バルザックは一九世紀を代表する小説家です。 カフカは一一〇世紀を代表する小説家です。 その対比が面白いですね。 ちなみに、バルザックは小説の登場人物について、どういう家に生まれ、どういう育 望ち方をして、どういう容姿で、どういう服を着て、どういう性格かなどについて、何ペ ジも使って説明します。 来 一方、カフカの小説の登場人物はしばしば、「」という名前しかなく、経歴も容姿 章 も服装も性格もまるつきり説明がありません。 第 自分の存在に確かさを感じられた一九世紀 そして、存在の不確かさに苦しんでいるニ〇世紀 勇気は、不安へと、とってかわられたのです。
カフカは小説を書くことを、自分の天職と考えていました。 生前は小説家としての名声を得ることはありませんでしたが、ずっと自分のことをト 説家としてあっかっています。 こつけい 家族はそのことを、多少、滑稽に感じていたふしがあります。とくに父母は。 母親は、カフカが結婚したり子供を作ったりすれば、文学への関心も薄れるだろうと 考えていました。ようするに、まだ子供だから、文学に夢中だが、大人になって、実生 活を始めれば、そんなことはどうでもよくなってくる、と考えていたのです。 絶カフカが自分の本を出すことができたときでさえ、それを父親に贈ろうとすると、父 夢親は「ナイト・テーブルの上に置いておいてくれ」と言いました。この軽視は、カフカ 章 を深く傷つけたようです。 第 もっとも、カフカが本を出すことができたのは、彼の実力が認められたからではなく、 人気作家である親友のプロートの尽力のおかげでした。 それでも彼は、自分を小説家とみなし、それ以外の何者でもないと思っていました。 そこまで夢中になれるものがあるのは、幸せなことです。 しかし、単純に幸せを感じたりしないのがカフカ。自分の書くものは「たいてい失 敗」とみなしていたのです。 143
自分を小説家とみなしていたカフカですが、自分の作品はつねにけなしています。 望求めるものが高すぎて、なかなか満足できないのです。 絶 それにしても、この言葉は究極です。 夢 「ほとんどものを一言うこともできない」というのですから。 章 作家が自分の能力をここまで否定した例は、おそらく他にはないでしよう。 第 147
たしかに、カフカの小説は、「同じところに鑿を打ちこんで」いるような感じがしま ある何かを描こうと、ずっと懸命になっているような。 もちろん、いろんな小説があって、それぞれに面白いのですが、そうやっていろいろ と工夫をしながら、ひとつのところを目指しているような感じがするのです。 絶多くの作品が未完なのは、「途方にくれて」しまうからでしようか。 夢 しかし、未完であることも、むしろ魅力になっています。「考える人」で有名なロダ ンの彫刻が、未完成であることで、より魅力的であるように。 第 バベルの塔が崩れたのは、天にまで届かせようとしたことに、そもそも無理があった から。カフカも、もともと作品の完成が不可能なほど、高みを目指しすぎているのです。 夢を一所懸命に目指しているのに、なかなか芽が出ない人の多くも、それが原因かも しれません。 149 す。
ニートと呼ばれる人たち、ひきこもりと呼ばれる人たちの中にも、同じ思いの人は多 しのではないでしようか 働かないのは、働く気がないわけではない。 し 望ひきこもっているのは、外に出たくないからではない。 でも、働けないし、出られない。 来 将 その状況を変えることもできない。 章 一カフカは最初、父親の仕事を手伝いますが、うまくいかず辞めてしまいます。 生きがいを感じていた小説を書くことでも、家族からは日曜大工あっかいでした。 でいなから、家から出て行くことができずにいたのです。
日本でいちばん最初にカフカを翻訳したのは、中島敦という小説家です。それも、こ の「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」の一部を訳しています。 さんげつき 中島敦の代表作は「山月記」という短編小説で、高校の国語の教科書への採録回数が 一位らしいですから、読んだことのある人も多いでしよう。 」り↓つよ・つ とら 李徴という男が虎になる話です。そういうことになった理由を、彼はこう語ります。 おれ っ ましわ 「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って しせっさたくま おのれたまあら おそ あえ 望 切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢 絶 みが おくびよう ますますおのれ さ て刻苦して磨こうともせず」「益々己の内なる臆病な自尊心を飼い、 、ゐとらせる結果にな しゅうちしん った」「この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」 ( 『李陵・山月記』新潮文庫より ) 。 の この虎の言っていることは、まさにカフカのこの言葉と同じです。中島敦は、カフカ 分 ・目 にとても共感したことでしよう。 章 四 こういう心理を、心理学のほうでは「セルフ・ハンディキャッピング」と呼んでいま 第 す。 自分にハンデを与えることで、失敗したときに自尊心が傷つかないようにする、とい う心理です。 才能があると信じて、でもその才能を伸ばす努力をしなければ、失敗した場合にも 「努力しなかったから」と言い訳がたつので、自尊心が傷つかずにすみます。また、も なかしまあっし
