レコード - みる会図書館


検索対象: やがて哀しき外国語
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1. やがて哀しき外国語

ってつけだし、僕が「娯楽」というのはそういう文脈においてである。そういう店に行っ て、あれやこれやとレコードを探していると三時間くらいはあっという間に過ぎ去ってしま う。今はちょうど世間の人々がレコードからに切り換えている時期なので、これまで所 蔵していたレコードをどさっと大量放出するケースも多く、僕みたいな人間にとってはかな り好ましい時期と言ってもいいだろう。長いあいだ探しに探していたレコードにばったりと めぐり会えたときの嬉しさというのは、他ではちょっと得られないものである。そのあと一 日意味もなくにこにこしていたりする。 この全盛時代に、世間に背中を向けてあえてを扱っているわけだから、山事ロレコ ード屋の店主にはちょっと変わった人が多いようだ。何かのついでに世間話をしたりすると けっこう面白い。うちから車で一時間ばかり飛ばしたフィラデルフィアの下町に実に丁寧に た品ぞろえをしたジャズ中心の中古レコード店がひとつあって、ここは値段もリーズナプルだ 殺し、管理も行き届いている。ここの店主はけっこう若い。三十代前半くらいだと思うのだ ズか、かなりのおたくでを買いに来た客に「俺は (--)2 はキライだ ! 」とどなるような ジ偏屈である。ずしりと一山レコードを買って、九十ドル払うときに、「こんなにいつばいレ コードを買うとまた女房に文句一言われるよ」と冗談で一一一口うと、「お前もそうか。実は俺もそ 誰 うだったんだ。だからこんな山古レコード屋を始めたんだ。ほら、商売なら女房に文句も一言 われないものね」という答えが返ってきた。筋が通っているような通っていないような、変

2. やがて哀しき外国語

もちろん»--ÄO- レコードよりはの方が取扱いがずっと便利だし、音質も良い。昔よく聴 いたジャズ・レコードを新しくリミックスされたで聴くと細部がクリアになって、「な たるほど、レコードの音域では今ひとつよく聞こえなかったけれど、実はこういう音で、こう 殺いう演奏だったのか」と改めて感心することも多いのだが、そういう場合でも長い時間つづ ズけて聴いているとだんだん疲れてくる。どうもその世界にしつくりとなじめないのだ。居心 ャ 地がよくない。これまであたかも煙草の煙のたちこめる地下のジャズ・クラブで演奏されて ジ 誰いたように聞こえていたものが、になったとたんに、まるでどこか清潔で上品なホテル のロビーで演奏されているみたいにいやに取り澄まして聞こえることがある。あるいはま た、レコードだとえも一一 = ロわれぬふつくらとした雰囲気があったのに、になるとそのふつ ドを買い集めること自体をやめてしまった。どうしても聴きたいものがあれば、再発の で適当にお茶を濁すということになった。 でもアメリカでは五ドルから十ドル見当でけっこう面白いものが手に入るので、「これは 安い」「これも安い」と買い求めているうちに知らず知らずレコードがたまってしまう。こ れ以上増やしてどうするのよ、日本にだって古い *--ÄO- が四千枚もあるのよ、もう置き場所だ ってないでしように、と女房にぶつぶつ文句を言われても、やはり目の前にあるとつい手が 出る。

3. やがて哀しき外国語

117 誰がジャズを殺したか 後日附記 先日ポストンのジャズ・クラブにトミー・フラナガン・トリオを聴きに行った。 正直に言ってこの日の演奏はまあまあというところだった。悪くないけれど、たい したこともない。あまり乗らなかったのかもしれない。でももしトミー・フラナガ ンに何かリクエストするとしたらやはり「・ハルバドス』と「スター・クロスド・ラ ヴァーズ』のニ曲だなあとばんやり考えていたら、驚いたことにステージの最後に このニ曲をメドレーでやってくれた。これにはさすがの僕も唖然とした。何か気持 ちの通じるところがあったのかもしれない ・アダムズとトミ・フラの共演 した『スター・クロスド・ラヴァーズ』は長いあいだ僕の愛聴盤だった。 ・アダムズといえば、この人に関してもこの間ちょっと不思議な話があっ た。僕がある中古レコード店に入ろうとしていると、通りかかった若い男が僕に時 間を尋ねた。「四時十分前だよ ( ィッツ・テン・トウ・フォア ) 」と答えてレコード 屋に入り、最初に目についたレコード ・アダムズ "TEN TO FOIJR が、実にペパ AT 5 SPOT" のびかびかのオリジナル盤 ( 十ドル ) だった。もちろん脇目も振ら ずに買ってしまった。日本にもちゃんとこのレコードは持っていたのだけれど。

