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検索対象: のぞいてごらんマッケンジーソープの世界
5件見つかりました。

1. のぞいてごらんマッケンジーソープの世界

マッケンジー・ソープより 日本のみなさまへ 私は、アートの世界で生き、そして自分の夢を叶えられる とは思ってもいませんでした。 しかし予想に反し、そのアートを通してたくさんの経験を しています。生活は変わり、アーティストとしての能力を 伸ばすことができ、なおかっ視野を広げることができまし 0 私の作品たちは世界中にあるたくさんの素晴らしいギャラ リーで展示されています。そして、私自身も私の好奇心を 満たすべく多くのエキサイティングな場所に行くことがで きました。何よりも、絵を描くことでたくさんの素晴らし い人々に出会えたことがうれしく、これらすべての経験が 私の生活と制作活動の基盤となっています。 私はこうして、日本のみなさんに紹介していただけること をとても誇りに思っています。そして、あなたがたの素晴 らしい国に招かれるということは大きな名誉です。私は最 初に、日本の国の美しさを愛で、文化を味わい、さらに触 れて感じていきたいと思っています。 そして何よりもみなさんにお会いできるのをとても楽しみ にしています。 日本に降り立ち その土地に触れ 日本に吹く風を感じたい そして夢であった今のこの現実の中で 私は誇りを持ってここにいます L OV E M AC K E N 刀 E 2

2. のぞいてごらんマッケンジーソープの世界

モチーフに隠された 意味 ひまわり ひまわりはヴァン・ゴッホへの賛辞です。ゴッホの人生と 画業を描いた映画、「炎の人ゴッホ」を初めて見たとき、 彼と同じようにどんな困難にもめげずに描きたいと強く 感じました。自分が、造船所で働くために生まれたので はなく、人生の真実を描くために生まれたのだと気づき ました。 羊飼い 私は自分の服は自分で洗うタイプの男です。アイロンを かけて、料理をし、掃除をし、それから仕事に出かけるの です。この事は私にとっては少しも問題ではありません。 私は清潔な衣服や食事が必要だからしているだけで、 難しい仕事ではないのです。責任は分担したいと思って いますし、正しく公平な人間でありたいと思っています。又、 「人間はこうあるべき」或いは「こうあるべきでない」と他 人が決めることに左右されずに生きたいと思っています。 私にとって、羊飼い ( 導く者 ) とは、単なる人間でなく総 合的な人格です。羊飼いは荒野を歩きとおし、山の頂 上に立ちます。彼は、自分の群れの世話をするために 自らは食事も摂らず雨やどりをする場所もないままで済 ませます。私は子供を見守り、家族の世話をし、彼らを保 護し、愛し、導き育てる人間になりたいのです。私は家 族の安全と幸福を守る為にはどんなことでもするつもり です。 2 2 喜びを歓迎し分かち合うのではなく、恐 私達はみな平等だとし、うのがこの発想 れの中に閉じこもってしまいます。私に の根底にあります。私達は成長するに とって、大きな頭とは子供達を象徴して したがって、自分や子供達の行動を制 限してしまいます。本来、人間は何を恐 います。まっさらで、汚れの無い、無限の れることなく、何を拒絶することなく生ま 可能性でいつばいの心であり、目の前 れたのです。私達は新しい冒険、新し に何が立ちはだかろうと恐れる事はない い食物、新しい経験で恐れを知ったが のです。私達は、大人になるにつれて、 ために、自ら世の中を小さくしているの 狭く閉じた心を持つようになってしまい です。恐れとは、全て自らが作り出すも ます。できるだけ広い心を持ちませんか ? 大きな笑顔の ので、現実に存在するものではありま 自然の美に驚嘆し、花の香りを楽しみ、 大きな顔の子供達 生きている事を神に感謝しましよう。 せん。しかし、私達は、新しいことへの 00 57

