いったい私はどうすればいいのだろうと。マルタはそれについてしばらく考えていました。 そしてこう言いました。『お前については何かがたしかに間違っているように私にも思える。 でもそれがどう間違っているのかは、私にもわからないよ。どうしたらいいのかもわからな い。私にはまだそのような判断を下す力がない。私に言えるのは、とにかく二十歳になるま では待ったほうがいいということだけだよ。二十歳になるまで我慢して、それからいろんな ことを決めたほうがいいと思うね』、姉はそう言いました。 そんなわけで、私はとにかく二十歳まで生きてみることにしたのです。でもどれだけ歳月 ぎが経っても、なにひとつ事態は好転しませんでした。それどころか、前にも増して痛みは激 しくなっていきました。私にわかったことはただひとつだけでした。それは『体が成長すれ 棒ばするほど、苦痛の量もそれに相応して大きくなっていくのだ』ということでした。しかし 部八年間、私はそれに耐えました。そのあいだ、私は人生の良い面だけを見ようと心がけて生 第活をいたしました。私はもう誰に対しても愚痴をこぼしませんでした。どんなに苦しい時で も、いつもにこにことしているように努めました。痛みが激しくて立っていられないような 時でも、何事もないように涼しい顔をしている訓練をしました。泣いても愚痴を言っても、 それで痛みが軽減するわけではないのです。そんなことをすれば自分が余計に情けなくなる だけです。しかしそのような努力のおかげで、私は多くの人に好かれるようになりました。 人々は私のことをおとなしくて感じの良い娘だと思いました。年上の人には信頼されました し、多くの同年代の友人を作ることもできました。もしそこに苦痛というものがなかったな 173
今ではクミコと綿谷ノボルが現実的に顔を合わせる機会はほとんどない。僕は妻の実家と けんか はまったく行き来がない。前にも言ったようにクミコの父親と喧嘩をして、決定的に訣別し てしまった。それはかなり激しい喧嘩だった。僕は生まれてこのかた数えるほどしか人と喧 嘩をしたことがないが、でもそのかわり、一度やりだすと真剣になるし、途中でやめること ができなくなってしまう。でも言いたいことを洗いざらい言ってしまったあとでは、父親に かっ 対して不思議に腹が立たなかった。長いあいだ担がされていた重荷からやっと解放されたよ 6 うな気がしただけだった。憎しみも怒りも残らなかった。あの人の人生もーーそれが僕の目 ぎから見てどれほど不快で愚かしい形態をとっていたにせよーーそれなりに大変なものだった のだろうとさえ思った。もう一切君の父親とも母親とも会わない、と僕はクミコに言った。 棒でももし君が両親に会いたいのなら、それは君の自由だし、僕には関係のないことだ。でも 部クミコは彼らに会いに行こうとはしなかった。「いいのよ、べつに。これまでだってとくに 第会いたくて会ってたというわけでもないんだから」とクミコは言った。 綿谷ノボルは当時既に両親と同居していたわけだが、そのときの僕と父親との喧嘩にはま ったく関与せずに、超然としてどこかに引っ込んでいた。それは別に不思議なことではなか った。何故なら綿谷ノボルは僕という人間に対して一切の関心を持っていなかったし、どう してもやむを得ない場合を別にすれば、僕と個人的な関わりを持っことを拒否していたから だ。だから妻の実家との行き来をやめてしまうと、僕が綿谷ノボルと顔を合わせる理由もな 盟くなった。そしてクミコにしたところでやはり彼とあえて顔を合わせる理由を持たなかった。 けっ・ヘっ
