『変身』がある四人家族の長男が身体か精神かを病んで廃人になったという物語だっ たら、よくある不幸な物語以上には人の心をとらえることはなかったでしよう。青年 がある朝巨大な毒虫になってしまった、というフィクションが、この物語をどの人生 にもいくらか思い当るような大きな物語にしたのでした。それは文学の領域を一気に 広げて深める偉業でしたが、 ほば百年前の多くの読者は、そうした物語に馴れていま せんでした。今となれば『城』も『訴訟』 ( 『審判』という訳もありますが、頭木さん びは『訴訟』が原文に近いとして、飜訳をなさっています ) も、そして『変身』も傑作 んであることを疑う人はずっと少いかと思いますが、書き終えた時はカフカ自身も確信 、と田 5 ったりもしたそうです。 財が持てず、焼き捨てた方がい ( 説 いくらなんでもそれはないでしよう、と田 5 ってしまいます。マイナス志向もいい加 解 減にしてよ、と少し声が荒くなってしまいます。もし小説がすべてなかったとしたら、 手紙と日記だけが残ることになります。それでは、カフカはあまりに片側すぎます。 カフカが、頭木さんに「絶望名人」といわれるほど徹底してマイナスにとらわれ、 むしろほとんど、自分からのぞんでマイナスを求め、マイナスに沈みこもうとしたの いまマイナスといわれるばかりのマイナスの本当の姿を文学に結晶したい、 6 、フ . 激しすぎるくらいポジティ。フな欲求が一方にあったからだと思います。
医師から「一生治らない。働くことも一生無理」と言われました。 カフカの『変身』は非現実的な設定と言われることが多いですが、「ある日突然、 身体に異変が起きて、部屋から出られなくなり、家族に面倒をみてもらうしかなくな る」という事態を、私はまさに身をもって体験することとなったのです。 それから一三年の間、病院に入院しているか、自宅にひきこもっているかという、 強制ひきこもり生 ) 清が続きました。 論 生 そんな生活の中で、いちばんの支えとなったのが、カフカの日記や手紙でした。 人 の カ 「絶望しているときには、絶望の言葉が必要」というのは、自分自身の体験に基づい 人 望ています。長い入院生活の中で、たくさんの人たちと出会いましたが、その人たちも、 絶 やはり私と同じでした。 ですから、絶望の名言集も必要であると、私は確信していました。 一般的に理解してもらえるのかどうかは、まったく自信がありませんでした。 絶望の名一言集なんて、ふざけていると思う人が多いかもしれないと思いました。 大震災の後でしたし、不謹廩とさえ一言われるかもしれないと思いました。 250
これだけなら、現代のダイエットをしている人レベルで、たしかに健康的と一言えるで しょ一つ 0 でも、カフカの場合は、もっと極端です。 「彼は毒と危険を自分のからだから遠ざけようと努めている」「呼吸として、食べ物と して、飲み物として、薬剤として彼のロにはいるすべての毒が肉体の脅威である」とカ ネッティは書いています。 望 新鮮な空気を吸うために、冬のいちばん寒いときでも、開いた窓のそばで寝ます。 絶 さらに全身を新鮮な空気にさらすために、しばしば裸になって体操します。 暖房は空気を汚すので、いっさい禁止。 る 食喫煙なんて、とんでもないことです。 章 アルコール類はもちろん、コーヒーやお茶も飲まないようにしていました。刺激物だ 第からです。 しかし、その結果、健康になれたかと一言うと、カフカ自身も書いているように、「心 配かだんだんふくれあがっていって、最後には本当の病気にかかってしまうのです」 これほど節制し、新鮮な空気を大切にしていながら、彼が結核にかかってしまったの は、じつにかわいそうなことに思えます。しかし、冬でも暖房なしで窓を開け放し、裸 躪になっていたことは、もしかすると、悪いほうに作用したかもしれません。
カフカが「おまえは」と一言うとき、それは「人は」ということでもありますが、それ た以上にカフカ自身を表しています。つまり、「ばくは」と言っているのと、ほば同じで 望す。それをもう少し一般化しているにすぎません。 カフカはさまざまな責任を負わされると、すぐにつぶれてしまいます。家業の手伝い 9 とか、結婚とか、長男としての責任、男としての責任、社会人としての責任 : の しかし、けつきよくのところ、重いのは責任ではありません。他の人なら軽々と抱え 分 るのです。重いのは、彼自身なのです。自分自身を抱えて生きる責任こそが、重さのす 四べてなのです。 そして、それは放り出すことができないものです。