3. のぞいてごらんマッケンジーソープの世界

私の自叙伝 私は、七人兄弟の長男で、イギリ スのミドルスプローの公営住宅に 生まれました。父は普通の労働者 で何の技術も資格もない人でした。 贅沢とは縁がなく、 1 週間に 3 ペ ーのおこづかいがあれば良い方 でした。でも、当時は自分が貧乏 だなんて思わず、子どもがよく考 えるように、自分の住んでいる街 が一番大きいのだと思っていまし 大きく変わりました。それ以来、モダンアートの虜にな ったのです。中でもロスコは私のヒーローになりました。 自分にとって絵画に打こむことがどんなに大切かを悟っ たのです。 アートハウスのお店を立ち上げた時は困難がいつばいで した。お金の問題もあったし、地元の人は私の作品をあ まり良くは思っていませんでした。最初の「四角い羊」 を描いたのはそんな頃です。なぜだか分かりませんが、 ある時ふと頭に浮かんだのです。 でもなぜ「四角い」のかすぐに分かりました。性差別、 人種差別、同性愛恐怖症、国教信奉・・・そういうこと を表現したかったのだと。でもまもなく、羊たちは別の 意味を持つようになりました。私の家族、妻と子供たち です。 0 小さいときはいつもお絵描きをし ていました。絵を描いていれば自 分の世界にはいっていけたのです。 タバコの箱を見つけては開いて平 たくのばしてそこに絵を描いてい ました。とにかくいつもいつも絵 を描いて過ごしていたのです。 将来は画家になるだろうと自分で 思っていました。ヴァン・ゴッホ を取り上げた映画「 LustforLife 」を見たのは 1 1 歳の時 だったと思います。みんなが彼を大声でばかにしている シーンでは、自分とヴァン・ゴッホが重なって見えまし た。何も言い返せなかった私には、そんな事がよくあり ました。誰も私のことを理解してくれなかったし、どう して理解してくれないのかさえ分かりませんでした。 1 5 歳で学校を中退しました。ディスレクシア ( 難読症 ) のせいで資格は何も取れませんでした。その後さまざま な仕事をし、時には失業手当ももらったりしていました が、この頃は自分にとって最悪で不幸な時期でした。そ んな折、友人が美術学校へ行ったらどうかと言ってくれ たのです。 私の入学願書はひどいもので、スペルは間違いだらけ、 小論文が書けないのは誰が見ても明らかでした。しかし、 絵だけは文字通り何千も持っていました。その頃、古い 黒板に画板をのせリュックのベルトを付けたものを背負 って歩いており、朝 6 時には家を出て、公園などで絵を 描いていました。これらの膨大な数の絵を持ち歩いてい たので、大学には問題なく入ることが出来たのです。 始めは自信なんて微塵もなく、何でも他人の言うことを 鵜呑みにしていました。「空手」という文字の入った鞄 に画材を入れて持ち歩いて、あたかも軍の所属画家のよ うに見せかけて、誰も自分に手が出せないようにしてい ました。 始めてテートギャラリーで絵を見た時に、私の考え方が 60 家族は今の私にとって一番大きなものです。絵を描いて、 それがとても明るくてとても気に入った時、思わず「オ ーウェン」「クロエ」 ( 子供 ) とか「「スーザン」 ( 妻 ) な どと呼びかけてしまいます。 私は今、大きな窓のあるアトリエで制作しています。通 りがかる人は誰でものぞけるし、実際に私が描いている ところを見られます。神からの賜物なんていう仰々しい ものじゃなく、私は普通の男で他の人と同じように仕事 をしているだけです。 過去においては、真っ暗なトンネルの時もありました。 でも、暗いトンネルは何かを生み出す力もあります。出 口に向かって全力を尽くすことが大切なのです。私はい つも絵の中で闘っています。でも同時にたくさんの楽し さがあります。厭なことがたくさんありましたが、今私 ここに生きています。希望は必すある、努力すれば必 ず幸せになれると信じています。 「花を見かけたら見て描くこと、摘んではだめ、傷つけ ないで。」これが私の伝えたい純真な心です。

