タクシー - みる会図書館


検索対象: 魔術はささやく
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1. 魔術はささやく

かですが」 「タクシーは客を乗せていましたか ? 」 「空車のように見えました」 「あなたのいた場所から交差点の信号は見えましたか ? 」 「はっきり見えました。一本道ですから」 「信号を見ていたのですか ? 」 「はい」 る「なぜです ? 」 「さあ : ・ : ・特に理由など必要でしようか。進行方向の真正面ですし、私もその交差点を渡る っ つもりでした。自然に目に人ったのです」 章 四「タクシーのナンバーは覚えていますか ? 」 「どのタクシーですか」 「あなたの見たとおっしやる、事故を起こしたタクシーですよ」 「いや、それは覚えていません」 「個人でしたか、法人でしたか」 「わかりません。とっさのことで、そこまで見ていませんでした」 「なるほど。事故のあと、あなたはどうなさいました ? 」 「すぐ、井田ひろみのマンションに向かいました」 173

2. 魔術はささやく

176 「夜道です。急いで家に帰りたいのだろうと思いました。若い娘さんでしたからね。あの交 差点の、タクシーが走って来た側には、シートをかけた建設中のマンションがありました。 非常に見通しが悪かった。私自身、事故の直前まで、走ってくるタクシーが見えませんでし た。菅野さんもそうだったのだろうと思いました。よくあることです」 「被害者は何を着ていました ? 」 「よく覚えていません。黒っぽいスーツのようなものだったと思いますが。髪の長い、きれ いな娘さんでした」 「ほほう。後ろから歩いていただけで、顔がわかったのですか」 や さ「私は彼女と話をしたのです」 は「話した ? 何をです」 術「あの交差点に続く道に折れる前、タクシーを降りたところで、前を歩いて行く彼女に気が ついていました。私と同じ方向に進んでいく。そこで呼び止めて、時間を訊いたのです。私 の時計はちょっと進んでいたものですから」 「なぜ時刻を訊いたのです」 「井田ひろみを訪ねるのに、時刻を知っていたほうがいいと思ったからです。彼女はもう眠 っているかもしれませんし」 「井田さんのマンションには、いつも予告なしに訪ねるのですか ? 」 「そうです」

3. 魔術はささやく

「午前零時を過ぎたところでした」 「そんな時刻にどこに向かって歩いていたのですか」 「あの近くに、知人の住んでいるマンションがあるのです。そこを訪ねる途中でした 「近くというのはどのくらいの距離ですか ? 」 「同じ町内です。歩いて二十分ほどでしようか」 「そんなにあるんですか ? どうして歩いていたんです ? 先ほどあなたは、菅野さんと同 じように大通りでタクシーを降り、そこから歩いたとおっしやった。なぜです ? なにも直 る接、お知り合いのマンションまでタクシーで行けば済むことではないですか」 「その知人を訪ねるときは、適当な場所までタクシーで行き、あとは歩くというのが習慣で っ した」 章 四「めずらしい習慣だ。なぜです」 「私は今の事業で、ある程度の評価を得ています」 「高い評価と言えますよ」 「ありがとう。だが、それだけに、身辺に面倒なことも起こりやすくなっているのです。っ まりーーー」 「代わりに申し上げましよう。今をときめく『新日本商事』の副社長であるあなたが、深夜 ひそかに知りあいの女性のマンションを訪ねる場面が他人の目に触れては困る。スキャンダ ルになるし、そこまではいかなくても、奥さんの耳に人ればあまり愉快ではないことになる 171

4. 魔術はささやく

第一章発端 その男は、十四日の朝刊でその事故を知った。 すみ 最初に目に人ったのは見出しだけだった。社会面の左下の隅に、。 こく小さく、「女子大生 タクシーにはねられ死亡」と。何気なく読み過ごして、しばらくしてからその意味に気がっ いた。あわてて読み返し、内容を確かめると、ゆっくりと新聞をたたみ、眼鏡をはずして目 をこすった。 名前に間違いはない。住所も同じだ。 購読している別の経済紙に手をのばすと、社会面を広げる。紙面の同じような場所に、行 女子大生タクシーにはねられ死亡 十四日午前零時ごろ、東京都区緑一一丁目の交差点を横断していた同区石橋三丁目東 すがの 亜女子大学三年菅野洋子さん ( 幻 ) が、区森上一丁目、浅野大造運転手 ( ) の運転 するタクシーにはねられ、全身打撲でまもなく死亡した。浅野は業務上過失致死の現行 犯で逮捕され、城東警察署の取り調べを受けている。