ら馬を見つけてきてそれに私を乗せて砂丘を越え、河を渡り、満軍の監視所にまで連れてい ったのです。そこで私は傷の治療を受け、司令部からのトラックに乗せられてハイラルの病 院に運ばれました」 「その書類なり書簡なりはいったいどうなったのですか ? 」 「おそらく ハルハ河近くの土の中にまだそのまま眠っていると思います。私と本田伍長には それを掘りだしにいくような余裕はありませんでしたし、それを無理に掘りださなくてはな らないような理由もみつけられなかったからです。おそらくそんなものは最初から存在しな ル クい方がいいのだという結論に私たちは達しました。軍の取り調べに際して、私たちはロ裏を あわせて、書類の話など何も聞いていないと言いました。そう言っておかないと、私たちが その書類を持ちかえらなかった責任を追及されるだろうという気がしたからです。私たちは ま 治療という名目で厳しい監視のもとにそれぞれの病室に隔離され、毎日のように取り調べを ね うけました。何人もの高級将校がやってきて、何度も同じ話をさせられました。彼らの質問 は綿密であり、狡猾でした。でも彼らは私たちの話を信じたようでした。私は自分の体験し たことを残らず詳細に話しました。書類の一件だけを注意深く避けておいたわけです。彼ら は私の言ったことを書類にすると、私に向かって、今回のことは機密事項であり、軍の正式 な記録にも残ることはない、従ってこれについての一切は口外無用であると言いました。も し口外したことがわかったら、厳しい処分を受けることになるだろうと、彼らは言いました。 そして二週間後に私はもとの部署に戻されました。たぶん本田さんも原隊に戻されたのだと こうかっ
ものだった。でも何はともあれ、それは僕が選んだものだった。もちろん僕は子供の頃にも 自分自身の家庭を持っていた。しかしそれは自分の手で選んだものではなかった。それは先 いやおう 天的に、いわば否応なく与えられたものだった。でも僕は今、自分の意思で選んだ後天的な かんべき 世界の中にいた。僕の家庭だ。それはもちろん完璧な家庭とは言いがたかった。しかしたと えどんな問題があるにせよ、僕は基本的にはその僕の家庭を進んで受け入れようとしていた。 それは結局のところ僕自身が選択したものだったし、もしそこに何かしらの問題が存在する なら、それは僕自身が本質的に内包している問題そのものであるはずだと考えていた。 ぎ「それで、猫のことはどうなったの ? 」と彼女は訊いた。 僕は簡単に品川のホテルで加納マルタと会った話をした。水玉のネクタイの話をした。水 棒玉のネクタイがどういうわけか洋服ダンスの中にみつからなかったこと。でも加納マルタが かっこう 部込み合ったコーヒールームの中で僕の姿をすぐにみつけられたこと。彼女がどういう恰好を 第していたか、どんな喋り方をしたか。そんなことを僕は話した。クミコは加納マルタの赤い ビニールの帽子の話を喜んだ。でも我々の行方不明の猫がどうなったのかという問いに対す る明確な答えがもらえなかったことは、彼女を少なからずがっかりさせたようだった。 「つまり、猫がどうなったかは、その人にもよくわからないのね ? 」と彼女はむずかしい顔 をして僕に訊いた。「ただひとつわかることは、猫がこの近所にはもういないということだ けなのね ? 」 「まあ、そういうことだな」と僕は言った。僕らの住んでいるのが〈流れの阻害された〉場 しやペ
「済んだ。君は何を食べた ? 」と僕は訊いた。 「何も」と彼女は言った。「朝からずっと忙しかったものだから、何かを食べる暇もなかっ たのよ。もう少ししたら、その辺でサンドイッチでも買ってきて食べるわ。あなたは昼ご飯 に何を食べたの ? 」 僕は自分の食べたものを説明した。「ふうん」と彼女は言った。それほどうらやましくは なさそうだった。 「朝あなたに言っておこうと思って言い忘れちゃったんだけれど、加納さんっていう人から ぎ今日あなたに電話がかかってくると思うの」と彼女は言った。 「もうかかってきた」と僕は言った。「ついさっきだよ。僕と君と、君の兄貴の名前を並べ 棒て、それだけで何も用件を言わずに電話を切っちゃったんだ。いったい何なんだ、あれ 部は ? 」 第「切った ? 」 「うん。あとでもう一度かけるって言ってたな」 「じゃあ、もう一度加納さんから電話がかかってきたら、言われたとおりにしてね。大事な 用件だから。たぶんその人に会いに行くことになるんじゃないかと思うけれど」 「会いに行くって、今日これから ? 」 「今日は何か予定か約束があるの ? 」 「ない」と僕は言った。昨日も今日も明日も、予定やら約束なんて何ひとっとしてない。
