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検索対象: 絶望名人カフカの人生論
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1. 絶望名人カフカの人生論

第六章学校に絶望したー 師学校では劣等生と決めつけられた なぞ 母親にとって「ひとつの悲しい謎となった」 教育は害毒だった 何度成功しても自信は湧かず、ますます不安が高まる 第七章仕事に絶望した ! 生活のための仕事が、夢の実現の邪魔をする 会社の廊下で、毎朝絶望に襲われる 仕事に力を奪われる 仕事をなまけているのではなく、怖れている 出張のせいで、だいなしに わ社会的地位にはまったく関心なし 123 113 おそ

2. 絶望名人カフカの人生論

ミレナはチェコ人の女性で、ジャーナリストで翻訳家。 カフカの短編をチェコ語に翻訳したいとミレナが申し出たことがきっかけで、カフカ との交友がはじまります。 絶 それは次第に恋愛関係へと発展していきます。 体 身 ミレナは人妻であったのですが。 分人妻との許されない恋愛なんて、まるで恋に生きる男のようですが、実際には、そう 章いう女性に対して送る手紙も、これです。 第 ミレナはマックス・プロートに宛てた手紙でこう書いています。 「私は彼を知ったというよりは、むしろ彼の不安を知ったのです」

3. 絶望名人カフカの人生論

子供の頃から目指していた偏差値の高い大学に、ようやく合格したのに、それで燃え 尽きたり、お金持ちになったのに、かえって家庭が不和になったり、好きな人をライ、ハ 丿から奪ったのに、けつきよく一つまくいかなかったり。 望 自由を手に入れるために命がけで戦った時代もあったのに、自由な時代になってみれ 来 ば、自由をもてあまして無気力になってしまったり。 将 章人は負けることも苦手ですが、勝っことも意外に苦手なものです。 第 勝っか負けるかだけで人生が語られがちですが、勝ったにしても負けたにしても、手 にしているものをどう生かすかのほうが、より大切なのかもしれません。

4. 絶望名人カフカの人生論

これはカフカの日記や手紙ではなく、小説の一節です。 断食を芸としていた男が、死ぬときに、こう言い残すのです。 とろ これは、カフカ自身の胸中の吐露と言ってもいいでしよう。 みんなと同じようにたらふく食べたいけれど、できない 望みんなと同じように結婚したいけれど、できない 絶 みんなと同じように普通に生きたいけれど、できない 决して、そうしたくなかったのではないのだ、と。 る べ 章 じつはカフカは、家族や仕事や知り合いから遠く離れて、旅先の田舎の保養所でくっ 十 ろいで安心しているときには、肉を食べています。 第 そして、太りさえしているのですー 彼の食に対する拒絶は、あきらかに彼の現実に対する拒絶、不安がもとになっていま す。

5. 絶望名人カフカの人生論

何度成功しても自信は湧かず、ますます不安が高まる 自分は小学校一年も修了できないだろう、 とぼくは思い込んでいました。 実際はそうはなりませんでしたが、 それでも自信は湧いてきません。 論 人逆にばくは、成功が重なるにつれて、 フ最後はそれだけ惨めになるにちがいないと、 人 カたくなに信じていました。 名 望 絶こんな状態で、どうして授業に身が入るでしよう ? どの教師がぼくから向学心の火花を引き出せたでしよう ? 授業に対するばくの興味は、 銀行で横領をした行員が、 発覚を恐れてびくびくしながら、 日常の業務をこなしているときの、 120

6. 絶望名人カフカの人生論

バルザックは一九世紀を代表する小説家です。 カフカは一一〇世紀を代表する小説家です。 その対比が面白いですね。 ちなみに、バルザックは小説の登場人物について、どういう家に生まれ、どういう育 望ち方をして、どういう容姿で、どういう服を着て、どういう性格かなどについて、何ペ ジも使って説明します。 来 一方、カフカの小説の登場人物はしばしば、「」という名前しかなく、経歴も容姿 章 も服装も性格もまるつきり説明がありません。 第 自分の存在に確かさを感じられた一九世紀 そして、存在の不確かさに苦しんでいるニ〇世紀 勇気は、不安へと、とってかわられたのです。