5. 魔術はささやく

210 あの日、大造はやや風邪気味で、あまり調子が良くなかったのだという。そこで夜八時ご ろ、時刻は早いが今日はもうあがろうと「回送」の表示を出したところに、お客があった。 だんな 「四十歳ぐらいの奥さんでね、行き先は成田だった。商社マンで海外勤務している旦那が赴 任先で倒れて、駆けつけるところだったんだ。電話で呼んだ無線タクシ 1 を待ち切れずに、 表に出てきたところにおじさんが通りかかったってわけだ」 「ラッキーだったね」 「場所は三友ニュータウンのはずれでな。普段ならほとんど流さないところだ。たまたま通 りかかってよかったよ。その奥さんも言っとった。いつもなら全然見かけないタクシーがス や さッと走ってくるなんて奇跡みたいだ、ってな」 は「回送」の表示を引っ込めてその客を成田空港まで送り届け、帰り道には、空港のタクシー 術 乗り場から、今度は男性客を乗せた。初めての子供が生まれたという知らせに、海外出張先 からとんで帰る若い父親だった。その客が、事故現場の交差点から二街区ほど北側で降りた のだった。 「気持よかったんだよ : : : やつはりこの稼業も捨てたもんじゃねえ、そう思ってな。そこで、 あの事故だ」 沈黙が落ちた。遠くで一度だけ、ひどい。ハックファイアの音がした。 「菅野さん、なにかに追っかけられているみたいに夢中で飛び出してきた」 平べったい声で、大造は続けた。

6. 魔術はささやく

332 タクシーが走り去ると、守の心に冷たい怯えが戻ってきた。今のタクシーが、自分にとっ て、正気の世界に戻る最後の船であったように思えた。 老人に案内されたのは、道路から少し引っ込んだ場所にある、白壁のマンションの五階だ った。建物に人る前に、守は辺りの様子をしつかりと頭に叩き込んだ。 マンションの向う側に、ビルの合間で肩をすぼめるようにして細い運河が流れている。向 かいには立体駐車場がある。近くの電柱には住居表示がある。どんなことになるにせよ、せ めて自分がどこにいるのかだけは知っておきたい。 五〇三号室。老人は足をとめた。 や さ「ここだよ」 は ドアの上部の表札には、「原沢信次郎」と書いてあった。「誰か」がこんな平凡な名前を持 術っているなんて、信じられない気がした。 「はらさわ ? 」 つぶやくと、老人は答えた。 「それが私の名前だ。ずっと名乗らずにいてすまなかったね」 ありきたりで簡素な部屋を通り抜け、老人は奥の部屋のドアを押した。守を先に通し、ド アを閉めてから明りをつけた。 圧倒的な光景が広がった。 奥の壁一面に、オーディオ機器に似た機材がびっしりと配置されている。守に見分けられ おび

7. 魔術はささやく

「すぐに社長さんに連絡して、弁護士の佐山先生を頼んでもらうよ。一緒にお父さんに会い に行ってもらってーー差し人れもしてあげないと。着るものとか、小銭ぐらいならいいらし いし。下着は新しいのを買ってこないと。で、なんでもタッグはみんなとって、紐のついて るものは駄目で : : : 」 確認するようにつぶやいていたより子は、二人の子供の表情に気づいて口をつぐんだ。そ れから、強いててきばきした調子を取り戻した。 「そのあとあたしは佐山先生の事務所へ行って、話を聞いてくるからね」 より子が「社長さん」と呼ぶのは、大造が独立して個人タクシーを始めるまで二十年間勤 や さめていた「東海タクシー」の里見社長のことだった。佐山弁護士はそこの顧問弁護士である。 は時計を見ながらしぶしぶと真紀がテープルを離れると、より子はその背中に言った。 術 「少し濃いめに化粧しなさいよ。あんたったら、百年の恋も醒めるような顔だよ」 守と真紀を送り出すとき、より子はもう一度、くよくよ考えるんじゃないよと念をおした。 「駅まで乗せてってくれない ? 」 いや 守の自転車の荷台をさして、真紀は言った。「こんな顔でバスに乗るの、嫌だわ」 走り出してしばらくすると、守の背につかまりながら、真紀はつぶやいた。 「お父さん、朝ごはん食べられたかしら」 どう答えようかと、守は考えた、せつかくきれいに化粧したのに、また泣き出しちゃいけ ないよ。 ひも

