ることに決めているみたいなんだけど」 「選挙 ? 」と僕はびつくりして言った。僕は本当に、しばらく声が出てこないくらい驚いた のだ。「選挙っていうと、ひょっとして国会議員のこと ? 」 「そうよ。次の選挙で新潟の伯父さんの選挙区から候補に立たないかっていう話がきてるん だって」 「でもその選挙区からは、伯父さんの息子の一人が後継者として立つっていう話でまとまっ ていたんじゃなかったつけ ? 電通のディレクターだか何かしてる君の従兄弟が退職して新 ル ク潟に帰るってことに」 冖彼女は綿棒を出してきて耳の掃除を始めた。「まあいちおうそういう予定になってはいた んだけどね、その従兄弟がやつばり嫌だって言いだしたの。東京で家族を持ってけっこう楽 じしく働いているし、今更新潟に帰って議員なんかやりたくないって。奥さんが彼が選挙に出 るのには大反対してるのもその大きな理由なの。要するに家庭を犠牲にしたくないっていう ことよ」 クミコの父親の長兄はその新潟の選挙区から衆議院議員に選出され、四期か五期をつとめ た。重量級とは言えないがまずまずの経歴の持ち主で、一度だけあまり重要ではない大臣の 職についた。しかし高齢と心臓病のせいで、次回の選挙に出馬するのはむずかしく、そうな ると誰かがその選挙区の地盤を継がねばならなかった。その伯父には二人の息子がいたが、 長男は最初から政治家になるつもりはまったくなく、次男の方に白羽の矢が立っていたのだ。
ひとり兄がおります。父親は神奈川県で病院を経営しておりました。家庭的にも問題という ほどのものはありませんでした。ごく普通の、どこにでもあるような家庭です。両親は勤労 というものを尊ぶ、とても真面目な人たちでした。躾けは厳格な方でしたが、他人に迷惑を かけないかぎりにおいて、細かいところでは私たちにある程度の自主性を持たせてくれたよ ぜいたく うに思います。経済的には恵まれた環境でしたが、余計な贅沢はしない、子供たちには不必 要なお金を与えないというのが両親の方針でした。生活はむしろ質素なくらいではなかった 8 かと思います。 ころ 姉のマルタは私よりは五歳年が上でしたが、彼女には幼い頃から少し変わったところがあ りました。いろんなことを言い当てるのです。ついさっき何号室の患者が亡くなっただとか、 棒行方のわからない財布はどこそこに落ちているとか、そういうことをびたりびたりと当てる 部のです。最初のうちみんなはそれを面白がったり、重宝に思っていたりしたのですが、その 第うちにだんだん気味悪がるようになりました。そして両親は彼女に対して、そういう〈はっ きりとした根拠のないこと〉をあまり人前でロにしてはいけないと言いました。父親には病 院の院長としての立場もありましたし、娘にそのような超自然的な能力が備わっていること が他人の耳に人ることを嫌ったのです。それ以来マルタはびたりと口を閉ざすようになりま した。そういう〈はっきりとした根拠のないこと〉を口にしなくなっただけではなく、ごく 普通の日常生活の会話にもほとんど加わらないようになってしまったのです。 ただマルタは、妹の私にだけは心を開いて話をしてくれました。私たちは仲の良い姉妹と 163 きら
本田さんが Z の放送を特別に愛していたのか、チャンネルを変えるのがただ面倒だった のか、それとも z しか人らない特殊なテレビだったのか、僕には判断できない。 僕らが行くと、彼は床の間に据えられたテレビに向かって座り、ぜいちくをこたつの上で ばらばらとかきまわしていた。そのあいだは料理番組やら盆栽の手人れの仕方やら定 時ニュースやら政治座談会やらをいささかの中断もなく大音量で放送していた。 「あんたはあるいは法律には向かんかもしれんな」とある日本田さんは僕に向かって言った。 あるいは彼は僕の二十メートルくらい後ろにいる誰かに向かって言ったのかもしれない。 ぎ「そうですか」と僕は言った。 つかさど 「法律というのは、要するにだな、地上界の事象を司るもんだ。陰は陰であり、陽は陽であ 棒るという世界だ。我は我であり、彼は彼であるという世界だ。