第 3 章「親教」の信者たち 「オレは、他のやつらとは違うんだ」と周囲の人間を無知、無能とバカにし、罵ります。こうし て、彼の周りにいてくれる人を選別しているのです。彼の罵りを支持してくれ、「あなたはすば らしい」といってくれる人とだけつき合いたい。そうでなければ不安なのです。自分が世界の中 むにいないと不機嫌になってしまう幼児と同じです。 ある程度以上の実力や能力がある人は、社会でもこれで通用する場合がありますが、社会で通 用しないと知っている人は、会社では周囲に媚びて、異性関係や家庭で高慢にふるまうこともあ ります。社会で傷ついた自尊心を、自分より弱そうな女性や子どもに威張ることで取り戻そうと している男生はけっこう多いのではないでしようか。 女生のほうも、「女は男をたてるもの」という世間の期待を取り人れて、こんなガキのような 男性に、「お父さまはご立派で、などといっては、そのナルシシズムにエサを与えてあげている ことが多一いでしよう。 このような傲慢さを身につけてしまった人にとっては、他人に頭を下げたり、謝罪したり、助 言を求めるのは至難の技です。ですから、自分の態度によって困った事態におちいっても、頑固 にこの傲慢さを捨てようとしません。捨てられないのです。 ののし 127
第 4 章「親教」のマインドコントロールを解く ような形でしかメッセ 1 ジできません。 心の病気や問題行動は、なんらかのメッセージなのです。けれども、何を伝えようとしている のか、その解読が難しい。赤ん坊の泣き叫びを、どういう意味か聞き取ってその欲望を満たして やらなければならないのと同じです。満たされたがっている欲望を取り違えると泣きやみません し、ほうっておけば死んでしまいます。 自分の欲望を温存しながら、社会に適応していければいいのです。世間様が一番偉くて自分は 無力だから、世間様に「あわせさせられている。のではありません。世間様にあわせるのは、あ くまで自分のためなのです。世間様に守ってもらうために「しかたなく」自分の欲望を犠牲にす るのではありません。自分が快適に過ごし、たくさんの選択肢の中から欲望を追求できる大人で しということなのです。 あるために、世間様の保護力に守ってもらい、企業の子宮を利用すればいゝ インナーチャイルドが泣き叫んでいるうちはまだいいのですが、もう泣く力さえ失っている人 が多くはないでしようか。家庭や社会という子宮の中に閉じこもって息がつまり、欲望が外に生 まれ出ることもできずにぐったりしてはいないでしようか。その欲望に息を吹き返させ、社会と いう大きな「親の保護の中で、もう少しやりたいことをやらせてあげましよう。 自分の欲望を犠牲にしてまでつくしても、会社も家庭も、いつまでも暖かく保護してくれるわ けではありません。いっ放り出されるかわからないのですから、自分のことは自分で守れるよう 171
斎藤学 Satoru Saitoh 1941 年、東京都生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。アライアント国際大学・臨 床心理学大学院教授。家族機能研究所代表。アルコール・薬物依存、児童虐 待、過食・拒食症など嗜癖研究の第一人者。日本嗜癖行動学会理事長、「ア ディクションと家族」編集主幹、 JUST ( 特定非営利活動法人日本トラウマ・ サバイバーズ・ユニオン ) 理事長。著書に「家族依存症」「子供の愛し方がわ からない親たち」「「家族」という名の孤独」「アダルト・チルドレンと家族」 「「自分のために生きていける」ということ」「「家族」はこわい」、訳書に「嗜 癖する社会」「買い物しすぎる女たち」「内なる子どもを癒す」など多数。 連絡先 : 家族機能研究所 〒 106 ー 0045 東京都港区麻布十番 2 ー 14 ー 6 イイダビル 2 F 電話 ( 03 ) 5476 ー 6041 インナーマザー ーあなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」一 著者・・・ 2004 年 2 月 10 日第 1 刷発行 2004 年 5 月 9 日第 7 刷発行 ・・斎藤学⑥ Satoru Saitoh, 2004 企画・編集・・ ・・・株式会社波乗社 ( 0 NaminoriSha, 2004 発行者・・ 発行所・・・ ・・・大谷松雄 ・・・株式会社新講社 東京都千代田区飯田橋 4 ー 4 ー 9 ー 410 〒 102 ー 0072 電話 ( 0 め 52 ろ 4 ー 2 ろ 9 ろ・ FAX ( 0 めう 2 ろ 4 ー 2 ろ 92 振替・ 00170 ー 6 ー 615246 印刷所・・・ 製本所・・・ ・・・萩原印刷株式会社 ・・・ナショナル製本協同組合 乱丁・落丁本はお取替えいたします。 定価はカバーに表示してあります。 ISBN4 ー 86081 ー 029 ー 5 Printed ⅲ Japan.
