はよく光り、しみひとつありませんでした。ロシア人にしてはそれほど背は高くなく、痩せ ていました。歳は三十代前半というところでしようか。額が広く、鼻は細く、肌は淡いピン ク色に近く、金属縁の眼鏡をかけておりました。全体的に言って、印象というほどの印象の ない顔でした。外蒙軍の将校は、ロシア人とは逆にがっしりとした色黒の小男で、彼のとな りに立っていると、まるで小さな熊のように見えました。 蒙古人の将校は下士官を呼んで、彼らは三人でみんなから少し離れたところに立って、何 かを話していました。たぶん詳しい報告を受けているのだろうと私は推察しました。下士官 ぎは私たちから取り上げたものを人れた布袋を持ってきて、その中身を彼らに見せました。ロ シア人はそれらをひとつひとっ丁寧に調べていましたが、やがて全部をまた袋の中に戻しま 棒した。ロシア人は蒙古人の将校に何かを言い、将校は下士官に何かを言いました。それから 部ロシア人は胸のポケットから煙草入れを取り出し、外蒙軍の将校と下士官に勧めました。そ 第して三人は煙草を吸いながら何かを話し合っていました。ロシア人は右手のこぶしで左手の たた いらだ 手のひらを何度も叩きながら、二人に何かを言っていました。彼は少し苛立っているように 見えました。蒙古人の将校はむずかしい顔で腕組みをし、下士官は何度か首を振りました。 やがて将校は私たちの居るところにゆっくりと歩いてきました。そして私と山本の前に立 ちました。『煙草は吸うか ? 』と彼は私たちにロシア語で話しかけました。私は大学でロシ ア語を学んだので、先程も申し上げましたようにロシア語のおおよその会話は理解できます。 しかし面倒に巻き込まれたくないので、まったくわからないふりをしていました。『ありが はだ
い。私の裁量で、君たちはこの場ですぐに釈放される。そのまま河を渡ってあっちがわに帰 ってよろしい。それは私が名誉にかけて保証する。そのあとのことは、私たちの国内の問題 だ。君たちには関係ない』 東から射してくる太陽の光が、私の肌をようやく温め始めていました。風はなく、空には 白く硬い雲がいくつか浮かんでいました。 長い長い沈黙が続きました。誰もひとことも口をききませんでした。ロシア人の将校も、 、。、トロール隊の兵士たちも、山本も、みんなそれぞれに黙り込んでいまし 蒙古人の将校もノ ル クた。山本は捕らえられたときから既に死を覚悟しているらしく、その顔には表情といえるほ どのものはまったく浮かんでいませんでした。 『あるいは君たちは、ふたりとも、ここで、死ぬことに、なる』とロシア人は一言ひとこと じを区切りながら、子供に言い聞かせるようにゆっくりと言いました。『それも相当ひどい死 に方をすることになる。彼らはーー』、ロシア人はそう言って、蒙古兵の方を見ました。軽 機を構えた大柄の兵隊は私の顔を見て、汚い歯を見せてにやっとしました。『彼らは、凝っ た面倒な殺し方をするのが大好きなんだ。いうなれば、そういう殺し方のエキス。ハートなん ざんぎやく だ。ジンギス汗の時代から、モンゴル人はきわめて残虐な殺しを楽しんできたし、その方法 についても精通している。私たちロシア人は、いやというほどそのことを知っている。学校 で歴史の時間に習うんだよ。モンゴル人たちがロシアでかって何をしたかということをね。 彼らはロシアに侵人したときには、何百万という人間を殺した。ほとんど意味もなく殺した
とう。しかし要らない』と山本はロシア語で答えました。かなりこなれたロシア語でした。 『結構』とソ連軍の将校は言いました。『ロシア語で喋れるとなると、話が速い』 彼は手袋を脱いで、それをコートのポケットに人れました。左手の薬指には小さな金の指 輪が見えました。『君もよく承知していると思うが、我々はあるものを探している。それも 必死に探している。そして我々は君がそれを持っていることを知っている。どうして知って いるか訊かないでほしい。ただ知っているのだ。しかし君はいまそれを身につけていない。 ということは、論理的に考えると、捕まる前に君がそれをどこかに隠したということだ。