私はまだいくらでも私の感じた痛みをならべることができます。でもいつまでもこんな話 を続けても、岡田様も退屈なさるでしようから、適当にやめておきます。私がお伝えしたい のは、私の体はそれこそ痛みの見本帳のようなものだったということなのです。ありとあら のろ ゆる痛みが私の体の上に降りかかってきました。私は何かに呪われているのだと思いました。 誰が何と言おうと、人生というのは不公平で、不公正なものなのだと私は思いました。もし 世界の人々が私と同じように痛みを背負って生きているのだとしたら、私にだってまだ我慢 できたと思います。でもそうではありません。痛みというのは非常に不公平なものなのです。 ク私はいろんな人たちに、痛みについて尋ねてみました。でも誰も真の痛みがどういうものか なんてわかってはいませんでした。世の中の大多数の人々は、日常的には痛みなんてほとん ど感じることなく生きているのです。そのことを知って ( それをはっきりと認識したのは中 ま 学校のはじめの頃でしたが ) 、私は涙がでるほど悲しくなりました。、 どうしてこの私だけが、 ね こんなひどい重荷を背負って生きていかなくてはならないのか、と私は思いました。できる ことならこのままあっさりと死んでしまいたいと思いました。 でもそれと同時に私はこうも思いました。いや、こんなことがいつまでも続くわけがない、 ある朝目を覚ますと苦痛は何の説明もなく突然消えてなくなっていて、まったく新しいやす らかな無痛の人生がそこに開けているにちがいない。でも、私には確信というものが持てま せんでした。 私は姉のマルタに思い切って打ち明けてみました。こんなに辛い人生を生きるのは嫌だ。 172 ころ
きました。それは本当に素敵な手紙でした。それを読んでもらえれば、加納マルタがどれほ ど素晴らしい人間かということが、岡田様にもわかっていただけるはずです。私は彼女の手 紙を通していろんな世界の姿を知ることができました。いろんな興味深い人々の存在を知る こともできました。そのようにして姉の手紙は私を励ましてくれました。そして私の成長を 助けてくれました。私はそのことで姉に深く感謝しております。それを否定するつもりはあ りません。でも、手紙というのは結局のところ手紙にすぎません。私が十代のいちばん難し い時期にあって、姉の存在をいちばん必要としていたときに、姉はいつもどこか遠くにいま ぎした。手を伸ばしても、そこには姉はおりませんでした。私は家族の中でひとりぼっちでし た。私の人生は孤独でした。私は苦痛に満ちたーーその苦痛についてはあとでまたくわしく 棒お話しいたしますが。ーー十代を送りました。私には相談する相手もいませんでした。そうい 部う意味では私もやはりマルタと同じように孤独でした。もしそのときマルタが近くにいてく 第れたなら、私の人生は今あるものとは少し違ったものになっていたに違いないと思います。 彼女は私に有効な助言を与え、私を救ってくれたと思うのです。しかし、それは今更言って もしかたないことです。マルタがひとりで自分の道をみつけなくてはならなかったように、 やはり私も自分ひとりで自分の道をみつけなくてはならなかったのです。二十歳になったと き、私は自殺することを決意しました」 加納クレタはコーヒーカップを手に取って、残っていたコーヒーを飲んだ。 「おいしいコーヒーですね」と彼女は言った。 167
りました。しかし彼女は高校を卒業するまではじっと我慢をしなくてはなりませんでした。 マルタは高校を出ると、大学には進まず、新しい道を求めてひとりで外国に行こうと決心 しました。しかし私の両親はとても常識的な人生を送ってきた人たちでしたから、そんなこ とを簡単に許すわけはありません。そこでマルタは手を尽くしてお金をかきあつめ、両親に は黙って勝手に家を飛びだしてしまいました。彼女はまずハワイに行き、カウアイ島で二年 暮らしました。カウアイ島の北海岸には素晴らしい水の出る地域があるという話をどこかで 8 読んだことがあったからです。