今 - みる会図書館


検索対象: アムリタ 下
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1. アムリタ 下

観もので、あんなに頭を打って、今も生きているということは、そのまま死んでしまう のと等しくよくあることで、そういうことのすべて、予測がっかなくて今の場所にい られなくなってしまうことこそが、みんなが畏れてきたことなのだ。 そんなことがなんとなくわかったような気がして、気分も戻ってきて、私は起きあ がった。そして何か飲みに台所へ行った。 コーヒーを淹れていたら、テープルの上に置いてあった封筒が目について、ふと手 に取って見て、びつくりした。それは自閉症児や登校拒否児が行く私立の学校のパン ムフレットだったのだ。それが何を意味しているかは、想像がついた。でも、弟がそう いうことになっているなんて、誰にも聞かされていなかったし、学校に出かけて行く 姿を昨日も見たように田 5 う。 何が起こっているんだろう、サイバンではタッグを組んでいるかと思うくらい近く にいた弟が今はど、つもとても遠いところにいるらし、 同じ家の中で、同じものを食。へていても。 そのことだけは妙にはっきりとわかった。 おそ

2. アムリタ 下

弟が言った。 「君は、でも名前に合った感じがするよ。」 「お父さん」は言った。 「僕も、なんとなくわかる。」 弟は言った。 「言いたいことはわかるんだけど : : : 」 私は答えた。よくわかるんだけど、あとひとつのところでつながらない。私にわか るのは、真由の好意だけ。真由が私に期待する淡い思いやりだけ。 ム「それでいいんだよ。」 ア と「お父さん」は言った。 このひとはものすごい焼きもちやきで、母と一緒の時はいっときも休まらない感じ だったが、今は落ち着いて、自信に溢れてみえた。 母といたあの場所が間違っていたとは思いたくないけれど、今、彼はきっと居心地 のいいところで暮らしているのだろう。 弟は、すっかり気分を変えて子供らしく笑っていた。こんなに、すぐに反応する、 すぐに取り戻せる、これが若さということなのだ。 164

3. アムリタ 下

: そんなに飛ばすと事故る 色。みんなすごい速度でびゅんびゅん遠ざかって行く。 よ、という亠は風に紛れて届かないだろう、言うのをよした。 竜一郎は運転に集中して、真剣に前を見ている。飛び去る景色の何もかもが速く、 新鮮に映る。 そのとき強く思った。 ぐるりと私を取り巻くこの世界の中心、めくるめく景色の中で。 本当に痛いほどに実感した。 ああ、そうだ。いっか、私も竜一郎もこの地上からいなくなる。 骨になって、土になって、空気に溶ける。 アその気体は地球上を丸く覆っていて、つながっている。日本も、中国も、イタリア も、みんな。いっか風に乗ってそこを巡るようになるときが来る。今はこんなに確か にここにある手も足も、消えてなくなる。 みんなが、いっかそうなる。 真由のように、父のように。 今生きている誰もがいずれそれにならってい そのことは、何とすごいことだろう。

4. アムリタ 下

「今になって思うと、僕がおかしかった頃 : : : 」 この前、母がデートで留守だった夜、私と弟は久しぶりに家で二人だけでごはんを 食べた。私の作った味噌煮込みうどんを二人前は食。へた後で、お茶を飲みながら、ポ らテトチップスをばりばり食。へながら、弟は突然言った。 わ 変「あの、朔ちゃんと高知行ったり、サイ。ハン行ったりしてた頃って、なんていうか、 何ハッビーだったような気がする。」 「おまえに言われたくないよ ! 」 こっちはおまえのことで大変だったの、と私は言ったが、実は、弟の言いたいこと がよくわかるような気がしていた 今思うと、あの頃はあまりにもいろいろなことがありすぎて、時間がどんどん過ぎ てゆくような感じがした。それなのに、全然せわしない感じはしなかった。あの頃知 り合った人々や一緒に過ごした人々、行った場所、なにもかもが濃密で、もしかした

5. アムリタ 下

私は起き上がり、砂を払う。 何を食べに行くか話す。 そんな簡単なことが、私の母国では今むつかしい。 今弟は、身をもってそのことを感じているのだろうか。と、ふと思った。高知で、 いきいきと釣りをして、早寝早起きをしていた彼の、子供らしい四肢を。 「今夜は、させ子が手料理をごちそうしてくれるそうだよ。」 竜一郎が言った。 ム コズミ夫妻は、サンドイッチ屋の二階の、広々とした部屋に住んでいる。 かんべき アオレンジを基調とした南国らしい明るいインテリアで、完璧なのにどこか大ざっぱ で、どでかい > がある。 居心地のいい部屋だが、その夜、食事が終わったとたんに私は激しい頭痛と発熱に 襲われ、ソファーに倒れてしまった。 「ごはんにあたったわけじゃないのよー、おいしかったわよ。」 とだけ必死で言って、私は頭を抱えてしまった。 竜一郎は心配で青くなり、コズミくんが焦って氷まくらを作り、させ子がその柔ら あせ

