いますし、他のところで少し書いたこともあるので、結論だけお話しさせていたたき ますが、カフカが遺言で焼却を頼んだのは、親友のプロートです。プロ 1 トは、その 遺言を守らず、遺稿をすべて出版しました。そのため、裏切り者と非難されることも あります。 でも、この遺言はプロートしか知りませんでした。黙っていることもできたのです。 プロ 1 トはそうしませんでした。。 フロートは、裏切り者と呼ばれることを承知で、 論 生自分からそれを公表したのです。ここが肝心なところだと、私は思います。 カカフカが遺稿を焼却したがっていたのは、それが自分の望むほどの完成度を持って フ いないからです。カフカ以外の人にとっては素晴らしい作品であっても、カフカ自身 人 名 にはまだまだ不満でした。堂々と残せるものではありませんでした。 望 生前にカフカは本を出していますが、そのときも、出すかやめるか、とても迷って 日寸して出版までこぎつけていたのです。 います。いつもプロ 1 トが説彳 たた そういうこともふまえてプロートは、「焼却したがっていた」という但し書き付き で作品を残すことが、カフカにとっていちばんいいのではないか、と考えたのではな でしょ一フか だとすれば、「自分が遺言を裏切った」という形でカフカの作品を後世に残したこ 254
グスタフ・ヤノーホ『増補版カフカとの対話』吉田仙太郎訳筑摩書房 カフカに心酔していた青年が、後に書いたカフカとの思い出の記録です。 論ヨーゼフ・チェルマーク / マルチン・スヴァトス編『カフカ最後の手紙』三原弟平訳 の白水社 フ 一九八六年に新しく見つかったカフカの生涯最後の二年間の手紙です。 人 名 池内紀・若林恵『カフカ事典』三省堂 池内紀『となりのカフカ』光文社新書 池内紀『カフカの生涯』白水ブックス 池内紀先生は、日本におけるカフカの翻訳、評論、エッセイなどの第一人者です。 わかりやすく、面白く、深いので、初めてカフカを知る人にもおすすめですし、 大ファンの人にもおすすめです。 川マックス・。フロート『フランツ・カフカ』辻理、林部圭一、坂本明美訳みすず書房 親友のプロートによるカフカの伝記です。
しかし、プロートはこの遺 = = 口を守りませんでした。それどころか、遺稿を出版しまし これについては、さまざまな意見があります。 「裏切りだ」という意見もあります。 「カフカはプロートが焼かないとわかっていたはずだ」という意見もあります。プロー ト自身もそういう意見です。 ただ 「焼き捨てると遺言した作品だ、という但し書き付きでなら、残ってもいいと思ってい 望たのでは」という意見もあります。 絶 いずれにしても、今、世界中でカフカが知られているのは、プロートのおかげです。 夢 遺稿の出版は簡単なことではありませんでした。出してくれる出版社がなかなか見つ 章 ルからず、有名人の関心を引こうとしても、「カフカの名前は一度も聞いたことがないと 伝えてきた」そうです。 それでも彼は何十年も出版の努力を続けました。 プロート自身の小説は時の流れと共に忘れ去られていきました。しかし、逆にカフカ の小説は時の流れと共に名声を獲得しました。 プロートの名前は、今ではカフカの紹介者として歴史に刻まれています。 彼らはそれをど一つ田っことでしょ一つ ? 151
友人について、ずいぶん悲観的なことを書いていますが、カフカにはプロートという 親友がいました。 大学時代に知り合い、カフカが亡くなるまで、その友情は続いています。 しえ、カフカが亡くなった後も、何十年も、プロートは〈叩のある限り、カフカの作ロå を世に出すことに力を尽くしました。 そのおかげで、今こうしてカフカの名前は永遠のものとなっていますから、その友情 望も永遠に続くと言っていいのかもしれません。 ただ、カフカとプロートは、まったく対照的な人物でした。 あ 一方は、一般受けする小説を書く人気作家で、世渡りが上手です。妻帯者。 人一方は、お金にならなし乙言 、、、兇を書く無名作家で、極度の世渡り下手です。独身。 章お互いに自分にないところに惹かれたのかもしれません。 十 それにしても、ずっと不思議に思っていたことがありました。 第 カフカほどの作家が、なぜプロートのような作家との友情を大切にしていたのか ? カフカの目から見れば、プロートの小説はとても読めたものではなかったはずです。 この疑問に、作家のクンデラが見事に答えてくれました。 「あなたがたは親友がしよっちゅう下手な詩を書くからといって、その親友が好きでな くなるだろ一つか ? 」 191
