結局 - みる会図書館


検索対象: やがて哀しき外国語
38件見つかりました。

1. やがて哀しき外国語

自慢じゃないけれど、恋よりは引っ越しの回数の方が多い。だからどうなんだと言われたら それまでだけれど。 プリンストン大学はなかなか居心地がよくて、結局ずるずると一一年半も住んでいたことに なる。僕の資格は最初ビジッティング・スカラーで、それが一年半続き ( 普通は一年間が期 限なのだけれど、頼んで半年延ばしてもらった ) 、それからビジッティング・レクチャラー というあまり耳慣れない資格に変わった。このタイトルをもらうと滞在が延長できるのだけ れど、そのかわりクラスをひとっ持って教えなくてはならない。教えると収入が生じて ああこれはなんと実に僕が生まれて初めて手にした給料であるーー大学のために働いている という大義名分ができて、滞在の延長が可能になる。週にふたコマのクラスを持っとより高 いランクのビジッティング・プロフェッサーになれるわけだが、これはちょっと荷が重すぎ スる。僕は別に先生になるためにアメリカに来たわけではないのだから。それで結局大学院の ン 学生を対象とするセミナ 1 を週にひとコマだけ持っことになった。他人にものを教えるのは よなにしろ大の苦手、もちろん教職免許も持ってないし、生まれてこのかた家庭教師すらした ら ことがないという僕のような人間が、外国まで来てこんな大それたことをしていいものなの さ かという疑問は当然わき上がってくるわけだが、当地では資格とか経験みたいなことはとく に大きな問題にはならないようである。現代日本文学を教えているーーそして僕の酒飲み仲

2. やがて哀しき外国語

71 アメリカ版・団塊の世代 した明快さを見ると、僕はいつも「そういうもんかな」と考え込んでしまう。 トマス・ウルフの「天使よ故郷を見よ」なんかを読んでいると、はっきりと「ニ ガー・タウン」という言葉が出てくる。市の中にある黒人専用住宅地のことであ る。これはもちろんセグリゲーション ( 人種分離 ) 制度のあった一九ニ 0 年代の南 部の町の話だからだが、結局のところいろんなことが用語的に置き換えられてきた だけじゃないかという気かしないでもない だから映画「ライジング・サン』の中で黒人刑事が日本人のやくざをインナー シティーに誘いこんでプラサーたちの手を借りてひどい目にあわせ、「ラフ・ネイ ーフッドはアメリカの財産だぜ」というようなことを言っているのを聞くと、こ れはちょっと冗談にもなっていないんじゃないかという気がする。

3. やがて哀しき外国語

116 しいものが詰まった宝物の箱のようなものである。彼らはそのような発見に大きな喜びを感 じ、スリルを感じるわけだ。それはある意味では「若手の黒人ミュージシャン」にとっての ルーツ探しであり、それなりにヒップな行為なのだ。そういう彼らのジャズという音楽に対 する観念・発想そのものが、キース・ジャレットの世代のそれとはぜんぜん異なったものな のだ。その根本的な相違をキース・ジャレットはやはり認識しなくてはならないと思う。 「反抗しろ、戦い取れ」と一言われても、マルサリスたちにすれば「そんなこと言ったって、 いったい何に反抗すればいいんだよ」とただ肩をすくめるしかないのではないか。逆にいえ ば、マルサリスたちは、「彼らに反抗しなくてはならない」と思うほどには、キースたちの 世代の音楽を評価していないということになるのではないか。そしてそういうところにもま た、キースの深い苛立ちがあるのだろう。 というようなことを考えつつ、今日も史・ロレコード屋をまわって、バド・シャンクの入っ たジョン・グラースのコーラル盤に七ドルの金を払う価値があるかどうか、深く迷ってしま った。七ドルというのはけっこう難しい線である。結局買わないで帰ってきたのだが、家に 帰ってからもまだ深く迷っている。いったいどうしたものか。

4. やがて哀しき外国語

132 プ・ランバートがコネティカットの号線で死んだことを僕が知っていたところで、それは ただの瑣末な知識にしか過ぎない。そういうトリビア・クイズ的な観点から見れば、日本の ジャズ研究の質は、おそらくアメリカのそれとは比べ物にならないくらい高いだろう。そし てそういう研究もある面においては大事なんだと思う。でもこのおじさんに言わせたら「そ れは凄いね。でもあれは俺たちの音楽なんだよ」ということになるだろう。そうなると、そ こで話はすとんと終わってしまう。そして我々の方が「オー・ヤー」と言って黙り込んでし ま一つことになる。 ークレ 1 のシャッ屋で〈 9--2 << に行こう。君はきっとロドニー・キ 余談になるけれど、 ングのように扱われる〉というシャツを見かけた。これはもちろん運転手のおじさんが言 った「トリーティッド・ライク・ア・キング , のもじりである。おかしいから土産に買おう と思っていたのだが、結局忙しくて買い忘れて帰ってきてしまった。 後日附記 ・。、ーソンズとエッタ・ このモントクレアの「トランペット」ではヒューストン ジョーンズ ( 懐かしい ) のむんむんしたプルーズ・ライプを聴いた。こういうタイ プの人達は老け込まなくて本当に楽しいですね。感激してレコードにサインしても

