85 アメリカで走ること、日本で走ること だって文章的にはもう少しカラフルではあるまいか。あるタレントがテレビで「早 朝ジョギングなんかしてるやつを見ると、足を引っ掛けて転ばせてやりたくなる。 お前らそんなにまでして長生きしたいのか」と言っていたと誰かに聞いたことがあ るけれど、その気持ちは僕にもわからないでもない。 でもこれだけは断言できるけれど、四十ニキロを走るのは決して退屈な行為では ない。これは実にス リリングで、非日常的で、イマジネイティヴな行為である。そ こではたとえ普段は退屈極まりない人間だって、走っているだけで「何か別のも の」になることができる。ただその「何か別のもの」のことを誰かに言葉で伝えよ うと思うと、どういうわけかものすごく月並みで退屈なものになってしまうだけな のだ。 それから某タレントのテレビでの意見にはひとっ間違いがある。我々は決して長 生きをするために走っているわけではない。たとえ短くしか生きられないとしても ( 人の人生なんて多少の誤差はあれ所詮短いものではないか ) 、その短い生をなんと か十全に集中して生きるために走っているのだと思う。みんながそんなことをする 必要はもちろんないけれど、そういう方法を選択する権利が人にはある。それに、 自分が結局は退屈で凡庸な人間だと思い知ることも、たまには必要ではないでしょ
165 元気な女の人たちについての考察 「人間が概念を模倣する」ケースが多いみたいな気がする。この概念をイエス・ノ オ、イエス・ノオでどこまでも熱心にシリアスに追求していくと、たとえば動物愛 護を唱える人が食肉工場を襲撃して営業妨害したり、堕胎反対論者が堕胎手術をす る医者を銃で撃ったりするような、まともな頭で考えるとちょっと信じられないよ うなファナティックなことがおこる。本人は至極真面目なんだろうけれど。 おそらく人種的にも宗教的にもいろんなオリジンの人が集まってできた国なの で、共通概念というものが共通言語と同じような大きな価値を持っているからでは ないかと僕は想像する。それが樽をまとめるたがのような役割を果たしているのだ ろう。でも正直に言って、ときどき話していて退屈することがある。高校のときの ホームルームでまじめな学級委員の女の子に「ムラカミくんの考え方はちょっとお かしいです」と追及されているような気分になる。そういうことを言われると、 「しょーがねえだろう、生まれつきおかしいんだから。でもそういうお前の顔だっ て相当おかしいぜ」と開き直りたくなってくる。そんなこともちろん言わないけれ ど。
後日附記 先日、この吉行淳之介の同じ文章を、日本人の学生五人に日本語に訳してもらっ たのだけれど、これはなかなか面白かった。もちろんみんなよく英語ができるの で、間違いというようなものはほとんどなかったのだけれど、殆んどの人がヨ一 st を「霧」と訳していた。これはもちろん誤訳というわけではない。 mist というの は「薄霧」或いは「靄」と辞書にはある。 fog よりは淡く、 haze よりは濃いのが mist である。ただこれは夕暮れの都会の話なので、やはりタ霧というよりはタ靄 という方がびったり来るのではあるまいかと僕は思う。どっちが正しいかはともか ン く、ただ単に m 一 st Ⅱ霧というだけではなく、少なくとも選択肢についての一応の ス 考察はあるべきだろう。おそらく自然に対する旧来の日本人的な ( 花鳥風月的な ) ン メンタリティーみたいなものは、これからますます変質し、失われていくのではな プ いだろうか。都会生活では霧と靄と霞の区別なんてまず考えることはないから、こ ら れはまあしかたないだろうという気がするけれど。 さ それからもっと面白かったのは、翻訳原稿に女子学生は過去形現在形の混合文が 多く、男子学生は過去形のみの文章だったということだ。
く忙しずぎて、余計なことなんて何もできないという実情ではないだろうか。そういう僕だ ってあちこちふらふらしているばかりで、ものを書く以外にとくに形のあることなんて何も やっていない。だからルイスやその他の田園回帰的人々のやっていることをミニマルに過ぎ ると非難するような資格は、僕にはまるでない。 でも僕も今度日本に落ち着いたら、何か自分にできることを身近に探してみようという気 にはなっている。これはヴォランティアとか社会活動みたいなことをするから偉くて、しな いから駄目ということではない。いちばんの問題は「自分にとって何ができるか、自分は何 をしたいのか」というのを見つけることだと思う。別の一一 = ロ葉で言い換えれば、どこまで自分 の疑問を小さく目一 ( 体的にしばり込んでいけるかということになるかもしれない。アメリカに 来て、いろんな人々 ( とくに同世代の人々 ) に会って話しているうちに、そういうことにつ いてわりによく考えるようになった。僕はずいぶん長いあいだ「世代なんて関係ない。個人 がすべてだ」という考え方でそれなりに突っ張ってやってきたわけだけれど、僕らの世代に はやはり僕らの世代の独自の特質なり経験なりというものがあるし、そういう側面をもう一 度洗い直して、それで今何ができるかということをあらためて考えてみるべき時期に来てい るのかもしれないとも思う。 まあそれはともかく、我が同世代であるルイスとシンシアの家には、シンシアの祖母にあ