りました。死ぬることは何も怖くはない。これが自分の天命である。天命には従うのみであ る。しかし私にはやり残したことがある。実は自分の家の押人れにはこうこう、こういう品 が人っておる。それは自分がいろいろな人々に伝え残そうと常々考えていたものである。し あなた かし私にはそれを果たすことができそうにない。ついては貴方の手を借りて別紙に書いてあ るとおりに形見分けをすることができればと思う。厚かましいお願いであることはじゅうじ まつご ゅう承知のうえである。しかしこれを私の末期の願いだと思って、なんとかお骨折りをいた いだくことはできないだろうか , ーーそう書いてありました。私は驚きましてーーというのは私 ぎは本田さんとはもう何年も、六、七年になりますか、音信が途絶えておったところに突然こ のような手紙を受け取ったからなのですがーーーすぐに本田さんあてに手紙をしたためました。 棒しかし入れ違いのようにして届いたのは、本田さんが亡くなられたというご子息からの通知 部でありました」 第彼は湯飲みを手に取り、茶を一口飲んだ。 「あの人は、自分がいっ死ぬかを承知しておられた。きっと私なんぞには及びもっかん境地 に達しておられたのでしよう。あなたが葉書に書いてこられたように、あの人にはたしかに 人の心を揺るがせるものがあった。私は昭和一三年の春にあの人に初めて出会ったときから それを感じておりました」 「間宮さんはノモンハンの戦争で本田さんと同じ部隊にいらっしやったのですか ? 」 くちびるか 「いや」、間宮中尉はそう言ってから軽く唇を噛んだ。「そうではありません。私と彼とは別 245
もらえるとも思えなかった。そしてそのうちに、もうどうでもよくなってしまった。なるよ うになるだろう、と僕は思った。二時に彼女の部屋を出て、家に帰ったのは三時だった。タ クシーをみつけるのに手間がかかったのだ。 クミコはもちろん腹を立てていた。彼女は眠らずに台所のテープルに座って僕を待ってい た。同僚と飲んで、それからマージャンをやっていたんだと僕は説明した。どうして電話の 一本も人れられないのよ、と彼女は言った。電話のことなんて思いっきもしなかったんだ、 と僕は言った。でももちろん彼女は納得しなかったし、嘘はすぐにばれてしまった。マージ クャンをやったことなんてもう何年もなかったし、だいたいにおいて、僕はうまく嘘をつくよ うにはできていないのだ。だから本当のことを言った。最初から最後までーーもちろん勃起 した部分だけはぬかしてーー本当のことを話した。でも彼女とは本当に何もなかったんだ、 じと僕は言った。 ね クミコはそれから三日間僕とはロをきかなかった。まったくひとことも口をきかなかった。 別の部屋で寝て、一人で食事をした。それは僕らの結婚生活が直面した最大の危機といって もよかった。彼女は僕に対して真剣に腹を立てていた。そして腹を立てる気持ちは僕にもよ く理解できた。 「もしあなたが反対の立場に置かれたとしたら、あなたはどう思う ? 」、三日間の沈黙のあ とでクミコは僕に向かってそう言った。それが彼女の最初の言葉だった。「もし私が電話の 一本も人れずに日曜日の朝の三時に家に帰ってきて、今まで男の人と一緒にべッドに入って
