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検索対象: インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」
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1. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

この非合理的な信念にそって、周囲の人々のふるまいを見れば、その人々はすべて敵に見えます。 ちょうしよう ぶじよく 自分を侮辱し、嘲笑し、傷つける人々の群れのように思え、どこかに逃げるか、追いつめられ て反撃したくなってしまいます。逃避して孤立している人や、攻撃してくる人に対して、世間は 不審に思い、警戒します。こうしてサバイバーの思い込みは現実になっていくのです。 成長した人、スライバーの特徴 スライバーとは「サバイバ 1 であることを主張する必要のなくなった人」のことです。「必要 がなくなった」とは、自分がサバイバーであることが、それほど重要なものと感じられなくなっ て、ロにも出さなくなったという意味です。サバイバーであるという自覚はあるのですが、「そ れがどうした」という感じの人です。 こうした人々は以下のような特徴を備えています。 ①ひとりでいられる、ひとりを楽しめる ( 理解してくれそうな人、共感してくれそうな人を必死 で探す必要がないということです。この術を身につけると人から裏切られるというつらい思い をしないですむようになります。他人を責めなくなり、逆に他人にやさしくなります ) ②寂しさに耐えられる ( この件については、大和書房『「自分のために生きていける」というこ

2. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない カンは子が人になる入り口として「父の名」を強調したのです。 子どもたちは幼いとき平面的な絵を描きます。年長になると、それが立体的になってくる。こ のような表現様式の発達は、子どもに見える世界、つまり子どもの世界観の発達に対応している のでしよう。子どもに影の存在を教え、より現実に近い知覚を与えるもの、それが父の存在の認 識です。父存在 ( それは神と呼ばれることもあります ) の掟に従って生きるほかない自己を認識 すること、それによって子どもは人間になるのです。 しました。つないで関係をつくるた それでは母の役割は何か。それは「つなぐことと前にいゝ めに、母は子の存在を「承認」しなければなりません。承認は、あるがままのその子を認め、そ の必要を満たすことです。子ども一般ではなく、「その子、の承認でなければなりません。他の 子ではない「あなた」、それを私は必要とする、という母の視線 ( ふるまい ) のことをラカンは 「母の欲望ーといっています。母の欲望とは、「母が自分を必要としているということの〃自分の 必要〃」のことです。自分を必要としている母を″感じる〃ことによって、ようやく子どもたち は自らの生命の入り口を通れるのです。 念のためにつけ加えますが、ここで「父」、「母」といっているものは、親の役割の二つの要素 のことで、父Ⅱ男、母Ⅱ女というわけではありませんし、いつも父と母の両方が必す必要といっ ているのでもありません。一人の母が「母」の役割を果たしながら、しつかり「父」の仕事をし

3. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない ば、子どもも本当の自分を窒息させてロポット化します。あるいは、ロポット化に反抗して、 ッド・チャイルドとなって吹き荒れます。家庭内暴力や問題行動を起こす子どもは、このような 家庭から生まれるものです。 さて、振り返ってみて、あなたが子どもの頃のお母さんは、どんなお母さんだったでしようか。 あなたにつくし、あなたを期待の目で縛りあげる母親だったでしようか。それとも、始終あなた に八つ当たりしたり、きようだい間で比較したり、ロうるさい母親たったでしようか。 「お母さんが、もっとこんなお母さんだったらよかったのに」 「あのとき、お母さんにいわれた一言葉が今でも忘れられない。私は傷ついたのよ」 「あんなお母さんでなければ、私もこんなふうにはならなかったのに」 と思ったこともあるかもしれません。 自分が親から傷を受けているので、自分の子どもに同じことをして仕返ししている人もいるで しよう。母親とは正反対の「良い母」になろうと必死の努力をしている女性もいるかもしれませ ん。 けれども、「聖母」のイメージは、みんなでつくりあげた幻想であり、イメージでしかないの です。現実のお母さんは、聖母ではありません。あなたのお母さんも聖母ではないのです。お母 さんが聖母でなかったからといって、がっかりする必要もなければ、どこか別のところに聖母を

4. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

虐待を受けて育った子どもは、成長して大人になると、今度は自らが虐待する親になりがちで す。虐待する親は、かって自分が虐待されていたことで、自分自身、深い心の傷を負っている場 合が多いのです。虐待される子どもを発見した人は、「なんてひどい親だ」と親を責める気持ち になるかもしれませんが、軽率に親を非難するだけでは、親は閉じこもってしまい、子どもの援 助が逆に難しくなります。 虐待する親は、内心、「どうして私はこんなことをしてしまうのたろう」と自分を責め、誰か に助けてほしいと必死の叫びをあげていることが多いのです。けれども、基本的に他人と信頼関 係を持っことが容易でないため、責められると、「この人も私の気持ちをわかってくれない」と、 ますます閉じこもってしまいます。一方的に非難するより、「いろいろないきさつがあってこう なったのかもしれない」と、ます現実的な対応をすることも必要なのです。 加害者である親にも、カウンセリングや、同じような親たちが集まるセルフヘルプグル 1 プへ の参加など、援助の手があることを知ってもらうとよいでしよう。 ごく当たり前の家庭で起こる児童虐待 こうした子どもの虐待は、特別な家庭での出来事ではありません。「子どもを虐待するような 親は、例外的な親だろう」「そんなのは、ごく一部の〃おかしい〃人たちがすることた」という

5. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない こも何もいえす、「これは何でもないことなんだ」と、 子どもはますます不安を抱えて、しかし誰。 ただそう思い込もうとします。何か違う、と思いながらも、「お父さんは仕事で疲れているだけ こんなことが続いていると、子どもには、何が本当で何がウソなのか、わからなくなってきま す。親のいうことは信頼できません。親も、自分のストレスや自分の悩みで精一杯で、子どもの 不安を受け止めて安心させてあげるところまで手がまわらないのです。そのうちに、子どもはこ どんま ういうことが起こっても、何も感じないよう感情を鈍麻させていき、やがて本当に何も感じなく なっていきます。 いちいち不安や恐怖を感じていたら、こんな家ではやっていけません。ですから、何があって も、何も感じないようにせざるを得なくなっていくのです。友だちにも相談しません。「しゃべ ってはいけよい と親にいわれているからです。 いちばん信頼すべき親が、自分が不安でいつばいのとき、見守ることさえせすに無視をする。 これが頻繁に いちばん親を必要としているとき、ほうっておかれる。関心を持ってもらえない 起こる家では他人に対する信頼感は育ちょうがありません。重要なことがあっても誰にも助けを 求めす、自分ひとりの胸におさめて処理する癖が身についてしまいます。 おび 子どもが不安に怯えているときは、そっと抱き寄せ、

6. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

問題を起こす子ども いつの時代も、子どもたちはある時期 ( 多くの場合、思春期 ) がくれば必死になって「親離 れ」しようともがきます。親に付属する「半個人 . から一個の独立した「個人」へと脱皮してい こうとするのです。 これは、子どもが家や家族や親に庇護された世界から離れ、自立した大人になるために必要な ステップです。「分離・個別化」と呼ばるこのステップを通過することによって、子どもは情緒 的・精神的に「成長ーしていきます。 ところが、この個別化という「成長」ができない子どもが増えています。親は、子どもが成長 していくためには、「子別れ。という〃協力〃をしていくもので、それも親の仕事のひとつです。 けれども、少子化が進んだ現代は、親子の密着度が高く、しかもその密着した関係が長く続きや すい。親はいつまでも子どもにしがみつき、子どもを離そうとしない。親は気づかないのですが、 親自身の個別化、つまり成長が十分になされていないわけです。それが子どもの心の成長を阻ん でいるのです。 ざせつ しがみつかれ、親の手を振りほどけなくなった子どもたちは、成長に挫折してしまいます。成 長に挫折した子どもたちがどうなるかというと、親や家族との「融合」、つまり「子ども返り ( 退行 ) をはかり始めます。赤ん坊と母親との関係に見られるような、母子未分化状態に逆戻り 194

7. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 人々が断言するように、「日本という社会は、児童期性的虐待が生じない文化を持っている」な どとはいえないと指摘したいのです。 この資料に見られるいくつかの要素が、同種の問題を抱えながらも臨床の場に現れることのな い女性たちと無関係と断じるのは妥当とはいえないと思います。 まんえん 生育家族における暴力や怒声の蔓延、その中で子どもとして過ごすことの緊張と警戒、父親か ばとう しっせき べっ らの叱責と罵倒、虐待される母への同情と侮蔑、虐待する父への恐怖とそのカへの憧れ、幼いと まひ きから他家の厄介になることによって生した感情の抑制と麻痺、家の惨状を友だちに知られない ように隠す必死の努力、これらすべてから生じる「偽りの自己」と低い自己評価は、児童虐待防 止ホットラインを含めた種々のルート ( その中には精神鑑定の依頼が含まれる ) を伝わって私た ちのもとを訪れる虐待する母親たちに共通しているように思われます。 彼女たちは ( 少なくともその多くは ) 、わが子を虐待するという悲惨によって、救助を求めて いるのかもしれません。人は子育てを通して自らの親子関係を繰り返します。乳幼児とともに過 ごすことは、ある種の人を子ども返りさせ、これが長い間封じ込めてきた「内なる子ども」の憤 怒を表に出すことになります。この機会をとらえて彼女たちに寄り添って語り合い、彼女たちの 危険な行為の真の意味をいっしょに考え、できれば彼女たちの魂の成長につき合う人々が必要な のです。 あこが ふん

8. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

探す必要もありません。完璧な聖母である女性など、どこにもいないのです。聖母でなくて当た り前で、誰も聖母のお母さんなど持っていないのです。 そして、あなたが女性であれば、あなた自身も「聖母」ではありません。聖母になどなれつこ ないし、めざす必要もないのです。めざしたとたんに、あなたの中の聖母とバッド・マザーは分 裂し、いっしかバッド・マザ 1 に乗っ取られることになるでしよう。 もちろん、バッド・マザーをめざす必要もありません。ときどきは良き妻・良き母で、ときど きは自分の都合で怒ったり、妻や母の役目をサポったりと、自分の現実に見合った程度に「いい かげん」にやっていればよいのです。それで十分「良い母」です。子どもにたいしていいことも たいした悪いこともしない。子どもの人生に、ものすごい影響力をおよ してやれない代わりに、 ばそうとしなければ、子どもは子どもで自分の人生が送れます。イギリスの小児科医で精神分析 医でもあったドナルド・ウイニコットがいっているように、「ほどよい母 ( グッド・イナフ・マ ザー ) が、一番よいのです。 どちらにもいき過ぎず、ほどほどにできることは、じつはたいへんな能力です。ステレオタイ プの良妻賢母を演じるほうがこの社会では楽な面があり、楽さを選んでいると、自分らしい生き 生きした感覚を失っていきます。夫や子どもの欲求に耳を傾けるのと同じくらいに、自分の欲求 にも耳を傾けてみることです。「聖母」になろうとせすに、自分に無理なくできる程度の「ほど 8

9. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

覚悟が必要です。自分と全く違う考えを持った多様な個性の人たちを認めてつき合っていくのも、 なかなか骨が折れます。そのためには健全な自尊心を持っことが必要です。親教はその健全な自 尊心を奪うものなのです。 今の社会では、個々の人間を見たら非常にかたよっていたり、役割分担がはっきり決まってい ますが、お互いに依存し合って「全体」でバランスがとれています。人間は、得意なこともあれ ば不得意なこともありますから、自分が得意な分野では自慢したくなるし、不得意な分野では相 手の長所がわからすにけなしたりします。 そうして自分とは個生の違う人間どうし、お互い文句をいい合いながらも、くつついていない とバランスがとれないのです。「個人」である程度バランスをとっていくには、ひとつの能力だ けを突出して発達させることはできません。 たとえば、家庭は母親に任せつきりで許されていたワーカホリックの父親がいて、その息子が 家庭内暴力で荒れ狂う。すると、父親も仕事ばかりしていられません。今まで仕事に向けていた 時間を家族の問題に振り向ける必要が出てきます。仕事の能力とは全く別の能力が要求されます。 今までなおざりにしていたのですから、仕事ではどんなに有能といわれていても、家庭管理の能 力では無能ぶりを思い知らされます。職業人としても、ワンランクもツーランクもダウンする。 その代わり、妻と向き合い、子どもとぶつかり合うことで、情緒的コミュニケ 1 ション能力が発 巧 0

10. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

日本という社会も、このままでは、自尊心を奪われた子どもたちゃ、屈辱感を感じている弱者 や犠牲者が、生き残りのあがきで荒れ始めるのではないでしようか。破綻していくのはスウェー デンではなく、理念のない日本のほうではないでしようか。 と、書いているうちに、アジア経済の崩壊が話題にされるようになりました。タイ、インドネ シア、韓国、香港、そして日本。これらの国々の経済再建についての識者の処方箋は一致してい ます。情報公開と規制緩和です。馴れ合いを排して、自由な、しかし厳しい自由競争の勧めです。 そして、これらを実現するためには、これらの国々の市民たち一人ひとりが、自己決定し、自己 責任を負う健全な大人になる必要があるとも説かれています。まさに、本書が主張することその ままではありませんか。今、「親教社会」はガタガタと崩れ始めているのです。 次世代に、健康な自尊心を持った子どもたちを育てるために、一人ひとりが親教のマインドコ ントロールを解き、「ロポットから「生き生きした自分」に戻ることが必要ではないかと思う のです。