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検索対象: やがて哀しき外国語
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1. やがて哀しき外国語

280 自身ではなかなかわからないことである。そういわれれば変わったような気もするし、そ れほど変わっていないような気もする。だから「ええ、やつばり変わりましたね」と答え るときもあるし、「いや、とくに変わってはいませんね」と答えることもある。そのとき ) 0 ) ゝロ ししカ減といえばいい加減だけど、そ の気分次第でいろんな風に答えることにしてしる んなむずかしい質問を急にされても、こっちにだって正確に答えようがないではないです ゝ 0 カ たとえば誰か昔の友達に会って突然「お前は人間が変わった。そうだろう、変わっただ ろう ? 」と言われて、あなたはそれにきちんと答えることができますか ? 答えようがな いでしよう。だって五年なり十年なり一一十年なりの年月が経過して、そのあいだに人間が 変わるのは当たり前のことで、変わらないほうがよほどおかしい。それと同時に、その変 化を可能にしたあなたという人間は、一貫した不変の存在としてそこにある。だからひと くちに「人間が変わった」と一言われても、それがいったいどのような側面を指しているの かきちんと目一 ( 体的にディファインしてもらわないと、こちらとしては対応のしようがない わけだ。一一一口葉や文体の変化といったようなものも、それと同じことである。言葉というの は常に変化していくものだし、いろんな要因によって変わっていくものである。それは空 気に対応して変化し、思考方法や行動様式に対応して変化する。交際する相手によって、 年齢によって変化し、自分の立場の変化によって変化する。そして外国に住んでいるとい

2. やがて哀しき外国語

216 まに話し合うことの方がずっと好きだ。クラスの終わったあとでみんなでパプに行って、ビ 1 ルを飲みながらわいわいとなごやかに語り合うこともあった。こうなると、アメリカの学 生も日本の学生もとくに変わりはない。教室では先生の手前気取っていた学生も気を許し て、子供つばい目つきを取り戻す。 彼らはだいたい日本文学なり、日本語なりに興味を持っている学生なのだが、その多くは 小説家に会うことなんて生まれてはじめてという人々である。だから小説家というのはいっ たいどういう生き物で、何を考えて、どのような生活を送っているのかというような具体的 なことをすごく知りたがる。あるいは彼らのうちの何人かは自分でも小説を書きたいと思っ ている。こういう学生たちはどうやれば小説を書けるのか、どうやれば小説家になれるの か、というようなことを切実に知りたがっている。 彼らの発する質問はだいたい次のようなものであることが多い。 ( 1 ) あなたは大学時代には何かを書きたいと思っていたか ? ( 2 ) 最初の小説をどのようにして出版したのか ? ( 3 ) 小説を書くのにいちばん必要なことは何であると思うか ? もちろん僕は僕というきわめて個人的な小説家であって、僕の例を全体に敷衍して「小説 家というのはこういうものです」「小説というのはこうやれば書けます」「小説家になるため にはこうすればよろしい」という風に教えるのはまず不可能だし、またそんなことをしても

3. やがて哀しき外国語

にして一一十一、二枚というところで、これは僕がそれまでに経験した連載ェッセイの中で はいちばん長い枚数だった。でもこの連載を続けている一年半ほどのあいだ、書いていて 長いと感じたことは一度もなかった。作家というのは多かれ少なかれみんなそうなのかも しれないけれど、僕はどちらかというと、字を書きながらものを考えていく人間である。 文字に置き換えて、視覚的に思考する方が楽なことが多い。そういう音様では、毎月それ くらいの枚数があったほうが、広々とものが考えられて良かったように思う。おそらくア メリカに来てから一年ほどのあいだに、じっくりと字に書いて考えなくてはならないこと がそれだけ溜まっていたのだと思う。 「あと何年かたったら、この辺もいったいどうなっていることやら」と一九八四年に呟い たプリンストンのタクシーの運転手の心配は結果的にあたっているとも言えるし、あたっ ていないとも一一 = ロえる。プリンストンが嶼夂らず平和で浮世離れした美しい郊外町であると いう点では、彼の心配は杞憂に終わったと一一 = ロえるだろう。ショッピング・モールやら建て 売り住宅やらはずいぶん増えて、朝夕には交通渋滞も起こるようになったが、町の成り立 ち自体はほとんど変化していない。しかしそれを含むアメリカという国自体が変わってし まったという点では、彼の心配はどうやら現実のものになったみたいだ。この国を内側か らつぶさに見ていると、勝って勝って勝ちまくるというのもけっこう大変なことなのだな