7. 絶望名人カフカの人生論

カフカは一九一七年の八月、三四歳のときに喀血します。 結核でした。 望 身体のことをずっと心配して、食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まずに節制 気してきたのに、ついに病気になってしまったのです。 どれほど絶望したことか と思ったら、驚いたことに、彼は絶望していないので 章 五 すー 十 第 それどころか、救済さえ感じています。 普通なら、血を吐いたりすれば、悲しみと不安で眠れなくなるものでしよう。それな のに、逆に、「ようやく眠れるだろう」と思い、実際に眠っています。 絶望は姿を消し、安らぎさえ感じられます。 これはいったいなぜなのでしようか ? 225 血を見るとこう言いました。「もう長いことはありませんね」 しかしそれでも、私自身はいつもより調子がよく、 仕事に行ってから、午後になってはじめて医者に行きました。 ミレナへの手紙

8. 絶望名人カフカの人生論

カフカの成績がよくなかった、いちばんの原因は、やはり彼の「自分はダメにちがい ない」という思い込みのせいであったかもしれません。 カフカの思い込みの力はすごいものですから。 望もっとも、その力が発揮されるのは、ネガティブな思い込みのときだけですが。 落第するだろうという暗い予想が外れても、何度外れても、それでもカフカは「じゃ 校 学 あ、次は大丈夫かも。自分はそれほどダメではないのかも」とはなりません。 章 六「逆にばくは、成功が重なるにつれて、最後はそれだけ惨めになるにちがいないと、か たくなに信じていました」と言うのが、カフカなのです。 失敗は気持ちを落ち込ませ、成功はさらに不安と心配を増大させる。 それでは、ポジティブになりようがありません。 一般的にネガティブな人というのは、「自分の失敗にばかり注目し、成功は無視する」 という傾向を持っています。 カフカの場合は、それがさらに極端であったと一言えるでしよう。 121 心ここにあらずの状態と大差ありませんでした。 ーーー父への手紙

9. 絶望名人カフカの人生論

単行本のときの「あとがきは、じつはそういう不安な気持ちも抱えながら書いて います。 そして、本が出ました。ここからが本当の「あとがきとなります。 覚していた非難は、ほとんどありませんでした。それどころか、むしろ歓迎して もらえました。門前払いを心配していたら、奥の間まで通してもらえたような意外さ で、むしろ戸惑ったほどです。 あやはり、こういう本を求めていた人も多かったのかと、心の友をたくさん見つけた ような気持ちでした。 版 庫「これから入院するので、持って行きます」というメールをいただいたときには、と ても感激しました。過去の自分の手元に届いたかのようでした。 被災地の方からも、ありがたいお便りをいたたきました。 読者の年齢層も、思いがけないほど幅広く、一二歳の方から、八八歳の方まで、た くさんの反響をいただきました。一四歳の少女からの「一緒にどん底まで落ちてくれ る友達のような本です」という感想は印象的でした。高齢者の方にもたくさん読んで したいなぜなのかという雑誌の取材まであったほどです。 251

10. 絶望名人カフカの人生論

うれ 自分に似た子供が生まれれば、普通は嬉しいでしよう。カフカの父親とカフカの不仲 も、ニ人がちがいすぎることが原因です。 「親に似ぬ子は鬼子」などと言います。 でも、カフカの場合は、自分に似ると鬼子なのです。 つまり、彼は自分自身に我慢ができないのです。自分なので、逃げることはできませ んが。 じつは、そんなカフカに子供がいたという話もあります。 絶 フェリーツェの友人で、グレーテという女性がいます。カフカと彼女の間には、たし るかに一時期、恋愛感情が芽生えていました。 を そのグレーテが、カフカが亡くなってから一六年後に、ある人への手紙の中で、カフ 供 子 力の子供を産んだと書いているのです。ただ、生まれた子供は七歳で亡くなり、子供が + 生まれたことも死んだことも、父親であるカフカには知らせなかったというのです。 この話は、当時の手紙や日記や状況から考えて、本当のこととは考えにくいとされて います。カフカの性格から言っても、ちょっと考えにくいことです。 ただ、真実はわかりません。 子供かいたかもしれないという話があるだけでも、カフカにとっては、もしかすると 嬉しいことかもしれません。