カフカの父親とは対照的に、カフカは豊かな家庭に生まれました ( 父親のおかげです 子供にはちゃんと教育を受けさせたいという父親の願いで、大学も出ています。その ドイツ語の力は、小説まで書けるほどです。 し 肉体的な苦労をしていないので、身体は軟弱で、金銭的な苦労をしていないので、お 望かわもう 絶金儲けに興味がなく、もともと裕福だったので、上昇志向もなく、高い教育を受けた結 親果、小説という芸術に強い興味を持つようになりました。 章 つまり、何から何まで、父親とは正反対なのです。 五 第 カフカによれば父親には「生活と商売と征服への意志」がはっきりと見てとれました。 カフカにはどこをさがしても、そんな意志はありません。 たとえば、お金儲けのためだけに生きることは、父親にとっては生きがいとなりうる でしよう。しかし、カフカにとっては、まさに棺桶のふたとなりえたでしよう。 が ) 。 からだ
261 山田太一 この本は頭木弘樹さんがカフカを読んで面白くてびつくりして、みんなに読ませた びいけれど誤解されやしないかと心配で、ついつい左の頁に寄り添って、とうとう終 んりまでそうしてしまったというような本だなと田 5 いました。 どうもカフカにはそうしたくなるところがあるらしく、世界中で出版されたカフカ おほ 説に関する本を集めたら、それだけで図書館ができそうだという文章を読んだ憶えがあ ります。 仮にもそんないい方をされる作家はめったにいるものではありません。 代表作といわれている『変身』ひとっとっても しいかけると、それを代表作 しっそ・つしゃ といっていいのかというような議論が持ち上り、代表作は『城』だろう『失踪者』 ろうという人もあり「あんな気味の悪い訳の分らない小説」などという人もいまだに いたりして、少くとも二十世紀の三大小説の一つだと思っている人間は ( 私もその一 解説頭木さんの叫び声
カフカは三六歳のときに、父親に長い手紙を書きます。 どれくらい長いかというと、一〇日がかりで書かれ、タイプ原稿で四五ページ、ドイ ツ語のペー ーバックで七五ページ分もあります。 こんなに長い手紙を書いたことのある人も、受け取ったことのある人もあまりいなし でしょ一つ。 しかも、その内容は、すべて父親への恨み言です。 し 「あなたのせいで、ばくがいかにダメになってしまったか」ということが、めんめんと つづ 絶綴られています。 親「三六歳にもなって : : : 」とあきれる人もいるかもしれませんが、三六歳になったから、 章 ようやく書けたのでしよう。 五 第 文中の「ある作中人物」というのは、『訴訟』 ( 『審判』と訳されることのほうが多い ) という長編小説の主人公ののことです。 この小説で、主人公のは、理由がわからないままに、犬のように処刑されます。 「恥ずかしさだけが後に残って、生き続けるかのようだった」というのがラストの一文 です。 父親とのネガティブな関係があったからこそ、名作が生まれたとも一言えるのです。
しかし、プロートはこの遺 = = 口を守りませんでした。それどころか、遺稿を出版しまし これについては、さまざまな意見があります。 「裏切りだ」という意見もあります。 「カフカはプロートが焼かないとわかっていたはずだ」という意見もあります。プロー ト自身もそういう意見です。 ただ 「焼き捨てると遺言した作品だ、という但し書き付きでなら、残ってもいいと思ってい 望たのでは」という意見もあります。 絶 いずれにしても、今、世界中でカフカが知られているのは、プロートのおかげです。 夢 遺稿の出版は簡単なことではありませんでした。出してくれる出版社がなかなか見つ 章 ルからず、有名人の関心を引こうとしても、「カフカの名前は一度も聞いたことがないと 伝えてきた」そうです。 それでも彼は何十年も出版の努力を続けました。 プロート自身の小説は時の流れと共に忘れ去られていきました。しかし、逆にカフカ の小説は時の流れと共に名声を獲得しました。 プロートの名前は、今ではカフカの紹介者として歴史に刻まれています。 彼らはそれをど一つ田っことでしょ一つ ? 151