いうのはそういう実力は正確に見抜くものですし、カのあるものに自然に従うものです。そ れに加えて出発前に私は上官から山本の指示を絶対的に尊重するようにと言い含められてき ました。要するに超法規的に山本の命令に従えということです。 私たちはハルハ河に出て、そこから河沿いに南に下りました。雪解けで河の水量は増して いました。河には大きな魚の姿も見えました。時折、遠くの方に狼の姿を見かけることもあ りました。純粋な狼ではなくて、野大との混血種かもしれません。しかしどちらにせよ危険 なことに変わりはありません。夜になると私たちは狼から馬たちを守るために歩哨を立てな くてはなりませんでした。鳥の姿も多く見かけました。その多くはシベリアに戻っていく渡 り鳥のようでした。私と山本とは地勢についていろいろと話しあいました。私たちは自分た たど 棒ちが辿っているおおよその道筋を地図で確認しながら、目についた細かい情報をひとつひと 部っノートに書き込んでいきました。しかし私とのそういった専門的な情報の交換を別にすれ 第ば、山本はほとんどロもききませんでした。彼は黙々と馬を前に進め、ひとり離れて食事を し、何も言わずに眠りました。私の受けた印象では、彼がこのあたりに来たのは初めてでは ないようでした。彼はそのあたりの地形や方向について、驚くほど的確な知識を持っていま した。 二日間何事もなく南に向けて進んだところで、山本は私を呼んで、明日の未明にハルハ河 を越えることになると言いました。私は仰天しました。何故ならハルハ河の対岸は外蒙古の 領土だからです。私たちが今いるハルハ河右岸もたしかに危険な国境紛争地域です。外蒙古 おおかみ ほしよう
な声が聞こえたので、ててうしろを振り返りました。しかしそこには何も見えませんでし た。私はそのいななきが聞こえた方向に向けてじっと小銃を構えました。唾を呑み込むと、 ごくんという大きな音がしました。それは自分でもぎくっとするくらい巨大な音でした。引 き金にかけた指がぶるぶると震えていました。私はそれまでに誰かに向けて銃を撃ったこと なんて一度もなかったのです。 しかしその何秒かあとに、よたよたと砂丘を乗り越えるようにして現れたのは、馬に乗っ 肥た山本の姿でした。私は銃の引き金に指をかけたままあたりを見回しましたが、山本の他に ぎは人影は見えませんでした。彼を迎えにきたモンゴル人の姿も見えず、敵兵の姿も見えませ んでした。白い大きな月が不吉な巨石のように東の空に浮かんでいるだけでした。彼は左腕 に怪我をしているようでした。腕を縛「た ( ンカチが赤く血で染まっておりました。私は本 部田伍長を起こし、山本の乗ってきた馬の世話をさせました。長い距離を駆けてきたらしく、 第馬は大きく息をし、汗をたつぶりとかいていました。浜野が私にかわって歩哨に立ち、私は 医薬品の箱を出して山本の腕の傷の治療をしました。 『弾丸は抜けたし、出血もとまっている』と山本は言いました。たしかに弾丸はうまい具合 にきれいに貫通していました。その部分の肉がえぐられているだけでした。私は包帯がわり のハンカチを外し、傷口をアルコールで消毒し、新しい包帯を巻きました。そのあいだ彼は うわくちびる かす 顔ひとっしかめませんでした。上唇の上のあたりに徴かに汗が浮かんでいるだけでした。彼 は水筒の水で喉を潤してから煙草に火をつけて、その煙を肺の奥まで美味そうに吸い込みま 267 うるお
がいとう で、静かにそこに横になっていました。蒙古兵はみんな長い外套を着て、戦闘用のヘルメッ トをかぶっていました。ふたりの兵隊が大型の懐中電灯を手に持って、私と山本の姿を照ら していました。最初のうち、私にはいったい何が起こったのか、うまく呑み込めませんでし た。眠りがあまりにも深く、そして受けたショックがあまりにも大きかったからだと思いま す。しかし蒙古兵の姿を見て、山本の顔を見ているうちに、私にも事態がようやく理解でき ました。私たちが渡河にかかる前に、彼らの方が私たちのテントを見つけ出してしまったの 次に私の頭に浮かんだのは本田と浜野がどうなったかということでした。私はゆっくりと 首を曲げてあたりを見回してみましたが、二人の姿はどこにも見えません。彼らが既に蒙古 棒兵の手で殺されてしまったのか、あるいはなんとかうまく逃げることができたのか、私には 部わかりませんでした。 