しようか」というレストランのオーダーと同じことなのです。 企業は、男性たちの「母」であり「子宮 , です。「母親」のいうことを聞いていれば養っても らえますから、会社の中で「子ども」をやっているサラリーマンがほとんどでしよう。そのほう が、この社会では適応的です。自分の思いどおりにやろうと思ったら、すぐに二〇年早いと か「そんな立場か」などといわれてしまいます。 「私ごときが、おこがましいーといって謙虚にしているのが一番楽です。もちろん、本当に自分 の能力を知って、自分の判断で上司のやり方を支持し、会社に適応することを選んでいるのなら それでいいのです。 ところが、何人もの部下を抱えたリーダー格の人までもが、もっと上の神様をつくって、「上 の指示だからーというやり方で進めようとします。一番上にいっても、その人も自分の考えで決 めているわけではありません。「この場合、こうするしかないだろう」という親教に従って、選 択肢のない選択をしている。ですから、いざ問題が起こったときに問いつめられても、それを決 めた人が誰もいません。「私がこう考えて、こう決断しました」と責任を取って答える人がいな いのです。 一番になっても、「みなさんのおかげです。私の能力で偉くなったのではありませんーと頭を 垂れよ、という親教に従っているのと裏腹で、何かあっても、「みんなの総意でやったことで、 1 5 2
第 5 章子どもの領域、親の領域 のための「セレモニー」をするのもいいのではないでしようか。 中学から高校に上がる頃にでも、「このあたりで、私たちの親としての役割はだいたいすんた よ」ということを示すセレモニーをする。 家族みんなで外で食事をするのもいいでしよう。その日は「大事な日だから」といって父親も 会社から早めに帰り、みんなで向かい合って親離れ、子別れを喜び合う。 「おまえももう高校生 ( あるいは大学生、あるいは大人 ) たから、これから私たちは何もいわな 何事も自分の責任でやりなさい , といい渡すわけです。 子別れといっても、何も全く関係のない赤の他人になろうというわけではありません。子ども が親に相談したいことがあれば、人生の先輩である親にするのもいい。就職のことで迷っていた ら、社会経験のある親が相談にのる。さまざまな方向性、選択肢を与え、 いっしょに考えた上で、 最終決定は子どもにまかせればいいのです。 責任はもうあなたにあるのだということをはっきりさせて、親の管理下にあった「子ども」か ら、お互い責任のある「大人」どうしのつき合いを始めるのです。 無条件の愛が「自信」を生む 親の仕事はとにかく子どもを「無条件に愛すること」です。子どもをよくしよう、できるよう 223
第 3 章「親教」の信者たち 決して私の責任ではございません」という無責任がまかりとおる。それが日本型リーダーなので す。 権威を奉っている人たちは、権威が「親、だと思っています。世間で権威とされている人たち もまた、国外に権威があって、外国の偉そうな人を奉ったりします。親を求める人たちをだまし て親になるのは簡単なので、誰かを神様に奉って宗教団体をつくったりします。 「親教社会」が崩れるとき この構造の中で、「こんなのはいやだ」とはっきりいう人は、「子どもだ」「わがままだ , と非 難されがちです。「もっと大人になれよ」という言葉は、親教の教義の中では「子どもでいろ、 いいながら、子どもでいるこ おとなしく世間様にあわせていろ。ということです。大人になれと とをよしとする矛盾を抱えている。こうして、企業という全体の利益をまず優先して、個人の幸 せを犠牲にするシステムができあがっています。 クタクタになるまで働いて、家に帰って寝るだけの生活でも、「お金持ちになるためにがんば った。と、自分自身の目標に従ってやったのであれば、満足感が得られるかもしれません。けれ ども、儲かるのは企業です。そんなにがんばって、家も持てないほど地価がつりあがっても、ま だ必死に働いている。そうしなければ会社をクビになる、生きていけないと思うからでしよう。 1 ラ 3
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない した女性が、突然、〃母性本能を失って〃子どもがイヤになったわけではありません。今までは 子どもいじめが表沙汰になることが少なかっただけなのです。 児童虐待の実態が表に出てくるようになったのは、高学歴の女性が増え、社会で活躍する場が 増えたことに関係するかもしれません。自分の職業と収入を持っている女性たちは、夫だけに依 存する必要がありません。社会に向かって、 「子育ては決して楽しいばかりではない。私はわが子をいじめてしまうことがある」 と発一言することもできるようになりました。 また、子どもに手をあげてしまいそうなとき、あるいは手をあげてしまったとき、「この怒り は何なのだろう」と考え、今までの教育と人脈を利用して、自ら救援機関やネットワークを探し 出すことを始めたのです。 女性の社会的な力が弱かったためにこれまで家庭内に隠れていた問題が、女性の進出とともに 社会に出てきたことはむしろ大きな前進だといえるでしよう。 「ネグレクト」という虐待 殴る、蹴るなどの身体的虐待の他に「ネグレクト」 ( 育児の怠慢、拒否 ) という虐待もありま す。これは、子どもの世話をせずにほったらかしておくことで、情緒的な虐待のひとつです。 4 ・