ま クだあちらにはーー・・』と言って彼はハルハ河の方を指さしました。『ーーー運んでいない。誰も まだハルハ河を渡ってはいない。書簡は、河のこちら側のどこかに隠されているはずだ。私 の言ったことは理解できたか ? 』 し山本はうなずきました。『あなたの言ったことは理解できた。しかしその書簡のことにつ ね いては私たちは何も知らない』 ささい 『結構』とそのロシア人は無表情に言いました。『それではひとっ些細な質問をするが、君 たちはいったいここで何をしていたのだ ? ここは君たちもよく知っているように、モンゴ ル人民共和国の領土だ。君たちは他人の土地にどういう目的で人ってきたのだ。その理由を 聞かせてもらいたい』 自分たちは地図の作成をしていたのだ、と山本は説明しました。私は地図会社に勤める民 間人で、ここにいる男と殺された男は、私の護衛役として付き添ってきてくれた。河のこち
彼は手を上げて蒙古人の将校を呼びました。彼は皮剥ぎに使ったナイフを水筒の水で大事 そうに洗い、小さな砥石で研ぎ終えたところでした。蒙古人の兵隊たちは山本の体から剥い だ皮を広げて、その前で何かを言い合っていました。どうやらその皮剥ぎ技術の細部につい さや ての意見の交換が行われているようでした。蒙古人の将校はナイフを鞘に収め、それをコー トのポケットに人れてから、こちらにやってきました。彼は私の顔をしばらく眺め、それか らロシア人の方を見ました。ロシア人が彼に蒙古語で短く何かを言い、蒙古人は無表情にう なずきました。兵隊が彼らのために馬を二頭連れてきました。 ル 『我々はこれから飛行機でウランバートルに戻る』とロシア人は私に言いました。『手ぶら で帰るのは残念だが、仕方ない。うまくいくこともあれば、うまくいかんこともある。夕飯 きまでに食欲が戻ればいいと思うのだが、あまり自信はないな』 じそして彼らは馬に乗って去っていきました。飛行機が離陸し、小さい銀色の点となって西 の空に消えてしまうと、あとには私と蒙古兵と馬だけが残されました。 蒙古兵たちは私を馬の鞍にしつかりと縛りつけ、隊列を組んで北に向けて出発しました。 私のすぐ前にいた蒙古兵は小さな低い声で、単調なメロディーの歌を歌っておりました。そ ひづめ れ以外に聞こえるものといえば、馬の蹄が砂をさくっさくっとはね上げる乾いた音だけでし た。彼らが私をどこに連れていこうとしているのか、そして自分がこれからいったいどんな
ら側が諸君の領土であることはわかっていたし、国境を越えたことについては申し訳なく思 っている。しかし私たちには領土侵犯というような意識はなかったのだ。私たちとしては、 こちら岸の高台から地形を見たかっただけなのだ、と。 くちびる ロシア人の将校はあまりおもしろくなさそうに、薄い唇を曲げて笑いました。『申し訳な く思っている』と彼は山本の言葉をゆっくりと反復しました。『なるほどね。高台から地形 を見たかったのか。なるほどね。高いところにのぼれば見通しは良いものな。筋はとおって いる』 ぎしばらくのあいだ、彼は何も言わずに黙って空の雲を眺めていました。それから山本に視 線を戻し、ゆっくりと首を振ってため息をつきました。 棒『君の言うことを信じることができたらどんなによかろうと思う。君の肩をたたいて「よく 部わかった。さあ、河を渡ってあっちに帰りたまえ。この次からは注意するんだよ」とでも一言 第えたらどんなにいいだろうかと思うよ。嘘じゃない。本当にそう思うんだ。しかし残念なが ら、私にはそうすることはできない。何故なら私は君が誰かをよく知っているからだ。君が ここで何をしているかもよく知っている。私たちはハイラルに何人かの友人を持っているの だ。君たちがウラン。ノ 、ートルに何人かの友人を持っているのとおなじようにな』 ロシア人はポケットから手袋を取り出し、それを畳みなおしてから、またポケットに人れ ました。『正直に言って、私は君たちを苦しめたり、あるいは殺したりすることにとくに個 人的な興味はないのだ。書簡さえこちらに渡してくれたなら、君たちにはそれ以上用事はな