マルタはその頃から水というものに対して非常に深い関心を 持っておりました。水の組成が人間の存在を大きく支配しているという信念を持っていたの です。それで彼女はカウアイで暮らすことにしたのです。カウアイの奥には当時まだ大きな 棒ヒッピー・ コミューンが残っていました。彼女はそこでコミューンの一員として生活しまし 部た。そこの水はマルタの霊能力に大きな影響を与えました。彼女はその水を体内に人れるこ 第とによって、彼女の肉体と彼女の能力とを『より融和させる』ことができました。それは本 うれ 当に素晴らしいことだ、と彼女は私に書いてきました。私もそれを読んでとても嬉しかった ものです。しかし彼女はやがてその土地にも十分に満足できないようになりました。確かに 美しく、平和な土地で、人々は物欲を離れて精神の平穏を求めていました。しかし人々はあ まりにもドラッグや性的な放縦さに頼りすぎていました。それは加納マルタの必要としない ものでした。そして二年後に彼女はカウアイ島を離れました。 それから彼女はカナダに渡り、アメリカの北部をあちこちと巡ってからヨーロツ。ハ大陸に
感触が今まさに私を包もうとする。それが私にとっての人生のいちばん最初の記憶」 彼女はコーヒーをひとくち飲んだ。 「怖いのよ、岡田さん」と彼女は言った。「怖くて怖くて仕方ないの。我慢できないくらい 怖い。そのときと同じ。私はどんどんそこに流されていくの。私にはそこから逃げることが できないの」 彼女はハンド。ハッグから煙草を出して口にくわえ、マッチで火をつけた。そしてゆっくり と煙をはきだした。彼女が煙草を吸うのを見るのはそれが初めてだった。 ク「君は結婚のことを言ってるの ? 」 ロ彼女はうなずいた。「そう、結婚のことを言ってるの」 「結婚について何か具体的な問題があるのかな ? 」と僕は尋ねた。 彼女は首を振った。「具体的な問題というようなものはとくにないと思う。もちろん細か ね いことを言いだせばきりはないけれど」 なんと言えばいいのか、僕にはよくわからなかったけれど、とにかく何かを言わなくては ふんいき ならないような雰囲気だった。 「これから誰かと結婚しようというようなときには、多かれ少なかれみんな同じような気持 ちを経験するんじゃないのかな。自分がひょっとして大きな間違いを犯そうとしているんじ ゃないかというようなね。でもそれはむしろあって当然な不安だろう。誰かと一生をともに するなんていうのは、やつばり大きな決断だもの。だからそんなに怖がることはないと僕は 196
いったい私はどうすればいいのだろうと。マルタはそれについてしばらく考えていました。 そしてこう言いました。『お前については何かがたしかに間違っているように私にも思える。 でもそれがどう間違っているのかは、私にもわからないよ。どうしたらいいのかもわからな い。私にはまだそのような判断を下す力がない。私に言えるのは、とにかく二十歳になるま では待ったほうがいいということだけだよ。二十歳になるまで我慢して、それからいろんな ことを決めたほうがいいと思うね』、姉はそう言いました。 そんなわけで、私はとにかく二十歳まで生きてみることにしたのです。でもどれだけ歳月 ぎが経っても、なにひとつ事態は好転しませんでした。それどころか、前にも増して痛みは激 しくなっていきました。私にわかったことはただひとつだけでした。それは『体が成長すれ 棒ばするほど、苦痛の量もそれに相応して大きくなっていくのだ』ということでした。しかし 部八年間、私はそれに耐えました。そのあいだ、私は人生の良い面だけを見ようと心がけて生 第活をいたしました。私はもう誰に対しても愚痴をこぼしませんでした。どんなに苦しい時で も、いつもにこにことしているように努めました。痛みが激しくて立っていられないような 時でも、何事もないように涼しい顔をしている訓練をしました。泣いても愚痴を言っても、 それで痛みが軽減するわけではないのです。そんなことをすれば自分が余計に情けなくなる だけです。しかしそのような努力のおかげで、私は多くの人に好かれるようになりました。 人々は私のことをおとなしくて感じの良い娘だと思いました。年上の人には信頼されました し、多くの同年代の友人を作ることもできました。もしそこに苦痛というものがなかったな 173
