マッケンジー・ソープより 日本のみなさまへ 私は、アートの世界で生き、そして自分の夢を叶えられる とは思ってもいませんでした。 しかし予想に反し、そのアートを通してたくさんの経験を しています。生活は変わり、アーティストとしての能力を 伸ばすことができ、なおかっ視野を広げることができまし 0 私の作品たちは世界中にあるたくさんの素晴らしいギャラ リーで展示されています。そして、私自身も私の好奇心を 満たすべく多くのエキサイティングな場所に行くことがで きました。何よりも、絵を描くことでたくさんの素晴らし い人々に出会えたことがうれしく、これらすべての経験が 私の生活と制作活動の基盤となっています。 私はこうして、日本のみなさんに紹介していただけること をとても誇りに思っています。そして、あなたがたの素晴 らしい国に招かれるということは大きな名誉です。私は最 初に、日本の国の美しさを愛で、文化を味わい、さらに触 れて感じていきたいと思っています。 そして何よりもみなさんにお会いできるのをとても楽しみ にしています。 日本に降り立ち その土地に触れ 日本に吹く風を感じたい そして夢であった今のこの現実の中で 私は誇りを持ってここにいます L OV E M AC K E N 刀 E 2
モチーフに隠された 意味 ひまわり ひまわりはヴァン・ゴッホへの賛辞です。ゴッホの人生と 画業を描いた映画、「炎の人ゴッホ」を初めて見たとき、 彼と同じようにどんな困難にもめげずに描きたいと強く 感じました。自分が、造船所で働くために生まれたので はなく、人生の真実を描くために生まれたのだと気づき ました。 羊飼い 私は自分の服は自分で洗うタイプの男です。アイロンを かけて、料理をし、掃除をし、それから仕事に出かけるの です。この事は私にとっては少しも問題ではありません。 私は清潔な衣服や食事が必要だからしているだけで、 難しい仕事ではないのです。責任は分担したいと思って いますし、正しく公平な人間でありたいと思っています。又、 「人間はこうあるべき」或いは「こうあるべきでない」と他 人が決めることに左右されずに生きたいと思っています。 私にとって、羊飼い ( 導く者 ) とは、単なる人間でなく総 合的な人格です。羊飼いは荒野を歩きとおし、山の頂 上に立ちます。彼は、自分の群れの世話をするために 自らは食事も摂らず雨やどりをする場所もないままで済 ませます。私は子供を見守り、家族の世話をし、彼らを保 護し、愛し、導き育てる人間になりたいのです。私は家 族の安全と幸福を守る為にはどんなことでもするつもり です。 2 2 喜びを歓迎し分かち合うのではなく、恐 私達はみな平等だとし、うのがこの発想 れの中に閉じこもってしまいます。私に の根底にあります。私達は成長するに とって、大きな頭とは子供達を象徴して したがって、自分や子供達の行動を制 限してしまいます。本来、人間は何を恐 います。まっさらで、汚れの無い、無限の れることなく、何を拒絶することなく生ま 可能性でいつばいの心であり、目の前 れたのです。私達は新しい冒険、新し に何が立ちはだかろうと恐れる事はない い食物、新しい経験で恐れを知ったが のです。私達は、大人になるにつれて、 ために、自ら世の中を小さくしているの 狭く閉じた心を持つようになってしまい です。恐れとは、全て自らが作り出すも ます。できるだけ広い心を持ちませんか ? 大きな笑顔の ので、現実に存在するものではありま 自然の美に驚嘆し、花の香りを楽しみ、 大きな顔の子供達 生きている事を神に感謝しましよう。 せん。しかし、私達は、新しいことへの 00 57
私の自叙伝 私は、七人兄弟の長男で、イギリ スのミドルスプローの公営住宅に 生まれました。父は普通の労働者 で何の技術も資格もない人でした。 贅沢とは縁がなく、 1 週間に 3 ペ ーのおこづかいがあれば良い方 でした。でも、当時は自分が貧乏 だなんて思わず、子どもがよく考 えるように、自分の住んでいる街 が一番大きいのだと思っていまし 大きく変わりました。それ以来、モダンアートの虜にな ったのです。中でもロスコは私のヒーローになりました。 自分にとって絵画に打こむことがどんなに大切かを悟っ たのです。 アートハウスのお店を立ち上げた時は困難がいつばいで した。お金の問題もあったし、地元の人は私の作品をあ まり良くは思っていませんでした。最初の「四角い羊」 を描いたのはそんな頃です。なぜだか分かりませんが、 ある時ふと頭に浮かんだのです。 でもなぜ「四角い」のかすぐに分かりました。性差別、 人種差別、同性愛恐怖症、国教信奉・・・そういうこと を表現したかったのだと。でもまもなく、羊たちは別の 意味を持つようになりました。私の家族、妻と子供たち です。 0 小さいときはいつもお絵描きをし ていました。絵を描いていれば自 分の世界にはいっていけたのです。 タバコの箱を見つけては開いて平 たくのばしてそこに絵を描いてい ました。とにかくいつもいつも絵 を描いて過ごしていたのです。 将来は画家になるだろうと自分で 思っていました。ヴァン・ゴッホ を取り上げた映画「 LustforLife 」を見たのは 1 1 歳の時 だったと思います。みんなが彼を大声でばかにしている シーンでは、自分とヴァン・ゴッホが重なって見えまし た。何も言い返せなかった私には、そんな事がよくあり ました。誰も私のことを理解してくれなかったし、どう して理解してくれないのかさえ分かりませんでした。 1 5 歳で学校を中退しました。ディスレクシア ( 難読症 ) のせいで資格は何も取れませんでした。