161 ートの窓明かり 柊のセーラー服がコートでかくれたので、私は少しほっとした。デ。ハ が歩道を明るく照らし、とぎれなくゆきかう人々の顔も白く輝いて見える。風は井い香 りがして、春めいているのにまだまだ冷たく、私はポケットから手袋をとり出した。 「その天ぶら屋、ワタシんちのすぐそばだから、少し歩くよ。」 と柊が言った。 「橋を渡ってゆくのね。」 と言って、私は少し沈黙した。橋の所で会った、うららという人のことを思い出した : とぼんやり思っているとふいに柊が、 シのだ。あれからも毎朝行くが、会わない。 「あっ、もちろん帰りは送るぞ。」 と大声で言った。私の沈黙を、遠くへ行く面倒さと解釈したらしかった。 「とんでもない。 まだ早いもの。」 とあわてて言いながら、今度は心の中だけで、″に、似ている″と私は思っていた。 マネをしてくれる必要がないくらい、今のは等に似ていた。人との間にとったスタンス を決して崩さないくせに、反射的に親切が口をついて出るこの冷たさと素直さに、私は いつでも透明な気持ちになった。それは透んだ感激だった。その感じを私は今、生々し く思い出してしまった。なっかしかった。苦しかった。 「この間、走ってて朝、橋の所に変な人がいてね。そのことを思い出してただけよ。」
くやしいくやしい、高かったのにみかげのほうによく似合うわ、とある夜私に着せて みてえり子さんが言った思い出があったからだ。 それから、化粧台の引き出しにごそっと人っていたという彼女の″遺一言状 ~ を私に手 渡して、雄一はおやすみを言い自分の部屋へ去っていった。私は、びとりそれを読んだ。 雄一殿 自分の子に手紙書くなんてすごく妙な気分よ。でも最近、ちょっと身の危険を感じる ことがあるので、もしも、万が一のために書いてみます。ま、冗談だけどさ。そのうち 二人で笑って読みましよう。 でもね、あんた、考えてもみて。私が死んだら、あんたひとりぼっちょ。みかげと一 しんせき 緒じゃない。あの子のこと、もう笑えないわよ。私たち親戚いないのよ。あんたのお母 さんと結婚した時に縁切られて、私が女になった時にはもう、人づてに聞いたところで は呪ってたそうだから、間違ってもおじいちゃんおばあちゃんに連絡とろうなんて思わ ないように。わかった ? ねえ雄一、世の中にはいろんな人がいるわね。私には理解しがたい、暗い泥の中で生 けんお きている人がいる。人の嫌悪するようなことをわざとして、人の気を引こうとする人、 それが高じて自分を追いつめてしまうような、私にはそんな気持ちがわからない。いゝ のろ
キッチン してね、と言った。 ・・違う。先月末に会った。そうだ、夜中のコンビニエンス、あの 時だ。 マトへ走っていったら、人口の所で 私が夜中眠れなくてプリンを買いにファミリー ちょうど仕事明けのえり子さんと、お店で働く実は男の、女の子たちが紙コップのコー ヒーを飲んでおでんを食。へていた。私がえり子さん ! と声をかけると、私の手を取っ て、あらー、みかげうちを出たらすっかりやせたわね、と笑った。青いワンビースを着 ていた。 私がプリンを買って出てくると、えり子さんはコップを片手で持ち、きつい瞳で闇に 光る街を見ていた。私はふざけて、えり子さん顔が男してるよ、と言った。えり子さん はばっと笑顔になって、いやあねえ、うちの娘はヘらずロばっかりで。思春期がはじま ったのかしらね、と言った。私、成人してるんですけど、と私は言い、お店の女の子た : : : うちに遊びに来るのよ、と、ああよか 0 た、笑顔で別れた。あ ちが笑った。そして れが最後だ。 旅行用の小さな歯プラシセットと、フ = イスタオルを探し出すのに何分を要しただろ う。私は支離滅裂だった。引き出しを開けたり閉めたり、トイレのドアを開けてみたり、 花びんを倒して床をふいたりをくりかえして部屋中をうろうろ歩きまわり、結局なにも
柳美里著ゴールドラッシュ 池澤夏樹著 なぜ人を殺してはいけないのか ? どうした ら人を信じられるのか ? 心に闇をもっ歳 の少年をリアルに描く、現代文学の最高峰 / 一人の若き兵士が夜の港からひっそりと東京 にやって来た。名もなく、武器もなく、パス ハビロンに行きて歌え ポートもなく : 。新境地を拓いた長編。 のどかな南洋の島国の独裁者を、島人たちの 池澤夏樹著マシアス・キリの失脚噂でも巫女の霊力でもない不思議な力が包み 谷崎潤一郎賞受賞込む。物語に浸る楽しみに満ちた傑作長編。 ナイル川上流の湿地帯、ドミニカ沖のクジラ、 イスタンプールの喧騒など、読む者を見知ら 池澤夏樹著明るい旅情 ぬ場所へと誘う、紀行ェッセイの逸品。 。昭和四十年 夢みる少女は冒険がお好き 氷室冴子著い も、つ A 」物五代の北海道で、小学校四年生のチヅルが友だ ちや先生、家族と送る、恋と涙の輝ける日々。 死への興味から、生ける屍のような老人を 湯本香樹実著・夏の」庭「観察」し始めた少年たち。いっしか双方の間 ー The Friends に、深く不思議な交流が生まれるのだが :