ともやって、自分のいいたいこともいえなければ、「本当の自分」が窒息してしまいます。他人 の目に縛られ、他人の期待に沿った自分を演じ続け、気づかないうちにロポットのようになって いる女生は多いのではないでしようか。 男性のほうもまた、二人前の男」をやるのに疲れて、会社の中では本音もいえず、本当の自 分が窒息しそうになっています。自分の魅力や能力でいつまでも妻をひきつけておく自信もない けったく ので、男どうしで結託して「良き妻」神話に女性を閉じこめ、安全な安らぎ製造機に仕立てあげ ようとします。「それが女性のすばらしさだ」などとおだてながら。 この男性論理中心の社会では、ここからはずれると「女を捨てた女」ということにされてしま うので、女性も自ら「お袋、神話にのり、「母性本能」神話の罠に閉じこめられていきます。そ してある日、自分の欲求不満を、自分より弱い者に向かって爆発させます。その犠牲となるのが 子どもたちなのです。 母は「いいかげん」ぐらいのほうがよい 良妻賢母をやろうとすればするほど無理がきます。良妻賢母が一番すばらしいのだと信じれば 信じるほど、反対側からバッド・マザーが吹き出てきます。母親が、本当の自分とは違う良妻賢 母をロポットのように演じ、父親はサラリーマンとしての義務をロポットのように果たしていれ わな
第 5 章子どもの領域、親の領域 一人の時間や空間を大切にしたいと思う人は、無理 他人といつもいっしょでは落ち着かない、 1 トナーとの生活はときどきということにして、普段は一人で暮 に同居する必要は全くない。パ しいただし、 らしてもゝ ートナーもそれを望めばの話ですが。 こうした多様な家族の形や、個人の生き方が当たり前になっている社会のほうが、良い社会だ と私は思います。現在の日本のように、法が認めた唯一の夫婦関係があって、それ以外の男女関 係の中で生まれた庶子は差別するような社会がよいとは思いません。家族形態においても、選択 肢は多いほうがよい。ただし、どれを選択するにしても、自分の選択には責任を負わなければな りません。 最後に、マリさんという女性から届いた手紙を紹介します。彼女は以前、過食症で悩んだ経験 を持っていて、そのとき私と出会いました。今では私の運営するクリニックの職員となって、現 在、過食症で苦しんでいる女性たちの回復を助けています。 ある仲間からの手紙 斎藤先生。 最近私は、もう一度自分を振り返ってみたいと思うようになりました。久しぶりに先生に手 231
第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない 人々が断言するように、「日本という社会は、児童期性的虐待が生じない文化を持っている」な どとはいえないと指摘したいのです。 この資料に見られるいくつかの要素が、同種の問題を抱えながらも臨床の場に現れることのな い女性たちと無関係と断じるのは妥当とはいえないと思います。 まんえん 生育家族における暴力や怒声の蔓延、その中で子どもとして過ごすことの緊張と警戒、父親か ばとう しっせき べっ らの叱責と罵倒、虐待される母への同情と侮蔑、虐待する父への恐怖とそのカへの憧れ、幼いと まひ きから他家の厄介になることによって生した感情の抑制と麻痺、家の惨状を友だちに知られない ように隠す必死の努力、これらすべてから生じる「偽りの自己」と低い自己評価は、児童虐待防 止ホットラインを含めた種々のルート ( その中には精神鑑定の依頼が含まれる ) を伝わって私た ちのもとを訪れる虐待する母親たちに共通しているように思われます。 彼女たちは ( 少なくともその多くは ) 、わが子を虐待するという悲惨によって、救助を求めて いるのかもしれません。人は子育てを通して自らの親子関係を繰り返します。乳幼児とともに過 ごすことは、ある種の人を子ども返りさせ、これが長い間封じ込めてきた「内なる子ども」の憤 怒を表に出すことになります。この機会をとらえて彼女たちに寄り添って語り合い、彼女たちの 危険な行為の真の意味をいっしょに考え、できれば彼女たちの魂の成長につき合う人々が必要な のです。 あこが ふん