とを考えたように記憶しています。私は遠い故郷のことを思いました。私は私が出征する前 に一度だけ抱いた女性のことを思いました。両親のことを思いました。私は自分に弟ではな く妹がいたことを感謝しました。私がここで死んでも、少なくとも彼女だけは兵隊に取られ かしわもち ることもなく両親のもとに残されるのです。私は柏餅のことを思いました。それから私の体 が乾いた地面を打ち、私はそのショックで一瞬気を失いました。まるで体じゅうの空気がは じけとんでしまったような気分でした。私の体は砂袋のようにどさっと井戸の底の地面を打 ちました。 ル クしかし私がショックで気を失っていたのは、ほんの一瞬のことであったと思います。私が 意識を取り戻したとき、何かのしぶきのようなものが私の体に当たっていました。最初のう ち、雨が降っているのかと私は思いました。でもそうではありませんでした。それは小便で じした。蒙古兵たちがみんなで、井戸の底にいる私に向かって小便をかけているのでした。ず ね っと上を見上げると、丸い穴の縁に彼らが立って、かわりばんこに小便をしている姿がシル ェットのように小さく浮かびあがっていました。それは私の目には何かしらひどく非現実的 なものに見えました。それはまるで、麻薬を飲んだとき起こる幻覚のように私には感じられ ました。でもそれは現実でした。私は井戸の底にいて、彼らは本物の小便を私にかけていま した。彼らはみんなで小便を出してしまうと、誰かが懐中電灯で私の姿を照らしだしました。 笑い声が聞こえました。そして彼らは穴の縁から姿を消しました。彼らが行ってしまうと、 すべては深い沈黙の中に沈み込みました。
でしたが、それでも私にはそれは天の恵みのように思えたものです。考えてみれば、私は丸 いちにち以上、水も飲まなければ、食事もとっておりませんでした。しかし私は食欲という ものをまったく感じませんでした。 私は穴の底でじっとしていました。それ以外に私にできることは何もなかったのです。私 にはものを考えるということすらできませんでした。そのとき私の置かれた絶望と孤独は、 それくらいに深いものだったのです。私は何もせず、何も考えず、ただそこに座り込んでい わす ました。しかし私は無意識のうちにあの一条の光を待っていたのです。一日にほんの僅かの ル 時間この深い井戸の底にまっすぐ射し込んでくる、あの目もくらむような太陽の光です。原 理的に言って、光が直角に地表に射すのは太陽がいちばん高い中空にあるときですから、そ れはおそらく正午に近い時間であろうと思います。私はただその光の到来を待っていました。 ま 何故ならばその他に私に待っことのできるものは何もなかったからです。 ね それからずいぶん長い時間が経ったように思います。私は知らず知らずのうちにうとうと と眠りこんでしまいました。何かの気配に気づいてはっと目を覚ましたとき、光は既にそこ にありました。私は自分が再びその圧倒的な光に包まれていることを知りました。私はほと んど無意識に両方の手のひらを大きく広げて、そこに太陽を受けました。それは最初のとき よりもずっと強い光でした。そして最初のときよりもそれは長く続きました。少なくとも私 にはそう感じられました。私はその光の中でぼろぼろと涙を流しました。体じゅうの体液が 涙となって、私の目からこぼれ落ちてしまいそうに思えました。私のからだそのものが溶け
私はまだいくらでも私の感じた痛みをならべることができます。でもいつまでもこんな話 を続けても、岡田様も退屈なさるでしようから、適当にやめておきます。私がお伝えしたい のは、私の体はそれこそ痛みの見本帳のようなものだったということなのです。ありとあら のろ ゆる痛みが私の体の上に降りかかってきました。私は何かに呪われているのだと思いました。 誰が何と言おうと、人生というのは不公平で、不公正なものなのだと私は思いました。もし 世界の人々が私と同じように痛みを背負って生きているのだとしたら、私にだってまだ我慢 できたと思います。でもそうではありません。痛みというのは非常に不公平なものなのです。 ク私はいろんな人たちに、痛みについて尋ねてみました。でも誰も真の痛みがどういうものか なんてわかってはいませんでした。世の中の大多数の人々は、日常的には痛みなんてほとん ど感じることなく生きているのです。