女を抱き、髪を撫でた。 「もしお姉さんが生きていたら、あなたもきっとあの人のことが好きになったと思うわ。誰 だってあの人のことは一目で好きになったのよ」とクミコは言った。 「あるいはそうかもしれない」と僕は言った。「でもとにかく僕は君のことが好きなんだ。 ねえ、これはとても単純なことなんだよ。これは僕と君とのあいだのことであって、君のお 姉さんとは何の関係もないんだ」 それからしばらくクミコはロを閉ざしたままじっと何かを考えていた。日曜日の朝の七時 ク半には、すべての音がやさしく虚ろに響く。僕はア。ハートの屋根の上にいる鳩の足音を聞き、 ク誰かが遠くの方で大の名前を呼ぶ声を聞いた。クミコは本当に長いあいだ天井の一点を見つ めていた。 し「あなた猫は好き ? 」とクミコは僕に訊いた。 ね 「猫は好きだよ」と僕は言った。「とても好きだ。子供の頃にはずっと猫を飼っていた。い つも猫と一緒に遊んでいたんだ。寝るときだって一緒だった」 「そういうのって素敵でしようね。私も子供の頃から猫が飼いたくてしかたなかったの。で ねこぎら も飼わせてもらえなかった。お母さんが猫嫌いだったからなの。これまでの人生で、何かを 本当に欲しいと思ってそれが手に人ったことなんてただの一度もないのよ。ただの一度もよ。 そんなのってないと思わない ? そういうのがどんな人生か、あなたにはきっとわからない わ。自分が求めているものが手に人らない人生に慣れてくるとね、そのうちにね、自分が本 134
私は自分の人生が私に与えつづけるさまざまな種類の苦痛にこれ以上耐えることができなか ったのです。私はそれまで二十年のあいだ、ずっとその苦痛に耐えてきました。私の人生と は、二十年にわたる絶え間のない苦痛の連続以外のなにものでもありませんでした。でも私 はそれまでずっと、何とかその苦痛に耐えようと努力してきたのです。その努力については 私は絶対的な自信を持っています。私は胸をはってここで断言できます。私は誰にも負けな いくらい努力してきたのです。簡単に闘争を放棄したわけではないのです。でも二十歳の誕 生日を迎えたときに私はついにこう思いました。人生には実際のところ、そんな努力を払う ぎだけの価値はなかったのだと」 そろ 彼女はしばらく黙って、膝の上に置いた白いハンカチの角を揃えていた。彼女が目を伏せ 棒ると、黒いつけまっげが彼女の顔に静かな影を作った。 せきばら 部僕は咳払いした。何か言った方がいいのかとも思ったが、何を言えばいいのかわからなか 第ったので黙っていた。遠くの方でねじまき鳥が鳴くのが聞こえた。 「私が死を決意した原因はまさにその苦痛でした。痛みでした」と加納クレタは言った。 「とは申しましても、私が言う痛みは精神的な痛みや、比喩的な痛みのことではありません。 私の言う痛みとは純粋に肉体的な痛みのことです。単純で、日常的で、直接的で、物理的な、 そしてそれ故により切実な痛みのことです。具体的に申し上げれば、頭痛、歯痛、生理痛、 ねんざ やけど 腰痛、肩凝り、発熱、筋肉痛、火傷、凍傷、捻挫、骨折、打撲 : : : そういった類いの痛みの ひんばん ことです。私は他人より遥かに頻繁に、そしてずっと強くそのような痛みを体験しつづけて はる ひざ
