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検索対象: やがて哀しき外国語
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1. やがて哀しき外国語

172 を言いだすのも変な話だとは思うのだけれど、正直に言ってどうも自分は外国語の羽戸得に向 していないんじゃないかと思うようになった。 考えてみれば、期間の長短の差こそあれ今までにいろんな外国語を勉強した。中学〔回校で はもちろん英語をやった。大学ではドイツ語をとった。大学を出たあとで、フランス語の堪 能な友人からフランス語を教わった。フランス語は、スペイン語のときと同じように、宀鱇 程度の知識がないと英語の小説の翻訳をするときにかなり困るからやったようなものであ る。実をいうとフランスに行ったことはまだないので、喋った経験はまったくない。読むだ けだ。ギリシャ語は、、 キリシャに住むために日本で某大学の講座にかよって、けっこう長く 勉強した。イタリア語は簡単な独習だけれど、イタリアにしばらく住んでいたせいで買物・ 食事・道訊ねくらいはできる。トルコ語もトルコ旅行をする前に一カ月ばかり先生について 集中して勉強した。それぞれに勉強しているときにはけっこう楽しんでやったように思う し、その当時は自分は語学に向いているのかもしれないと思っていた。 でも今になって振り返って考えてみると、それはどうやら僕の思い違いであったように思 う。僕は傾向的、性格的に外国語の羽戸得に決して向いてはいないし、とくに年を取れば取る ほど、その「向いてなさ」が自分の中でより顕著になってきたような気がする。最近では 「もう駄目だな。これ以上真剣に語学はできないな」とあらためて思うようになった。とい うか、自分の中における外国語羽戸得の優先順位が年月の経過とともにどんどん低下している

2. やがて哀しき外国語

244 前に、高校時代はろくに勉強というものをしなかったというようなことを書いたら、ある 読者から「村上さんはたしか早稲田を出たはずです。勉強しないで早稲田大学に入れるわけ がないでしよう。嘘をつかないでください」という抗議だか詰問だかの手紙をもらったこと があった。なるほどねえ、そういう世の中になっちゃったんだな、と僕はその手紙を読んで けっこう深く感心してしまったのだけれど、まあそれはともかく、もしそのような発一一一一口をし たことによって僕が誰かを傷つけたのだとしたら、何はともあれ申し訳なく思います。なる べく他人に不快な思いをさせないようにと心がけていつも文章を書いているつもりなのだ が、世の中は広いので、何をどう書いても必ずどこかで傷ついたり、あるいは腹を立てたり する人が出てくるようである。とくに大学のことでは多くの人が真剣にセンシティヴになっ ているのだという事実を、僕はよく忘れてしまう。 でも高校時代にろくに勉強をしなかったというのは決してウソではない。高校にいるあい だは、ほとんど毎日のように麻雀をしたり ( 弱いけれど好き、という最悪のパタ 1 ンだっ

3. やがて哀しき外国語

250 僕はそれでも、なんとか国立大学に入ってくれないかと親に言われて、一年浪人して嫌な 数学と生物とを詰め込もうとこれ努めたわけだが、案の定うまくいかず、結局芦屋車図書 館の読書室でうとうとと居眠りをしながら一年間を無為に費やすことになった。慣れないこ とは下手にやるものではない、するっとできることはするっとできるうちにやっておきなさ 、という貴重な教訓である。 というようなところが、僕がろくに勉強もせずに一九六八年に早稲田大学にのうのうと入 学したことについてのおおよその状況説明であるわけだが、でもこんなことを書いたらます ます火に油を注ぐことになりそうである。かんかんに怒って手紙を書いてくる人がどこかに いるかもしれない。「俺は一生懸命勉強したのに、同じ年に早稲田を落ちたんだ。いい気に なって偉そうなことを一一 = ロうな」なんてね。そう一一一一口われると、僕としてもまた「どうもすみま せん」と謝るしかないわけだけれど、正直なところその一方で、そんなことを今更いちいち 気にされてもねえとも思う。だって試験なんて向き不回きもあるし、運もあるし、成り行き もある。それにだいたい、たかが大学のことじゃないですか : : : といっても、その「たか が」のことで嫌な思いをしている人も、世の中にはきっと多いのだろう。そう思うと、胸が 痛まないでもない。 プリンストン大学には、日本の官庁とか会社の人がけっこう数多く派遣されて、勉強して

