りなのです。 それが本当に「子どものためを思った」行動でなかった証拠には、そういう親は、子どもが自 分を越えることには嫉妬します。子どもには一番になってほしい、けれども自分に対しては相変 わらすおとなしく従順で、「お父さん、お母さんのおかげで一番になれました」と親をたて、親 を打ち負かさない子どもであってほしい。 こうした親の矛盾した期待を読みとった子どもは、なんとか親を越えないように努力します。 学歴では親を越え、立派な仕事についても、アル中で問題を起こしたり、何かと親に迷惑をかけ 子ども扱いできる要 たりする。「うちの子にも困ったもので . と親が心配したり世話をしたり、 素をどこかに残して、「私は、まだちゃんとあなたの子どもでいますよ」といってあげている 「良い子 , なのです。 選択肢がない「子ども」という「犠牲者」 子どもというのは、犠牲者であり依存者です。「それ以外の選択がありえなかった」とき、人 は犠牲者になります。たとえば大地震の犠牲者は、大地震が起こることは予測できなかったわけ ですから、そこにいる以外の選択肢がありませんでした。だから犠牲者なのです。いてもいなく てもよかった、避難するという選択肢もあったけれども、「大地震を体験してみたい」と思って
第 3 章「親教」の信者たち それを放棄した、というのなら犠牲者とはいいません 子どもは、親との関係では選択肢がありません。親に依存するしか生きられないからです。そ ういう状態からじよじょに脱していくのが、「大人になる」ということです。親に依存しなくて も私は生きられます、と、犠牲者であること以外の選択肢が持てるようになれば、もう子どもで はありません。依存しなくても生きていけるけれど、私は親に依存することを選ぶ、というのな ら、それも犠牲者とはいえないでしよう。 子どもの頃、親との関係の中でひどい心の傷を受けた、その被害ですっと苦しんで、それ以外 の生き方がとれないという人は、「子ども」をやっているのです。それではイヤだ、この関係の 中で苦しむ以外の人生も私にはある、それを自分で切り開こう、となってから「大人ーになるわ けです。犠牲者であった頃の苦しみを、親に受けた被害を、ぜひきちんと親に伝えて返してやり たい、それが私の生きる道だというのなら、ますそれを気のすむまでやってもいいでしよう。し かし、その後には、大人の自分の欲望を知り、それに向かってしつかり生きなければなりません。 「大人になれ」「いつまでも過去にこだわるな」という世間によくある説教をしようというので はありません。大人になるということは、本来とても自由であり、選択肢が広がった状態だとい っているのです。 ただ、そうした柔軟性を持って生きていくには、自分の選んだことの結果を自分で引き受ける 149
犠牲者ということになります ( 詳しいことは次に紹介する専門書に書きました。『児童虐待 臨床編』斎藤学編著、金剛出版 ) 。 ねんりよ この人々は思春期以後の生活の中で、自殺念慮、自傷行為、自殺未遂、売春、物質乱用、摂食 しへき 障害、行為嗜癖 ( ギャンプル依存など ) 、子ども虐待、思春期の対親虐待 ( いわゆる家庭内暴 カ ) 、配偶者虐待、不登校、対人緊張などの情緒的・行動的な混乱を重複して繰り返していて、 その一部は解離性障害をはじめとする ( 心的外傷後ストレス性障害 ) に悩んでいました。 虐待する母たち この四〇〇名の中にはわが子を虐待する母が二三名 ( 五・八 % ) いて、このうち二〇名 ( 八七 % ) までが児童虐待の犠牲者であり、そのうち性的虐待の被害体験を述べる者が一一名 ( 四七・ 八 % ) を占めていました。前に述べたように、この集団の性的虐待犠牲者の割合は二〇 % 弱です から、子どもを虐待する母たちの中のこの高い割合は注目に値します。二三名中一七名は結婚し ていて配偶者と同居していますが、婚姻関係は不安定であることが多く、八名 ( 三四・八 % ) は いわゆるバタード・ウーマン ( 被虐待女性 ) でした。 私は、一診療所の資料だけから、日本全体の状況を論じようとしているわけではありません。 見えるところで見れば、このような様相を呈しているといいたいたけです。少なくとも一部の