あの事故を起こして人院して以来、私は痛みというものをほとんど感じてこなかったので す。次々にいろんなことが起こって、どたばたしていたのでそのことに気づかなかったので すが、痛みというものが私のからだからすっかり消えてしまっていたのです。便通は自然で あり、生理痛もなく、頭痛もなく、胃も痛みませんでした。折れた肋骨さえほとんど痛みを 感じませんでした。どうしてそんなことが起こったのか、私には見当もっきませんでした。 でもとにかく痛みという痛みが消えてしまったのです。 私はとりあえずもう少し生きてみようと思いました。私には興味があったのです。痛みの ル ない人生というのがどういうものか、私は少しでもいいから味わってみたかったのです。死 ぬことはいつでもできます。 しかし私にとって生き延びるということはとりもなおさず、借金を返済することを意味し じました。借金は全部で三百万円を越えていました。そんなわけで、私はその借金を返すため しようふ ね に娼婦になりました」 「娼婦になった ? 」、僕はびつくりして言った。 「そうです」と何でもなさそうに加納クレタは言った。「お金が短期間に必要だったのです。 借金をなるべく早く返してしまいたかったし、そうする以外に私が有効にお金を稼ぐ手段は ちゅうちょ ありませんでした。そこには躊躇というようなものはまったくありませんでした。私は真剣 に死のうと思ったのです。そして遅かれ早かれ、死んでしまうことになるだろうと思ってい ました。その時だって、痛みのない人生に対する好奇心が、一時的に私を生かしているだけ かせ
なっ ていた。込んだ電車に乗るのは実にひさしぶりだったが、べつに懐かしくはなかった。 「悪くない仕事でしよう ? 」と笠原メイは電車の中で言った。「楽だし、ギャラもまあまあ だし」 「悪くない」と僕はレモンドロップをなめながら言った。 「また今度一緒にやる ? 週に一回くらいやれるんだけど」 「またやってもいいね」 「ねえ、ねじまき鳥さん」としばらくの沈黙のあとで、笠原メイはふと思いついたように言 ル こわ クった。「私は思うんだけれど、人が禿げることを恐がるのは、それが人生の終末みたいなの を思い起こさせるからじゃないかしら。つまりさ、人は禿げてくると、自分の人生が擦り切 れてきつつあるように感じるんじゃないかっていう気がするのよ。自分が死に向かって、最 じ後の消耗に向かって、大きく一歩近づいたように感じるんじゃないかしら」 ね 僕はそれについて考えてみた。「たしかにそういう考え方もあるかもしれないね」 「ねえ、ねじまき鳥さん、ときどき私考えるんだけれど、ゆっくりと時間をかけて、少しず っ死んでいくのって、いったいどんな気分かしら ? 」 僕は質間の趣旨がよくわからなかったので、吊り革を持ったまま姿勢を変えて、笠原メイ の顔を覗き込んだ。「ゆっくり少しずつ死んでいくって、たとえば具体的にどういう場合の ことだろう ? 」 「たとえばね : : : そうだな、どこか暗いところにひとりで閉じ込められて、食べるものもな 210
と田 5 う ? 」 「どうだろうな」と僕は言った。「面倒臭いのは苦手だから、禿げたら禿げたままにしてお くんじゃないかな」 「うん、きっとその方がいいわよ」と彼女はロ許についたケチャップを紙ナプキンで拭いた。 「禿げてるのって、本人が考えてるほど悪くないわよ。そんなに気にすることじゃないと思 うな」 「ふうん」と僕は言った。 ル それから僕らは和光の前の地下鉄の人口に腰をかけて、三時間にわたって薄毛の人々の数 を数えた。地下鉄の人口に腰かけて、階段を上り下りする人の頭を見下ろしていると、頭髪 はあく じの具合がいちばん正確に把握できるのだ。笠原メイが松とか竹とか言うと、僕がそれを用紙 ね に書き込んだ。笠原メイはそういう作業にとても馴れているようだった。彼女は一度もとま どったり、言いよどんだり、言いなおしたりしなかった。彼女は実に素早く的確に、薄毛の 度合いを三段階に区分していった。彼女は歩行者にけどられないように、小さな声で短く 「松」とか「竹」とか言った。一度に何人もの薄毛の人々が通りかかることがあって、そう いう時には彼女は「うめうめたけまったけうめ」という風に早ロで言わねばならなかった。 一度上品そうな老紳士 ( 彼自身は見事な白髪だった ) がしばらく僕らの作業を眺めていたあ とで、僕に「失礼ですが、あなたがたはそこで何をしていらっしやるのでしようか ? 」と質 なが