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検索対象: インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」
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1. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

遺書の内容は、「もう一度会いたかったが、病に負けた、というようなものでした。これを読 のろ んだとき私は、この老夫婦は病気の自分たち親の面倒をみてくれない子どもたちを呪っているな と思いました。アテにするから呪うようなことになるのです。 親は、「子どもなど、かわいいときにかわいかっておすよゝ ) し。ししんだ」くらいに思ってあまりア テにせす、大人になったらサッサと放り出し、自分たちの老後は自分たちでなんとかできるよう そそ にするのが本来の在り方ではないでしようか。子どもにすべてを注ぎ込んだりしたら、こっちが ヨタヨタになったとき持つべきものも持てずにたいへんだ、と。そのくらいの感覚でいれば、親 離れ、子別れもスムーズにいくのです。 しかし、親自身が親教に支配されていると、自分の欲望を我慢して、「せつかくここまで育て てやったのに」「おまえたちのためにがんばったのに」と思う。子どものほうもロでは、「お父さ んの面倒をみてあげたいけど、主人の都合で」などといって拒否します。 親が「せつかくおまえのためを思ってここまで育ててやったのに、恩知らず ! と怒鳴り、子 どもが「そっちこそ自分のことしか考えてないくせに ! 」と大ゲンカになったりすれば、これは これで本音のコミュニケーションが始まります。「会いたかったが病に負けた」と恨みがましく 自殺で表現するしかないほどコミュニケーションが貧弱では、次世代の子どもたちに豊かな表現 方法を伝えられないのも当然かもしれません。

2. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

「しゃべってはいけないこと」なのです。誰かと友人になっても、いつもまがいもののコミュニ ケーションをしているような気分しか持てなくなる。 親自身が、子どもに対して率直に感情を表現するコミュニケーションをしていないために、子 どもも同じような態度を身につけてしまうのです。 感情を鈍麻させていく子どもたち こうした家族の問題が、何でもないことのように言い訳されることもあります。 酔っぱらって仕事もせずにフラフラしている父親が、母親とケンカをしている。お皿や酒瓶の 割れる音なども聞こえてくる。子どもは廊下で両親の怒鳴り声とすさまじい音を聞いて緊張しま す。「頭が真っ白」になったりします。いったいどうしたのだろう、何が起こっているのだろう。 両親に何があったのか説明してもらいたい。「心配ないよ、大丈夫だよと不安を鎮めてもらい ところが、父親は部屋から出てくると、子どもに目もくれす、家から出て行ってしまう。続い て出てきた母親は、「お父さんは仕事で疲れてるのよと、そうひと言だけいうと、風呂場に行 き忙しそうに洗濯を始めてしまう。母親は、まるで何でもないつまらないことのように片づけま したが、どこかピリピリしていて、とても「お母さん、と声をかけられる雰囲気ではありません。 0 4

3. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 3 章「親教」の信者たち 達します。個人としては、今までよりバランスのとれた人間になるでしよう。 このように親が変化すれば、親のかたよりを埋めるために、逆方向にかたよるしかなかった子 どものバランスも回復します。親がほどほどにバランスがとれていれば、子どももひとつの役割 に固定されず、いろいろな可能性の中から自分で好きな道を選んでいけるのです。 日本社会は「親教」に蝕まれている この構造は、日本の社会にとてもよく似ています。 日本という国は、国家全体が親教に染まっていて、世界諸国間の中の「子ども、として生きて きたのではないでしようか。 湾岸戦争のときも、最近の金融ビッグバンでも、選択肢を放棄したところから議論が始まりま す。外部から「こうするしかないんだよ」というル 1 ルを設定された形で、「しようがないから こうしましよう」というやり方で進めていくことが多い 「の道もある、のやり方もある。をとればこうなるだろう、でいけばこういう結果にな るかもしれない。 こうするとあそこに非難されるたろうが、非難されてもこの方法を貫くべきか どうか。それとも、ここは妥協してこっちでいくカ こういう選択肢を双方で共有して、話し合って決めていくのが大人の会話です。「さてどれに

4. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

のは、親の「暴力」です。子どもは親の所有物ではありません。子どもには子どもの、好きなこ とや、夢や、やりたいことがあるのです。 子どもと自分を一体だと勘違いしている親は、自分がバイオリンを習う楽しみを味わうより、 「バイオリンを上手に弾ける子どもを持つ」ことに憧れているだけです。自分の価値観を子ども に押しつけ、押しつけていることにさえ気がっかないので、この種の行為を私は「やさしい暴 力」とか「見えない虐待」とかと呼んでいます。 子どもは、独立した人格を持った、自分とは別の人間である、という意識がありません。自分 のやりたいことを代わりにやらせる「ペットのようなものなのです。ペットですから、殴った り、おどしたり、なだめすかして、思いどおりに芸をしこもうというわけです。上手に芸ができ るようになったら、上手にしつけた自分のお手柄ですから、近所や世間に連れて歩いて自慢し見 せびらかすことができます。 「子どものため」「この子の将来を思って」などというのは言い訳に過ぎません。子どもを殴る とき、真の愛情から殴っている親がどれだけいるでしようか。親と子どもでは明らかに親が「強 者」で、子どもが「弱者」です。強者と弱者の間では、ほうっておけばなんらかの虐待が起こっ てしまうものであり、強者のほうは、自分が相手を虐待していることに気づかないことが多いの です。子どもに有形、無形の暴力を加える親は、弱い者いじめをしている子どもと変わりません。 -6

5. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

問題を起こす子ども いつの時代も、子どもたちはある時期 ( 多くの場合、思春期 ) がくれば必死になって「親離 れ」しようともがきます。親に付属する「半個人 . から一個の独立した「個人」へと脱皮してい こうとするのです。 これは、子どもが家や家族や親に庇護された世界から離れ、自立した大人になるために必要な ステップです。「分離・個別化」と呼ばるこのステップを通過することによって、子どもは情緒 的・精神的に「成長ーしていきます。 ところが、この個別化という「成長」ができない子どもが増えています。親は、子どもが成長 していくためには、「子別れ。という〃協力〃をしていくもので、それも親の仕事のひとつです。 けれども、少子化が進んだ現代は、親子の密着度が高く、しかもその密着した関係が長く続きや すい。親はいつまでも子どもにしがみつき、子どもを離そうとしない。親は気づかないのですが、 親自身の個別化、つまり成長が十分になされていないわけです。それが子どもの心の成長を阻ん でいるのです。 ざせつ しがみつかれ、親の手を振りほどけなくなった子どもたちは、成長に挫折してしまいます。成 長に挫折した子どもたちがどうなるかというと、親や家族との「融合」、つまり「子ども返り ( 退行 ) をはかり始めます。赤ん坊と母親との関係に見られるような、母子未分化状態に逆戻り 194

6. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 5 章子どもの領域、親の領域 に会えてよかったわ。こうやって、昔の友だちがテレビに出ているのを見ながら、あなたとお茶 を飲んでのんびり過ごせるなんて、なんて楽しいんでしよう」と、自分の人生を楽しんでいる親 の姿が、子どもにとってもうれしいのです。 「子どもさえいなければ」とあたりかまわず愚痴をたれ流す人は、もし子どもを産ますにキャリ アを追求していたならば、今度は、友人の産んだ子どもを見たときに、「ああ、私も子どもを産 んでおけば」とまた愚痴をいうことでしよう。 他人との比較ばかりしていると、すべての欲望をやり残さずに追求するのはとうてい無理です。 無力で影響を受けやすく、反論もできない子どものせいにするのは一番簡単ですが、一番やって はならないことです。 親は子どもの「等身大のモデル」であれ 自分とかけ離れた理想を持っことは、決してよいこととはいえません。むしろ、現実の自分に 近い理想を持てるほど効果的です。子どもに、実現不可能な遠い理想を追いかけさせるような教 はたん 育をすると、いっか必ず破綻がきます。今の自分よりほんの少し高い目標を設定できる、ほどほ どの向上心が一番よいのです。 子どもが生き方のモデルにし、真似をしていくのは親の生き方です。けれども、子どもが仰ぎ 2 2 1

7. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 5 章子どもの領域、親の領域 ただ、親自身が、自分の親に支配され、侵入されて育ってきていると、そのやり方が当たり前 だと思っていますから、子どもにも同じことをやってしまいます。何が「当たり前」なのかとい う基本ルールを少し述べてみましよう。 子どもの「秘密」に触れない まず、自分の問題について、子どもがきちんと「秘密ーを持てること。子どもが大きくなって きたら、秘密を持つようになるのは当たり前です。子どもが親に隠しごとをするようになったら、 「うちの子も成長してきた」と喜んでいいのです。 世代も違いますから、友人どうしで親にはよく意味のわからない会話をするようになります。 そんなときは、「いつの間にかなんだかわけのわからない人間になってしまった」と寂しく思っ ていればいいわけです。子どもの秘密のポケットをすべて暴いて、いつまでも何もかも把握して いようとするのはおかしなことです。 たとえば、子ども部屋に勝手に入って机の引き出しを開けて、わざわざ奥のほうに隠してある 日記を取り出して読む、ということを平気でやる親がいます。親なら子どもの日記を読んでもい い、当たり前だという感覚を持っているのでしようが、それは当たり前ではありません。 子どもの手紙を整理して、ポーイフレンドやガールフレンドからの手紙を、「これはいらない」 199

8. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

私の見ている限り、「出ていったら戻ってくるな」という親より、「おまえはうちの子どもだよ、 いっ戻ってきてもいいんだよ」という親のほうが、子どもが早く親離れします。前者の家の子ど もは、いつまでも親にしがみつこうとします。親の愛情を十分に受けたと感じられない子どもは、 家を離れると親に見捨てられるように思えて、親のそばを離れられなくなるのです。早く家を出 ていってもらいたかったら、子どもの頃は十分に関心を持って、子どものしたことをほめてあげ ることです。 親は、子どもの世界ができあがり、子どもが大人へと脱皮する時期がきたら、適当なところで 距離を置き、子どもの判断を尊重するように切り替えます。そして子どもが出ていく時期がきた ら、「いつでも帰っておいで」といって部屋を用意しておくと、安心してサッサと出ていきます。 いつでも帰れると思うから帰ってこないわけで、健康な親離れ、子別れができている証拠です。 しのにどうして出ていくの , と子どもを引き止 子別れできない親は、ここで「うちにいればいゝ ししが、帰ってきてはいけよい という。これでは子どもはいっ める。あるいは「出ていってもゝ までたっても親離れできないままです。親は、寂しいのは当然だ、子どもが出ていってせいせい しのです。 した、やっと自分のやりたいことができる、と思っていればいゝ ただ、焦って早すぎる家離れをして、かえって失敗する場合もあります。悪い仲間を頼って家 出して非行を繰り返したり、早すぎる結婚で家を出ようとしたりする。こういう場合、たいてい 2 10

9. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 5 章子どもの領域、親の領域 ふたつの違う人格が出てくるのですから、子どもにとってはモンスターといっしょに住んでいる ようなものです。こんな親にはとても面倒をみてもらえないと思うので、子どもの頃から「親 をやってしまうのです。 このような家庭で育った子どもの場合、一見、「親」性が高く、大人っぱいしつかりした子の なげ ように見えても、自分の子どもらしい欲求が満たされていません。子ども時代の喪失を嘆くグリ ーフ・ワークがすまないと、健全に機能する家庭をつくることは難しい 健全に機能している家庭というのは、親にある程度の一貫性があります。一貫性というのは、 「常に意見が一致している」こととは違います。人間、それほど矛盾なく筋が通った存在ではあ りませんから 、ゝいかげんならいいかげんでよいのです。子どものほうはちゃんとそれを見てい て、「またそのときの機嫌でしゃべってるよーと思う。親といってもまあそんなものだと観察し て、健全に成長していくわけです。第 1 章で「ほどよい母親 ( グッド・イナフ・マサー ) ーとい いましたが、「ほどほどの一貫性」があればよいのです。 ささいな言葉が子どもの一生を縛る 親の態度や言葉は、親自身が想像する以上に、子どもを縛るものです。子ども時代に親から苛 酷な仕打ちを受けたり、明らかに親から受け入れてもらえなかった、愛されなかった子どもは、 213

10. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 5 章子どもの領域、親の領域 う。片方はパチンコ、片方はカラオケではなく、夫婦がいっしょに時間を過ごせ、なおかっ子ど も抜きでやるものがいし いつも子どもが中心で、夫婦の会話は子どもをどこかへ連れていくときだけ、という家族では、 子どもがなかなか「子どもの役割」から離れられません。子どもが父親と母親の間に立たされ、 ふたりの会話をとりもつ。それでようやくつながりが保たれているという家族も少なくない。夫 婦は子どもを介して話をするたけで、ふたりきりになると話すこともない。夫婦の間に情緒的な 交流がないのです。 こういう親は、子どもにとって重荷です。夫婦関係に巻き込まれてしまいます。父親と母親が 自分たちの世界を持っていて、「おまえたちはもう大人になったんだから、後は好きにやってく れ。私たちは私たちで楽しくやるから」ということであれば、子どもはサッサと親から離れて自 分のパートナーを探すでしよう。 ところが、異性と情緒的なコミュニケーションをするのが下手な人があまりにも多い。今まで の日本の妻たちは、ほとんど口をきかない夫でも「そういうものだ」と思ってやってきました。 ですから、それを見て育った子どもたちには、異性間の親密なコミュニケーションのモデルがあ りません。 ある男性が、母親に、「お母さんは、お父さんにあんなに殴られたり、バカ、マヌケと罵られ ののし 205