5. やがて哀しき外国語

85 アメリカで走ること、日本で走ること だって文章的にはもう少しカラフルではあるまいか。あるタレントがテレビで「早 朝ジョギングなんかしてるやつを見ると、足を引っ掛けて転ばせてやりたくなる。 お前らそんなにまでして長生きしたいのか」と言っていたと誰かに聞いたことがあ るけれど、その気持ちは僕にもわからないでもない。 でもこれだけは断言できるけれど、四十ニキロを走るのは決して退屈な行為では ない。これは実にス リリングで、非日常的で、イマジネイティヴな行為である。そ こではたとえ普段は退屈極まりない人間だって、走っているだけで「何か別のも の」になることができる。ただその「何か別のもの」のことを誰かに言葉で伝えよ うと思うと、どういうわけかものすごく月並みで退屈なものになってしまうだけな のだ。 それから某タレントのテレビでの意見にはひとっ間違いがある。我々は決して長 生きをするために走っているわけではない。たとえ短くしか生きられないとしても ( 人の人生なんて多少の誤差はあれ所詮短いものではないか ) 、その短い生をなんと か十全に集中して生きるために走っているのだと思う。みんながそんなことをする 必要はもちろんないけれど、そういう方法を選択する権利が人にはある。それに、 自分が結局は退屈で凡庸な人間だと思い知ることも、たまには必要ではないでしょ

6. やがて哀しき外国語

「やがて哀しき外国語」のためのあとがき 僕はこの本を書く前にも、旅行記というか滞在記のようなものを一度出したことがあ る。『遠い太鼓』というのがそれで、僕はその本のなかで約三年に亘るヨーロッパ滞在に あ ついての文章を書いた。でも今考えてみると、そこに収められている文章の多くは「第一 の め 印象」或いはせいぜい「第一一印象」によって成立していた。僕はずいぶん長くそこに滞在 のしていたわけだが、結局のところは、通り過ぎていく旅行者の目でまわりの世界を眺めて いたように思う。それがいいとか悪いとか一一一口うのではない。通り過ぎる人には通り過ぎる 国 外人の視点があり、そこに腰を据えている人には腰をすえている人の視点がある。どちらに しもメリットがあり、死角がある。かならずしも、第一印象でものを書くのが浅薄で、長く 哀 て暮らしてじっくりものを見た人の視点が深く正しいということにはならない。そこに根を や下ろしているだけ、かえって見えないというものだってある。どれだけ自分の視点と真剣 に、あるいは柔軟にかかわりあえるか、それがこういう文章にとっていちばん重要な問題 であると僕は思う。

7. やがて哀しき外国語

ているだけじゃないか」という投書もあった。そういう気持ちもまあわからないではない。 多くの人々が四十一一キロを走るーー多少は歩くにしてもーーということじたいは素晴らしい と思うのだけれど、でも一万人を超える人間がわざわざ日本から飛行機に乗って外国のマラ ソン大会に押しかけるという状況は、たしかに「常軌を逸している」と言えるかもしれな 。要するに日本人は金持ちなんだ、それだけだよ、とあなたは一一一一口うかもしれない。もちろ ん金がなければ、一万人もの人間が飛行機に乗ってハワイまでマラソンを走りにいったりは しない。それはたしかだ。でもそれだけが理由じゃない、と僕は思う。 結局のところ、日本人の大多数のランナーだって、日本のマラソン大会はつまらないと思 っているんじゃないのかな。どうでしよう ? 後日附記 長距離を走る人間には退屈で凡庸な人間が多いと言う説がある。僕自身も長距離 を走るわけだが、この説にはかなり信憑性があるように思う。たとえばランニング の専門誌の投書欄なんかを読んでいると、確かにこりや退屈だなとっくづく感心さ せられることがある。世の中には数々の専門誌があるけれど、こと文章的退屈さに 関してはランニング雑誌はかなりいい線をいっていると思う。歯科技工士の専門誌

