シンシアとルイスのロス夫婦は予想どおり、僕ら ( というのは僕と妻のことです ) とだい たい同じくらいの年頃だった。あるいは僕らより少し若いかもしれないが、いずれにせよア 代 世メリカ版「団塊の世代」というところだ。小学校の初めくらいの小さな子供が一一人いる。も 塊っともアメリカには「団塊の世代」にあたる一一一一〕葉は存在しない。「べイビー・プーマーズ」 という表現はあるけれど、これは「団塊の世代」よりはずっと応用範囲が広くて、第一一次大 カ戦が終わってから一九六〇年のあいだに生まれた子供たちはみんなこの「べイビー・プーマ メ 1 ズ」の範疇に収められてしまう。そんな広い範囲の人々をひとつのカテゴリーに収めて十 把ひとからげにしてしまうのは問題があるだろうと思うのだが、何はともあれとにかくそう いうことになっている。日本の「団塊の世代、にあたる世代は、あえて一一一一口うなら学生運動世 祖母や祖父たちとがそれなりの関わりを持っていたようにだ。僕の祖父たちゃ祖母たちは今 ではもうみんな亡くなってしまっているし、彼らが生きていた頃には僕はまだ幼すぎて、彼 らの置かれた歴史的、社会的立場や、彼らがそれまでに送ってきた人生の諸側面を理解する ところまではいかなかったけれど、「おじいさん」「おばあさん」として僕は彼らについての かなり親密で鮮明な記憶を有している。そう考えると、僕はスコット・フィッツジェラルド という作家に対して、これまでにはなかった種類の親密さのようなものを感じることができ
アメリカ版・団塊の世代
文庫本「やがて哀しき外国語」のためのまえがき プリンストンーー・はじめに 梅干し弁当持ち込み禁止 大学村スノビズムの興亡 アメリカ版・団塊の世代 アメリカで走ること、日本で走ること スティーヴン・キングと郊外の悪夢 誰がジャズを殺したか ークレーからの帰り道 飆金分割とトヨタ・カローラ 3 103 1 19 8
71 アメリカ版・団塊の世代 した明快さを見ると、僕はいつも「そういうもんかな」と考え込んでしまう。 トマス・ウルフの「天使よ故郷を見よ」なんかを読んでいると、はっきりと「ニ ガー・タウン」という言葉が出てくる。市の中にある黒人専用住宅地のことであ る。これはもちろんセグリゲーション ( 人種分離 ) 制度のあった一九ニ 0 年代の南 部の町の話だからだが、結局のところいろんなことが用語的に置き換えられてきた だけじゃないかという気かしないでもない だから映画「ライジング・サン』の中で黒人刑事が日本人のやくざをインナー シティーに誘いこんでプラサーたちの手を借りてひどい目にあわせ、「ラフ・ネイ ーフッドはアメリカの財産だぜ」というようなことを言っているのを聞くと、こ れはちょっと冗談にもなっていないんじゃないかという気がする。
人というふたつの社会、あるいは二つの国に分かれてしまっている。そしてドラッグと銃と いう一一大病根はこの国を土台からむしばみつつある。ブッシュ大統領はドラッグの徹底的な 取り締まりを公約にしてきたが、そんな政府の施策が実質的な効果を生むだろうとは誰も考 えていない。それらの問題は厚い巨大な壁として人々の前に立ちふさがっていて、生半可な 「社会的意識」といったようなものではとても歯がたたないように見える。それに比べれば、 ヴェトナム反戦や公民権運動といったようなかっての最重要事項は、本当にシンプルでわか りやすかったんだなという気がするくらいである。そう思うと現在アメリカの知識人の抱い ているジレンマの激しさはなんとなく想像できる。 それにあえて言うまでもないことだが、地域的な環境保全だってずいぶん重要な問題であ る。「そんなことよりもっと大きな問題があるだろう」と非当事者が一一一一口うのは簡単だけれど、 代 世まず自分の庭の樹木一本から始めていくというのは、それなりのひとつの見解ではある。 塊「問題が大きすぎる」と言って初めからあきらめて何もやらないよりはもちろんずっとまし だ。やれるところから地道にひとつひとつやっていけ。、いっかその先に突破口がみつけら カれるかもしれない。そういうアメリカ版団塊の世代に比べて、日本における僕らの世代が今 メ何をいちばん問題にして、何を実行しているだろうかと考えると、もう一つ明確なイメージ がわいてこない。まあ世の中にはいろいろと頑張っている人もいるだろうし、何もしていな い人もいるだろう。でも実際問題として、大多数の僕と同世代の男性は毎日の仕事がとにか