4. やがて哀しき外国語

するな。そういういろんなことがパッとうまく結合する啓小的な瞬間がいっか巡ってくるは ずだと思う。まあ少なくとも、そういうことがきっと起こると思っていた方が、人生は楽し いじゃないか ? 」 でもそれはそれとして、僕は実に多くのことを仕事から学んだ。アメリカで何年か前に 『人生に必要なことはみんな幼稚園の砂場で学んだ』という本が大ベストセラーになったけ れど、僕の場合は『人生に必要なことはみんな店で学んだ』ということになるだろう。学校 ではたしかにいろんなことを教わったが、はっきり言ってそれらは小説を書く上ではほとん てど役に立たなかった。僕はべつに学校教育に意味がないというわけではないけれど、少なく 離とも僕の場ム只これを学校で習っておいて良かったなと思ったことはあまりない。子供のこ 遠ろ母親に「今しつかりと勉強しておかないと、大人になってから、あのときもっと勉強して ッおけばよかったと後悔するよ」と言われて、そんなものかなと思った覚えがあるが、いった べ ャいどういう意味あいで母親がそんなことを口にしたのか僕はいまだによく理解できないでい レる。大人になってから「あのときもっと勉強しておけば」と悔やんだことなんてただの一度 もないからだ。僕が生きることについての真実をいくぶんなりとも学んだのは一一十代の日々 ロ においてであり、その当時僕は文字どおり肉体労働に明け暮れていた。とにかく体を動かし て働き、毎月必死で借金を返し、それ以外のことなんてロクに考えなかったーーー考えようと

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のである。 そのいちばん大きな原因はやはり、語学の勉強に割くための時間が惜しくなってきたこと だろう。若いうちは時間はいくらでもあるし、未知の一一一口語を羽戸得するのだという熱のような ものもある。そこには知的好奇心があり、何かを征服してやろうという昂りがある。新しい 種類のコミュニケーションに対する期待もある。一種の知的ゲームでさえある。でも四十を 越して、この先どれくらいの有効年月が自分のために残されているのかということがそろそ ろ気になってくると、スペイン語やトルコ語の動詞活用をやみくもに覚えたりするよりは、 自分にとってもっと切実に必要な不があるのではないかという気持ちが先にたってくる。 そしてそういうことが気になりだすと、語学の勉強というのはなかなかできない。それほど あくせく努力をしなくても、まるで空気を吸い込むように自然にどんどん語学が身につくと 語 いうような天才ならともかく ( こういう人は僕のまわりにも実際に何人かいる ) 、僕みたい 外に苦労しないと何も身につかない人間は、年をとってくるとかなり苦しい。だいたい何カ国 し語でコミュニケーションしたところで、僕という人間が他人に伝えられることは所詮限られ ているじゃないかという思いも出てくる。 て 今回スペイン語を学んでいて、僕が切実に感じたのはそういうことだった。どうしても語 や 学の羽戸得に神経を集中することができないのだ。チャックほどひどくはないにせよ、アタマ がどうしても勉強の方にいかない。昔はそんなことはなかった。何はともあれ構文の理解や

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248 ので、とくにそのことでまわりには波風も立たなかった。当たり前の話だけれど、腹を立て る人間もいなかった。人格を非難されることもなかった。だからこころおきなく好きなこと をやることができた。僕は本を読むのがとにかく好きだったから、暇さえあれば文宀一市日を読 んでいて、その結果としてとくに勉強はしなくても国語の成績は悪くなかった。英語に関し ーバックを読み漁っていたので英文を ていえば、高校時代の初めから自己流で英語のペー 読むことじたいには自信はあったが、それ以外の細かいノウハウ勉強をすっ飛ばしていたせ いで、英語の成績はあまり芳しくなかった。真ん中よりちょっといいくらいだったと記憶し ている。僕が今、翻訳の仕事をけっこうたくさんやっていることを知ったら、その頃の英語 の先生はたぶん首をひねるんじゃないかと思う。 社会はなにしろ世界史が得意だった。どうしてかというと、中央公論社から出ていた『世 界の歴史』という全集を、僕は中学校に入った頃からそれこそ十回も一一十回も繰り返して読 んでいたからである。たしか「小説より面白い」というのがこの全集の広告コピーだったと 記憶しているが、これは珍しく誇大広告ではなくて、実際に面白く楽しく読める本だった。 だからこれを読んでいるうちに世界史についての大抵の事実は自然に覚えてしまって、とく にそれ以上の勉強をする必要がなかった。歴史というのは、頭の中に前後左右のおおまかな コンポジションができていれば、おおよその見当はつくものである。試験の前にいくつかの 年号やら人名やらといった細部的事実を丸暗記していけば、それでだいたいだった。個

7. やがて哀しき外国語

168 一年半くらい前のことになるけれど、うちの近くの語学学校に一一カ月ばかりスペイン語を 習いにいった。アメリカに来てスペイン語の勉強をするというのもなんだか変なものだけれ ど、メキシコを一カ月くらいかけて旅行しようと思っていたし、それに英語の小説の翻訳を するときにはスペイン語の基礎的な知識が必要とされることが多いので、ちょうど良い機会 だと思ってきちんと勉強してみることにした。アメリカ人と一緒に英語を使って外国語を習 うわけだから、英語の練習にもなるだろうという積もりもあった。学校はあの有名なベルリ ーリッ ) だったけれど、うまい具合にバーゲン期間だ ツツ ( ちなみにアメリカ流にいえばバ ったから料金はけっこう安かった。教科書も決して高くはない。学校が「強く推薦する」練 習用テープのパッケージを買いこむと高価になるが、僕の場合これまで語学テープというの が役に立った記憶がほとんどないので、これは買わなかった。僕は日本で同種の語宀工子校に 通った経験がないので正確には比較できないけれど、知り合いに聞いた話から想像すると、 日本の語宀工子校で外国語を学習するのに比べて費用は格段に安いと思う。アメリカではスペ

