンのがなっていることが聞こえなくなった。 かきた レストランの側の歩道の人込みのなかに、垣田俊平が立っている。 あと 件 間違いない。彼だ。怒鳴りあっている男たちの方に目を据えたまま、じりじりと後 ずさ 退りしてその場を離れようとしていた。 事 走って近づくには、人が多すぎた。彼のひょろながい影を見失うまいと必死で追い 章 ルかけ、道を渡り切ったところで誰かに腕をつかまれた。 「どこへ行くんです ! こっちへ、こっちへ戻って ! 」 刑事だった。真っ赤な顔をしている。一瞬それに気をとられているうちに、垣田の 姿は人込みにまぎれてしまっていた。 電話は午前零時近くになってかかってきた。 「ちょっと確かめさせてもらったんだ」と、直也は言った。声がさらに弱っていた。 575
118 語尾をもぐもぐと呑み込んで、今市は黙った。垣田と宮永の驚きが、自分のそれと は種類が違うのだと気づいたのだ。 私も気づいた。やったのは彼らだ。 あの動転ぶり。間違いない。だが同時に、彼らから素直に「僕たちがやったんで す」という言葉を聞き出すことのできる可能性も、針の先ほどに小さくなってしまっ 「マンホールの蓋を開けたの、あんたたちだろ ? 」慎司は彼らを睨みすえた。「あん 眠たたちだろ ? 狭い店内の空気が重くなった。沈黙の重さだった。 龍びくりと手を動かして、宮永が何か言おうとした。だが、その彼をかばうように肩 を乗り出して、垣田が先に口を開いた。 「なんのことだかわからない」 衝撃で抑揚を欠いたその声、表情の消えたその顔の裏側で、精密な機械が音もなく 回りだし、計算を始めたことがわかった。身を守れ。うつかりしたことを一一一一口、つんじゃ はあく ないぞ。まだ事態を把握しきってないんだから。 「ウソだ。やったのはあんたたちだよ。車のエンジンが水をかぶると困るから、マン