ュースを聞いた。それは僕らには良い幸先とは思えなかった。たとえずっと遠方の戦いと はいえ、戦争をしている国に行ってそこで生活するというのはあまり気持の良いものでは ない。でもすべての手続きは既に終えられてしまっているし、僕らにはそのまま渡米する 以外に選びようはなかった。結果的には戦争による直接的な影響を受けるようなことはな かったわけだが、正直に言って、その当時のアメリカの愛国的かっマッチョな雰囲気はあ まり心楽しいものではなかった。プリンストン大学のキャンパスで学生がガルフ・ウォー 何たらかんたらというプラカードを持ってデモをやっていて、「おお、懐かしい反戦集会」 と思ってよく見たら、これはなんとプロ・ウォー ( 戦争支持 ) のデモだった。まあ他人の 国のことだからとやかくいう筋合いもないのだけれど、ムュ日の感を新たにした。その後で ラトガーズという州立大学 ( ここはもっと庶民的な大学である ) の学生と話していたら、 め 「そんなのプリンストンだからですよ、ムラカミさん。僕らのところはちゃんと反戦集会 一やりましたよ」ということだ「た。プリンストンではその後も、反戦プラカードを持った ン学生をプロ・ウォーの学生グループが襲って、プラカードをもぎ取って折ってしまうとい スう暴力的な事件も起こった。 しかしなんとかその戦争も終結し、これでやっと一息つけるかと思ったら、今度はパー プ 、周年記念にむけてアメリカ全土でアンチ・ジャパンの気運が次第に高まって きた。湾岸戦争によってもたらされた愛国的高揚感のようなものがそのまま流れ込んでき
スコット・フィッツジェラルドが生まれたのは一八九六年で、これは日本風に一一一一口うと明治 一一十九年にあたる。娘のスコッティーの生まれたのは一九二一年、スコットが一一十五歳の年 で、日本で言えば大正十年である。ということは、おおまかに言ってスコットは僕の祖父の 世代にあたり、スコッティーは僕の親の世代にあたるということになる。僕の両親も生まれ たのは大正の後半である。となると、常識的に見てこのシンシアはだいたい僕と同じくらい の年齢ではあるまいかと推察される。そういう風に考えていくと、「なるほど、そんなもの だったのか」といういささかの感慨に僕は打たれることになった。 それまで僕はそういった世代的観点からスコット・フィッツジェラルドという人を捉えた ことが一度もなかったのだ。僕がスコットについて考えるとき、彼は僕にとってあくまで 「文学史に残るずっと昔の人」であった。僕と彼とのあいだに世代的な接点があるかもしれ ないというようなことは、とくに頭には浮かばなかった。スコットは真珠湾攻撃の前年の一 九四〇年に四十四歳の若さで死んでしまっていたし、ゼルダは僕の生まれる前年の一九四八 年に事故のために死んでいる。そして僕が彼の小説を読み始めたころには、彼はもう既に伝 説的な人物になってしまっていた。若死にをしたせいで、写真に写っている彼の風貌や衣服 は、どれもいかにも昔風のものだった。でもあらためて年代を計算してみると、僕が属する 世代と彼が属した世代とは、年代的には十分関わりを持っていたのだ。ちょうど僕と、僕の
れでいいと思って楽しく運転しているんだから、他人にあれこれ言われる理由は何もない。 そういう点では、「お金 ? ああ、そういえば世の中にはお金みたいなものもありますね」 というプリンストンのスノップな雰囲気は、・个ョにほっとする。そういうのは偽善的ではな いか、この世の中に金のことを考えていない人間なんているわけないだろう、と一一 = ロわれれば たしかにそうかもしれないとも思う。でもここではみんながあまりにもお金のことを口にし ないので、それが・个ョに自然なことのように感じられてくるのだ。そういう環境の中で生活 していると、物質的な営利の追求を横目に見ながら、「世の中が全部金だけで動いているわ けじゃない。我々にはそんなものよりはもっと大事なものがあるのだ」とつつばって生きて いくのが本来のインテリの使命ではないか、あり方ではないかとふと思ったりもする。 結局のところ、いい音でも悪い意味でも、日本においては知的階級性というのがほとん 亡 興ど解体してしまっている。戦後しばらくはそういうものもある程度はシステムとしての力を ム持っていたのだが、コミュニズムやら名曲喫茶やら純文学やらの消滅と呼応するかのよう 。いつの間にかすっと音もなく消えてしまった。知的階級性が消えてしまえば、階級的ス ノ スノビズムというようなものの存在意義もなくなってしまう。そこに残っているものと言え 学ば、階級的スノビズムの残存記憶を大衆に向けて「ベルリンの壁のかけら」的に商品として 切り売りしている巨大流通・情報資本だけである。 しかし社会の大衆化・平準化こそが歴史の流れであるという観点からアメリカの社会と日