8. やがて哀しき外国語

人的な好みのせいかもしれないけれど、同じ会社から出ている『日本の歴史』の方は、何十 回も読んで暗記するほどには面白いとは思わなかった。 それで、今のことはよく知らないけれど、早稲田の当時の入試は三科目だけだったから、 国語と英語と世界史を選択すれば、それほど苦労して受験勉強をしなくても入学できるだろ うと踏んでいた。塾にも予備校にも一度も通わなかった。その当時は偏差値なんていうもの はまだなかったから数字的事実はわからないけれど、あくまで目分量で言えば、早稲田大学 は ( 少なくとも文学部は ) その程度のいいかげんな「好きなことを好きなだけやった」風の 勉強でけっこうすんなりと入れたのである。最近は早稲田に入るのも難しくなったよ、昔と は比べ物にならないよ、文学部だって凄いよ、というような話をよく聞くけれど、そんなこ と言われてもよくわからない。偏差値が東大の偏差値と同じくらいなんだと聞かされても、 景だいたいこっちの頭に偏差値という概念そのものが存在しないわけだから、実感がまるでな 風 ゝ。それにもし僕のいた当時の早稲田大学に何か良いところがあるとしたら、それはおそら キく「好きなことを好きなだけやった」風の学生がのうのうと入学してくるところであったわ けだから、そういう「のうのう」的雰囲気のなくなった早稲田大学にどのような美点がある 工 のか、僕にはよくわからない。でもまあ早稲田大学がどう変わったところで、一一十年以上昔 に卒業した僕にはとくに関わりのないことであるわけだが。だいたい「都の西北」を歌った ことだってないんだから。

9. やがて哀しき外国語

た ) 、女の子と遊んだり、ジャズ喫茶に入り浸ったり、かたつばしから映画を見たりしてい 。煙草も吸ったし、学校もよくさばった。まあ落ちこばれない程度に適当に調子をあわせ てやっていたから成績不良というわけではなかったけれど、かといってとくに勉強に身を入 れた覚えもない。遊ぶ方がずっと忙しかったし、楽しかった。授業中にはだいたい小説を読 んでいた。こんなことを今更いちいち大層に書き並べたくはないのだが、僕の言い分を信用 されないと困るので、まあ一応説明しておきます。 それでどうして早稲田に入れたかというと、理由は実に簡単で、その当時の早稲田大学 は、とりわけ文学部は、今とは違って入学するのはそれほど難しくなかったからだ。こうい っちゃなんだけど、僕の高校から早稲田に行った連中を見ていても、頭脳明晰、宀孟禾優秀な 人間なんてひとりもいなかった。どちらかといえば : : : まあこれはいいや。大学四年になっ 景たときに、就職がらみで某テレビ局の人に会いに行って、「悪いけど、早稲田じゃしようが のないんだよねえ」と冷たく言われたこともある。そんな風に出身大学で人を簡単に差別する キことの理不尽さにいささか唖然としたーー僕はその頃にはまだ、マスコミ関連産業というの はもっと自由な気風のところだと呑気に信じていたーー・けれど、その一方で「まあ、そりや ヒたしかにそういう見方をすればそのとおりかもしれないな」となんとなく納得しちゃったく らいである。「どこの大学に入るかなんてたいした問題じゃないでしよう。入ってから何を どれだけ勉強するかというのが大事なのではないですか」と啖呵のひとつでも切れるとよか

10. やがて哀しき外国語

したがる。はっきり言ってたまんない男である。先生もかなりめげていたみたいだけれど、 アメリカのこの手の学校の先生は生徒からちょっとでもクレ 1 ムがつくとアウトなので、我 慢強く最低の生徒にペースを合わせて授業を進めることになる。誰かがひっかかっている と、先に進めない。こうなると「生徒 , というよりはむしろ「カスタマー」と呼んだ方が近 。そんなこんなで僕は最初の十回ちょっとでこのクラスをドロップ・アウトした。授業そ のものにはべつに不満はなかったけれど、このチャックと一緒に勉強をするのは完全な消耗 だと思ったからだ。語学教室で他人と一緒に語学を学ぶというのはなかなか難しいものであ る。僕の体験から言って、語学というのはある程度スパルタンに「ついてこられない奴はお いていく」というくらいの厳しさでやらないと、教えられないし、覚えられないからだ。 そのあと個人教授をみつけてばちばちと一人でスペイン語の勉強は続けていたのだけれ 語ど、やがて小説を書き始めると時間が絶対的に足りなくなってきて、そのまましり切れトン 外ボになってしまった。それでもリュックをかついでメキシコをひとりで旅行したときには、 いほんの基礎的なスペイン語の知識だけでもけっこう役には立った。当たり前のことだけれ 哀 ど、少なくとも何も知らないよりはずっとよかった。 て や この六年ばかりのあいだ五年近くは日本を離れて外国に住んでいる。つまり外国語を使わ Ⅲなくては生きていけない状況に、自ら選んで身を置いているわけだ。それで今更こんなこと