「ネグレクト」という虐待 女性と子どもへの暴力 虐待する母たち 多くの女性たちが性的被害を受けている 解離する母は危ない 6 母と子を分離しなければならない場合もある 被虐待児を見つけたとき ごく当たり前の家庭で起こる児童虐待 言葉で殴り、期待で縛る「情緒的虐待」 虐待する母親は虐待されていた子 日本人の聖母像「つくすお袋」という幻想 4 「バッド・マザー」を排除する男たち 母は「いいかげんぐらいのほうがよい 7
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 一九八五年に「家族内暴力防止法」がつくられて、暴力男 ( 夫 ) の隔離と犠牲者の保護が明確化 されました。このアメリカ人たちの社会で「児童虐待防止法」が制定されたのは、それより一〇 年早い一九七四年です。 日本には、これらのいずれの法もありません。実態がないからではない。それに名を付けるこ とが遅れ、実態を見ることに抵抗があるためです。 日本の専門家たちは、小児科医が児童虐待を見逃すという形で、精神科医が児童虐待後遺症に 境界性人格障害などの精神医学的診断名を付して放置するという形で、法律家が死体となった児 いんべい 童や骨折した妻たちにしか関心を示さないという形で、この隠蔽に手を貸し続けています。とく に悪質なのは、私と同業の精神科医で、彼らの一部は、「日本には児童虐待は極めて少ない、性 的虐待はほとんど見られないーなどという神話を国際学会にまで持ち込んでいます。 現象をそのまま受け入れ、それに名を付ければたくさんの児童虐待や夫婦間暴力が見えてきま す。 一九九五年九月からの二年間に私の主宰するクリニックに来所した人々から無作為に選んだ四 きおう 〇〇名 ( 全症例の一二・九 % ) についてみますと、児童虐待の既往のある者が四九 % を占め、近 親姦を含む性的虐待を体験したという者が一六・五 % ( うち近親姦は一〇・三 % ) に達していま した。女性だけについてみると一九・五 % 、つまり女性来診者の五人に一人が児童期性的虐待の
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 児童福祉法に、この「通告義務」についての条項があります。 〈第二十五条要保護児童発見者の通知義務〉保護者のない児童又は保護者に監護させること が不適当であると認める児童を発見した者は、これを福祉事務所又は児童相談所に通告しな この ければならなし ゝ。但し、罪を犯した満十四歳以上の児童については、この限りでない。 場合においては、これを家庭裁判所に通告しなければならない アメリカやカナダでは、虐待されている子どもを発見した市民が通告を怠ると処罰されます。 日本では処罰規定こそありませんが、「児童相談所や福祉事務所に通告する」ことが義務づけら れています。このことはせひ覚えておいてほしいと思います。 虐待された子どもが大人になると、女性の場合、夫に暴力をふるわれる妻になることも多いの ですが、大人どうしの問題では、子どものケースより介入が難しくなります。大人には、自分が イヤならば自分で逃げ出す能力も責任もあるので、本人がそんな夫といっしょにいることを選ぶ というのなら、他人はどうしようもないからです。 ただ、これも、たとえば隣の部屋で今現在、殴る、蹴るの大騒ぎが起こっているなら、警察に 通報して当然のことです。もしも路上で、誰かが殴る、蹴るの暴行を受けていたなら、たいてい の人は一一〇番通報する。路上の暴力は許されないけれども、家庭の中で行われている暴力は許 というのはおかしな話です。 される、家族なら誰かが誰かを殴ってもいし
犠牲者ということになります ( 詳しいことは次に紹介する専門書に書きました。『児童虐待 臨床編』斎藤学編著、金剛出版 ) 。 ねんりよ この人々は思春期以後の生活の中で、自殺念慮、自傷行為、自殺未遂、売春、物質乱用、摂食 しへき 障害、行為嗜癖 ( ギャンプル依存など ) 、子ども虐待、思春期の対親虐待 ( いわゆる家庭内暴 カ ) 、配偶者虐待、不登校、対人緊張などの情緒的・行動的な混乱を重複して繰り返していて、 その一部は解離性障害をはじめとする ( 心的外傷後ストレス性障害 ) に悩んでいました。 虐待する母たち この四〇〇名の中にはわが子を虐待する母が二三名 ( 五・八 % ) いて、このうち二〇名 ( 八七 % ) までが児童虐待の犠牲者であり、そのうち性的虐待の被害体験を述べる者が一一名 ( 四七・ 八 % ) を占めていました。前に述べたように、この集団の性的虐待犠牲者の割合は二〇 % 弱です から、子どもを虐待する母たちの中のこの高い割合は注目に値します。二三名中一七名は結婚し ていて配偶者と同居していますが、婚姻関係は不安定であることが多く、八名 ( 三四・八 % ) は いわゆるバタード・ウーマン ( 被虐待女性 ) でした。 私は、一診療所の資料だけから、日本全体の状況を論じようとしているわけではありません。 見えるところで見れば、このような様相を呈しているといいたいたけです。少なくとも一部の