第 4 章「親教」のマインドコントロールを解く いますから、それが当たり前だと思っています。これを距離を置いて他人の目からながめるよう にとらえ直すと、 いきづまっていた袋小路の出口が見えてきます。別れる、離婚だと大騒ぎして いたのが、別れなくてもやり直せるのではないかとか、やはりここは別れて自立したほうかいい だろうなどと判断できるでしよう。 困った問題があるのに直せないというのは、結局、どちらの方向に進んでいいのかわからない ということです。どちらの方向に進むか決めるために、現在にいたるまでのマップをつくる。そ れがジェノグラムです。 「秘密」というのは、それを共有するメンバーの拘束力を高めますが、明るみに出されると拘束 力が薄れます。家族間の密着が強すぎる場合、そのメンバーで共有している秘密、神話、ルール、 イズムをひとつずつ検討していくといいでしよう。家族関係ではまりこんだ役割から自由を得る ことにつながります。 不幸続きの家系というのは、何がなんだかわからず不幸に見舞われているものです。しかし、 地震の例で述べたように、選択肢がなくて被害を避けられない状況にあった場合を犠牲というわ けで、別に犠牲者にならなくてすむ場合もたくさんあります。不幸の多くは、本人の性格や人間 関係のパターンから生まれるものです。どうしてそうなってしまうのか、その状況を、多少なり ともわけのわかった状態に近づけていくことに意味があります。人間関係の修正をはかることで、
第 4 章「親教」のマインドコントロールを解く ような形でしかメッセ 1 ジできません。 心の病気や問題行動は、なんらかのメッセージなのです。けれども、何を伝えようとしている のか、その解読が難しい。赤ん坊の泣き叫びを、どういう意味か聞き取ってその欲望を満たして やらなければならないのと同じです。満たされたがっている欲望を取り違えると泣きやみません し、ほうっておけば死んでしまいます。 自分の欲望を温存しながら、社会に適応していければいいのです。世間様が一番偉くて自分は 無力だから、世間様に「あわせさせられている。のではありません。世間様にあわせるのは、あ くまで自分のためなのです。世間様に守ってもらうために「しかたなく」自分の欲望を犠牲にす るのではありません。自分が快適に過ごし、たくさんの選択肢の中から欲望を追求できる大人で しということなのです。 あるために、世間様の保護力に守ってもらい、企業の子宮を利用すればいゝ インナーチャイルドが泣き叫んでいるうちはまだいいのですが、もう泣く力さえ失っている人 が多くはないでしようか。家庭や社会という子宮の中に閉じこもって息がつまり、欲望が外に生 まれ出ることもできずにぐったりしてはいないでしようか。その欲望に息を吹き返させ、社会と いう大きな「親の保護の中で、もう少しやりたいことをやらせてあげましよう。 自分の欲望を犠牲にしてまでつくしても、会社も家庭も、いつまでも暖かく保護してくれるわ けではありません。いっ放り出されるかわからないのですから、自分のことは自分で守れるよう 171
第 4 章「親教」のマインドコントロールを解く 「親教」に侵されている私を自覚するラ ジェノグラムで家系に繰り返すパターンを知る刃 自殺という幻想のコミュニケ 1 ション 6 現実の親とインナーマザ 1 を区別する 欲望を生み出し、インナーチャイルドを育てる 「親教」から「個別主義」へ 「これでいいと自分で自分を肯定する 自分のすべてに共感し、自分を受け人れる 「親教 , 信者の特徴川【親にほんのり「申し訳ない」と思っている 「親教ーの矛盾とほころび 4 選択肢がない「子どもという「犠牲者、 日本社会は「親教」に蝕まれている 「親教社会」が崩れるとき甥
日本という社会も、このままでは、自尊心を奪われた子どもたちゃ、屈辱感を感じている弱者 や犠牲者が、生き残りのあがきで荒れ始めるのではないでしようか。破綻していくのはスウェー デンではなく、理念のない日本のほうではないでしようか。 と、書いているうちに、アジア経済の崩壊が話題にされるようになりました。タイ、インドネ シア、韓国、香港、そして日本。これらの国々の経済再建についての識者の処方箋は一致してい ます。情報公開と規制緩和です。馴れ合いを排して、自由な、しかし厳しい自由競争の勧めです。 そして、これらを実現するためには、これらの国々の市民たち一人ひとりが、自己決定し、自己 責任を負う健全な大人になる必要があるとも説かれています。まさに、本書が主張することその ままではありませんか。今、「親教社会」はガタガタと崩れ始めているのです。 次世代に、健康な自尊心を持った子どもたちを育てるために、一人ひとりが親教のマインドコ ントロールを解き、「ロポットから「生き生きした自分」に戻ることが必要ではないかと思う のです。