4. やがて哀しき外国語

な情事』『羊たちの沈黙』以来、「サイ * パス」映画という分野がすっかり定着したようで、 次から次へと同じような映画が封切られ、一時期の特殊撮影ホラー映画フームにすっかり取 って代わってしまった。僕もぜんぶ見ているわけではないのだが、とにかくまあいろんな種 類の「サイ * パス」が出てくる。『アンローフル・エントリー ( 不法侵入 ) 』というのは、い ささか異常のある警官がヤッピーの建築家 ( カート・ラッセル ) の美しい人妻に横恋慕し て、権限を利用してどんどん家の中に入りこんでくるという不気味な話。最初は普通の親切 な警官に見えるのだが、だんだん狂気が滲み出てくるところが怖い。『レイジング・ケイン ( ケインを育てる ) 』はプライアン・デパルマの作品だが、ある女医が結婚した相手がじつは 多重人格の「サイ * パス」であり、連続幼児誘拐犯であり、殺人者であったという一見 親切で子煩悩なお父さんなのだけれど、人格が入れ替わると偏執的殺人鬼に変わる。奥さん も何か変だとは思うのだが、どうしても実体がっかめないままに悪夢の中にひきずりこまれ ていく。この映画も、ジョン・リスゴウの迫真の演技のせいもあってかなり気持ち悪い。ち よっと前の映画だけれど『スリーピング・ウイズ・エネミー』だって、ほとんど異常性格に 近い凶暴な夫から事故死を装って逃げだす奥さんの話だった。『ケープ・フィア』だって刑 務所帰りの「サイ * パス」に延々と苛めぬかれる弁護士一家の物語だった。こういった映画 に共通して一一 = ロえるのは、 ( 1 ) みんなもともとは中流から中の上クラスに属する、ごく普通 の平和な生活をしているはずの人たちだったのに、 ( 2 ) 何かの原因で「サイ * パス」とか

5. やがて哀しき外国語

画言っていた。だから最終的な出来上がりは、僕が見たものとはあるいは少し違ったものにな 宮るかもしれない。でもこの映画には「少しくらい違ったってそんなのは大した問題じゃない 'G だろう」と思わせてしまうような骨太なところがある。 マ映画のあとでコーヒーを飲みながらテスと話していて、「ショート・カツツ」というタイ ルトルは正確にはどういう意味なんだろうねと質問してみた。 , 彼女の説によればこの題には三 ア つの音がこめられていて、ひとつは「短い切り傷」、もうひとつは「近道」、最後の意味は 文字どおり「映画の短いカット」だろうということだった。なるほど、音様深いといえば意 ロ 味深いタイトルである。 描 を 一実をいうと、『月の出を待って』のジル・ゴッドミロウも何年か前からカーヴァーの原作 で映画を撮りたがっていて、シナリオの完成稿もできていた。でもどう転んでも商業的には か成功しそうにない代物だから、アメリカでは資金を出してくれる人がみつからず、映画にす 一ることができないままになっていた。僕はふとした縁で彼女に個人的に頼まれて、日本での ヴ出資者を探しまわったのだが、例のバブル金余り時代であったにもかかわらず、結局うまく カ いかなかった。僕は現実的なあれこれにはかなり疎い方だし、そういうことには普通はまず 係わらないのだけれど、レイ・カーヴァーのためだからできるだけのことはやってみようと 思ったのだ。卑示のあちこちを一夏かけて走りまわって、いささか不思議ないろんな体験を

6. やがて哀しき外国語

薊う変わったとは思うけれど、文体の変化そのものは僕にとってむしろ当たり前のことであっ て、それのどこまでが機械の関係したことでどこまでが犠とは関係のないことなのか、自 分ではとても判断できない。ポールペンが万年筆に変わって文体も変わりましたか、と質問 されてうまく答えられないのと同じである。だからこういう質問をされると、正直いってま たかとうんざりすることになる。 しかしただひとっ僕に確実に言えることは、夏目漱石や谷崎潤一郎や三島由紀夫の文章 あるいはきわめて書 は、あるいは吉行淳之介の文章はワープロやパソコンでは書けない きづらいだろうということである。そういう意味では日本語は近年の筆記具苗天叩によって、 おそらく「べイシック・ソフトの変換」を経験するーーあるいは追確認されることになるだ ろう。これはいい悪いの問題でもなく、認める認めないの問題でもなく、冷戦体制の崩壊と ただの「そこにある」現実である。どうかそのこと か、農業人口の減少とかと同じように、 1 ソナル。 で僕を非難したりしないでください。ドント・ティク・イット・ 後日附記 僕はまったく知らなかったのだけれど、 0 0 < O というのは日本でも有名なメ ーカーらしい。このあいだハーヴァード・スクエアの靴屋に行ったら店員に「日本

