自己評価 - みる会図書館


検索対象: インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」
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1. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

いると罪悪感を感じるので、遊び心がわいてきません。となると、ひとりで部屋にこもっている のが一番楽だということになるのですが、そうすることでさらに寂しさをつのらせます。 「親教」信者の特徴 7 〕寂しがり屋で、愛されたがり屋である 「こうでなければならない」「こうあるべきだ」という親教の声に従って不断の努力を続けてい る信者たちは、自分が愛する対象さえ、「世間様、の声に支配されています。たとえば、女性が 「学歴が高くて高収入で身長の高い」男性を結婚相手に選ばうとするのは、そのような夫を持て ゝとい、つ男 ば世間や親や友人に鼻が高いからでしよう。彼女にするならスタイルのいい美人がいし 性も、自己評価が低いので、連れて歩いて世間に自慢できる自分を飾るアクセサリーを求めてし まうからだと思えます。 自己評価が高く、自分というものの価値に自信があって、自然な感情があれば、必ずしも美人 や三高にほれるとは限りません。 けれども彼らは、世間様評価を基準に恋人選びをしていますから、自分自身も同じように評価 されていると感じ、怯えます。 「美人でなければ愛されない」 「こんなに太っていてはダメだ

2. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 3 章「親教」の信者たち 「親教」信者の特徴 2 【適正な自己評価ができない 親教に蝕まれている人は、「自尊心」を奪われています。自分の考えることや判断は、いつも インナーマザーに「ダメだ」といわれているので、「自己評価」がとても低い。どんなに美人で も、「こんな顔では愛されないー と心底信じている人もいます。 もともと他人の評価が基準になっているので、自分の評価はアテにならず、自分が信用できな いのです。 けれども、他人の評価をすべて取り入れていたら、とてつもない完璧主義におちいることにな ります。すべての人に「すばらしい」とほめられることなどありえません。どんなに完璧にやっ ても、「ちょっとあそこがまずい . 「もう少しこうしたらよかったのに」ということになります。 自分が現実にできることには限界があるのですから、達成したことを自分できちんとほめてあげ ればいいのですが、それができません。 何をやっても厳しい「世間様」の批判の声が聞こえてくるので、彼らは何もできなくなります。 すべて完璧にできないなら、やらないほうがマシだと考えてしまう。他人に少し批評されただけ で、ひどく非難されたように感じてしまう。やればやるほど自己評価が下がる。何かをするのが 怖くなる。やらなければこれ以上、自分は傷つかない。結局、何かに挑戦することを最初からあ きらめ、あるいは途中で放棄してしまいます。 12 5

3. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 5 章子どもの領域、親の領域 ゞ、見は「あばたもえくば」と であろうがなかろうが、泣き虫であろうがいたすら好きであろうカ辛 いうかわいがり方をするのが本当なのです。 容貌、地位、経済力など、外的な特徴で自分の特殊性を主張する人というのは、結局、自分の 弱さを主張しているに過ぎない。それを失ったらどうなるかといつもビクビクしている。もちろ んそういった外的な特徴も、その人の個性の一部です。けれどもそれを第一にしたり、それだけ に自分の価値を頼るのは、あまり楽ではない。 親は、その子の個生そのものに目を向け、自信を持たせたいものです。何もできなくても、何 か誇りがある、というのかいい。学校に通うようになったり、社会に出ると、さまざまなことで 比較されたり、逆境におちいることもあるでしようが、健康な自己愛を持った自己評価の高い人 は、それをよい経験に変換していける「しなやかな感覚ーを持っています。誇り高く生き生きと、 今ある現実を楽しむことができる。そういう人間を育てるのが親の仕事なのです。 、そのままのあなたでいい、 あなたはそのままで愛される価値のある人間 「あなたはかわいい 無条件の愛を注ぎ、「根拠のない自信」を持ってくれ だ。とすべてを包み込んであげればいい。 ればいいのです。「自分はプスだ」「自分はダメだ」という思い込みが客観的評価と無関係である ように、「自信」というものも根拠のないものです。 「自分はこのままでいいんだ。と思えれば、あるがままの自分が他人に愛され、受け入れられて 22 ラ

4. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 4 章「親教」のマインドコントロールを解く にするのですから、固定した集団にはならないわけです。固定すると成長が止まりますが、くっ ついたり離れたりできる柔軟性があれば、それぞれに自然な成長があります。 「これでいい」と自分で自分を肯定する 自分が置かれている拘束感、息苦しさの状況を認識することが、マインドコントロールを解く 第一歩ですが、それができるのには条件があります。健康な自尊心、健康な自己肯定力がないと、 自分の置かれた状況を正確に見つめることができません。 ゆが 親教にとらわれている人は、歪んだ世界観を持っています。その歪んだ眼鏡ですべてを見てい るので、自分についても、どうしても歪んだとらえ方をしてしまいます。そこで周囲の考えや評 価とズレていき、さらに自分の世界に閉じこもって世界観を歪める結果となります。本当の自分 を見つめる勇気が持てないのは、自己肯定感が弱いからなのです。 そこで、親教の信者は他人の賞賛を求めるのですが、他人の評価によって自尊心を強めようと いう試みは失敗します。なぜなら、自分を尊重する気持ちを持てずに、まず他人の評価に頼ろう というわけですから、そもそも自分で自分を卑下しています。他人様第一で、自分が後まわしに なっています。評価してもらおう、ほめてもらおうと他人にねだればねだるほど、自分が失われ ていく悪循環です。 17 5

5. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

「あなたはあなたで好きなようにしててくれればいゝ などといわれると、もうどうしていいかわからす、「この人は自分を必要としていないのでは ないか」と不安になる。自分が他人にどう思われているか、他人の評価をとても気にしますし、 評価されないと傷つきやすいのです。 彼らの行動は、自分自身の欲望や好き嫌いの感情、倫理観にもとづいたものではなく、世間が し」し、周りの雰囲気を見て「おもしろくなさそう」なら「おもしろくな いだろう」というものです。 その結果、何が正当かという確信が持てず、いつも「これでいいのだろうか」という漠然とし た不安を抱えています。見逃されているうちは「これでもいいのだ」と思うのですが、「それで はダメだ」といわれるのが怖くてビクビクしています。何がよくて何が悪いのか、自分はどうし たいのか、したくないのか、自分で決められないのです。 また、親ならこういうだろう、周囲はこう思っているのではないかという恐れと不安を自分の 中に取り込んでいるので、自分で自分を責めます。非常にまじめで、心の中では情け容赦ないほ どの自己批判をしています。けれども、その情け容赦のない批判は他人にも向けられています。 いってみれば、自分にも他人にも厳しいのです。 い」といえば「い ) 124

6. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

突然仕事を辞めてしまったり、何日も家に閉じこもったり、他人から見たら理解できない行動 をとる人がいますが、その裏にあるのは、「親教ーのマインドコントロ 1 ルなのです。常に内心 の批判の声に怯えているので、他人のちょっとした言葉がきっかけになって、極端な行動を起こ してしまいます。自殺を図ったり、普段はおとなしそうな人が、突発的に暴力事件を起こすこと もあります。 逆に、非常に尊大で威張っていて、誇大妄想を持つ人もいます。これもじつは、健全な自己評 価、健全な自信のなさに由来します。 彼らは、自分の中の「親ーとセットになった「幼児」です。幼児はナルシシスティックで、自 分の限界を知らず、自分にはなんでも可能で、すべてが自分の思いどおりにいくものだと信じて います。けれども、成長するにつれ、近所のガキ大将にケンカで負けたり、成績で評価されたり、 女の子にふられたりして、適度な挫折を経験しながら、現実の自分が万能ではないことを学習し ていきます。そんな自分でも十分生きていけるし、そんな自分でも十分愛されることがわかって くのです。 ところが親教の信者は、まだ自己愛にひたった幼児のままでありたい人たちです。大人として の自分が、そうたいしたことはないとは認めたくありません。他人に、たいしたことのない自分 を知られてしまうのが怖いので、必要以上に自分を高く見せようと高慢にふるまいます。

7. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 1 章あなたのお母さんは「聖母」ではない とうつ、フ 系、消化器系の障害、生理痛や不正出血、性交疼痛などの生殖器系の障害、月経前緊張症、慢性 ぜんそく の頭痛、思春期・成人期にまで引き続くアトピー性皮膚炎や喘息などの頻度が高し ) 。パニック発 きよ、つ」、つ 作と呼ばれるような、呼吸不全や心拍数増加、あるいは呼吸不全をともなう恐慌状態を頻回に 起こす人々もいます。 サバイバ 1 と呼ばれる人々は概して怒っています。当然のことでしようが、親への怒りがあら わで、そのことをしきりにロにします。他人への不信感も強く、治療者に対しても怒りや不信を ぶつけやすいので、扱いやすい人々ではない。 この怒りは自分自身にも向けられていますから、 ちょうばっ 自己懲罰的で、自殺や自傷と結びつきやすい、といった人々です。自己不信と著しく低い自己 評価も特徴のひとっとしてよいでしよう。サバイバーとしての自己に気づくまでは、この低い自 己評価が、他人への過度な迎合、従順さ、そして仕事依存的な完璧主義になっていたのです。 親を憎んでいるくせに、親とよく似た行動をとってしまうことも特徴のひとつです。子どもを かつぼう 持てば親と同じように虐待する親を演じてしまう。力への渇望の強い、マッチョな男になったり、 やたらに暴力で他人を支配しようとしたり、そのような男に仕える従順な女性をやっていたりし ます。 大人としての自分の行動の中に、子ども時代の自分が顔を出してしまうのもこの人々の特徴で す。サバイバーは、情緒的な発達に停滞を起こしていますから、かってのトラウマ状況によく似 2

8. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

めません。まともな神経の持ち主であれば逃げ出したくなるでしよう。 親教の信者には、束縛し合わなくてもいっしょにいられるということがわかりません。嫉妬深 いがゆえに相手に敬遠され、そこでますます好きな相手に逃げられないように束縛しようとする、 という悪循環におちいっています。 「親教」信者の特徴 5 【被害妄想におちいりやすい 親教の信者は自己評価が低いので、他人によい評価をされていると思えません。威張っていて も孤高のふりをしていても、内心は常にビクビクしています。 「あの人は私のことを軽蔑している」 「きっと私のいないところでみんなで悪口をいっているに違いない」 「あんなことをいっているけれど本心はこうなのだろう」 と、わざわざ他人に悪意があると考えてしまいます。 相手には全くそんなつもりがないのに、「あの人にこう非難された」と勝手に思い込んで人間 関係をこじらせることもあります。自己評価が低いために、他人の気持ちの読みとり方も歪んで しまい、彼らのコミュニケーションはどうしてもすれ違います。そしてひがむのですが、あまり ひがみつぼいと、周囲もだんたん本当にその人がイヤになってくるものです。たとえば、ふた言 1 3 2

9. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

第 3 章「親教」の信者たち めには、「どうせオレはバカだから」「どうせ私はプスだから」といっている人のそばにいると、 だんだん「バカ」「プス」という言葉が注目されてきます。最初はその人のことをバカともプス とも思っていなかったのに、そもそも「バカ」「プス」という区別などどうでもよかった人でも、 しよっちゅうそう聞いていると、相手のこだわりにあわせたこだわりが生まれてきます。 「この人は自分がプスだと劣等感を持っているようだから、気をつけなくては」 そう思うようになった時点ですでに、「美人」「プス」という一一元論の世界観に、周囲も巻き込 まれているのです。 親教の信者は、そうやって自分自身を二元論の「いいか悪いか」で評価してギュウギュウとし めあげ、そのためにわざわざ生きにくく苦しくしてしまっています。ところが、自分が困ってい る世界観をあえて周囲に広めてしまい、それがまた結局、自分にはね返ってきます。 なんとなくつき合いにくいと敬遠されるようになると、「ほらやつばりオレは嫌われている」 「やつばり私はプスだから好かれないのだーとそこで奇妙な安心感にふけり、さらに自己評価を 下げてしまう。悪循環なのです。 親教の信者は、誰も責めていなくとも、自分で自分を責める人です。自分の中のインナーマザ ーが、いつも自分を責めています。自分を責める人は、結局、人に責められる結果を招きます。 かってのトラウマと同しようなトラウマを呼び込みやすく、何度も同じようなイヤな目にあって

10. インナーマザー : あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

紙を書きたいと思います。 私は先生とは約七年前に出会っていますが、スタッフとして診療所でお世話になっている今 日まで、とかく先生と距離をとろうとしてきたように思います。先生の私に対する評価が怖か った、というのが正直なところです。自己評価の低かった ( 今も高くはないです ) 私は、斎藤 先生には私の本質が見破られてしまって、表面はうまくだましていても、中身は価値のない、 あるいはごくごく普通の ( 普通じゃ嫌でした ) 人間だということがわかってしまうと思い、傷 つくのを避けるために離れていたのだと思います。でもこのころになってようやく先生に自分 のことをちゃんと知ってもらいたいと思うようになりました。 自分を振り返ってみたいと思う理由は、バカげているとは思いますが「私は過食症になる資 格があったのだろうか , という疑問にもう一度自分なりの答えを見つけたいと思ったからです。 麻布でいろんな人の話を聞いていると、みんな、悲惨で苛酷な子ども時代を経てサバイバル しているなと思います。そんな中で「私の子ども時代はそんなに悲惨で苛酷じゃなかった」と いう思いがあり、「それなのに過食症になっちゃってよかったの ? という孤独感が膨らんで きていました。私の英雄物語はひとりよがりの偽物なんじゃないかと不安になっていました。 私は今、一一三歳になったところで、三人兄妹の真ん中として育ちました。兄は子どものころ 身体が弱く、ミルクを吐いてしまったりアトピーがひどかったりと、手のかかる子で、母は心 232