今ではクミコと綿谷ノボルが現実的に顔を合わせる機会はほとんどない。僕は妻の実家と けんか はまったく行き来がない。前にも言ったようにクミコの父親と喧嘩をして、決定的に訣別し てしまった。それはかなり激しい喧嘩だった。僕は生まれてこのかた数えるほどしか人と喧 嘩をしたことがないが、でもそのかわり、一度やりだすと真剣になるし、途中でやめること ができなくなってしまう。でも言いたいことを洗いざらい言ってしまったあとでは、父親に かっ 対して不思議に腹が立たなかった。長いあいだ担がされていた重荷からやっと解放されたよ 6 うな気がしただけだった。憎しみも怒りも残らなかった。あの人の人生もーーそれが僕の目 ぎから見てどれほど不快で愚かしい形態をとっていたにせよーーそれなりに大変なものだった のだろうとさえ思った。もう一切君の父親とも母親とも会わない、と僕はクミコに言った。 棒でももし君が両親に会いたいのなら、それは君の自由だし、僕には関係のないことだ。でも 部クミコは彼らに会いに行こうとはしなかった。「いいのよ、べつに。これまでだってとくに 第会いたくて会ってたというわけでもないんだから」とクミコは言った。 綿谷ノボルは当時既に両親と同居していたわけだが、そのときの僕と父親との喧嘩にはま ったく関与せずに、超然としてどこかに引っ込んでいた。それは別に不思議なことではなか った。何故なら綿谷ノボルは僕という人間に対して一切の関心を持っていなかったし、どう してもやむを得ない場合を別にすれば、僕と個人的な関わりを持っことを拒否していたから だ。だから妻の実家との行き来をやめてしまうと、僕が綿谷ノボルと顔を合わせる理由もな 盟くなった。そしてクミコにしたところでやはり彼とあえて顔を合わせる理由を持たなかった。 けっ・ヘっ
配はなかった。どんな気配もなかった。そこは、何か強大な力で自然な流れを無理にせきと よど められた淀みみたいに見えた。 ふと人の気配のようなものを背後に感じて、後ろを振りかえった。でも誰もいなかった。 かきね 路地を隔てて向かいの家の垣根があり、小さな戸口があった。この前、女の子が立っていた 戸口だ。しかし戸口は閉まったままだし、垣根の向こうの庭にも人影はない。すべては徴か な湿りけを含んで、しんとしている。雑草と雨の匂いがした。僕の着たレインコートの匂い 5 がした。そして僕の舌の裏側には半分溶けたレモンドロップがあった。大きく息を吸い込む ぎと、いろんな匂いがひとつになった。まわりをもう一度見回してみた。どこにも、誰もいな かった。じっと耳を澄ませると、遠くの方でくぐもったヘリコプターの音が聞こえた。彼ら 棒は雲の上を飛んでいるのだろう。でもその音もだんだん遠ざかり、やがてあたりはまたもと 部の沈黙に覆われた。 第空き家の庭を囲んだ金網のフェンスの出人口には、やはり金網で作られた戸がついていた。 試しに押してみると、あっけないほど簡単に開いた。まるで僕を招き人れようとするみたい に。たいしたことじゃないよ、簡単なことなんだ、ただすっと中に人ればいいんだよ、とそ の戸口は語りかけていた。でもいくら空き家とはいえ他人の家の敷地に勝手に足を踏み人れ ることは、約八年間にわたってこまごまと蓄積された僕の法律知識をあらためて持ち出すま でもなく、法律に反した行為だ。もし近所の人が空き家の中にいる僕の姿を見かけて、あや しんで警察に通報すれば、警官がすぐにやってきて僕を尋問する。猫を探していたのだと僕 111 おお
実味を失って響いた。彼らは半世紀近く前に満州と外蒙古との国境地帯で、草もまともに生 しれつ えていないような一片の荒野をめぐって熾烈な戦闘を繰り広げたのだ。僕は本田さんの話を 聞くまで、ノモンハン戦争のことなんてほとんど何も知らなかった。でもそれは想像を絶し くうけん た壮絶な戦いだった。彼らはほとんど徒手空拳で優秀なソ連の機械化部隊に挑みかかり、そ して押しつぶされたのだ。いくつもの部隊が壊滅し、全滅した。全滅を避けるために独断で むな 後方に移動した指揮官は、上官によって自殺を強制されて空しく死んでいった。ソ連軍の捕 虜になった兵士たちの多くは、敵前逃亡罪に問われることを恐れて戦後の捕虜交換に応ぜず、 ぎモンゴルの地に骨を埋めることになった。そして本田さんは聴覚を損なって除隊になり、こ うして占い師になったのだ。 