〈我は我、彼は彼なり、秋の 部暮れ〉。しかしあんたはそこには属しておらん。あんたが属しておるのは、その上かその下 第だ」 「その上と下とではどちらがいいのですか ? 」、僕は純粋な好奇心からそう質問してみた。 「どちらがいいというものでもない」と本田さんは言った。そしてしばらくのあいだ咳きこ たん み、ちり紙の上にべっと痰を吐いた。彼はその自分の痰をひとしきり眺めてから、ちり紙を 丸めてごみ箱に捨てた。「どちらがいいどちらが悪いという種類のものではない。流れに逆 らうことなく、上に行くべきは上に行き、下に行くべきは下に行く。上に行くべきときには、 いちばん高い塔をみつけてそのてつべんに登ればよろしい。下に行くべきときには、いちば
めてないんです。なにしろ突然のことですから」 「それでは水玉のネクタイをしめてきてください」と女はきつばりとした声で言った。「岡 田様は水玉のネクタイをお持ちでいらっしゃいますでしようか ? 」 「持っていると思います」と僕は言った。僕は紺にクリーム色の小さな水玉の人ったネクタ イを持っていた。それは二年か三年前の誕生日に妻がプレゼントしてくれたものだった。 「それをおしめになってくださいませ。それでは四時にあらためてお目にかからせていただ きます」と女は言った。そして電話を切った。 ル 僕は洋服ダンスを開けて水玉のネクタイを探した。しかしネクタイかけには水玉のネクタ キ〕イの姿はなかった。引き出しを全部開けてみた。押人れの衣装箱もぜんぶ開けてみた。しか じしどこにも水玉のネクタイはなかった。もしそのネクタイがいやしくも家の中にあるなら、 ね 僕は絶対にそれを見つけているはずだった。クミコは衣服の整理に関してはとてもきちんと していたし、僕のネクタイがいつも置かれている以外の場所に僕のネクタイがあるとは思え なかったからだ。 とびら 洋服ダンスの扉に手を置いたまま、最後にそのネクタイをしめたのはいつのことだっただ ろうと考えてみた。でもどうしても思いだせなかった。それは趣味のいいシックなネクタイ だったが、僕が法律事務所にしめていくにはいささか派手すぎた。もしそんなネクタイをし めて事務所に行ったら、きっと誰かが昼休みに僕のところにやってきて、「素敵なネクタイ
間宮中尉はそこまで話すと、腕時計に目をやった。 「そしてごらんのとおり私は今、こうしてここにおります」と彼は静かに言った。そして目 に見えぬ記憶の糸を払うように、小さく首を振った。「私は本田さんの言ったとおり中国大 陸では死にませんでした。そしてまた四人の中でいちばん長生きをすることになりました」 僕はうなずいた。 「申し訳ありませんでした。長い話になってしまいました。死にそこないの老人の昔話で、 退屈なさったでしよう」と間宮中尉は言った。そしてソファーの上で居住まいを正した。 ル ク「これ以上長居をいたしますと、新幹線の出発時間に遅れてしまいそうです」 「ちょっと待ってください」と僕はあわてて言った。「そんなところで話をやめないでくだ さい。それからいったいどうなったんですか ? 僕は話の続きが聞きたいんです」 間宮中尉はしばらく僕の顔を見ていた。 「いかがでしよう。私も本当に時間がありませんので、。ハスの停留所まで一緒に歩きません か ? そのあいだに残りの話を手短にでもお話しできると思うのですが」 僕は間宮中尉と一緒に家を出て、・ハスの停留所まで歩いた。 ごちょう 「三日めの朝に私は本田伍長に助け出されました。私たちが捕まった夜、彼は蒙古兵たちが やってくるのを察して一人でテントを抜け出し、ずっと隠れていたのです。彼はそのときに かばん 山本の持っていた書類をそっと鞄から抜き取っていきました。何故なら、どのような犠牲を 払ってもその書類を敵の手に渡さないということが、我々にとっての最優先事項だったから ちゅうい