は、それが我々の生活からしばりだされた一一 = ロ語であるからであり、そが我々にとっての 欠くことのできない自明的な一部になっているからであって、日本語という一一一口語の特質そ のものが優れているからではない。あらゆゑ = ロ語は基本的に等価であるというのは僕の終 始変わらない信念である。そしてあらゆゑ = ロ語は基本的に等価であるという認識がなけれ ば、文化の正当な交換もまた不可能である。 き僕は三亠亠戚のときにたまたま何かの成り行きで作家になったわけだが、それ以前には , く少数の例をべつにすれば日本の作家の小説というものをほとんど手に取ったことがなか あったし ( これにはいろいろと僕なりのやむにやまれぬ事情があるのだが、話しだすと長く め なるし、前にもどこかで書いたことがあるので、ここでは触れない ) 、そのせいで先行す のる世代の作家から具体的に表現方法や文体を学ぶという経験を持たなかった。モデルとし 語て敬愛する作家というものもとくに持たなかった。私小説がどういうものかというような 外初歩的な認識すら持たなかった。べつに日本の文学を嫌っていたとか、そういうことでは し ないただ単純に日本の小説を読んだことがなかったのだ。だから僕はそれまでに読んで 哀 て いた数多くの英語の小説や、あるいはその他の一一 = ロ語からの翻訳小説から、自分で小説を書 くための方法を学ばなくてはならなかった。つまり一種の代理母みたいなものから、ひと っフィルターを通して、日本語の小説を書くための文体や手法を学ばなくてはならなかっ たわけだ。それはちょっと不自然なことじゃないかと言われると、僕も返答に困るのだけ
の小説群に、なぜ僕が ( 申し訳ないけど「私小説」アレルギーのこの僕が ) このように心引 かれるかというのが、このセミナーにおける僕自身の個人的なテーマだった。ちょうどいし 機会だから、前から漠然とくすぶっていたこの疑問を系統的に突き詰めてみたかったのだ。 その結論についてここで書きはじめると長くなるので、また何か別のところで詳しく書い てみたいと思うけれど、でも一学期間学生たちと顔をつきあわせて毎週一度三時間 ( ! ) の ディスカッションをすることは、僕自身にとっても楽しくまた有音峩であった。学生たちに 向かって僕が感じたり考えたりしたことを具体的な一言葉でわかりやすく説明したり、黒板に 図解したり、細部の意味について論争したりしているうちに、それまで自分でもよくわから なかったことがふと見えてきたり、あるいは彼らの提出する意見や質問に「なるほど、そう いうものの見方、考え方もあるんだな」と触発されたりすることも少なからずあった。僕は ンどちらかといえば宀工九的な人間ではないし、学問としての文学というものに興味を持ったこ スとはほとんどないし、文学というのは結局は個人的な営みであり解析不能なものだと思って ン 生きている人間なので、こういう集団討議に果して意味があるのかなあといささか心配だっ ばたのだけれど、回を重ねるうちにクラスに出ることがだんだん楽しくなってきた。 ら 毎週一一つの短編、あるいは一つの長編を読み、江藤淳の『成熟と喪失』をサプ・テキスト さ にした。日本語で読んで日本語でディスカスするんだから、毎週短編ひとっくらいでいいん じゃないかと思って、最初はそういう段取りでやっていたのだけれど、大学院生から「こん
とか「アメリカの方がいい」とかいった二者択一的なものの見方はだんだん希薄になってく るように思う。もちろん僕がもっと若ければ、あるいはそういう風に考えていたかもしれな 。でも僕はもうそれほど若くないし、もう少し実際的な、あるいは製疑的な、ものの見方 をするように訓練されてしまっている。「アメリカに住んで生きていくのは大変ではないで すか ? 」と言われれば「でも里示に住んで生きていくのだってけっこう大変だったよ」と答 えるしかないのだ。そういう答えが答えとして期待されているのではないこともよくわかっ てはいるけれど。 後日附記 それから約ニ年を経た今では、日本叩きの傾向は表面的にはすいぶん弱まったよ うである。人々はどちらかというと、ドイツのネオナチ問題により深い関心を寄せ ている。ドイツ人は「アメリカ人は人の顔を見るとネオナチのことばかり質問す る。あんなものドイツ全体から見ればほんの一部のことなのに」と憤慨していたけ れど、まあこういうのも回り持ちのようなものなのかもしれない。日本も景気後退 に悩んでいるという報道も数多くなされているし、日本企業がアメリカの不動産を 買ったという話もすっかり聞かなくなった。日本製自動車の売れ行きも今のところ
ないかと思った。いつもはこの人はもっと読者を「信じさせる」物語を提供してくれるわけ だが、この本に関してはそれがもうひとつうまくできていない。その原因は床屋談議的レク チャ 1 が多すぎることと、人物設定がいささか図式的すぎることで、そのせいで物語として の総合的説得力を欠くことになった というのがこの本に対する僕の個人的意見だった。 そこに出てくる日本人のエリート・ビジネスマンが、なんだか紙に印刷してあるものをその まま切り取ったみたいな、人間性を欠いたステレオタイプに描かれているし、いくらなんで もこんな人間は現実にはいないだろうと僕は思った。そしてアメリカ人にこの本の感想を聞 かれたときには、だいたいそういう風に答えていた。しかしあとになって、そういういささ ハー・エリートたちを現実に目にすると、ひょっとしてこれは か問題のある日本社会のスー クライトン氏の書いていることの方がむしろ正しくて、僕の現実認識の方が間違っていたの かしらという気にさえなってきた。そう思うとなんだか暗澹たる気持ちにならざるを得な ) 0 でもまともな人はちゃんとまともですよね、僕はたまたま雪の朝に黒ウサギを見ているだ けですよね、僕はほんとうに心からそう信じたい。