ら、それは文句のつけようのない人生であり青春であったかもしれません。でもそこにはい つも苦痛がありました。苦痛は私の影のようなものでした。私がそのことをちょっとでも忘 れかけると、すぐに苦痛がやってきて、私のからだのどこかを痛打しました。 大学に人ると恋人もできて、大学一年生の夏に私は処女を失いました。でもそれはーー当 然予測できたことなのですがーー苦痛以外の何物でもありませんでした。経験のある女友達 は『しばらく我慢すれば馴れるし、馴れたら痛くなくなるから大丈夫よ』と言ってくれまし た。でも実際には、どれだけたっても苦痛は去りませんでした。その恋人と寝るたびに、私 ル クはあまりの痛みに涙を流しました。そして私はもうセックスをすることにうんざりしてしま あなた いました。ある日私は恋人にこう言いました。『貴方のことは好きだけれど、こんな痛いこ とはもう二度とやりたくないのよ』と。彼はびつくりして、そんな無茶苦茶な話があるもの じかと言いました。『君にはきっと何か精神的に問題があるんだよ』と彼は言いました。『もっ ね とリラックスすればいいんだよ。そうすれば痛みもなくなるし、気持ちだってよくなる。み んなやっていることじゃないか。君にやれないわけがないだろう。君には努力が足りないん だよ。結局自分に甘えているのさ。君はいろんな問題を全部痛みに押しつけているんだ。愚 痴ばかり言っていても仕方ないだろう』 それを聞いてこれまで我慢していたものが、私の中で文字通り爆発してしまいました。 『冗談じゃないわ』と私は言いました。『あなたに苦痛の何がわかるっていうのよ。私の感じ ている痛みは普通の痛みなんかじゃないのよ。痛みのことなら、私はもうありとあらゆる種 174
ったりと座りなおし、脚を組んだような雰囲気が感じられた。 「それはどうかな」と僕は言った。「なにしろ十分だからね」 「十分というのはあなたが考えているよりも長いかもしれないわよ」 「君は本当に僕のことを知っているの ? 」と僕は訊いてみた。 「もちろんよ。何度も会ったわ」 「いつ、どこで ? 」 「いっか、どこかでよ」と女は言った。「そんなことここでいちいちあなたに説明していた ぎらとても十分じや足りないわ。大事なのは今よ。そうでしょ ? 」 「でも何か証拠を見せてくれないかな。君が僕のことを知ってるって証拠を」 棒「たとえば ? 」 部「僕の年は ? 」 第「三十」と女は即座に答えた。「三十と二カ月。それでいいかしら ? 」 僕は黙りこんだ。たしかにこの女は僕を知っている。しかしどれだけ考えてみても、女の 声に聞き覚えがなかった。「じゃあ今度はあなたが私のことを想像してみて」、女は誘いかけ るように言った。「声から想像するのよ。私がどんな女かってね。いくつくらいで、どこで かっこ - っ どんな恰好をしているか、そんなこと」 「わからない」と僕は言った。 「試してごらんなさいよ」
し上げまして、私の予想もっかぬことでありました。そしてまた私にそのようなものを頂く 資格があるものかどうかもわかりません。しかしそれが故人の望まれたことであれば、もち ろん謹んで拝受したいと思います。ご都合のよろしい折りに、ご連絡いただければ幸いです。 僕はその葉書を近所のポストに人れた。 死んでこそ、浮かぶ瀬もあれ、ノモンハンーーと僕はひとりごとを言った。 クミコが帰ってきたのはもう夜の十時に近かった。彼女は , ハ時前に電話をかけてきて、今 ク日も早く帰れそうにないので、先に食事をすませてしまってくれ、自分は何か外で適当に食 べるから、と言った。いいよ、と僕は言った。そして一人で簡単なタ食を作って食べた。そ のあとはまた本を読んだ。クミコは帰ってきてビールを少しだけ飲みたいと言ったので、僕 ちゅうびん じらはビールの中瓶を半分ずつ飲んだ。彼女は疲れているように見えた。彼女は台所のテープ ほおづえ ルに向かって頬杖をついて、僕が話しかけてもあまり多くを語らなかった。何か別のことを 考えているようだった。僕は本田さんの亡くなったことを彼女に話した。へえ、本田さんが 亡くなったの、と彼女はため息をついて言った。でもまあ歳だったものね、耳だってよく聞 こえなかったし、と彼女は言った。しかし彼が僕に形見を残したと言ったとき、彼女はまる で空から何かが突然落ちてきたみたいに驚いた。 「あなたに形見を残したの、あの人が ? 」 「そう。どうして僕に形見なんか残したのか、見当もっかないんだけどね」 222