Kafka. Franz 【 GesammeIte Werke. Hg. von Max Brod. Frankfurt a. M. 1950ff. プロート版カフカ全集 献 文 Kafka, Franz 】 Schriften. Tagebücher. Briefe. Kritische Ausgabe. Hg. von Jürgen Born, 参 Gerhard Neumann. Malcolm Pasley und Jost Schillemeit. Frankfurt a. M. 1982ff. 批判版カフカ全集 用 『決定版カフカ全集』川村一一郎他訳全肥巻新潮社 1980 ー 1981 プロート版カフカ全集の邦訳 『カフカ小説全集』池内紀訳全 6 巻白水社 2000 ー 2002 批判版カフカ全集の邦訳 ただし、日記や手紙は含まれません。 243 引用・参考文献
とこそ、親友としてのプロートの、驚くべき誠実な行為だったと一言えるでしよう。 なお、プロートはカフカの遺稿の出版によって、儲けてもいません。印税は、カフ 力の病気治療のせいで多額の借金ができていたカフカの両親と、カフカの最期を看取 った恋人に分けて、自分はまったくとっていません。 当時はまだほとんど無名だったカフカの本を出すことも大変でしたが、その遺稿を あ守るだけでも、大変なことでした。 カフカの死後、ナチスが台頭し、ユダヤ人の迫害が始まります。。フロ 1 トはナチス 庫がプラハに侵攻してくる、その前夜に、カフカの遺稿をトランクに詰め込んで脱出し ます。 まさに危機一髪でした。カフカの作品はナチスの「有害図書ーのリストに入ってい たので、もし見つかっていたら焼却されていたでしよう。 婚約者だったフェリ 1 ツェもユダヤ人です。 カフカと別れた後、裕福な銀行員と結婚して、二人の子供を生みました。 255 もう
140 ぼくの仕事が長くかかること、 またその特別の性質からして、 論 文学では食べてゆけないでしよう。 の フ 人 名 望 絶 カフカの親友のプロートは、作家でした。大学時代からすでに文壇で認められ、新進 作家として活躍していました。 作家として生活している見本がすぐそばにいたわけです。 「だったら、カフカも最初からあきらめずに、作家として身を立てることに挑戦してみ てもよかったのでは ? 」と一言いたくなります。 自分のやりたいことでは、お金にはならない 一三ロ
ミレナはチェコ人の女性で、ジャーナリストで翻訳家。 カフカの短編をチェコ語に翻訳したいとミレナが申し出たことがきっかけで、カフカ との交友がはじまります。 絶 それは次第に恋愛関係へと発展していきます。 体 身 ミレナは人妻であったのですが。 分人妻との許されない恋愛なんて、まるで恋に生きる男のようですが、実際には、そう 章いう女性に対して送る手紙も、これです。 第 ミレナはマックス・プロートに宛てた手紙でこう書いています。 「私は彼を知ったというよりは、むしろ彼の不安を知ったのです」
とにかく作品そのものは、 底の知れない悪作です。 論 人その悪作である理由を一行ずつ証明してあげることもできます。 の ミレナへの手紙 フ 人 名 望 150 カフカは亡くなる前にプロートに「遺稿はすべて焼き捨てるよ一つに」と遺一言しました。 一生かけて書いてきたものを、すべて焼き捨てろというのです。 カフカの自作に対する評価はそこまで厳しかったのです。 完全な作品を目指す者にとって、完全とは思えない作品が残って、完全な作品と誤解 されることほど辛いことはありません。 ア悪作の証明 つら
た。それらをプロートが苦労して次々と出版していった。当時はなかなか引き受ける出 版社がなかったという。 最初の日本語訳が出版されたのは昭和一五年 ( 一九四〇年 ) 。白水社刊、本野亨一訳 『審判』。六、七冊しか売れなかった ( そのうちの一冊を安部公房が手に入れていた ) 。 今では世界的に、二〇世紀最高の小説家という評価を受けるようになっている。 しかし、カフカが本当に読まれるのは、むしろこれからだ。 論カフカが死んで九〇年以上経つが、彼の言葉はいまだに新しい