264 アムリ 「これがはやりのセックスレスカップルかー 「違うよ。老夫婦だよ。」 「違うな。眠いんだ。」 「しかし、どうして『風と共に去りぬ』だったんだろうね。そんなにいい映画なのか なあ。」 「名作の手ごたえがあったね。」 そういう会話をもう寝ばけてろれつの回らない状態でしながら、いつの間にか眠っ てしまった。 っこ 0 そして私がいたのは、さんさんと陽がふりそそぐホテルのロビーのようなところだ 巨大な吹き抜けの天井はガラスばりで、くつきりと青空が見える。 陽はそこから、まんべんなく口ビー中を照らしてそこいらにいる金髪の人たちの白 い肌を透かしていた。 きれいだな、と思って見ていた。
255 アムリ 「気にしすぎだよ、メスマ。そんなの、たまたまいろいろ重なっただけなんじゃな きしめんはぼつぼっと言った。 「たまたまよ。だって、私たち普通だったじゃない ? 」 いつまでも私にずけずけとものを言って発熱させてごめんね、と言うメスマ氏にき しめんは言った。 「そうそう、私も感度よすぎるし。」 「僕も。僕たちきようだいだから。」 なぐさめではないけれど、うそだった。 そのことを全員が知っていた。 「鋭いことって、言い過ぎちゃうとね。」 なにげなく、きしめんは一三ロった。 彼女の運転はうまかった。外国で免許を取った人特有の大胆なドライビングだった が、運転に慣れていて不安がなかった。
輝いていた。目が生き返っていた。発散する光が違った。 素顔とセーターの白が、タやみの中で半月みたいにぼんやりとあかるく浮いて見え 紅もさしてないのに頬は赤く、足取りはダンスのように軽かった。 「おくれてごめん。」 栄子は言った。 「どうだった ? 」 私はたずねた。 ム 「ハワイから戻ったら、二人で真剣に結婚を考えようって言われた。」 ア栄子は言った。 「ほんとうかー ? 」 私が一一一口うと、 「本当みたい。」 と栄子が恥ずかしそうに笑った。 そうか、結婚したかったのか、それなら言ってくれればよかったのに ( 言ってもら ってもしかたないけど ) 、と思った。知らなかった。本当は、こんなにも本気だった
「相談しようよ。遊びにおいで。」 弟は黙った。落ち着いてはいるが、決して元気ではなかった。さっき夢で活躍した からではない。高知で取り戻した何かが枯渇している。そのことがよく伝わってきた。 「考えて。来たいんじゃない ? 正直に言ってごらん。」 「お母さんが : ・・ : 」 「なんとかなるよ。」 ん、考える。」 「飛行機に乗って、自分の体で来るほうが、 ムかぐほ、つが」っ」。」 ア 私は言った。 「行きたい。」 彼は言った。 生きたい、 と言ったのかと思った。そういう真摯な響きだった。 「お母さんに言ってみるよ。」 私は言った。 「おまえは、二、三日寝込みな。頭の調子が悪いとか言って。そのほうが呼びやすい こかっ しんし 、よ。きっと、自分の鼻で海の匂いを
203 アムリ 聞いても、耳が拒み、 「どこから ? ・それ、確か ? 」 私は言った。 「そこのタンスから、私のへそくりを現金で八十万円。」 「どうしてそんなのうちにおいとくんだろう、銀行にあずけなよ」 私は言った。 「だって、銀行はあてにならないし。現金をおいとけば利息もないけど定期にしたり 引き出したりしなくていいし、突然の旅行とか、軽い気持ちで行けるし。」 母は言って、話がそれてきた。 どうも話したくないようなのだ、お互い 事実だけで充分だった。 「悩みごとがあるとか、そういう話はしてなかったの ? 」 私は言った。 「そう言われるとあったような気もするんだけど、でも、具体的には知らない。」 母は言った。 「貸して、って言ってくれれば貸したのに。」 トが受け人れないのだ。