第彼らはどうやら先ほど渡河地点でみかけた。ハトロール隊の兵隊であるようでした。それほ どの人数ではありません。装備は軽機が一丁とあとは小銃というところです。指揮を取って いるのは大柄な下士官で、彼ひとりがまともな長靴を履いていました。最初に私の頭を蹴り 上げた男です。彼は身をかがめて山本の枕もとにあった革鞄を取り、それを開けて中を覗き たば 込みました。それから逆さにしてばたばたと振りました。しかし地面に落ちたのは一箱の煙 草だけでした。私は驚きました。というのは、私は山本がその鞄の中に書類を人れるのをち ゃんと見ていたからです。彼は馬の鞍についた物人れから書類を取り出し、それを手提げ鞄 275 おおがら ちょうか
顔は髭だらけで、耳あてのついた帽子をかぶっていました。男は遊牧民のような汚い服を着 ていましたが、職業軍人であることは身のこなしですぐにわかりました。 男は馬から下りると、山本に向かって話しかけました。それはモンゴル語であったと思い ます。私はロシア語も中国語もある程度は理解できましたが、彼の言葉はどちらでもありま せんでした。だからまず間違いなくモンゴル語であったと思います。山本も男に対してモン ゴル語で話しかけました。それで私はこの男はやはり情報部の将校なのだという確信を持ち ました。 『間宮少尉、私はこの男と一緒に出かける』と山本は言いました。『どれくらい時間がかか るかはわからんが、ここに待機していて欲しい。言うまでもないことだとは思うが、歩哨は 棒常に立てるように。三十六時間たっても戻らなかったら、そのよしを司令部に報告してもら 部いたい。誰か一人を渡河させて満軍の監視所に送れ』。わかりました、と私は答えました。 第山本は馬に乗り、モンゴル人と二人で西に向かって走り去りました。 私たちは三人で野営の準備をし、簡単なタ飯を食べました。飯を炊くことも、焚き火をす しゃへいふつ ることもできませんでした。低い砂丘以外、見渡すかぎり遮蔽物ひとつない壙野ですから、 煙をだせばあっというまに敵に捕捉されてしまいます。私たちは砂丘の陰に低くテントを張 かんづめ り、隠れるようにして乾。ハンを齧り、冷たい肉の缶詰を食べました。太陽が地平線に落ちる やみ と、たちまちにして闇があたりを覆い、空には数え切れぬほどの星が輝きました。ハルハ河 の流れの轟々という音に混じって、どこかで狼の鳴く声が聞こえました。私たちは砂の上に 259 ごうごう おお こうや
のんき 代だったのです。しかし新京で呑気な将校暮らしを送っていると、正直に申し上げまして、 戦争なんぞいったいどこでやっているんだという感じがしたものです。我々は毎夜のように ばかばなし 酒を飲み、みんなで馬鹿話をし、白系ロシア娘のいるカフェに行って遊んだりもしました。 しかしある日、昭和一三年四月の終わり頃でしたが、私は参謀本部の上官に呼ばれ、山本 くちひげ という平服の男に引き合わされました。髪が短く、ロ髭をはやした男でした。背はそれほど 高くありません。年齢は三十代の半ばくらいだったと思います。首筋には刃物で切られたよ うな傷がついていました。上官はこう言いました。山本さんは民間人で、軍に依頼されて満 ル 州国内に住むモンゴル人の生活・風俗を調査しておられる。そして今回はホロン。ハイル草原 もうこ の外蒙古との国境地帯の調査をなさることになっている。軍はその調査に数名の警護の兵を 同行させる。貴官もその一員として役にあたってもらうことになる。でも私はその話を信じ しませんでした。山本という男は、平服こそ着ていたもののどうみても職業軍人だったからで す。目つきや喋り方や姿勢を見ればそれはわかります。高級将校、それもおそらく情報関係 だろうと私は踏みました。おそらく彼は任務の性格上、軍人であることを明らかにできない のです。そこには何かしら不吉な予感のようなものが漂っていました。 山本に同行する兵の数は私を含めて全部で三人でした。警護の役にしてはあまりにも少な すぎますが、兵の数を多くすると、そのぶん国境付近に展開する外蒙古の兵隊の注意を引く ことになります。少数精鋭と言いたいところですが、実際にはそうではありませんでした。 唯一の将校である私からして、実戦経験がまるでなかったからです。戦力として計算できる 250 ゆいいっ