棒「でも結果的にはそれがよかったのかもしらん」と本田さんは言った。「もしわしが耳に負 部傷をせなんだら、たぶんわしは南方の島に送られて死んでいたことだろう。事実ノモンハン 第で生き残った兵隊たちの多くは、南方にやられて死んだんだ。ノモンハンは帝国陸軍にとっ ては生き恥を晒したような戦じゃったし、そこで生き残った兵隊はみんな、いちばん激しい 戦場に送られることになったからな。まるでそれはあっちに行って死んでこいというような ものじゃった。ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちは、あとになって中央で出世 した。奴らのあるものは、戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦 ったものたちは、ほとんどみんな圧殺されてしもうた」 「どうしてノモンハンの戦争が陸軍にとってそれほど恥ずかしいものだったんですか」と僕 101
たまねぎ うに支度を整えていた。たいした料理ではない。薄切りの牛肉と、玉葱とピーマンともやし しようゆ いた を中華鍋で強火で一緒に炒め、塩と胡椒を振り、醤油をかける。そして最後にビールをさっ とかける。一人暮らしをしているときによく作った。ご飯も炊いてあるし、味噌汁も温めて あったし、いつでも料理にかかれるように野菜も大皿にきちんと切りわけてあった。しかし クミコは帰ってこなかった。僕は腹が減っていたから、自分のぶんだけでも先に作って食べ てしまおうかと思った。でも何故か気が進まなかった。とくに根拠はないのだけれど、それ は不適当な行為であるように感じられたのだ。 しよくひんだな ぎ台所のテープルの前に座ってビールを飲み、食品棚の奥の方に残っていた湿りかけのソー ダ・ク一フッカーを何枚か齧った。そして時計の短針がそろそろと七時半のポイントに近づき、 棒そしてそのまま通過していくのをただぼんやりと眺めていた。 部結局クミコが帰ってきたのは九時過ぎだった。彼女はぐったりとした顔をしていた。目が 第赤く、血走ったようになっていた。それは悪い兆候だった。彼女の目が赤くなるときには、 必ず何か良くないことが起こる。僕は自分に言い聞かせた。〈クールにやろう。余計なこと は何も言わないように。静かに、自然に、刺激しないように〉 「ごめんなさい。どうしても仕事が片づかなかったのよ。なんとか電話を入れようと思って たんだけれど、いろいろとわけがあって連絡もできなくて」 「いいよ。大丈夫、気にしないでいい」と僕はなんでもなさそうに言った。そして実際の話、 僕はべつに気分を悪くしていたわけではなかった。僕にだってそういう経験は何度かあった。 ちゅうかなペ こしよう
たたびあたりを覆いました。それは本当に短い時間の出来事でした。時間にすればせいぜい 十秒か十五秒くらいのことだったと思います。深い穴の底にまで太陽がまっすぐに射し込む のは、おそらく角度の関係で一日のあいだにたったそれだけなのです。その光の洪水は私が その意味を理解するかしないかのうちに、消えてしまっていたのです。 太陽の光が消えてしまうと、私は前にも増して深い暗闇の中にいました。私は自分の体を ろくに動かすこともできませんでした。水も食糧も何ひとつありません。そしてただのひと きれの布も体にまとってはいませんでした。長い午後が過ぎ去り、夜がやってきました。夜 ぎになると気温はどんどん下がっていきました。私はほとんど眠ることすらできませんでした。 私の体は眠りを求めていましたが、寒さは無数の刺のように私の体に突き刺さってきました。 棒自分の生命の芯が固くなって少しずつ死んでいくように感じられました。上を見ると、そこ 部には凍てつくような星が見えました。恐ろしいほどの星の数でした。私はその星がゆっくり 第と移動していく様をじっと眺めていました。その移動によって、私は時間がまだ流れている ことを確かめることができました。私はほんの少し眠り、寒さと苦痛に目覚め、また少し眠 り、また目覚めました。 やがて朝がやってきました。円形に開いた井戸の人口からくつきりとした星の姿が少しず っ薄らいでいきました。淡い朝の光が丸くそこに浮かんでいました。しかし夜が明けても、 星は消えませんでした。星はうっすらとではありますが、いつまでもそこに残っていました。 私は壁の石についた朝露をなめて喉の渇きを癒しました。量としてはもちろんわずかなもの おお なが のど いや とげ