そのことを知って ( それをはっきりと認識したのは中 ま 学校のはじめの頃でしたが ) 、私は涙がでるほど悲しくなりました。、 どうしてこの私だけが、 ね こんなひどい重荷を背負って生きていかなくてはならないのか、と私は思いました。できる ことならこのままあっさりと死んでしまいたいと思いました。 でもそれと同時に私はこうも思いました。いや、こんなことがいつまでも続くわけがない、 ある朝目を覚ますと苦痛は何の説明もなく突然消えてなくなっていて、まったく新しいやす らかな無痛の人生がそこに開けているにちがいない。でも、私には確信というものが持てま せんでした。 私は姉のマルタに思い切って打ち明けてみました。こんなに辛い人生を生きるのは嫌だ。 172 ころ
先ほどお話ししたように、私が内々に婚約したつもりでおった女性は他の男と結婚して、ふ たりの子供をもうけておりました。墓地には私の墓がありました。私にはもう何も残されて おりませんでした。私は自分が本当にがらんどうになったみたいに感じました。自分はここ に帰ってくるべきではなかったのだと。それ以来今に至るまで、自分がどんな風にして生き てきたのか、よく覚えておらんのです。私は社会科の教師になり、高校で地理と歴史を教え ました。しかし私は本当の意味で生きていたわけではありませんでした。私は自分に与えら れた現実的な役割をひとつまたひとっと果たしてきただけです。私には友人とよべる人間は ル きずな ひとりもおりませんでしたし、生徒たちとのあいだにも人間的な絆というようなものはあり ませんでした。私は誰も愛しませんでした。私には、誰かを愛するというのはどういうこと なのか、わからなくなってしまったのです。目を閉じると、生きたまま皮を剥がれていく山 じ本の姿が浮かびあがってきました。何度もその夢を見ました。山本は私の夢の中で何度も何 ね 度も皮を剥がれ、赤い肉のかたまりに変えられていきました。彼の悲痛な悲鳴をはっきりと 聞くことができました。そして私は何度も、自分が井戸の底で生きたまま朽ち果てていく夢 を見ました。ときにはそれが本当の現実で、こうしている私の人生の方が夢なのではないか と田 5 いました。 本田さんがハルハ河畔で、私は中国大陸では死ぬことはないと言ったとき、私はそれを聞 いて喜びました。信じる信じないはともかく、そのときの私は、どんなものにでもすがりつ きたいような気持ちだったのです。おそらく本田さんはそれを承知して、私の気持ちをやす 310
朝目を覚ますと、私はべッドに横になったまま、自分の体が痛みと呼べるほどの痛みを感 じていないことを確認しました。目を開け、ゆっくりと意識をまとめ、それから頭から足の さきまで順番に、自分の肉体の感覚を確認していきました。どこにも痛みはありせんでし た。本当に痛みが存在しないのか、それとも痛みそのものは存在しているのだけれど、自分 がそれを感じないでいるのか、私には判断できませんでした。しかしいずれにせよ、痛みは ありませんでした。痛みだけではなく、そこにはどのような種類の感覚もないのです。それ 8 から私はべッドを出て、洗面所に行って歯を磨きました。。ハジャマを脱いで裸になり、熱い ぎシャワーを浴びました。体がひどく軽く感じられました。それはひどくふわふわとして、自 分の体のようには感じられませんでした。まるで自分の魂が、自分のものではない肉体に寄 棒生しているような、そんな気分でした。私は鏡に自分の体を映してみました。でもそこに映 部っているものはひどく遠くにあるように私には感じられました。 第痛みのない生活ーーそれは私が長いあいだ夢見てきたものでした。しかしそれが実際に実 現してみると、私はその新しい無痛の生活の中にうまく自分の居場所をみつけることができ ませんでした。そこにははっきりとしたずれのようなものがありました。そのことは私を混 乱させました。私は自分という人間がこの世界のどこにもつなぎ止められていないように感 じました。これまで私は世界というものをずっと激しく憎んでいました。その不公平さと不 公正さとを私は憎みつづけてきました。しかし少なくとも、そこにあっては、私は私であり、 世界は世界でした。しかし今では世界は世界でさえありませんでした。私は私でさえありま 185 みが