7. やがて哀しき外国語

文庫本「やがて哀しき外国語」のためのまえがき え本の中身を読んでいただければわかるように、僕は一九九一年の初めから、約一平に のわたってアメリカのニュージャージ 1 州プリンストンに住み、そのあと一一年間をマサチュ ーセッツ州ケンプリッジに住んでいました。この本は、そのうちのプリンストン時代のこ の とを書いたものです。 文庫本になる現在の時点 ( 一九九七年 ) でもう一度読み直してみると、「いろんなこと きがずいぶん変わってしまったな」とっくづく実感します。ほんの五年か六年のあいだに、 哀まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本のバブル経済は今では完全にはじけてしまったし、 て どん底にあったアメリカの景気はなんとかしつかり持ち直してきたし、おかげでーー喜ぶ や ・バッシング」はもうほとんど姿を消し べきか悲しむべきかーー当時の厳しい「ジャパン 本 てしまった。変われば変わるものです。またそれと同時に、僕自身のその頃の立場や気持 庫 文ちのようなものも、やはり少し違う場所に移ってきたのかな、という感もあります。でも まあ、当時はこういった状況であり、こういった心境だったのだと思って読んでいただけ

8. やがて哀しき外国語

はないですか」と質問される。先日ペンシルヴェニアの大学で勉強しているという日本人の 女子学生と会って話をしていたら、「私は子供の頃アメリカにしばらく住んでいて、日本に 帰ってきてからもずっとアメリカびいきだったんですけれど、今回もう一度アメリカに来て 暮らしてみて、やはり日本が好きだって思うようになったんです。村上さんはどうです か ? 」と質問された。 でもそんな風に訊かれても、僕としては何と答えればいいのか个ョに困ってしまうことに なる。日本にいたって、アメリカにいたって、生活の基本的な質というのはそれほど大きく は変わらないんじゃないかというのが僕の正直な感想だからだ。もちろん年齢や立場によっ て事情は変わってくるだろう。とくに若いときに外国で生活すれば、いろんな外的影響も受 けやすいし、心も揺れ動くはずだ。それはそれで自然なことだと思う。若いというのはそう いうものなのだから。でも僕個人に関していえば、アメリカにいても日本にいても、生活の 姿勢にはそれほどの変わりはない。アメリカにだって不愉快なろくでもない奴はいる。頭に 来ることだってある。目に見えぬ人種差別だってもちろんある。一一一口葉がうまく通じなくて、 誤解したりいらいらすることもある。偉そうにえばってる奴もいるし、頑固で融通のきかな い連中もいる。他人の足を引っ張ることに汲々としている人たちもいる。そういう人間にか かわり合うとそれはまあそれなりに不快な気持ちになる。でも考えてみれば同じようなこと は、同じくらいの割合・頻度で日本でもあったのだ。考えてみれば、日本語でだってうまく

9. やがて哀しき外国語

僕は日本にいるときも、外国にいるときも、とくに事情がなければだいたい毎日走ってい るし、機会をみつけてはレースなんかにも出ているわけだけれど、日本で走ることと外国で ( たとえばアメリカで ) 走ることとのあいだに何か違いのようなものがあるのかと聞かれた ら、これはやはり「ある」と答えるしかないと思う。もちろん走るという行為のありかたそ のものに変わりがあるわけではない。右足と左足とを交互に出して、なるべく早く有効に肉 体を前方に移動させるーー世界じゅうどこに行ってもこれが「走る」という行為の基本的な あり方である。しかしその「走る」という単純な行為に対してどのような人為的な環境が提 供されるかというと、こちらは場所によってかなりの差異が生じてくることになる。そして そのような差異を作りだすもっとも大きな原因は、言うまでもないことだが、それらの環境 を作りだす人々の意識そのものの差異である。 たとえばあなたがアマチュア・ランナ 1 であるとする。そしていつも一人で近所を走って いるのも退屈だから、十キロ程度のレースに腕試しに出場してみようかなと思ったとする。

10. やがて哀しき外国語

148 ンのが出るんだ。車体は同じだけど、エンジンが変わる。これは速いよ」と言った。もちろ んそんなことは彼にはもう関係ないわけだけれど、なんとなくフォルクスワーゲンのことが なっかしそうな顔つきだった。 「いいよ、今ので十分だよ」と僕は言った。「いくら速くたって、ニュージャージーじやス ピード出せないんだもの」 「まあそりやそうだ。あんたの一一 = ロうとおりだ、あれで十分だ」と彼は言った。 僕は以前はそのディーラーの前を通りかかるたびに、ロットに並んだプジョーやフォルク スワーゲンの新車をちらちら横目で眺めるのが好きだったのだけれど、今ではそこにお馴染 みのファミリアややミアータやがずらりと並んでいる。べつにマッダの車に反 感を持っているわけではないのだが、そういう新しい光景を見るたびに、僕としてはいささ か複雑な気持になる。これが新しいイデアの姿なのか、と。それにしてもプジョーの 405 はなかなか綺麗な車だったんだけどな。 後日附記 コラードはどういうわけかマサチューセッツ州ではよく売れたらしく、ポス トン市内ではしよっちゅう見かける。土地によって売れゆきに差があるようだ。と