6. アムリタ 下

真由は笑って立ち上がり、ポットに手をかけてお茶を淹れてくれようとして : : : 弟 は目が覚めた。 真由はいなくて、自分の部屋のべッ それが、弟の見た夢の話の全貌だった。 私は横浜に向かう電車の中でその意味を一生懸命考えて無口になった。 窓の外には夜の都市が光って見えた。 電車は乗っているさまざまな人の人生を、ただただ目的地に向かって静かに揺れな がら運んでいた。 ただ淋しくて、真由のことを思うとただものがなしくて、今はそれしかなかった。 ア多分、自分が死んで同じところに行かない限りずっとそういうふうにしか感じられ 会いたくて、取り戻したくて、哀しい 好きで、憎らしくて、さわりたい。 そのくりかえし。ぐるぐるまわる、閉じられた輪。 駅から電話すると、弟の父はびつくりしたものの予定はないから今すぐに行く、と ャムチャ 言って中華街の人り口の飲茶の店を指定した。 せんはう

7. アムリタ 下

人を新しいの古いの、合体だの、ガンダムかなんかみたいに言うなよ、失礼な。と 思ったけれど、多分彼には今の私の状態がダイレクトに伝わっているんだろうと思。 て、言わなかった。彼はわかっている目をしていた。 ほんろう 人によ「ては合わせ鏡のようにただひたすら展開するこの記憶の力に翻弄されて発 狂するような局面なんだろうけれど、私はその模様がただ珍しく、できることなら記 憶したいくらいだった。 ああ、人の頭は、都合の悪いことや今必要でないことは呼びださないという機能ま でそなえたすさまじい容量を持 0 たコンビ、ーターなんだ。比喩でも何でもないのだ。 ことばかり考えるようになり顔つきも変 ことばかりインブットしておいたらいい アわる、というのはあながちうそではないし、ネガテイプなものをインブットしなけれ めいそう ばサクセスするとか、暗い過去を修正する瞑想とか、ようするにプログラムのやりな おしだって可能なくらいに機械で、精密で、ばか正直なものだ。 でもまあ、私はそんな道は選ばない。 せつかく生まれてきたんだから。 いろんなことをしよう。おかしいことも、恐ろしい事も、ひとを殺すほどの憎しみ , も、いっか 115

8. アムリタ 下

らあれこそが遅くやってきた ( 弟にはとても早くやってきた ) 、青春というものなの かもしれない、 とす - ら思、つ。 「だって、そう思うんだもの。毎日が、すごく濃かったよね。」 弟は言った。 「今はどうなのよ。」 私は言った。弟は、中学生になったとたんになぜか卓球に目覚め、部活に打ち込む ようになって、超能力めいたものはどんどんうすれていった。体つきも変わってきて、 スポーツをしている、という感じだ。スポーツで昇華、なんて、まるで保健体育の教 科書に出てくるような単純なやつだ、と私は笑ったが、人間のしくみはたいていとて アも単純でよくできている。複雑にしてしまうのは心と体がばらばらに働き、、いのほう すきま が暴走してゆく時だけだと思う。そういう時に、人間は何かの隙間を見る。その隙間 こわやみ には世にも美しいものも、戻れないくらいに恐い闇もつまっている。それを見るとい っ体験は、幸福でも不幸でもないが、その思い出は、幸福な感じがすることが多いの だと思、つ。 「今は、あれほど頭使うことはないな。あの時って、いつも、頭がほんとうに熱かっ たもの。」

9. アムリタ 下

140 実感できる。自分が三歳なのか、三十歳なのか、本当にわからない。今がいつで、寝 る前どういう一日を送ったか。す。へてが夢で、君はこれからうまれる赤ん坊なんだよ、 と言われたらああそうか、そうなんだな、と思える。ただ静かで、むき出しで、白紙 私は、気が狂うのだろうか ? と、こうなるといつでも思った。 よみがえ タしかしそうして横たわっていると、記憶というものが少しずつ細い流れとして蘇っ てきて、懐かしい岸辺に流れつく舟のように私をかすかにつなぎとめるのだ。 寝る前に見た、おやすみという母の笑顔。 ア自分に、好きな人々がいること。 今はもう会えなくなった人達と、すばらしいひとときを過ごしたことがあること。 ぎわ 夏の夜の花火、波打ち際にきらきらひかる夜光虫のこと、大雪の夜、窓辺で真由と つまでも闇に舞う白い結晶を見ながら小さなライトの下で、ラジオから聴こえる好 きだった歌に合わせて一緒に歌ったこと。 不思議とそういうことばかりが思い出されて、少しずつ現実の、自分の空間の分量 が増えてくる。つなぎとめる。 一 0

10. アムリタ 下

アムリ 何とすばらしいのだろう。今確かにここにいて、今しかない肉体でまわりじゅうの 何もかもをいっぺんに感じていることカ 感動のあまり突如、涙が出てきた。 ただなか スビードは感傷を許さない。その只中では感傷はすぐに乾いて、あっというまにめ くるめく瞬間の連なりへと霧散してゆく。 そうしてこの涙も、すぐさままるでなかったもののように消えてゆくだろう。 ハイビスカスの背の低い並木をくぐり、こ高い丘の上のただただ広い芝生に二人で 坐って、サンドイッチとジュースの、絵に描いたようなピクニックをした。 とにかくあまりにも敷地が広くて、奥地を探険したら本気で遭難しそうだった。 濃い緑がどこまでも続き、空は抜けるように青く、私達のいる丘からは島中がみお ろせる。風が遠くの街やジャングルを渡っていく様子がわかるほどクリアーな眺めだ っこ 0 「由男は来れてよかったね。楽しそうだし。」 竜一郎は言った。 「うん、若いうちにいろんなことしとくと、きっといいんだと思うな。一人で飛行機 すわ 、、ゝ 0