ンストン村みたいに「とにかくここはこうしておけば」というのがあれば、日本の文化人だ ってずいぶん楽だろうにと思う。末端のあたりは適当に型通りにすませておいて、そのあと は自分の好きなことを自分の好きなペースでやれるわけだから。もちろんの最先端では 日本と同じような末端競争をちまちまとやっているわけだが、それはあくまで例外的な一部 であって、日本のように全国的な大量たれ流し情報によって大衆が振り回されているわけで はない。で何が流行っていようが、 *-Ä<< で何が流行っていようが、普通の人はあまり気 にもしてない。そういう流動性、咸見性を黙殺し、淡々と我が道を行くという部分が社会に はある程度必要なんじゃないかという気がする。 それからプリンストンに来て楽なことは、人々が止むを得ない場合以外ほとんどお金の話 をしないということである。お金のことが人々の話題にのばるのは、ここではきわめて稀 だ。逆に一一一一口うと、日本にいると人々はお金のはつかりしているということになるかもしれ ない。日本では何かがあると「村上さんはベストセラーを書いてお金持ちなんだから、これ くらいのことは」と言われる。そりやそうかもしれないけれど、はっきり言って余計なお世 話である。僕は 1600 8 の小さな車に乗っていたのだけれど、いろんな人に「村上さんは お金があるんだから、こういうのじゃなくてもっと高い車を買ったらどうですか」と言われ た。でもそんなのは僕の勝手である。別に高い車が嫌だというのではなく、今のところはこ
144 それに比べると、僕がこれまでに運転したかぎりにおいては、最近のアメリカ車の中には これといった明確な哲学、存在感のあるモデルは見受けられなかったように思う。少なくと も今の時点においては、僕にはそこにはっきりとした固有のイデアのようなものを見いだす ことはできなかった。もちろん限られた幾つかのモデルに乗っただけだから、それほど明快 に断定はできないわけだけれど。 それで、このメルセデスとカローラというドイツと日本の、いわばランドマーク的な一一台 の車を並べて売り出して、普通のアメリカ人がどっちを選んで購入するかということになる と、まあ現実的な理由で大方の人はトヨタ・カローラを選ぶことになるだろう。お金のある 人はおそらくメルセデス・べンツを選ぶだろうが、そういう階層は全体から見れば一一一一口うまで もなく少数派である。 先日雑誌を見ていたら、フォン・クーエンハイムというの会長のインタビュー記事 が載っていた。はアメリカの不景気と日本車の攻勢、とくに高級車部門への急速な進 出によって、北米での売上が大幅に落ちこんで、かなりの危機感を持っているようである。 だからどうしても日本車に対する嫌悪感がむきだしになる。日本の高級車は、高級車とは名 ばかりで、結局は「洗練された大きなカローラ」じゃないか。料理でいえばファースト・フ ードに毛がはえた程度のものじゃないか。俺たちの作っている車はそれとはぜんぜん成り立 ちが違うんだ、伝統が違うんだ、格が違うんだ、というのが会長の言い分である。それはた
し、ギリシャにも行ったし、イギリスでも車で旅行した。トルコは四週間も運転して回って そしてヨーロッパから戻って一年間日本に住んで、ここでもちよくちよく車を運転してい たのだが、正直言ってあまり面白くはなかった。僕は主として啝都内の仕事場と家とのあ いだ六十キロばかりを往復していたのだけれど、そういう道のりを運転していて楽しいかと いうと、べつに楽しくはない。ただ荷物を載せて地点と地点を往復しているというだけ である。首都高速道路なんてただただうんざりするだけだ。車で小旅行したこともあったけ れど、とりたてて面白いというわけではない。どうして面白くないかというと、これはたぶ ラん、日本という国が基本的に、車で旅行するようにはできてないからだろう。だから運転し ロていても心躍るようなことはあまりなくて、苛立ってストレスがたまることの方が多い。日 カ 本の旅行は、車よりはのんびりと電車で行く方がいいような気がする。車でしかいけないと タ いうような場所もほとんどないし。 ここでは それからアメリカに来て、また車を買うことになった。最初にも述べたように、 本当に車がないと暮らせない。「とりあえずなんだっていいや。あとのことはまたあとで考 金 えよう」と思って、近所のホンダのディーラーに行き、 , 里 - ロのアコードを買った。たまたま 黄 ホンダのディーラーが近所にあって、そこにある里白車を消去法的に選択していくと結果的 にこれが残ったのであって、決して熱い思いを抱いてホンダ・アコードを購入したわけでは