思った。そして、これ以上ろくでもないことはないだろうと確信していたのに、上には 嘉建」かいいし」・刀 上があるものだ。えり子さんは、私にとって、巨大な存在だった。 悪いとかは確かにあっても、それに身をゆだねるのは井えだ。そう思ってつらさが減る わけでもなんでもない。それに気づいてからは、ろくでもないことと、普通の生活を同 時進行できるくらいには私はいやらしく大人になったが、確かに生きやすくなった。 だからこそ、こんなにも今、心がずっしり重 うっすらとオレンジに染まるほの暗い雲が西の空に広がりはじめる。もうすぐ、ゆっ 眠くなってきたが、 ~. くり冷たい夜が降りてくる。心の空洞にしみ込んでくる。 キ「今、眠ると悪い夢見るわ。」 と口に出して、私は起き上がった。 満 そして、とりあえず久々の田辺家台所に立ってみた。瞬間、えり子さんの笑顔が浮か んで胸がきりきりとしたが、体を動かしたかった。どうもこの台所は、ここのところ使 われていないのかもしれない、 と思える。薄汚れて、暗かった。私はそうじをはじめた。 みがき粉でシンクをごしごしこすり、ガス台をふき、レンジの皿を洗って、包丁をとぐ。 ふきんを全部洗ってさらし、乾燥機にかけてごうんごうんと回っているのを見ているう ちに、心が実にしつかりしてきたのがわかった。どうして私はこんなにも台所関係を愛 しているのだろう、不思議だ。魂の記憶に刻まれた遠いあこがれのように愛しい。
146 キッチン 持った。 そして、鈴は心を通わせた。会えない旅の間ずっと、お互いに鈴のことを気にかけて いた。彼は鈴が鳴る度私と、私がいた旅行前の日々をなんとなく思い出し、私は遠い空 おも の下で鳴る鈴のことと、鈴といる人のことを想って過ごした。戻ってからは大恋愛がは じまった。 それからおおよそ四年の間、あらゆる昼と夜、あらゆる出来事をその鈴は私たちと共 に過ごした。初めてのキス、大げんか、晴れや雨や雪、初めての夜、あらゆる笑いと涙、 好きだった音楽や > ーーー二人でいたすべての時間を共有して、等が財布がわりのその ハス人れを出す手と一緒に、いつもちりちりとかすかな澄んだ音が聞こえた。耳を離れ ない、愛しい、愛しい音だ。 そんな気がしたなんて、後からいくらでも言える乙女の感傷だ。しかし私は言う。そ んな気がしました。 いつも心から不思議に思っていた。等は時折どんなにじっと見つめていてもそこにい ない気がした。眠っていても、私はどうしてか何度も心臓に耳をあてずにはいられなか った。笑顔があまりにもばっと輝くと思わず瞳をこらして見てしまった。彼はいつもそ の雰囲気や表情にある種の透明感を持っていた。だから、こんなにはかなく心もとなく 感じるのだろうと私はずっと思っていたが、もしそれが予感だったとしたらなんと切な ひとみ
キッチン 「電話が、光って見えてた。」彼も笑って言った。「夜道を、酔って帰ってくると電話ポ ックスって明るく光ってるだろ。真っ暗な道で遠くから見ても、よく見えるだろ。ああ、 あそこにたどり着いて、みかげに電話しなきや、 x >< x ー x >< >< >< だって、テレホンカ ードを探して、ボックスの中まで人るんだよね。でも今、自分がどこにいて、これから なにを話すのかを考えると、とたんにいやになって電話するのをやめる。帰ってばたん と寝るとみかげが電話で泣いて怒る夢を見るんだ。」 「泣いて怒るのは想像上の私だったでしよ。案ずるより産むがやすし。」 「うん、突然、幸福になった。」 雄一は自分でもなにをしゃ。へっているのか多分よくわかっていないのだろう、とても 眠い声でほっり、ほっりと話を続けた。 「みかげが、母親がいなくなってもこの部屋に来て、目の前にいる。もし怒って縁を切 られたなら、これはもう仕方ないことだと覚悟していた。あの頃、三人でここに住んで いた頃があまりにもつらすぎて、もう会えなくなる気がした。・ : ・ : 客用のソフアに人が 泊まるのは昔つから好きだったんだ。シーツとかばりつと白くて、自分の家なのに旅行 : ここのところ、自分でもあんまりまともに食ってないんで、 に行ってるようでね。 食事作ろうかなと何度か思った。でも食べ物も光を出すだろう。それで食。へると消えち ゃうだろう ? そういうのが面倒で、酒ばかり飲んでた。きちんと説明さえすれば、み
中国の人口が半減した楚漢戦争。項羽の虐殺 コしにも劉邦の陰謀にも与せず、民の側に立ち続 宮城谷昌光著夭日乱 けた不屈の英雄田横を描く歴史小説の金字塔。 ( 三・四 ) 燗日で燗万 ゴキプリ ( ッチ族 ) を殺せ / 曽野綾子著 ~ 辰 歌人が犠牲にな 0 たとも言われるルワンダの悲 ( 上・下 ) 劇をテーマに、真実の愛を問う渾身の大作。 新 南アメリカ大陸の奥地で秘密裏に進行する企 服部真澄著エル・にー一フにーみ。人類と地球の未来を脅かす遺伝子組み換 最 え作物の危険を抉る、超弩級国際サスペンス。 ( 上・下 ) 庫 稀代の才人、平賀源内には慕い寄り添う女が いたーー牢獄に繋がれた男が、回想と妄想の 文諸田玲子著恋ぐるい なかで綴る女との交情、狂おしい恋の日々。 望んでいるのは、人から必要とされたい、た 新 山崎マキコ著さよなら、スナフキンだそれだけ。美人じゃないけど、人一倍純情 な女子学生・大瀬崎亜紀の仕事と恋の奮闘記。 「自分の人生」に誇りを持て / 人々の希望 僕は人生について と幸福を描いてきた著者がつむぎ出した 15 こんなふうに考えている 7 の言葉。一冊に凝縮された浅田文学の精髄。 浅田次郎著 一三ロ