4. やがて哀しき外国語

104 アメリカに来て暮らすようになってから、巾亠白レコード店をまわってジャズの古いレコー ししくらい ドを漁ることが、大きな楽しみになってしまった。いちばんの娯楽と言っても ) だ。せつかく外国に住んでいるのだから、もう少し有音で活動的な人生の楽しみかたがあ ってもいいのにと、ときどき自分でも思うのだけれど。 僕はジャズが好きで、十三の歳からこれまでずっとレコ 1 ドを集めてきたけれど、いわゆ るコレクターというのではない。もともとそれほど綿密なでないうえに、たかがモノに 対して法外な金を払うのが嫌な性分なので ( 要するにケチだ ) 、なかなかコレクターにまで はなれない。でも唯一のこだわりといえるかもしれないけれど、一九四〇年代から六〇年代 にかけての古いジャズだけはではなく、多少音質に問題があっても昔ながらのレコード 盤で聴いた方かいいと思っている。だからできることならずっと昔に廃盤になってしまった オリジナル盤でコレクションを揃えたいのだが、日本でその種のレコードを集めるのは、僕 の基準からいうといささかお金がかかりすぎる。そんなわけでいつの間にかジャズのレコー

5. やがて哀しき外国語

くらが消えてすかすかの平凡な印象しか与えなくなってしまうものだってある。全部がそう だとは言わないけれど、そういうことが往々にしてある。世の中便利になったからそれでい いというものではないのだーーと言っても、こういうことを一一 = ロうのもジャズに関してだけ で、クラシックとかロックに関しては僕も完全にに切り換えてしまっているわけだか ら、これも所詮ノスタルジーに溺れた頑迷さに過ぎないのではないかという気もするのだけ れど。 ひとくちに山事ロレコード屋といっても、きちんとジャンル別、アルファベット順に整理整 頓された店から、何もかも一緒くたに段ボール箱にどさっと放り込んであって、「適当に見 てくれよ」というような店まで実に様々である。古本屋が意外な穴場で、店の片隅にこそっ とレコードが並べてあって、そこに掘り出し物が : : : というようなケースもたまにある。た ぶん本とレコードとを一緒に売りにくる人が多いのだろう。 値段だって店によってものすごく違う。はっきりと言って、値段なんてあってなきがごと きものだ。あっちで三十ドルで売っているものを、こっちでは三ドルで売っているというこ とだってざらにある。中身は同じでもラベルの色が違うだけで値段が一一倍になったり三倍に なったりもする。このような細部についての専門的知識は古本漁りと同じで、長年にわたる 経験と研究によって培われる。こういうのはまあゲームみたいなもので、暇をつぶすにはう

6. やがて哀しき外国語

116 しいものが詰まった宝物の箱のようなものである。彼らはそのような発見に大きな喜びを感 じ、スリルを感じるわけだ。それはある意味では「若手の黒人ミュージシャン」にとっての ルーツ探しであり、それなりにヒップな行為なのだ。そういう彼らのジャズという音楽に対 する観念・発想そのものが、キース・ジャレットの世代のそれとはぜんぜん異なったものな のだ。その根本的な相違をキース・ジャレットはやはり認識しなくてはならないと思う。 「反抗しろ、戦い取れ」と一言われても、マルサリスたちにすれば「そんなこと言ったって、 いったい何に反抗すればいいんだよ」とただ肩をすくめるしかないのではないか。逆にいえ ば、マルサリスたちは、「彼らに反抗しなくてはならない」と思うほどには、キースたちの 世代の音楽を評価していないということになるのではないか。そしてそういうところにもま た、キースの深い苛立ちがあるのだろう。 というようなことを考えつつ、今日も史・ロレコード屋をまわって、バド・シャンクの入っ たジョン・グラースのコーラル盤に七ドルの金を払う価値があるかどうか、深く迷ってしま った。七ドルというのはけっこう難しい線である。結局買わないで帰ってきたのだが、家に 帰ってからもまだ深く迷っている。いったいどうしたものか。

7. やがて哀しき外国語

ゝ 0 3 力し でもアコードをしばらく運転してみて思ったのは、「この車がアメリカで大ベストセラー になるというのはもっともだな」ということだった。僕は車の性能や事情に詳しい人間では ぜんぜんないので、飽くまで咸見的にしか説明できないのだが、この車のサイズや取りまわ しが、アメリカの大都市郊外や中都市での生活にびったりと合っているのだ。大きからず小 さからず、乗り心地も硬からず柔らかからず、そして荷物もけっこう入るし、長距離移動も 楽にこなす。子供を毎日学校に送り迎えして、そのついでに買い物をして、年に一一回は家族 で休暇の遠出をするというような生活にはうってつけだろう。そしてなによりもいいのは、 運転していて肩がこらないということだった。そういうおおらかさは、どことなくアメリカ での運転に向いているような気がする。日本で運転するとどんな感じになるのかはわからな いのだけれど。 でもホンダ・アコードを運転していて面白いかというと、べつに面白くはない。だいたい 僕には子供がいないし、乗るのはいつも一人か二人、買い物もそんなに沢山まとめてやるわ けではないので、「健全市民実用自動車」アコードを所有する必然性があまりない。となれ ばもう少し運転するのが楽しい車が欲しい。それにもう六万マイル ( 十万キロ ) 以上走った 車なので、いささか足腰が弱っていた。車体には疵ひとつないし、エンジンは一兀気だし、ト ラブルともほとんど無縁だったのだけれど、ポストンまで往復したときに何度かカープでよ