『少尉殿はあの山本という男をどう思われますか ? 』と浜野は訊きました。 『おそらく特務機関だな』と私は一一一口いました。『モンゴル語を喋れるからにはかなりの専門 家だ。このあたりの細かい事情もよく知っている』 『私もそう思います。最初は軍の偉いさんに取り人っている一旗組の馬賊か大陸浪人かとも 思ったのですが、そうじゃありませんね。あの連中のことなら私はよく知っています。あい つらはあることないことただべらべら喋るだけです。そしてすぐに拳銃の曲撃ちか何かをや 肥りたがるんです。しかしあの山本という男にはそういう軽薄なところがありません。肝はか ぎなり太そうです。上級将校のにおいがします。私はちょっと耳に挟んだんですが、軍は今度 もうこ 興安軍あがりの蒙古人を集めた謀略部隊を作ろうとしているらしい。そしてそのために謀略 棒専門の日系軍官を何人か呼んだようです。あるいはそれと関係があるかもしれませんね』 部本田伍長は少し離れたところで小銃を持って監視にあたっておりました。私はいつでも手 第に取れるようにプローニングを手近な地面の上に置いていました。浜野軍曹はゲートルを解 いて、足を揉んでいました。 『あくまで私の推測ですが』と浜野は続けました。『ひょっとしてあの蒙古人は日本軍に内 通を図っている反ソ派の外蒙軍の将校ではないでしようか』 『あり得ることだな』と私は言いました。『しかしよそではなるべく余計なことは言わんほ うがいいぞ。首が飛ぶかもしれんからな』 『私だってそれほど馬鹿じゃありません。ここだから言ってるんです』、にやにや笑いなが 263
もわからんのです。だから私たちは匪賊狩り、残兵狩りと称して多くの罪もない人々を殺し、 食糧を略奪します。戦線がどんどん前に進んでいくのに、補給が追いっかんから、私たちは 略奪するしかないのです。捕虜を収容する場所も彼らのための食糧もないから、殺さざるを 得んのです。間違ったことです。南京あたりじゃずいぶんひどいことをしましたよ。うちの 部隊でもやりました。何十人も井戸に放り込んで、上から手榴弾を何発か投げ込むんです。 その他ロでは言えんようなこともやりました。少尉殿、この戦争には大義もなんにもありや しませんぜ。こいつはただの殺しあいです。そして踏みつけられるのは、結局のところ貧し ちょうがくりようはちろぐん ぎい農民たちです。彼らには思想も何もないんです。国民党も張学良も八路軍も日本軍も何も ないのです。飯さえ食えれば何だっていいんです。私は貧乏な漁師の子だから、貧しい百姓 棒の気持ちはようわかります。庶民というのは朝から晩まであくせく働いて、それでも食べて 部いくのがやっとというだけしか稼げんのです、少尉殿。そういう人々を意味もなくかたつば ため 第しから殺すのが日本の為になるとはどうしても思えんのです。 それに比べると、本田伍長は自分について多くを語ろうとはしませんでした。だいたいが 無ロな男で、いつも自分からはロを出さずに我々の話に耳を傾けておりました。しかし無ロ とはいっても、陰気であったというのではありません。自分から進んでは喋らなかったとい うだけです。それだけにたしかに、この男は何を考えているのかよくわからないなと思うよ うなことはありましたけれど、それも不快な感じではありません。そのような彼の静けさの ゅうよう 中には、むしろ人の心を安らげるものがありました。悠揚せまらざると申しますか、何があ 261 しゃべ
「あなた詩は書けるかしら ? 」 「詩 ? 」と僕はびつくりしてききかえした。詩 ? 詩ってなんだ、いったい ? 「知りあいの雑誌社で若い女の子むけの小説誌を出してるんだけど、そこで詩の投稿の選考 とびら と添削する人を探してるの。それから扉用の短い詩も毎月ひとっ書いてほしいんだって。簡 単な仕事のわりにはギャラは悪くないわよ。もちろんアル。ハイト程度のものだけど、それが うまくいけば編集の仕事をまわしてもらえるかもしれないしーー」 「簡単 ? 」と僕は言った。「ちょっと待ってくれよ。僕が探してるのは法律関係の仕事なん ぎだぜ。いったいどこで詩の添削なんて話が出てくるんだよ ? 」 「だってあなた高校時代に何か書いてたって言ってたじゃない」 棒「新聞だよ。高校新聞。