8. やがて哀しき外国語

232 いた。「ローマにあってはローマ人のごとく振る舞え」という格一 = 口があるけれど、まさにそ のとおりである。でもアメリカにきたらもうぜんぜん駄目、服のことなんかほとんど考えた こともない。毎日毎日、そのへんにあるものをただ適当にのうのうと着ているだけである。 しかし正直にいうと、こんなに楽なことはない。僕はもともと面倒なことが苦手な人間なの で、こういう生活にはすぐにはまってしまう。 昨年仕事の関係でどうしてもスーツを買わなくてはならない羽目になって、ニューヨーク に行っていろいろな店をまわってみたのだが、結局すったもんだの末にイタリア・プランド のものを買うことになった ( しかしスーツを選んで買うくらい面倒なことはないですね。純 粋なかたちでの時間の消耗だ。あるいは世の中にはそれが何より好きだという人もいるのか もしれないけれど ) 。せつかくアメリカにいるんだからアメリカの服を買えばいいとは思う のだけれど、実際に店に行って眺めたり、試着したりしてみると、「これはちょっとなあ」 と首をひねってしまうことになる。どうしてかはわからないけれど、どうもうまく体に馴染 まないのである。昔はそんなこともなかったと思うのだけれど、なんとなく窮屈なかんじが する。まあ僕は年に一度くらいしかス 1 ツを着ない人間なので、偉そうにあれこれ言っても しかたないような気もするけれど。 ファッションというのは面白いもので、マイルス・ディヴィスは一九五〇年代から六〇年

9. やがて哀しき外国語

ここではジェームズ・プラウンが歌っていた。『パパのニュ 「これ、あんた誰かわかるか ? 「ジェ 1 ムズ・プラウン」と僕は即座に答えた。 「好きか ? 「若い頃はよく聴いたよ。最近はあまり聴く機会がないけどね。でもジェームズ・プラウン はたしかしばらく刑務所に入っていたんだよね」 「オー・ヤー、結局一一年入ってた。でもこないだやっと出てきた。まだ歌ってる」と彼は言 った。それから少し間を置いた。「でもな、俺は思うんだけど、日本人は俺たち黒人の音楽 をきちんと理解して扱ってくれるよな。ヨーロッパの人たちと同じように」 「そうだと思う。だから多くのジャズ・ミュ 1 ジシャンがアメリカを離れて、日本やらョ 1 ロッパやらに来た」 「そう、ケニー・クラーク、バド・パウエル、デクスター・ゴードン、みんなアメリカを離 れた。アメリカ人はジャズにまったく敬意なんか払わないものな。あんた、ピアニストのバ リ 1 ・ハリス知ってるか ? 」 「知ってる。良いピアニストだ」 「あれも俺の友達なんだ。あいつが言ってた。日本に行ったらみんな王侯貴族みたいにもて なされる ( トリーティッド・ライク・ア・キング ) んだって。道を歩いていたら、みんなが ーバッグ』だ。

10. やがて哀しき外国語

112 ゃないよな」 結局のところ、残念ながらジャズというのはだんだん、今という時代を生きるコンテンポ ラリーな音楽ではなくなってきたのだろうと思う。冷たい言い方かもしれないけれど、僕は そう感じるし、思う。もし僕が一九五一一年にアメリカにいたら、何があったって Z>A に行っ てクリフォード・プラウンのライプを聴いていただろう 0 一九六〇年にアメリカにいたら、 やはり同じようにジョン・コルトレーンとキヤノンポールとビル・エヴァンスの加ったマイ ルス・ディヴィス・セクステットを必死に聴いていただろう。遠いとか、面倒くさいとか、 眠いとか、空気が悪いなんてことは言ってなかっただろう。 何も新しいジャズが嫌いだというのではない。新しいジャズだって聴けば楽しいし、やっ ばりジャズっていいなあと思うことだって多いのだ。でもそこには心を深く揺り動かすもの がない。今ここで何かが生まれつつあるのだという興奮がない。僕としてはそういうもの かっての熱気の記憶で成立しているようなものに、あまり興味が持てないというだけの ことなのだ。少なくとも、それを聴くためにわざわざ一泊してニューヨークまで出かけたい と思うほどの興味は持てないということである。 先日、プリンストンにあるマッカーター劇場で行われたリンカーン・センター・ジャズ・ 。しオこれはウイントン・マルサリスの主宰す オ 1 ケストラというバンドの演奏を聴きこ ) っこ。 る意欲的なジャズ・バンドで、この日の演奏はオール・エリントン・プログラムだった。こ