いっさいの責任を負わされると、 論 生おまえはすかさずその機会を利用して、 の 責任の重さのせいでつぶれたということにしてやろうと思うかもしれない いざそうしてみると、気づくたろう 力しかし、 望おまえには何ひとっ負わされておらず、 おまえ自身がその責任そのものにほかならないことに。 2 重いのは責任ではなく、自分自身 八つ折り判ノ 1 ト
自分自身を放り出すには、自殺しかありません。 しかし、それは先にも引用したように、「イヤでたまらない古い独房から、いずれイ こんがん ヤになるに決まっている新しい独房へ、なんとか移してほしいと懇願する」ようなもの し 望だと、カフカ自身が書いています。 さ しかし、懇願する気持ちはなかなか抑えきれません。 自殺の願望を払いのけるためだけに人生が費やされてしまったとしたら、それはなん のとむなしいことでしょ一つ。 、目 しかし、実際にはカフカは多くの小説を書き残しています。未完だったり断片だった 章 四りするにしても。 人生の多くが、むなしく費やされるとしても、それでもなお人は何かをなしうるとい 一つことでしょ - つ。 おさ
しかし、プロートはこの遺 = = 口を守りませんでした。それどころか、遺稿を出版しまし これについては、さまざまな意見があります。 「裏切りだ」という意見もあります。 「カフカはプロートが焼かないとわかっていたはずだ」という意見もあります。プロー ト自身もそういう意見です。 ただ 「焼き捨てると遺言した作品だ、という但し書き付きでなら、残ってもいいと思ってい 望たのでは」という意見もあります。 絶 いずれにしても、今、世界中でカフカが知られているのは、プロートのおかげです。 夢 遺稿の出版は簡単なことではありませんでした。出してくれる出版社がなかなか見つ 章 ルからず、有名人の関心を引こうとしても、「カフカの名前は一度も聞いたことがないと 伝えてきた」そうです。 それでも彼は何十年も出版の努力を続けました。 プロート自身の小説は時の流れと共に忘れ去られていきました。しかし、逆にカフカ の小説は時の流れと共に名声を獲得しました。 プロートの名前は、今ではカフカの紹介者として歴史に刻まれています。 彼らはそれをど一つ田っことでしょ一つ ? 151
これはカフカが「自分の手紙を読んだ父親が、こう反論するにちがいない」と予想し て書いたものです。 この父親の言い分にはもっともなところもあります。カフカ自身も「ある種の正当性 を否定しません」と書いています。 自分がダメになったのは親のせいだと恨み言を言いなから、それなのに、親元を離れ ようとしない。恨みながら、恨んでいる相手と密着して生きる。三〇代になっても四〇 イになっても。そういう子供は現代ではさらに増えてきています。 し 望 これは子供の側から言えば、加害者に対する被害者の当然の要求です。損害賠償のよ にうなものです。 しかし、親の側から言えば、このカフカの父親の反論のようなことになるでしよう。 章 五 第 これに対して、カフカはどう返答するのか ? 彼はこう書いています。「この反論は、お父さんが書いたのではなく、ばく自身が書 いたものなのです」 つまり、あなたから非難されるまでもなく、ばくは自分で自分をそれ以上に非難して いるんだ、というわけです。 カフカは、自分で自分を激しく非難しますが、人からの非難は拒絶します。だから、 人から非難される前に、先回りしてそれをやってしまうのです。 111
第四章自分の心の弱さに絶望した 1 0 、コ与さは亠のる 強さはなく やる気がすぐに失せてしまう 2 重いのは責任ではなく、自分自身 ち死なないために生きるむなしさ 過去のつらい経験を決して忘れない 自分を信じて、磨かない みが
もし結婚して、 論ばくのような、 生 無ロで、鈍くて、薄情で、罪深い息子が生まれたら、 フばく自身はとても我慢できず、 人 ほかに解決策がなければ、 名 絶息子を避けてどこかへ逃げ出してしまうでしよう。 ばくが結婚できないのは、こういうことも影響しているでしよう。 ーーー - ー父への手紙 自分に似た子供への嫌悪