サッカー大会でどこのクラスが優勝しただとか、物理の教師が階段 部で転んで人院しただとか、そういう愚にもっかない記事を書いてただけだ。詩じゃない。詩 第なんか僕には書けない」 「でも詩っていったって、女子高校生の読むような詩よ。べつに文学史に残るような立派な 詩を書けっていってるわけじゃないんだから。適当にやればそれでいいのよ。わかるでし よ ? 」 「適当にも何も詩なんて絶対に書けない。書いたこともないし、書くつもりもない」、僕は きつばりと言った。そんなもの書けるわけがないじゃないか。 「ふうん」と残念そうに妻は言った。「でも法律関係の仕事っていっても、みつけるのは難
「おばけまでは俺も知らんけど、あの地所に関してはあまり良い話がないんだ」と叔父は言 った。「あそこには終戦までは、なんとかいうけっこう名の知られた軍人が住んでいたんだ。 戦争中北支にいた大佐で、陸軍のばりばりのエリートだった。彼の率いていた部隊はあっち の方でかなりの勲功も上げたが、それと同時にいろいろとひどいこともやったらしい。戦時 捕虜を五百人近くまとめて処刑したり、農民を何万人もかきあつめて強制労働でこきっかっ て半分以上死なせたりな。まあ聞いた話だから真偽のほどはわからんけどね。彼は戦争が終 わる少し前に内地に呼び返されて、東京で終戦を迎えたんだが、まわりの状況を見ると、戦 ぎ犯の容疑で極東軍事裁判にかけられる公算が大きかった。中国であばれていた将軍やら佐官 級やらがどんどんに引っ張られていたんだ。彼は裁判にかけられるつもりはなかった。 こうしゆけい 棒さらし者にされて、そのあげくに絞首刑になるのだけは御免だった。そんなことになるくら 部いなら、自分で命を絶とうと思っていた。だから米軍のジープが家の前に止まって、アメリ 第カ兵がそこから下りてくるのを見ると、その大佐はためらうことなくピストルで自分の頭を 撃ち抜いた。本当は腹を切りたかったんだが、そんなことをしているような時間的な余裕は なかった。ピストルの方があっさり早く死ねる。そして奥さんは夫のあとを追って台所で首 を吊ったんだ」 「ほう」 「でもそれはガールフレンドの家を探しに来て、道に迷ってしまったただの普通の—だっ たんだ。そのへんの誰かに道を訊こうと思ってジープをちょっと止めただけだったんだよ。 217
りました。しかし彼女は高校を卒業するまではじっと我慢をしなくてはなりませんでした。 マルタは高校を出ると、大学には進まず、新しい道を求めてひとりで外国に行こうと決心 しました。しかし私の両親はとても常識的な人生を送ってきた人たちでしたから、そんなこ とを簡単に許すわけはありません。そこでマルタは手を尽くしてお金をかきあつめ、両親に は黙って勝手に家を飛びだしてしまいました。彼女はまずハワイに行き、カウアイ島で二年 暮らしました。カウアイ島の北海岸には素晴らしい水の出る地域があるという話をどこかで 8 読んだことがあったからです。マルタはその頃から水というものに対して非常に深い関心を 持っておりました。水の組成が人間の存在を大きく支配しているという信念を持っていたの です。それで彼女はカウアイで暮らすことにしたのです。カウアイの奥には当時まだ大きな 棒ヒッピー・ コミューンが残っていました。彼女はそこでコミューンの一員として生活しまし 部た。そこの水はマルタの霊能力に大きな影響を与えました。彼女はその水を体内に人れるこ 第とによって、彼女の肉体と彼女の能力とを『より融和させる』ことができました。それは本 うれ 当に素晴らしいことだ、と彼女は私に書いてきました。私もそれを読んでとても嬉しかった ものです。しかし彼女はやがてその土地にも十分に満足できないようになりました。確かに 美しく、平和な土地で、人々は物欲を離れて精神の平穏を求めていました。しかし人々はあ まりにもドラッグや性的な放縦さに頼りすぎていました。それは加納マルタの必要としない ものでした。そして二年後に彼女はカウアイ島を離れました。 それから彼女はカナダに渡り、アメリカの北部をあちこちと巡ってからヨーロツ。ハ大陸に