ともやって、自分のいいたいこともいえなければ、「本当の自分」が窒息してしまいます。他人 の目に縛られ、他人の期待に沿った自分を演じ続け、気づかないうちにロポットのようになって いる女生は多いのではないでしようか。 男性のほうもまた、二人前の男」をやるのに疲れて、会社の中では本音もいえず、本当の自 分が窒息しそうになっています。自分の魅力や能力でいつまでも妻をひきつけておく自信もない けったく ので、男どうしで結託して「良き妻」神話に女性を閉じこめ、安全な安らぎ製造機に仕立てあげ ようとします。「それが女性のすばらしさだ」などとおだてながら。 この男性論理中心の社会では、ここからはずれると「女を捨てた女」ということにされてしま うので、女性も自ら「お袋、神話にのり、「母性本能」神話の罠に閉じこめられていきます。そ してある日、自分の欲求不満を、自分より弱い者に向かって爆発させます。その犠牲となるのが 子どもたちなのです。 母は「いいかげん」ぐらいのほうがよい 良妻賢母をやろうとすればするほど無理がきます。良妻賢母が一番すばらしいのだと信じれば 信じるほど、反対側からバッド・マザーが吹き出てきます。母親が、本当の自分とは違う良妻賢 母をロポットのように演じ、父親はサラリーマンとしての義務をロポットのように果たしていれ わな
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 一九八五年に「家族内暴力防止法」がつくられて、暴力男 ( 夫 ) の隔離と犠牲者の保護が明確化 されました。このアメリカ人たちの社会で「児童虐待防止法」が制定されたのは、それより一〇 年早い一九七四年です。 日本には、これらのいずれの法もありません。実態がないからではない。それに名を付けるこ とが遅れ、実態を見ることに抵抗があるためです。 日本の専門家たちは、小児科医が児童虐待を見逃すという形で、精神科医が児童虐待後遺症に 境界性人格障害などの精神医学的診断名を付して放置するという形で、法律家が死体となった児 いんべい 童や骨折した妻たちにしか関心を示さないという形で、この隠蔽に手を貸し続けています。とく に悪質なのは、私と同業の精神科医で、彼らの一部は、「日本には児童虐待は極めて少ない、性 的虐待はほとんど見られないーなどという神話を国際学会にまで持ち込んでいます。 現象をそのまま受け入れ、それに名を付ければたくさんの児童虐待や夫婦間暴力が見えてきま す。 一九九五年九月からの二年間に私の主宰するクリニックに来所した人々から無作為に選んだ四 きおう 〇〇名 ( 全症例の一二・九 % ) についてみますと、児童虐待の既往のある者が四九 % を占め、近 親姦を含む性的虐待を体験したという者が一六・五 % ( うち近親姦は一〇・三 % ) に達していま した。女性だけについてみると一九・五 % 、つまり女性来診者の五人に一人が児童期性的虐待の
第 3 章「親教」の信者たち 決して私の責任ではございません」という無責任がまかりとおる。それが日本型リーダーなので す。 権威を奉っている人たちは、権威が「親、だと思っています。世間で権威とされている人たち もまた、国外に権威があって、外国の偉そうな人を奉ったりします。親を求める人たちをだまし て親になるのは簡単なので、誰かを神様に奉って宗教団体をつくったりします。 「親教社会」が崩れるとき この構造の中で、「こんなのはいやだ」とはっきりいう人は、「子どもだ」「わがままだ , と非 難されがちです。「もっと大人になれよ」という言葉は、親教の教義の中では「子どもでいろ、 いいながら、子どもでいるこ おとなしく世間様にあわせていろ。ということです。大人になれと とをよしとする矛盾を抱えている。こうして、企業という全体の利益をまず優先して、個人の幸 せを犠牲にするシステムができあがっています。 クタクタになるまで働いて、家に帰って寝るだけの生活でも、「お金持ちになるためにがんば った。と、自分自身の目標に従ってやったのであれば、満足感が得られるかもしれません。けれ ども、儲かるのは企業です。そんなにがんばって、家も持てないほど地価がつりあがっても、ま だ必死に働いている。そうしなければ会社をクビになる、生きていけないと思うからでしよう。 1 ラ 3