208 して、いささか不思議ないろんな人々に会った。 彼女のシナリオは、僕も読ませてもらったけれど、ロバート・アルトマンの切り口とはか なり違ったものだった。ゴッドミロウの捉えたカーヴァー世界には、アルトマンがもちこん だような猥雑な世紀末的迷宮の感覚はなく、もっと直線的で、もっと小品的で、もっと BIeak な ( 荒れた ) 感じがあった。そして彼女のその Bleak さは、アルトマンの大胆なア ダブテーションに比べると、カーヴァーのオリジナルな世界により近いものだ。ミニマリズ ム的という表現がよりびったりとくる。もちろんオリジナルの世界に近ければそれでいいと いうものではないけれど、できることなら「もうひとつの選択肢」として、ゴッドミロウ版 のカーヴァー映画にも日の目を見せてあげたかった。まあこんなこと言っても仕方ないし、 アルトマンがこれだけ凄い映画を作ったんだから、それでよしとしなければいけないとは思 うのだけれど。 でも普通のアメリカ映画はどうしてこんなに面白くないのだろう ? たしかに映画料金は 安い。マチネーで見れば料金は三ドル七十五セントですむ。四百円ちょっとである。それに すいている。でもどの映画を見てももうひとっ面白くないのだ。映画というのは料金が安け ればそれでいいというものではない。い くら安くても一一時間を無駄に潰してしまったという 徒労感はどうにもならない。映画が終わって席を立ちながら、「アメリカ映画ってこんなに
僕は日本の大学人の生活についてあまり知識はないけれど、「大学人かくあるべし」という ような規範はアメリカに比べるともっと希薄であるような印象を受ける。『東京スポーツ』 の愛読者で、プロレスととんねるずと焼酎が好きで、演歌しか聴かないという教授がいたっ て、とくに問題にはならないだろう。それはまあちょっと変わっているとは思われるかもし れないけれど、それでまわりの人間が顔をしかめたりするようなことはないと思う。またそ のことが原因で出世ができなかったり、社会的地位がおびやかされたりするようなことはま ずないはずである。「あの人は大学の先生らしくなくて人間味がある」と言われてかえって 好かれたりするかもしれない。そういう意味では日本の大学はより大衆化しているし、日本 の大学の先生はよりサラリーマン化していると言えるかもしれない。 でもこの国では ( 少なくとも東部の有名大学ではということだが ) 、バドワイザーが好き で、レーガンのファンで、スティーヴン・キングは全部読んでいて、客が来るとケニー ジャースのレコードをかけるというような先生がいたらーーー実例がいないのであくまで想像 するしかないわけだが たぶんまわりの人間からあまり相手にされないのではないだろう か。相手にされないということは、つまり家に招いたり招かれたりという大学社会内交際か らはみ出すということで、そうなると現実的に大学で生き残っていくことは、宀工名としてよ ほど優れた実績をあげていないかぎり、かなりむずかしくなるだろう。そういう見地からす ると、アメリカという国は日本なんかよりもずっと階級的な身分的な社会なのだという気が
178 でもなんといってもポール・オースターに会えたのは楽しかった。僕は以前からオースタ ーという人はかなり優れた楽器演奏家ではないかと勝手に想像していたので、彼にそう質問 してみた。「あなたの文章は構造的にも、時間的にも、とても音楽的に感じられるし、優れ た演奏家のスタイルを僕に想起させるのだけれど」というと、彼は笑って首を振った。 「僕は残念ながら楽器は弾けない。ときどき家にあるピアノを叩いたりはするけれどね。で も貴方の言うことはまったく正しいと思うな。僕は小説を書くときには、いつも楽器を演奏 すること、音楽を作りだすことを考えながら書いているんだ。楽器をうまく演奏できたらい いなあとよく思うよ」ということであった。当たらずといえども遠からず、というところ 自分が流暢に話せないことを弁解するわけではないが、すらすら外国語が喋れてコミュニ ケートできるからといって個人と個人の気持ちがすんなりと通じ合うというものでもないと 僕は思う。すらすらとコミュニケ 1 トできればできるほど絶望感がより深まっていくという ことだってあるし、つつかえつつかえ話し合えばこそ気持ちが通じ合うということだってあ る。楽器の演奏にたとえるなら、超絶的なテクニックがあるからといって必ずしもより明確 に音楽を表現することができるわけではない、というのと同じだ。もちろんテクニックはな いよりはある方がいい。、こゝゝ オししち奔が読めなければ演奏もできない。でも極端なことを言 えば、ばしやばしやミスタッチがあっても、途中でつつかえて演奏を中断してしまっても、