8. 魔術はささやく

魔術はささやく 宮部みゆき 魔術はささやく 宮部みゆき Miyabe Miyuki それぞれは社会面のありふれた記事 だった。一人めはマンションの屋上 から飛び降りた。二人めは地下鉄に 飛び込んだ。そして三人めはタクシ ーの前に。何人たりとも相互の関連 など想像し得べくもなく仕組まれた 三つの死。さらに魔の手は四人めに 伸びていた・ 。だが、逮捕された タクシー運転手の甥、守は知らず知 らず事件の真相に迫っていたのだっ た。日本推理サスペンス大賞受賞作。 9 7 8 41 01 5 6 91 1 2 1960 ( 昭和 35 ) 年、東京生れ。 ' 87 年 「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推 理小説新人賞を受賞。 ' 89 ( 平成元 ) 年 『魔術はささやく』で日本推理サスペ ンス大賞を受賞。 ' 92 年『龍は眠る』 で日本推理作家協会賞、『本所深川ふ しぎ草紙』で吉川英治文学新人賞を 受賞。 ' 93 年「火車』で山本周五郎賞 を受賞。 ' 97 年『蒲生邸事件』で日本 SF 大賞を受賞。 ' 99 年には『理山』で直木 賞を受賞した。 宮部みゆき公式ホームページ ( 大沢オフィス「大極宮」 ) http //www.osawa-office. CO. jp/ る紙ち人車みり記 草 本やプな ぎた狩 ら眠 ご。、歩 ゆさ 戸徒 江お 架まし 色も成 宮術べ事 魔レ返龍本か淋火幻初平 1 9 2 01 9 5 0 0 5 9 0 5 澣文庫 定価 : 本体 590 円 ( 税別 ) 宮部みゆき目新潮文庫 I S B N 4 ー 1 0 ー 1 5 6 9 1 1 ー 9 C 0 1 9 ろ \ 5 9 0 E カバー印刷錦明印刷デザイン新潮社装幀室 \ 590

9. 魔術はささやく

から。そうですね ? 」 「 : : : そうです」 「あなたが先ほどから『知人』と呼んでいるのは、井田ひろみさんという二十五歳の女性で すね。違いますか ? 」 「そうです」 「彼女はあなたの経済的援助を受けて生活している。そこをあなたは訪問する。深夜に、人 目にたたないように。なんのためにです ? 」 や さ「井田ひろみさんはあなたの愛人ですね ? 」 は「世間一般にはそう言うようですな」 術 「では我々も一般的に言うことにしましよう。井田ひろみさんはあなたの愛人だ。事故を目 撃したという夜、あなたは彼女のマンションを訪ねるところだった。そうですね ? 」 「そうです」 「奥さんは彼女の存在を知っておられますか ? 」 「知っているかもしれませんし、わかりません。ともかく、これから知ることになるのは間 違いありませんな」 「あなたが目撃したというタクシーは何色でしたか ? 」 「ダーク・グリーンのように見えましたが、自信はありません。暗い色であったことはたし

10. 魔術はささやく

「失礼しました。我々はあなたの立場を考慮して申し上げたのです。あなたの奥様は、あな たが副社長をしておられる『新日本商事』の社長であり、創立者の一人娘でもいらっしやる。 いや、我々は事実を申し上げているだけですよ」 「そうです。そして、実際に会社の経営に携わっているのは私だけだという事実もありま 「そうですか。さて、井田ひろみさんとは事故の話はしましたか ? 」 「しませんでした」 「どうしてです ? 」 「彼女に心配をさせたくなかったのです」 っ 「危ないところだった、下手に巻き込まれたら二人の関係が露見するきっかけになったかも 章 四しれなかった。そんなことを話して心配させたくなかった、と」 「そのとおりです」 「なるほど。あなたは交差点の見える場所にいた。被害者はそこまで走って行った。そのと き、タクシーの進行方向の信号はーー」 「青でした。間違いありません」 「つまり、被害者の菅野さんの側の信号は赤だったということですね ? 」 「そうです。彼女はそれを無視して走って飛び出したのです」 「なぜそんなことをしたのだと思いますか ? 現場ではどう思いました ? 」 175