心しないわけにはいかない 夕食には近所の人々が何人かやってきた。地元の新聞を経営しているカップル、引退した 大学の教授 ( 彼は都市問題を専門にしていて、日本の田中内閣でも顧問の仕事をしたんだ よ、ということだった。ほら君、列島改造っていうのがあっただろう ) 夫妻、ヴィデオ作 家、等々。そういった人々の新しい種類のコミュニティーがこんな人里離れた田園地帯にだ んだん形づくられているのだ。彼らのそのようなコミュニティーはおそらく、既存の地一兀コ ミュ一一ティ 1 とはかなり趣きを異にしているはずである。彼らは知識階級に属する意識の高 い人々であり、その多くは宀工か芸術家かあるいは専門職に就いている ( あるいは就いたこ とのある ) 人々であり、そしてその中心はアメリカ版「団塊の世代」によって占められてい る。彼らは六〇年代に政治意識の高揚を経験した人々であり、その多くはオルガナイザーと 代 世しての能力を秘めている。あるいはオルガナイズされることに馴れている。そして今彼らの 塊関心は主として環境保全に向けられている。かって彼らの目標はヴェトナム反戦と、公民権 運動を通しての人種差別撤廃にあった。しかし反戦はもはや政治の主要なトピックではない 版 力し、ロス・アンジェルス暴動に見られたように、アメリカにおける人種問題はもはや手のつ メけようがない地点まで来てしまっている。六〇年代のように「法律上の差別が撤廃されて、 人種間の機会均等が実現されれば、何もかもうまく行くんだ」といったオプテイミスティッ 砺クな見解を単純に信奉しているような人間はもうどこにもいないと言っていいだろう。それ
講談社文庫刊行の辞 二十一世紀の到来を目睫に望みながら、われわれはいま、人類史上かって例を見ない巨大な転 換期をむかえよ、つとしている。 世界も、日本も、激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して、未知の時代に歩み入ろう としている。このときにあたり、 創業の人野間清治の「ナショナル・エデュケイター」への志を 、つまでもなく、ひろく人文・ 現代に甦らせようと意図して、われわれはここに古今の文芸作品は、 社会・自然の諸科学から東西の名著を網羅する、新しい綜合文庫の発刊を決意した。 激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年間の出版文化のありかたへの 。いたすらに浮薄な 深い反省をこめて、この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする 商業主義のあだ花を追い求めることなく、長期にわたって良書に生命をあたえようとっとめると ころにしか、今後の出版文化の真の弊栄はあり得ないと言じるからである。 同時にわれわれはこの綜合文庫の刊行を通ヒて、人文・社会・自然の諸科学が、結局人間の学 にほかならないことを立証しようと願っている。かって知識とは、「汝自身を知る」ことにつきて 、た。現代社会の瑣末な情報の犯濫のなかから、力強い知識の源泉を掘り起し、技術文明のただ なかに、生きた人間の姿を復活させること。それこそわれわれの切なる希求である。 われわれは権威に盲従せす、俗流に媚びることなく、渾然一体となって日本の「草の根」をか たちづくる若く新しい世代の人々に、心をこめてこの新しい綜合文庫をおくり届けたい。それは 知識の泉であるとともに感受性のふるさとであり、もっとも有機的に組織され、社会に開かれた 万人のための大学をめざしている。大方の支援と協力を衷心より切望してやまない 一九七一年七月 野間省一