きました。それは本当に素敵な手紙でした。それを読んでもらえれば、加納マルタがどれほ ど素晴らしい人間かということが、岡田様にもわかっていただけるはずです。私は彼女の手 紙を通していろんな世界の姿を知ることができました。いろんな興味深い人々の存在を知る こともできました。そのようにして姉の手紙は私を励ましてくれました。そして私の成長を 助けてくれました。私はそのことで姉に深く感謝しております。それを否定するつもりはあ りません。でも、手紙というのは結局のところ手紙にすぎません。私が十代のいちばん難し い時期にあって、姉の存在をいちばん必要としていたときに、姉はいつもどこか遠くにいま ぎした。手を伸ばしても、そこには姉はおりませんでした。私は家族の中でひとりぼっちでし た。私の人生は孤独でした。私は苦痛に満ちたーーその苦痛についてはあとでまたくわしく 棒お話しいたしますが。ーー十代を送りました。私には相談する相手もいませんでした。そうい 部う意味では私もやはりマルタと同じように孤独でした。もしそのときマルタが近くにいてく 第れたなら、私の人生は今あるものとは少し違ったものになっていたに違いないと思います。 彼女は私に有効な助言を与え、私を救ってくれたと思うのです。しかし、それは今更言って もしかたないことです。マルタがひとりで自分の道をみつけなくてはならなかったように、 やはり私も自分ひとりで自分の道をみつけなくてはならなかったのです。二十歳になったと き、私は自殺することを決意しました」 加納クレタはコーヒーカップを手に取って、残っていたコーヒーを飲んだ。 「おいしいコーヒーですね」と彼女は言った。 167
「もちろん謎は謎として今でも残っております」と間宮中尉は言った。「私にはいまだにい もうこ ろんなことがよく理解できません。あそこで私たちを待っていた蒙古人の将校はいったい誰 だったのか。もし私たちがあの書類を司令部に持って帰ってきていたら、いったいどんなこ とになっていたのか。何故山本は私たちをハルハ右岸に残してひとりで河を越えなかったの おとり か。その方が彼はずっと身軽に行動できたはずなのです。あるいは彼は私たちを蒙古軍の囮 にしてひとりで逃げ延びるつもりだったのかもしれません。それはあり得ることです。ある いは本田伍長はそのことを最初から承知していたのかもしれません。だからこそ彼は山本を ル 見殺しにしたのかもしれません。 いずれにせよ、私と本田伍長はそれ以来ずっと長いあいだ、一度も顔を合わせることもあ りませんでした。私たちはハイラルに着くとすぐにべつべつに隔離されて、会うことも口を しきくことも禁じられてしまいました。私は彼に最後の礼を言いたかったのですが、それも不 ね 可能でした。そしてそのまま、彼はノモンハンの戦闘で負傷して内地に送還され、私は終戦 まで満州に残り、それからシベリアへと送られました。彼の居所を捜し当てることができた のは、私がシベリア抑留から帰国した何年かあとでした。そしてそれ以来、私たちは何度か 顔をあわせ、たまに手紙のやりとりをしました。しかし本田さんはあのハルハ河の出来事を しやペ 話題にすることは避けているようでしたし、私もまたそのことについてあまり喋りたいとは 思いませんでした。それは私たち二人にとってあまりにも大きな出来事だったからです。私 たちはそれについて何も語らないということによって、その体験を共有しておったのです。 なぞ
て液体になってそのままここに流れてしまいそうにさえ思えました。この見事な光の至福の 中でなら死んでもいいと思いました。いや、死にたいとさえ私は思いました。そこにあるの は、今何かがここで見事にひとつになったという感覚でした。圧倒的なまでの一体感です。 そうだ、人生の真の意義とはこの何十秒かだけ続く光の中に存在するのだ、ここで自分はこ のまま死んでしまうべきなのだと私は思いました。 しかしその光はやはりあっけなく消え去ってしまいました。気がついたときには私ひとり が、その惨めな井戸の底に前と同じように残されていました。暗闇と冷気が、まるでそんな ぎ光なんか最初からそもそも存在しなかったのだといわんばかりに、私をしつかりと捕らえて いました。それから長いあいだ私はそこにじっとしやがみこんでいました。