いていました。蒙古人の兵隊たちは一様に押し黙って、じっとその作業を眺めていました。 けんお キ」ようがく 彼らはみんな無表情でした。そこには嫌悪の色もなければ、感動も驚愕もうかがえませんで した。彼らはまるで、私たちが散歩のついでに何かの工事現場を見物しているときのような 顔つきで、山本の皮が一枚一枚剥がれていくのを眺めておりました。 私はそのあいだ何度も吐きました。最後にはこれ以上吐くものもなくなってしまいました が、私はそれでもまだ吐きつづけました。熊のような蒙古人の将校は最後に、すつぼりとき れいに剥いだ山本の胴体の皮を広げました。そこには乳首さえついていました。あんなに不 気味なものを、私はあとにも先にも見たことがありません。誰かがそれを手に取って、シー ツでも乾かすみたいに乾かしました。あとには、皮をすっかりはぎ取られ、赤い血だらけの 肉のかたまりになってしまった山本の死体が、ごろんと転がっているだけでした。いちばん じいたましいのはその顔でした。赤い肉の中に白い大きな眼球がきっと見開かれるように収ま ね っていました。歯が剥き出しになったロは何かを叫ぶように大きく開いていました。鼻を削 がれたあとには、小さな穴が残っているだけでした。地面はまさに血の海でした。 ロシア人の将校は地面に唾を吐き、私の顔を見ました。そしてポケットからハンカチを取 り出してロもとを拭きました。『どうやらあの男は本当に知らなかったようだな』と彼は言 いました。そしてハンカチをまた。ホケットに仕舞いました。彼の声は前よりも幾分か乾いて しやペ いました。『知ってたら絶対に喋ったはずだ。気の毒なことをしたな。しかし彼はなんとい ってもプロなんだし、どうせいっかはろくでもない死に方をするんだ。仕方あるまい。まあ
んだ。キエフで捕虜にしたロシア人貴族たちを何百人も一度に殺した話を知っているかね。 彼らは大きな厚い板を作って、その下に貴族たちを並べて敷き、その板の上でみんなで祝宴 を張って、その重みで潰して殺したんだ。そんなことは普通の人間にはなかなか思いつける もんじゃないよ。そう思わないかね ? 時間だってかかるし、準備だってたいへんだ。ただ 面倒なだけじゃないか。でも彼らはあえてそういうことをやるんだ。何故なら、それは彼ら にとって楽しみだからだ。彼らは今でも、その手のことはやっているよ。私は前に一度そう いうのを実際に目にしたことがある。私はそれまでにもずいぶん荒つぼいものを目にしてき ぎたと自分では思っていたが、その夜はさすがに食欲が出なかったことを記憶している。私の 言っていることは伝わっているかな ? 私の喋り方は速すぎないかね ? 』 棒山本は首を振りました。 せきばら 部『結構』と彼は言いました。そしてひとっ咳払いして間を置きました。『今回は二回目だか 第ら、うまくいけば夕食までにはなんとか食欲が戻っているかもしれない。しかし私としては、 せっしよう 出来ることならば、無用な殺生は避けたい』 ロシア人は手をうしろで組んで、しばらく空を見上げていました。それから手袋を取り、 ひょり 飛行機の方を見ました。『良い日和だ』と彼は言いました。『春だ。まだ少し寒いが、これく らいがいい。もっと暑くなると、今度は蚊が出てくる。こいつがひどい。夏よりは、春の方 がずっといい』、彼はもう一度煙草人れを取り出し、一本くわえてマッチで火をつけました。 そしてゆっくりと煙を吸い込み、ゆっくりとそれを吐きだしました。『もう一度だけ尋ねる
がいとう で、静かにそこに横になっていました。蒙古兵はみんな長い外套を着て、戦闘用のヘルメッ トをかぶっていました。ふたりの兵隊が大型の懐中電灯を手に持って、私と山本の姿を照ら していました。最初のうち、私にはいったい何が起こったのか、うまく呑み込めませんでし た。眠りがあまりにも深く、そして受けたショックがあまりにも大きかったからだと思いま す。しかし蒙古兵の姿を見て、山本の顔を見ているうちに、私にも事態がようやく理解でき ました。私たちが渡河にかかる前に、彼らの方が私たちのテントを見つけ出してしまったの 次に私の頭に浮かんだのは本田と浜野がどうなったかということでした。私はゆっくりと 首を曲げてあたりを見回してみましたが、二人の姿はどこにも見えません。