それから選手名簿についてもうひとっ僕がうんざりするのは、そこに必ず所属団体名が明 記されることである。たとえば僕は〔村上春樹・ x x 歳・里足・所属なし〕という風に記載 される。ところが名簿を眺めてみると、僕のように所属なしというカテゴリーに属する人は あまりいないのである。他の人たちは大抵みんなどこかの団体にきちんと所属している。あ る人は「陸上自衛隊」に所属しているし、ある人は「東京電力走友会」 ( というのが本当に あるかどうかは知らないけど、たとえば ) とか「東京都庁」に所属しているし、ある人は 「国立走ろう会」とか「西宮ランナー・クラブ」に属している。何にも所属していない人と るいうのは本当に数えるくらいしかいない。僕はこの名簿を見るたびにいつもなんとはなしに 走複雑な気持ちになってしまう。そして「ああ、俺は結局この世界のどこにも何にも属してな 本いんだな」とあらためて実感することになる。正直言って、そんなことをよく晴れた気持ち の良い日曜日の朝からいちいち実感させてほしくないと思う。 こアメリカではこういう名簿はまず存在しない。申し込んで、ゼッケンをもらって、ただ走 走るだけである。もっともポストン・マラソンやニュ 1 ヨーク・シティー・マラソンのような カビッグ・レースになれば、名簿はちゃんとある。締切りもちゃんとある。そうしないと人数 メが多くなりすぎて、収拾がっかなくなるから。しかし名簿には「所属団体名」というセクシ ョンはない。「所属団体」というような発想そのものがないからだ。長距離レースというの 行は基本的に個人が個人の資格で走るものであり、その個人がどのような団体に属していよう
スコット・フィッツジェラルドが生まれたのは一八九六年で、これは日本風に一一一一口うと明治 一一十九年にあたる。娘のスコッティーの生まれたのは一九二一年、スコットが一一十五歳の年 で、日本で言えば大正十年である。ということは、おおまかに言ってスコットは僕の祖父の 世代にあたり、スコッティーは僕の親の世代にあたるということになる。僕の両親も生まれ たのは大正の後半である。となると、常識的に見てこのシンシアはだいたい僕と同じくらい の年齢ではあるまいかと推察される。そういう風に考えていくと、「なるほど、そんなもの だったのか」といういささかの感慨に僕は打たれることになった。 それまで僕はそういった世代的観点からスコット・フィッツジェラルドという人を捉えた ことが一度もなかったのだ。僕がスコットについて考えるとき、彼は僕にとってあくまで 「文学史に残るずっと昔の人」であった。僕と彼とのあいだに世代的な接点があるかもしれ ないというようなことは、とくに頭には浮かばなかった。スコットは真珠湾攻撃の前年の一 九四〇年に四十四歳の若さで死んでしまっていたし、ゼルダは僕の生まれる前年の一九四八 年に事故のために死んでいる。そして僕が彼の小説を読み始めたころには、彼はもう既に伝 説的な人物になってしまっていた。若死にをしたせいで、写真に写っている彼の風貌や衣服 は、どれもいかにも昔風のものだった。でもあらためて年代を計算してみると、僕が属する 世代と彼が属した世代とは、年代的には十分関わりを持っていたのだ。ちょうど僕と、僕の
く忙しずぎて、余計なことなんて何もできないという実情ではないだろうか。そういう僕だ ってあちこちふらふらしているばかりで、ものを書く以外にとくに形のあることなんて何も やっていない。だからルイスやその他の田園回帰的人々のやっていることをミニマルに過ぎ ると非難するような資格は、僕にはまるでない。 でも僕も今度日本に落ち着いたら、何か自分にできることを身近に探してみようという気 にはなっている。これはヴォランティアとか社会活動みたいなことをするから偉くて、しな いから駄目ということではない。いちばんの問題は「自分にとって何ができるか、自分は何 をしたいのか」というのを見つけることだと思う。別の一一 = ロ葉で言い換えれば、どこまで自分 の疑問を小さく目一 ( 体的にしばり込んでいけるかということになるかもしれない。アメリカに 来て、いろんな人々 ( とくに同世代の人々 ) に会って話しているうちに、そういうことにつ いてわりによく考えるようになった。僕はずいぶん長いあいだ「世代なんて関係ない。個人 がすべてだ」という考え方でそれなりに突っ張ってやってきたわけだけれど、僕らの世代に はやはり僕らの世代の独自の特質なり経験なりというものがあるし、そういう側面をもう一 度洗い直して、それで今何ができるかということをあらためて考えてみるべき時期に来てい るのかもしれないとも思う。 まあそれはともかく、我が同世代であるルイスとシンシアの家には、シンシアの祖母にあ