私の顔は涙でぐ たた 棒っしよりと濡れておりました。まるで巨大な力に叩きのめされたあとのように、私には何を 部考えることも何をすることもできませんでした。私は自分の体の存在を感じることさえでき ざんがい 第ませんでした。自分がひからびた残骸か、脱け殻のように思えました。それから空つぼの部 屋のようになった私の頭の中にもう一度、本田伍長の予言が戻ってきました。私が中国大陸 で死ぬことはないというあの予言です。あの光が来て、去っていった今、私には彼の予言を はっきりと信じることができるようになっていました。何故なら私は死ぬべきであった場所 で、死ぬべきであった時間に死ぬことができなかったからです。私はここで死なないのでは おんちょう なくて、ここで死ねなかったのです。おわかりになりますか。そのようにして私の恩寵は失 われてしまったのです」 303
いものでしたし、私の負った怪我のことを思うと、それはほとんど不可能に近い話でした。 私は体をひきずるようにして地面から起き上がり、ようやく壁にもたれかかりました。体 うず を動かすと、肩と脚がまるで何本もの太い針を打ち込まれたみたいに疼きました。しばらく のあいだは息をするたびに体が割れてばらばらになってしまいそうに感じられたくらいです。 肩に手をやると、その部分が熱くなって腫れあがっていることがわかりました。 それからどれくらい時間が経ったのか、私にはわかりません。しかしある時点で、思いも ル クかけぬことが起こりました。太陽の光がまるで何かの啓示のように、さっと井戸の中に射し 込んだのです。その一瞬、私は私のまわりにあるすべてのものを見ることができました。井 こうずい 戸は鮮やかな光で溢れました。それは光の洪水のようでした。私はそのむせかえるような明 じるさに、息もできないほどでした。暗闇と冷やかさはあっというまにどこかに追い払われ、 ね 温かい陽光が私の裸の体を優しく包んでくれました。私の痛みさえもが、その太陽の光に祝 福されたように思えました。私の隣には何かの小動物の骨がありました。太陽の光はその白 い骨をも温かく照らしだしていました。光の中ではその不吉な骨さえもが、私の温かな仲間 のように思えたものです。私は私を取り囲んでいる石の壁を見ることができました。その光 ぼうぜん の中にいるあいだ、私は恐怖や痛みや絶望さえをも忘れてしまいました。私は呆然として、 まばゅ その眩さの中に座り込んでいました。しかしそれも長くはつづきませんでした。やがて光は、 それはやってきたときと同じように、一瞬にしてさっと消えてしまいました。深い暗闇がふ 300
横になって昼間の疲れを休めていました。 けんのん 『少尉殿』と浜野軍曹が私に言いました。『どうも剣呑な成り行きでありますな』 『そうだな』と私は答えました。 ・こちょう その頃には私と浜野軍曹と本田伍長とはお互いずいぶん気心が知れるようになっていまし た。私は軍歴のほとんどない新任の将校ですから、本来なら浜野のような歴戦の下士官から は煙たがられたり馬鹿にされたりするものなのですが、彼と私の場合にはそういうことはあ りませんでした。私は大学で専門教育を受けた将校でしたから、彼も私には一種の敬意のよ ル クうなものを抱いておりましたし、私も階級にこだわることなく、彼の実戦経験と現実的な判 断力に一目置くように心がけていました。それに加えて彼は山口の出身で、私は山口との県 境に近い広島の出身でしたので、自然と話も合い、親しみも生まれました。彼は私に中国で じの戦争の話をしてくれました。彼は小学校を出ただけの、根っからの兵隊でしたが、中国大 やっかい 陸でのいっ果てるともしれない厄介な戦争には彼なりに疑問を抱いておりましたし、その気 持ちを正直に打ち明けてくれました。自分は兵隊だから戦争をするのはかまわんのです、と 彼は言いました。国のために死ぬのもかまわんのです。それが私の商売ですから。しかし私 たちが今ここでやっている戦争は、どう考えてもまともな戦争じゃありませんよ、少尉殿。 それは戦線があって、敵に正面から決戦を挑むというようなきちんとした戦争じゃないので す。私たちは前進します。敵はほとんど戦わずに逃げます。そして敗走する中国兵は軍服を 脱いで民衆の中にもぐり込んでしまいます。そうなると誰が敵なのか、私たちにはそれさえ 260