8. やがて哀しき外国語

132 プ・ランバートがコネティカットの号線で死んだことを僕が知っていたところで、それは ただの瑣末な知識にしか過ぎない。そういうトリビア・クイズ的な観点から見れば、日本の ジャズ研究の質は、おそらくアメリカのそれとは比べ物にならないくらい高いだろう。そし てそういう研究もある面においては大事なんだと思う。でもこのおじさんに言わせたら「そ れは凄いね。でもあれは俺たちの音楽なんだよ」ということになるだろう。そうなると、そ こで話はすとんと終わってしまう。そして我々の方が「オー・ヤー」と言って黙り込んでし ま一つことになる。 ークレ 1 のシャッ屋で〈 9--2 << に行こう。君はきっとロドニー・キ 余談になるけれど、 ングのように扱われる〉というシャツを見かけた。これはもちろん運転手のおじさんが言 った「トリーティッド・ライク・ア・キング , のもじりである。おかしいから土産に買おう と思っていたのだが、結局忙しくて買い忘れて帰ってきてしまった。 後日附記 ・。、ーソンズとエッタ・ このモントクレアの「トランペット」ではヒューストン ジョーンズ ( 懐かしい ) のむんむんしたプルーズ・ライプを聴いた。こういうタイ プの人達は老け込まなくて本当に楽しいですね。感激してレコードにサインしても

9. やがて哀しき外国語

僕は日本の大学人の生活についてあまり知識はないけれど、「大学人かくあるべし」という ような規範はアメリカに比べるともっと希薄であるような印象を受ける。『東京スポーツ』 の愛読者で、プロレスととんねるずと焼酎が好きで、演歌しか聴かないという教授がいたっ て、とくに問題にはならないだろう。それはまあちょっと変わっているとは思われるかもし れないけれど、それでまわりの人間が顔をしかめたりするようなことはないと思う。またそ のことが原因で出世ができなかったり、社会的地位がおびやかされたりするようなことはま ずないはずである。「あの人は大学の先生らしくなくて人間味がある」と言われてかえって 好かれたりするかもしれない。そういう意味では日本の大学はより大衆化しているし、日本 の大学の先生はよりサラリーマン化していると言えるかもしれない。 でもこの国では ( 少なくとも東部の有名大学ではということだが ) 、バドワイザーが好き で、レーガンのファンで、スティーヴン・キングは全部読んでいて、客が来るとケニー ジャースのレコードをかけるというような先生がいたらーーー実例がいないのであくまで想像 するしかないわけだが たぶんまわりの人間からあまり相手にされないのではないだろう か。相手にされないということは、つまり家に招いたり招かれたりという大学社会内交際か らはみ出すということで、そうなると現実的に大学で生き残っていくことは、宀工名としてよ ほど優れた実績をあげていないかぎり、かなりむずかしくなるだろう。そういう見地からす ると、アメリカという国は日本なんかよりもずっと階級的な身分的な社会なのだという気が

10. やがて哀しき外国語

車は則にも書いたけれど、ドイツ製フォルクスワーゲンを買った。ステレオ壮衣置は小さな デンオンのもの、テレビはソニー、ヴィデオはシャープのものを買った。これらはもちろん みんな日本製。レコード・プレイヤーは & O ( デンマーク製 ) 、ヘッドフォンはドイツ製。 でデスク・ランプはイタリア製。電子レンジはパナソニック、コーヒ ー・ミルはドイツ制衣。 ク & のファックス・マシーン、これはアメリカ製だろうと思ったら、ちゃんと裏にメイ ブド・イン・ジャパンと書いてあった。アイロンはドイツ製。 ワじゃあいったいアメリカ製品はどこにあるのか、と散々探してみてやっとあったのは自転 車、これは一部に日本製部品が使ってあるものの、アメリカ製の部品がほとんどだった。そ ズれから小さなものだけれど手帳と財布、これは近所にある 00<.-)= という店のものを使っ ザている。体重計もたぶんアメリカ製だと思う。しかしまわりをぐるりと見渡してみて、うち プの中で目につくメイド・イン・アメリカの製品はだいたいそれくらいのものである。これは ハライゼーションが進行しているとはいえ、アメリカ経済にいささか問 スいくら経済のグロー ク 題があるんじゃないかと、経済事情に目当に疎い僕でさえ思う。 とここまで書いてきたところで、ひとつ大きなアメリカ製品の買い物をしていたことをは っと思い出した。灯台もと暗しというか、今この手一兀にあるマッキントッシュのラップトッ