216 まに話し合うことの方がずっと好きだ。クラスの終わったあとでみんなでパプに行って、ビ 1 ルを飲みながらわいわいとなごやかに語り合うこともあった。こうなると、アメリカの学 生も日本の学生もとくに変わりはない。教室では先生の手前気取っていた学生も気を許し て、子供つばい目つきを取り戻す。 彼らはだいたい日本文学なり、日本語なりに興味を持っている学生なのだが、その多くは 小説家に会うことなんて生まれてはじめてという人々である。だから小説家というのはいっ たいどういう生き物で、何を考えて、どのような生活を送っているのかというような具体的 なことをすごく知りたがる。あるいは彼らのうちの何人かは自分でも小説を書きたいと思っ ている。こういう学生たちはどうやれば小説を書けるのか、どうやれば小説家になれるの か、というようなことを切実に知りたがっている。 彼らの発する質問はだいたい次のようなものであることが多い。 ( 1 ) あなたは大学時代には何かを書きたいと思っていたか ? ( 2 ) 最初の小説をどのようにして出版したのか ? ( 3 ) 小説を書くのにいちばん必要なことは何であると思うか ? もちろん僕は僕というきわめて個人的な小説家であって、僕の例を全体に敷衍して「小説 家というのはこういうものです」「小説というのはこうやれば書けます」「小説家になるため にはこうすればよろしい」という風に教えるのはまず不可能だし、またそんなことをしても
160 全部洋で受けるようになるでしよう」という返事が返ってきた。まあ筋がとおっている。 スポークスマンがスポークスパーソンになり、チェアマンがチェアパーソンになりというよ うなことは既に常識である。しかし中にはグッドマンさんというコネティカットの主婦が、 グッドバ 1 ソンに改名したというような、ここまでいくといささか極端ではないかという現 象もないではない。しかしそれにしたって、改名するしないはあくまで個人の勝手なのだか ら、他人があれこれ一 = ロう筋合いのものではないだろう。 大学の文学研究においてもフェミニズムの勢いは非常に強い。どこの大学でも「女流文学 研究」とか「フェミニズム的観点からの文学批評」といった講座は学生たち ( 男女の別な く ) に高い人気を呼んでいる。僕は英語から日本語への小説の翻訳をやっているわけだが、 人前で話をしていて、僕が翻訳をした作家の名をあげていくと ( レイ・カーヴァ—' ティ ム・オプライエン、スコット・フィッツジェラルド、ジョン・アーヴィング、トルーマン・ カボーティ : : : ) 、必ずそこにいあわせた女性の手があがる。そして「あなたが今あげた作 家は男性ばかりではないか。それは意識的なものなのか。どうして女性作家のものを翻訳し ようとはしないのか」という質問が飛んでくる。そういう質問をされると、なんだか自分が 生きている価値のないひとでなしみたいに思えてくる。僕はべつに女性作家だから、男性作 家だからというような区分をして小説を読んでいるわけではない。小説というのは読んで面 白くて、作品として優れていればいいのであって、その作家がスカートをはいていようが、
ういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいるということだ。どうも回りくど い言い方になって申し訳ないのだが、正確に言えばそういうことになる。 そしてたまに日本に戻ってくると、今度はこう思ってまた不思議に哀しい気持ちにな る。「僕らがこうして自明だと思っているこれらのものは、本当に僕らにとって自明のも のなのだろうか」と。でももちろんそういう僕の考え方は適切なものではないだろう。だ って自明性についての問い掛けがあるということ自体が、自明性の欠如をはっきりと示唆 しているわけだから。いうまでもなく、しばらく日本に暮らしていると、この自明性は僕 あ の中にもまただんだん戻ってくるだろう。僕はそれらを自明のものとして受け入れていく の め だろう。それは僕には経験的にわかる。しかし中には戻らないものもあるはずだ。これも のまた経験的にわかる。それはたぶん自明性というものは永劫不変のものではないという事 語実の記憶だ。たとえどこにいたところで、僕らはみんなどこかの部分でストレンジャーで 外あり、僕らはその薄明のエリアでいっか無一言の自明性に裏切られ、切り捨てられていくの しではないかといううっすらと肌寒い懐疑の咸見だ。 哀 て 一人の人間として、一人の作家として、僕はおそらくこの「やがて哀しき外国巴を抱 やえてずっと生きていくことになるだろう。それが正しいことなのか、それほど正しくない ことなのか、僕にはよくわからない。非難されても困るし、褒められても ( まあ褒める人 もいないだろうけれど ) 困る。そこが僕の辿り着いたところだし、結局のところそこにし