その後さまざま な仕事をし、時には失業手当ももらったりしていました が、この頃は自分にとって最悪で不幸な時期でした。そ んな折、友人が美術学校へ行ったらどうかと言ってくれ たのです。 私の入学願書はひどいもので、スペルは間違いだらけ、 小論文が書けないのは誰が見ても明らかでした。しかし、 絵だけは文字通り何千も持っていました。その頃、古い 黒板に画板をのせリュックのベルトを付けたものを背負 って歩いており、朝 6 時には家を出て、公園などで絵を 描いていました。これらの膨大な数の絵を持ち歩いてい たので、大学には問題なく入ることが出来たのです。 始めは自信なんて微塵もなく、何でも他人の言うことを 鵜呑みにしていました。「空手」という文字の入った鞄 に画材を入れて持ち歩いて、あたかも軍の所属画家のよ うに見せかけて、誰も自分に手が出せないようにしてい ました。 始めてテートギャラリーで絵を見た時に、私の考え方が 60 家族は今の私にとって一番大きなものです。絵を描いて、 それがとても明るくてとても気に入った時、思わず「オ ーウェン」「クロエ」 ( 子供 ) とか「「スーザン」 ( 妻 ) な どと呼びかけてしまいます。 私は今、大きな窓のあるアトリエで制作しています。通 りがかる人は誰でものぞけるし、実際に私が描いている ところを見られます。神からの賜物なんていう仰々しい ものじゃなく、私は普通の男で他の人と同じように仕事 をしているだけです。 過去においては、真っ暗なトンネルの時もありました。 でも、暗いトンネルは何かを生み出す力もあります。出 口に向かって全力を尽くすことが大切なのです。私はい つも絵の中で闘っています。でも同時にたくさんの楽し さがあります。厭なことがたくさんありましたが、今私 ここに生きています。希望は必すある、努力すれば必 ず幸せになれると信じています。 「花を見かけたら見て描くこと、摘んではだめ、傷つけ ないで。」これが私の伝えたい純真な心です。
どの雲も「もがき」であり、どの波雲も「困難」ではありま すが、同時にどんな時にも雲の間からは光がこばれます。 人生で、差し込む光に感謝するようになるには、雲も光 も経験する事が必要なのです。 色彩 例えば、子供が鉛筆で上手に絵が 描けたとします。でも、そこで、その 子が空を緑に塗り、木を紫に塗ると、 先生に「違うわよ。絵がだいなしに なっちゃったわね。」などと言われま す。そこで、子供は色を恐れるよう になっていきます。私は、最初から 色で形を描いてしまいます。すると、 自分の深層心理まで入り込んで探 ることができます。ちょうど 3 歳の幼稚園児がするのと同じように ポン、ポン、ポンと描いてハイ、終わり。「それは何 ? 」と聞くと、「うん、 私の家。あれがおとうさん、仕事から帰ってきたの。あれは、庭のわ んちゃんブランコ。」子供達の世界はそこにあるのです、色の中に 悲しいことに、年をとると、もうそのように描けなくなってしまいます。 私は、色を使って描くことによって、「間違い」という言葉が存在し ない、気持ちや感情で絵を描いていたあの頃へ戻るのです。 四角い動物 0 四角い羊を描きはじめた当時は、社会の新 しいことや変わったことに対する偏見、狭 い心を象徴していました。しかし、生死を さまようような自動車事故に遭った後、羊 は別の意味を持つようになりました。私の 妻や子供たちです。今、私に最も大きな影 響を与えているのは家族であり、私は全身 全霊でもって家族を愛しています。ですか 今は、大きな四角い動物は、自分たち の特権、愛や親近感を表しています。世界 の果てにまで広がるくらいの、私達のお互 いを思う気持ちが、四角い動物となって、 キャンバスいつばいに広がっているのです。 、ノ 59
ダッフルコートの 子供たち 時として子供を描くとき、顔を描かないことがあり ます。頑丈でシンカレな布地のコートと丈夫な靴。 時には影も描かない位、何も持っていない子供 を表現することもあります。花も木もないところ にひとりぼっちの子供。そこに、少し色を加える 事で、作品の中に希望を表現してし、ます。だって、 もしあなたが、この子供をよんで、お風呂に入れ、 夕食をあげて、一緒に過ごしたとしたら、すぐにそ の子供はその子らしくなるでしよう。につこりと笑っ て、ゲームをしながらいろいろ話すようになるでしょ う。やがて警戒心も消え、あなたを信じるように なり、その子がもつ愛と思いやりに気づくでしよう。 0 0 1 0 男達 私の作品にはもう仕事のない労働者 が登場します。私の町では、もう造船業 は成り立たなくなり、鉄鋼業も撤退して しまい、彼らは現在失業しています。 の貴重な歴史を私はキャンバスに描い ています。私は彼らが働いていた時代 の情熱を捉えたいのです。溶ける金属、 ハンマーの音。男達にはプライドがあり ました。生活は苦しくても、一生懸動き、 評価され、目的意識を持っていました。 それなのに、もう 20 年以上も仕事がなく、 自分の強さや腕を試す機会もなく頭を 垂れている。男に腕を描かないこともあ りますが、これは必要がないからなのです。 悲劇的で残酷な話です。彼らは働きた がっているのに、仕事がないのです。 00 大きい足 大きい足とは、人生がどんなに思い通りにいかなくても、自分が何 者なのかをけっして忘れないという事を象徴しています。自分を見 失うことは危険です。工ゴに支配され舞い上がってゆきます。もし、 私が自分の事ばかりの人間だったら、スーザンが私を好きになって 結婚する事はなかったでしようし、子供達の父となることもなかった でしよう。私の足はしつかりと自らが望む地面に根付いています。 自分をわきまえる事は大切な事です。 / し 58