さっき首を切る真似をした兵隊が持っていたのと同じ形のナイフでした。彼はナイフを鞘か ら抜き、それを空中にかざしました。朝の太陽にその鋼鉄の刃が鈍く白く光りました。 『この男は、そのような専門家の一人である』とロシア人の将校は言いました。『いいかね、 ナイフをよく見てもらいたい。これは皮を剥ぐための、専門のナイフなんだ。実にうまく作 られている。刃は剃刀のように薄く、鋭い。そして彼らの技術のレベルも非常に高い。なに しろ何千年ものあいだ動物の皮を剥ぎつづけてきた連中だからね。彼らは本当に、桃の皮を きれい 剥ぐように、人の皮を剥ぐ。見事に、綺麗に、傷ひとつつけず。私の喋り方は速すぎるか クな ? 』 山本は何も言いませんでした。 『少しずつ剥ぐ』とロシア人の将校は言いました。『皮に傷をつけないできれいに剥ぐには、 じゅっくりやるのがいちばんなんだ。途中でもし何か喋りたくなったら、すぐに中止するから、 ね そう言ってもらいたい。そうすれば死なずにすむ。彼はこれまでに何度かこれをやってきた が、最後までロを割らなかった人間は一人もいない。それはひとっ覚えておいてほしい。中 止するなら、なるべく早い方がいい。お互いその方が楽だからな』 ナイフを持ったその熊のような将校は、山本の方を見てにやっと笑いました。私はその笑 いを今でもよく覚えています。今でも夢に見ます。私はその笑いをどうしても忘れることが ひざ できないのです。それから彼は作業にかかりました。兵隊たちは手と膝で山本の体を押さえ つけ、将校がナイフを使って皮を丁寧に剥いでいきました。本当に、彼は桃の皮でも剥ぐよ かみそり
が、本当に書簡のことは知らないと君は言うんだね ? 』 『ニエト』と彼は簡単に言いました。 『結構』とロシア人は言いました。『結構』、それから彼は蒙古人の将校に向かって、蒙古語 で何かを言いました。将校はうなずいて、兵隊たちに命令を伝えました。兵隊たちはどこか から丸太を持ってきて、銃剣を使ってその先を器用に削って尖らせ、四本の杭のようなもの を作りました。それから彼らは必要とする距離を歩幅で測って、その四本の杭をほぼま四角 に、地面に石でしつかりと打ち込みました。それだけの準備をするのにおおよそ二十分くら クいはかかったと思います。これから何が始まるのか、私にはさつばり見当がっきませんでし さつりく 『彼らにとっては、優れた殺戮というのは、優れた料理と同じなのだ』とロシア人は言いま じした。『準備にかける時間が長ければ長いほど、その喜びもまた大きい。殺すだけなら、鉄 ね 砲でズドンと撃てばいい。一瞬で終わってしまう。しかしそれでは・ーー』、彼は指の先でつ るりとした顎をゆっくりと撫でました。『 , ーー面白くない』 彼らは山本を縛っていた紐を解き、彼をその杭のところに連れていきました。そして彼は 全裸のまま、その杭に手足を縛りつけられました。大の字に仰向けにされた彼の体にはいく つもの傷が見えました。どれも生々しい傷でした。 『君たちも知ってのとおり、彼らは遊牧民である』と将校は言いました。『遊牧民は羊を飼 い、その肉を食べ、羊毛を取り、皮を剥ぐ。つまり羊は、彼らにとっての完全動物なのだ。
んだ。キエフで捕虜にしたロシア人貴族たちを何百人も一度に殺した話を知っているかね。 彼らは大きな厚い板を作って、その下に貴族たちを並べて敷き、その板の上でみんなで祝宴 を張って、その重みで潰して殺したんだ。そんなことは普通の人間にはなかなか思いつける もんじゃないよ。そう思わないかね ? 時間だってかかるし、準備だってたいへんだ。ただ 面倒なだけじゃないか。でも彼らはあえてそういうことをやるんだ。何故なら、それは彼ら にとって楽しみだからだ。彼らは今でも、その手のことはやっているよ。私は前に一度そう いうのを実際に目にしたことがある。私はそれまでにもずいぶん荒つぼいものを目にしてき ぎたと自分では思っていたが、その夜はさすがに食欲が出なかったことを記憶している。私の 言っていることは伝わっているかな ? 私の喋り方は速すぎないかね ? 』 棒山本は首を振りました。 せきばら 部『結構』と彼は言いました。