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 人々が断言するように、「日本という社会は、児童期性的虐待が生じない文化を持っている」な どとはいえないと指摘したいのです。 この資料に見られるいくつかの要素が、同種の問題を抱えながらも臨床の場に現れることのな い女性たちと無関係と断じるのは妥当とはいえないと思います。 まんえん 生育家族における暴力や怒声の蔓延、その中で子どもとして過ごすことの緊張と警戒、父親か ばとう しっせき べっ らの叱責と罵倒、虐待される母への同情と侮蔑、虐待する父への恐怖とそのカへの憧れ、幼いと まひ きから他家の厄介になることによって生した感情の抑制と麻痺、家の惨状を友だちに知られない ように隠す必死の努力、これらすべてから生じる「偽りの自己」と低い自己評価は、児童虐待防 止ホットラインを含めた種々のルート ( その中には精神鑑定の依頼が含まれる ) を伝わって私た ちのもとを訪れる虐待する母親たちに共通しているように思われます。 彼女たちは ( 少なくともその多くは ) 、わが子を虐待するという悲惨によって、救助を求めて いるのかもしれません。人は子育てを通して自らの親子関係を繰り返します。乳幼児とともに過 ごすことは、ある種の人を子ども返りさせ、これが長い間封じ込めてきた「内なる子ども」の憤 怒を表に出すことになります。この機会をとらえて彼女たちに寄り添って語り合い、彼女たちの 危険な行為の真の意味をいっしょに考え、できれば彼女たちの魂の成長につき合う人々が必要な のです。 あこが ふん
いは無関心を決め込む。会社のため、仕事のために自分の身を捧げつくすワーカホリズムにがん じがらめになっている夫は、妻との情緒的コミュニケーションもままならず、妻からなんらかの 訴えがあっても、「家を守るのは女房の役目」と体のいい理屈とともに無視するわけです。 一日中世話を必要とする赤ん坊と二人きりの家の中で、妻はひとりで苦しみ、ますます孤立し、 イライラを募らせ、ついには「無力な被害者」に手をあげてしまいます。虐待のカゲには、直接 手を下しはしなくても、妻や子どもや家庭から遠ざかり、無視し続ける夫も無関係ではないとい うことです。 もちろん、父親はいつも「傍観者ーというわけではありません。子どもを身体的に虐待するケ ースでは、父親と母親の数は同じくらいです。 この児童虐待という問題に対し、「女性の高学歴化が原因である」「仕事をする女性が増えて、 母性本能が失われたのだ」「自立した女性は子育てが嫌いなのだ」といった理由づけがなされる ことがありますが、これは大きな間違いです。 児童虐待は、今に始まった問題ではありません。経済的に豊かでなかった時代には、食べるこ きゅう とに窮してくれば、ロ減らしゃ間引きなどといって幼児が殺され、捨てられました。売買され、 とんでもない労働条件で働かされ、病気で死んでいった幼い子どももたくさんいたのです。 今ほど女性の社会進出が進んでいなかった時代でも、子どもを虐待する母親はいました。自立 てい
サバイバーとスライバ サバイプ (survive) とは生き残ること、スライプ (thrive) は成長することです。小児科学 には、「成長の失敗 (failure to thrive) 」という概念があって、児童虐待などで心身の成長の停 滞している子どもなどにこの用語を用います。精神科医の私がスライプという場合は、もちろん 心の成長のことです。 トラウマ ( 心的外傷 ) に関する精神療法や自助グループの分野ではサバイバーズ ( 生き残った 人々 ) という言葉がよく使われます。これはどういう人たちかというと、過去の外傷的体験、そ れはほとんど親による虐待などの被害を指しますが、それによって、その後の ( 児童虐待の場合、 思春期以後の ) 人生が影響を受けたと考えている人のことです。いい換えれば「今、私がこんな に生きにくいのは、親 ( その他の加害者 ) によって、あのような目にあわされたからだ」と考え るようになった人のことです。 生き残った人、サバイバーの特徴 この人たちには、 ) しくつかの特徴があって、ひとつは心身の不調です。心の障害としては、抑 うつ、無気力、自殺願望、自傷行為の繰り返しなど衝動コントロールがうまくいかないこと、過 しへき 食、ギャンプルなどを含む嗜癖、それに対人恐怖などがあります。身体の不調としては、呼吸器