とう。しかし要らない』と山本はロシア語で答えました。かなりこなれたロシア語でした。 『結構』とソ連軍の将校は言いました。『ロシア語で喋れるとなると、話が速い』 彼は手袋を脱いで、それをコートのポケットに人れました。左手の薬指には小さな金の指 輪が見えました。『君もよく承知していると思うが、我々はあるものを探している。それも 必死に探している。そして我々は君がそれを持っていることを知っている。どうして知って いるか訊かないでほしい。ただ知っているのだ。しかし君はいまそれを身につけていない。 ということは、論理的に考えると、捕まる前に君がそれをどこかに隠したということだ。ま クだあちらにはーー・・』と言って彼はハルハ河の方を指さしました。『ーーー運んでいない。誰も まだハルハ河を渡ってはいない。書簡は、河のこちら側のどこかに隠されているはずだ。私 の言ったことは理解できたか ? 』 し山本はうなずきました。『あなたの言ったことは理解できた。しかしその書簡のことにつ ね いては私たちは何も知らない』 ささい 『結構』とそのロシア人は無表情に言いました。『それではひとっ些細な質問をするが、君 たちはいったいここで何をしていたのだ ? ここは君たちもよく知っているように、モンゴ ル人民共和国の領土だ。君たちは他人の土地にどういう目的で人ってきたのだ。その理由を 聞かせてもらいたい』 自分たちは地図の作成をしていたのだ、と山本は説明しました。私は地図会社に勤める民 間人で、ここにいる男と殺された男は、私の護衛役として付き添ってきてくれた。河のこち
いていました。蒙古人の兵隊たちは一様に押し黙って、じっとその作業を眺めていました。 けんお キ」ようがく 彼らはみんな無表情でした。そこには嫌悪の色もなければ、感動も驚愕もうかがえませんで した。彼らはまるで、私たちが散歩のついでに何かの工事現場を見物しているときのような 顔つきで、山本の皮が一枚一枚剥がれていくのを眺めておりました。 私はそのあいだ何度も吐きました。最後にはこれ以上吐くものもなくなってしまいました が、私はそれでもまだ吐きつづけました。熊のような蒙古人の将校は最後に、すつぼりとき れいに剥いだ山本の胴体の皮を広げました。そこには乳首さえついていました。あんなに不 気味なものを、私はあとにも先にも見たことがありません。誰かがそれを手に取って、シー ツでも乾かすみたいに乾かしました。あとには、皮をすっかりはぎ取られ、赤い血だらけの 肉のかたまりになってしまった山本の死体が、ごろんと転がっているだけでした。いちばん じいたましいのはその顔でした。赤い肉の中に白い大きな眼球がきっと見開かれるように収ま ね っていました。歯が剥き出しになったロは何かを叫ぶように大きく開いていました。鼻を削 がれたあとには、小さな穴が残っているだけでした。地面はまさに血の海でした。 ロシア人の将校は地面に唾を吐き、私の顔を見ました。そしてポケットからハンカチを取 り出してロもとを拭きました。『どうやらあの男は本当に知らなかったようだな』と彼は言 いました。そしてハンカチをまた。ホケットに仕舞いました。彼の声は前よりも幾分か乾いて しやペ いました。『知ってたら絶対に喋ったはずだ。気の毒なことをしたな。しかし彼はなんとい ってもプロなんだし、どうせいっかはろくでもない死に方をするんだ。仕方あるまい。まあ
さっき首を切る真似をした兵隊が持っていたのと同じ形のナイフでした。彼はナイフを鞘か ら抜き、それを空中にかざしました。朝の太陽にその鋼鉄の刃が鈍く白く光りました。 『この男は、そのような専門家の一人である』とロシア人の将校は言いました。『いいかね、 ナイフをよく見てもらいたい。これは皮を剥ぐための、専門のナイフなんだ。実にうまく作 られている。刃は剃刀のように薄く、鋭い。そして彼らの技術のレベルも非常に高い。なに しろ何千年ものあいだ動物の皮を剥ぎつづけてきた連中だからね。彼らは本当に、桃の皮を きれい 剥ぐように、人の皮を剥ぐ。見事に、綺麗に、傷ひとつつけず。私の喋り方は速すぎるか クな ? 』 山本は何も言いませんでした。 『少しずつ剥ぐ』とロシア人の将校は言いました。『皮に傷をつけないできれいに剥ぐには、 じゅっくりやるのがいちばんなんだ。