彼らが既に蒙古 棒兵の手で殺されてしまったのか、あるいはなんとかうまく逃げることができたのか、私には 部わかりませんでした。 第彼らはどうやら先ほど渡河地点でみかけた。ハトロール隊の兵隊であるようでした。それほ どの人数ではありません。装備は軽機が一丁とあとは小銃というところです。指揮を取って いるのは大柄な下士官で、彼ひとりがまともな長靴を履いていました。最初に私の頭を蹴り 上げた男です。彼は身をかがめて山本の枕もとにあった革鞄を取り、それを開けて中を覗き たば 込みました。それから逆さにしてばたばたと振りました。しかし地面に落ちたのは一箱の煙 草だけでした。私は驚きました。というのは、私は山本がその鞄の中に書類を人れるのをち ゃんと見ていたからです。彼は馬の鞍についた物人れから書類を取り出し、それを手提げ鞄 275 おおがら ちょうか
っても顔色が変わるということがほとんどないのです。彼は旭川の出身で、父親はそこで小 さな印刷所を経営しているということでした。年は私より二つ下で、中学を出てから兄と共 に父親の仕事を手伝っていました。男ばかりの三人兄弟の末でしたが、いちばん上の兄は二 年前に中国で戦死していました。本を読むのが好きで、ちょっと自由になる時間があると、 その辺に寝ころんで仏教関係の本を読んでおりました。 申し上げましたように、本田には実戦経験がなく、内地で一年教育を受けただけでしたが、 それでも兵隊としては優秀な男でした。どの小隊の中にも必ずひとりかふたりはこういう兵 隊がいます。彼らは我慢強く、不平ひとっ言わず、義務をひとつひとっきちんと果たします。 体力もあるし、勘も良いのです。教えられたことはすぐに呑み込み、それを的確に応用する こともできます。彼はそういう兵隊の一人でした。また騎兵として訓練を受けてきただけあ じって、我々の中ではいちばん馬に詳しく、私たちの六頭の馬の面倒をよく見ました。それも ね 並大抵の面倒の見かたではありません。私たちは彼には馬の気持ちが細かいところまで全部 ぐんそう わかるのではないかと思ったくらいでした。浜野軍曹も本田伍長の能力をすぐに認め、安心 していろんなことを任せるようになりました。 そっう そんなわけで、寄せ集めの隊にしては、私たちの意思の疎通はずいぶん円滑であったと思 しやくし います。正規の分隊ではありませんから、そのぶん杓子定規な堅苦しさがなかったわけです。 まあ言うなれば、袖触れ合うも : : といった感じの気楽さですな。ですから浜野軍曹も私に わくない は、下士官と将校という枠内には収まらない、かなり腹を割った話ができたわけです。 そでふ
か私にまかせてもらいたい。本件に関しては私がすべての責任を負う。私の立場として君に あまり多くのことを教えるわけにはいかんのだが、軍のいちばん上にまでこの話は通ってい る。渡河に関しては技術的には問題はない。渡河可能な隠された地点がちゃんとあるのだ。 外蒙軍はそういうポイントをいくつか作って確保しているのだ。そのことは君も知っている だろう。私は前にも何度かそこを越えている。去年の同じ時期にも、同じ場所から外蒙古に 人った。心配しなくてもいい』 たしかにこのあたりの地理に精通した外蒙軍は、この雪解けの時期にも、それほど数多く ぎはありませんが何度かはハルハ河右岸に戦闘部隊を送り込んでいました。ハルハ河には彼ら がその気になれば部隊単位で渡河できる地点がちゃんと存在しているのです。そして彼らが 棒そこを渡河できるのなら、山本という男にも渡河できるはずですし、我々が渡河することも 部不可能ではないでしよう。 第それは外蒙軍が作ったと思われる秘密の渡河地点でした。巧妙にカモフラージュされて、 一目では渡河地点とはわからぬようになっていました。浅瀬と浅瀬のあいだには板の橋が水 中に渡され、急流に流されぬようにロープが張ってありました。もう少し水かさが減れば、 兵員輸送車や装甲車や戦車が楽にここを渡れるのは明らかでした。水中の橋ですから、航空 ていさっ 機の偵察でもまず所在がみつけられません。私たちはそのロープをんで流れを横切りまし た。まず山本が単独で渡河し、外蒙軍の 。ハトロールがいないことを確認してから、私たちが 続きました。脚の感覚がなくなってしまうほど冷たい水でしたが、それでもなんとか私たち