197 抜けだそうとする弟こそが健全なのかもしれない。 「友達になりましよ、つ。」 私は言った。へんなの、と弟が言った。 「今日、僕に残された時間は残り少ないんだよ、遊びに行こうよ。」 それもそうだった。 「うちに来る ? 」 きしめんが一一った。 「何か食べ物ある ? 」 弟が言った。よしなさい、はずかしい。と私が止めると、きしめんはいいのよ、ビ アザ取ろうか ? と笑った。 笑うと、空気が震えるような感じの笑顔だった。鼻に少ししわを寄せて。何か井い 秘密を隠しているような。 子供の時、夕方が来るのが淋しくて、いつまでも遊んでいたくて友達と何度も家出 したことがあった。それでも夜が来るとこわくなって、帰ってからしかられた。そう
277 アムリ 朔ちゃんへ あらたまって手紙、なんてね ! このあいだはサンキュ すつごい、楽しかった。 すごくすごく楽しくって、私は、生きててよかった、って思った。 私は、正直言って、自分に超能力みたいなのがあってアメリカに留学したこと、自 慢に思ってた。 「友達はだいじなものよ。」 私と弟は黙った。 私は今も、純子さんと母が夜中の台所でいつまでもしゃ。へっている姿を絵画のよう にくつきりとした陰影で思い描くことができる。 トイレに起きた私がねばけまなこで廊下を通ると、彼女たちはいつも女子高生のよ うに悩みを語り合ったり笑ったりしていたのだ。
私ですら、今なら感じる。 死の匂い、絶望のイメージ。枯渇。希求。 失ったものが得たものより何倍も多く思えるような精神状態。 何とでも言える。 とめられなかった。加速した。 暇なので、栄子に会いに行くことにした。 ム 退院してすぐは、家の中がさぞかしもめているだろうと田 5 い、遠慮していたら、電 ア話がかかってきたのだ。 栄子の家に行くなんて、高校生のとき以来らしい。らしい、というのは全然覚えて いなかったからだ。栄子が電話で、 「高校のとき来て以来ね。」 と言ったので、行ったことがあるのを知った。それこそ頭を打った関係だろう、本 当に全然、覚えていなかったのだ。 しかし、その家の門の前に立った瞬間、「自分の足」の画面からめくるめく勢いで こかっ
179 ム「やつばり、よせばよかった。あれじや軍隊じゃない、学校になんかやらなくてもい アいから、うちにおいた方が ある日の面談から帰ってきた母親が、怒ってヒスをおこしていた。人院してまもな いから、弟が土日に家に戻るのはまだ止められていた。 「何で ? 自由がないの ? いやな人たちなの ? 」 私はたずねた。 「そんなことない、親切な人たちなんだけど。でもね、だって、離婚した時のことと かしつこく聞くんだもん、信じられない。い やよ、もー忘れてたのに。」 彼女は笑った。 「一応、私の住所と電話を書いておきますね。彼に渡してください。」 と言って、店のペ ーナプキンにさらさらと字を書いた。名前は「鈴木かなめ」 という普通の名前だった。 「渡しておきます。」 と受け取った。
252 そのストイックさを見ていると、何かかわいそうな感じすらした。 「でも、日本なんて、そんなにがまんしてまでいるところじゃないと思うけど。日本 の教育も、おまえがうけて得するようなものでもないしね。行ってみたら ? 行きた いなら。」 私は言った。 「うん、だから、もういつ。へん、会いたかったの。人の気持ちがわかりすぎて、夜寝 る時まで人ってくるなんて、そんなふうにつながるなんて、はじめてのことだったか ら、すごく動揺してたから。何が何だかわからなくなっちゃって。」 ム弟は言った。 ア 「だから、会いたいの。」 四人で会うことは、だから意外に簡単に実現した。 きしめんの「いいよ、どうせなら遠出して遊ばうよ。車出すから。」という一一一一口葉に も、裏はなかった。言うまでもなく事情はわかっているという感じだった。 ただ前に進もうとする、そういう感じ。