途中でもし何か喋りたくなったら、すぐに中止するから、 ね そう言ってもらいたい。そうすれば死なずにすむ。彼はこれまでに何度かこれをやってきた が、最後までロを割らなかった人間は一人もいない。それはひとっ覚えておいてほしい。中 止するなら、なるべく早い方がいい。お互いその方が楽だからな』 ナイフを持ったその熊のような将校は、山本の方を見てにやっと笑いました。私はその笑 いを今でもよく覚えています。今でも夢に見ます。私はその笑いをどうしても忘れることが ひざ できないのです。それから彼は作業にかかりました。兵隊たちは手と膝で山本の体を押さえ つけ、将校がナイフを使って皮を丁寧に剥いでいきました。本当に、彼は桃の皮でも剥ぐよ かみそり
254 あまりにも広すぎるので、自分という存在のバランスを掴んでいることがむずかしくなって くるのです。おわかりになりますでしようか ? 風景と一緒に意識だけがどんどん膨らんで いって、拡散していって、それを自分の肉体に繋ぎとめておくことができなくなってしまう のです。それがモンゴルの平原の真ん中で私の感じたことでした。何という広大なところだ ろうと私は思いました。それは荒野というよりはむしろ海に近いものであるように私には感 じられました。太陽が東の地平線から上り、ゆっくりと中空を横切り、そして西の地平線に 沈んでいきました。私たちのまわりで目に見えて変化するものといえば、ただそれだけでし クた。その動きの中には何かしら巨大な、宇宙的な慈しみとでもいうべきものが感じられまし 島 満州国軍の監視所で、我々はトラックを下りて馬に乗り換えました。そこには私たちが乗 しる四頭の馬の他に、食糧や水や装備を積んだ二頭の馬が用意されていました。私たちの装備 けん【しゅう ね は比較的軽便なものでした。私と山本という男とは拳銃だけを持っていました。浜野と本田 しゆりゅうだん とは拳銃の他に三八式歩兵銃を持ち、それぞれに二個の手榴弾を持っていました。 私たちを指揮するのは、実質的には山本でした。彼がすべてを決め、私たちに指示を与え ました。彼は表向きには民間人ということになっていましたから、軍の規則から言えば私が 指揮官として行動しなくてはならないわけですが、山本の指揮下に人ることについては誰も ふさわ はさ 疑義は差し挟みませんでした。何故なら彼は誰が見ても指揮を取るに相応しい男でしたし、 しようい 私は階級こそ少尉ですが、実際には実戦経験のない事務屋に過ぎなかったからです。兵隊と
うに、山本の皮を剥いでいきました。私はそれを直視することができませんでした。私は目 だいしり を閉じました。私が目を閉じると、蒙古人の兵隊は銃の台尻で私を殴りました。私が目を開 けるまで、彼は私を殴りました。しかし目を開けても、目を閉じても、どちらにしても彼の 声は聞こえました。彼は初めのうちはじっと我慢強く耐えていました。しかし途中からは悲 鳴をあげはじめました。それはこの世のものとは思えないような悲鳴でした。男はまず山本 の右の肩にナイフですっと筋を人れました。そして上の方から右腕の皮を剥いでいきました。 いつく 彼はまるで慈しむかのように、ゆっくりと丁寧に腕の皮を剥いでいきました。たしかに、ロ ぎシア人の将校が言ったように、それは芸術品と言ってもいいような腕前でした。もし悲鳴が さ 聞こえなかったなら、そこには痛みなんてないんじゃないかとさえ思えたことでしよう。し ・刀 ものすご 棒かしその悲鳴は、それに付随する痛みの物妻さを語っていました。 部やがて右腕はすっかり皮を剥がれ、一枚の薄いシートのようになりました。皮剥ぎ人はそ 第れを傍らにいた兵隊に手渡しました。兵隊はそれを指でつまんで広げ、みんなに見せてまわ りました。その皮からはまだぼたぼたと血が滴っていました。皮剥ぎの将校はそれから左腕 に移りました。同じことが繰り返されました。彼は両方の脚の皮を剥ぎ、性器と睾丸を切り 取り、耳を削ぎ落としました。それから頭の皮を剥ぎ、顔を剥ぎ、やがて全部剥いでしまい ました。山本は失神し、それからまた意識を取り戻し、また失神しました。失神すると声が や 止み、意識が戻ると悲鳴が続きました。しかしその声もだんだん弱くなり、ついには消えて ちょうか しまいました。ロシア人の将校はそのあいだずっと長靴の踵で、地面に意味のない図形を描 289 かたわ したた こうがん