虐待を受けて育った子どもは、成長して大人になると、今度は自らが虐待する親になりがちで す。虐待する親は、かって自分が虐待されていたことで、自分自身、深い心の傷を負っている場 合が多いのです。虐待される子どもを発見した人は、「なんてひどい親だ」と親を責める気持ち になるかもしれませんが、軽率に親を非難するだけでは、親は閉じこもってしまい、子どもの援 助が逆に難しくなります。 虐待する親は、内心、「どうして私はこんなことをしてしまうのたろう」と自分を責め、誰か に助けてほしいと必死の叫びをあげていることが多いのです。けれども、基本的に他人と信頼関 係を持っことが容易でないため、責められると、「この人も私の気持ちをわかってくれない」と、 ますます閉じこもってしまいます。一方的に非難するより、「いろいろないきさつがあってこう なったのかもしれない」と、ます現実的な対応をすることも必要なのです。 加害者である親にも、カウンセリングや、同じような親たちが集まるセルフヘルプグル 1 プへ の参加など、援助の手があることを知ってもらうとよいでしよう。 ごく当たり前の家庭で起こる児童虐待 こうした子どもの虐待は、特別な家庭での出来事ではありません。「子どもを虐待するような 親は、例外的な親だろう」「そんなのは、ごく一部の〃おかしい〃人たちがすることた」という
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない した女性が、突然、〃母性本能を失って〃子どもがイヤになったわけではありません。今までは 子どもいじめが表沙汰になることが少なかっただけなのです。 児童虐待の実態が表に出てくるようになったのは、高学歴の女性が増え、社会で活躍する場が 増えたことに関係するかもしれません。自分の職業と収入を持っている女性たちは、夫だけに依 存する必要がありません。社会に向かって、 「子育ては決して楽しいばかりではない。私はわが子をいじめてしまうことがある」 と発一言することもできるようになりました。 また、子どもに手をあげてしまいそうなとき、あるいは手をあげてしまったとき、「この怒り は何なのだろう」と考え、今までの教育と人脈を利用して、自ら救援機関やネットワークを探し 出すことを始めたのです。 女性の社会的な力が弱かったためにこれまで家庭内に隠れていた問題が、女性の進出とともに 社会に出てきたことはむしろ大きな前進だといえるでしよう。 「ネグレクト」という虐待 殴る、蹴るなどの身体的虐待の他に「ネグレクト」 ( 育児の怠慢、拒否 ) という虐待もありま す。これは、子どもの世話をせずにほったらかしておくことで、情緒的な虐待のひとつです。 4 ・
第 3 章「親教」の信者たち となりますので、期待を背負った子どもはますますがんばってしまいます。自分ががんばってい る間は、家族がバラバラにならずにすむからです。 ほしひゅうま 『巨人の星』の星飛雄馬は典型的です。飛雄馬が本当に野球を好きで、野球を楽しんでいるかど うかなどは無視され、「巨人の星になれ」という親の期待で人生を乗っ取られています。しかも 酒を飲んではちゃぶ台をひっくり返す暴力的な父親にギブスまではめられ、「野球ロポットに 仕立てあげられています。児童虐待で通報されてもしかたのないような状況です。 ぎせい この「ヒーロー」の反対の役割を担っているのが、「スケープゴート ( 犠牲の山羊 ) です。 病気をしたり、問題を起こして学校に呼び出されたり、近所の人が怒鳴り込んできたりと、何 かと騒ぎを起こすのはいつもこの子です。 家族たちは、「この子さえいなければうちは平和なのに」と思うのですが、じつはその逆で、 この子が問題を一身に背負ってくれているおかげで、家族の崩壊が防がれているのです。この子 の非行問題で家族が頭を悩ませている間、家族はバラバラにならすにすみます。そこでこの子は がんばって悪さをしているわけで、ヒーローががんばって秀でていようとするのと裏表なのです。 こうした注目を浴びる子どもたちの陰に、「ロスト・ワンー ( いない子 ) と呼ばれる役割の子ど もかいます。 目立たす、静かで、忘れ去られているような子どもです。極端な例としては、食事どきにいな 1 19