4. のぞいてごらんマッケンジーソープの世界

どの雲も「もがき」であり、どの波雲も「困難」ではありま すが、同時にどんな時にも雲の間からは光がこばれます。 人生で、差し込む光に感謝するようになるには、雲も光 も経験する事が必要なのです。 色彩 例えば、子供が鉛筆で上手に絵が 描けたとします。でも、そこで、その 子が空を緑に塗り、木を紫に塗ると、 先生に「違うわよ。絵がだいなしに なっちゃったわね。」などと言われま す。そこで、子供は色を恐れるよう になっていきます。私は、最初から 色で形を描いてしまいます。すると、 自分の深層心理まで入り込んで探 ることができます。ちょうど 3 歳の幼稚園児がするのと同じように ポン、ポン、ポンと描いてハイ、終わり。「それは何 ? 」と聞くと、「うん、 私の家。あれがおとうさん、仕事から帰ってきたの。あれは、庭のわ んちゃんブランコ。」子供達の世界はそこにあるのです、色の中に 悲しいことに、年をとると、もうそのように描けなくなってしまいます。 私は、色を使って描くことによって、「間違い」という言葉が存在し ない、気持ちや感情で絵を描いていたあの頃へ戻るのです。 四角い動物 0 四角い羊を描きはじめた当時は、社会の新 しいことや変わったことに対する偏見、狭 い心を象徴していました。しかし、生死を さまようような自動車事故に遭った後、羊 は別の意味を持つようになりました。私の 妻や子供たちです。今、私に最も大きな影 響を与えているのは家族であり、私は全身 全霊でもって家族を愛しています。ですか 今は、大きな四角い動物は、自分たち の特権、愛や親近感を表しています。世界 の果てにまで広がるくらいの、私達のお互 いを思う気持ちが、四角い動物となって、 キャンバスいつばいに広がっているのです。 、ノ 59

5. のぞいてごらんマッケンジーソープの世界

ダッフルコートの 子供たち 時として子供を描くとき、顔を描かないことがあり ます。頑丈でシンカレな布地のコートと丈夫な靴。 時には影も描かない位、何も持っていない子供 を表現することもあります。花も木もないところ にひとりぼっちの子供。そこに、少し色を加える 事で、作品の中に希望を表現してし、ます。だって、 もしあなたが、この子供をよんで、お風呂に入れ、 夕食をあげて、一緒に過ごしたとしたら、すぐにそ の子供はその子らしくなるでしよう。につこりと笑っ て、ゲームをしながらいろいろ話すようになるでしょ う。やがて警戒心も消え、あなたを信じるように なり、その子がもつ愛と思いやりに気づくでしよう。 0 0 1 0 男達 私の作品にはもう仕事のない労働者 が登場します。私の町では、もう造船業 は成り立たなくなり、鉄鋼業も撤退して しまい、彼らは現在失業しています。 の貴重な歴史を私はキャンバスに描い ています。私は彼らが働いていた時代 の情熱を捉えたいのです。溶ける金属、 ハンマーの音。男達にはプライドがあり ました。生活は苦しくても、一生懸動き、 評価され、目的意識を持っていました。 それなのに、もう 20 年以上も仕事がなく、 自分の強さや腕を試す機会もなく頭を 垂れている。男に腕を描かないこともあ りますが、これは必要がないからなのです。 悲劇的で残酷な話です。彼らは働きた がっているのに、仕事がないのです。 00 大きい足 大きい足とは、人生がどんなに思い通りにいかなくても、自分が何 者なのかをけっして忘れないという事を象徴しています。自分を見 失うことは危険です。工ゴに支配され舞い上がってゆきます。もし、 私が自分の事ばかりの人間だったら、スーザンが私を好きになって 結婚する事はなかったでしようし、子供達の父となることもなかった でしよう。私の足はしつかりと自らが望む地面に根付いています。 自分をわきまえる事は大切な事です。 / し 58