そしてひとっ咳払いして間を置きました。『今回は二回目だか 第ら、うまくいけば夕食までにはなんとか食欲が戻っているかもしれない。しかし私としては、 せっしよう 出来ることならば、無用な殺生は避けたい』 ロシア人は手をうしろで組んで、しばらく空を見上げていました。それから手袋を取り、 ひょり 飛行機の方を見ました。『良い日和だ』と彼は言いました。『春だ。まだ少し寒いが、これく らいがいい。もっと暑くなると、今度は蚊が出てくる。こいつがひどい。夏よりは、春の方 がずっといい』、彼はもう一度煙草人れを取り出し、一本くわえてマッチで火をつけました。 そしてゆっくりと煙を吸い込み、ゆっくりとそれを吐きだしました。『もう一度だけ尋ねる
まったく予測がっきません。山本はおそらくス。ハイですし、私も彼と一緒に捕まったわけで すから、当然その協力者ということになります。いずれにせよ、ことがそう簡単に済むわけ はありません。 夜が明けてしばらくすると、上空に飛行機の爆音らしきものが聞こえてきました。それか ていさっ らやがて銀色の機体が視野に入ってきました。外蒙軍のマークのついたソ連製の偵察機でし た。偵察機は私たちの頭上を何度か旋回しました。兵隊たちはみんなで手を振りました。飛 行機は翼を何度か上下させて、我々の方に合図を送りました。それから飛行機は近くにある ル さしん 開けた場所に砂塵を舞いあげて着陸しました。このあたりは地盤も固く、障害物がありませ んから、滑走路がなくても比較的楽に離着陸できるのです。あるいは彼らは同じ場所をこれ までに何度も飛行場がわりに使っていたのかもしれません。兵隊のひとりが馬にまたがり、 じ二頭の予備の馬を連れてそちらの方に走って行きました。 ね 兵隊は二人の高級将校らしい男を馬に乗せて戻って来ました。一人はロシア人で、もう一 人は蒙古人でした。。ハトロール隊の下士官が私たちを捕らえたことを司令部に無線で伝え、 二人の将校は我々を尋問するためにウランバートルからわざわざやってきたのだろうと私は 推測しました。おそらく情報部の将校なのでしよう。先年の反政府派の大量逮捕、大粛清に おいても、陰で操作したのはだという話は聞いていました。 どちらの将校も清潔な軍服を着て、髭をきちんと剃っていました。ロシア人は腰にベルト のついたトレンチ・コートのようなものを着ていました。コートの下からのぞいている長靴
それはともかく、彼が知らないとなると、君が何を知るわけもなかろう』 ロシア人の将校は煙草をくわえ、マッチを擦りました。 ごうもん 『ということはつまり、君にはもう利用価値がないということだ。拷問して口を割らせる価 値もないし、捕虜にして生かしておく価値もない。実を言うと私たちとしては、ごく内密に おもてざた 今回の事件を処理したいと考えているのだ。あまり表沙汰にしたくない。であるから、君を ウランバートルに連れて帰ると、話がいささか面倒になる。いちばんいいのは、今すぐ君の 頭に銃弾を撃ち込んで、どこかに埋めるか、焼いてハルハ河に流してしまうことだ。それで すべては簡単に終わる。そうだろう ? 』、彼はそう言うと、私の顔をじっとのぞきこみまし た。しかし私は彼の言っていることが何も理解できないふりをつづけました。『どうやら君 むだ 棒はロシア語が理解できんようだから、こんなことをいちいち喋ったところで時間の無駄だと 部は思うのだが、まあいい。これは私のひとりごとのようなもんだ。そう思って聞いていてほ 第しい。ところで、君に良い知らせがひとつある。私は君を殺さないことにした。これは私が 君の友達を、心ならずも無駄に殺してしまったことに対する、私のささやかな謝罪の気持ち たんのう だと解釈してもらってかまわない。今日は朝からみんなでたつぶりと殺しを堪能した。こん なことは一日に一度で沢山だ。だから君は殺さない。殺すかわりに、君には生き延びるチャ ンスを与える。うまくいけばーー助かる。可能性はたしかに高くはない。ほとんどないと言 っていいくらいかもしれない。しかしチャンスはチャンスだ。少なくとも、皮を剥がれるよ 期りはずっといい。そうだろう ? 』