キッチン 「電話が、光って見えてた。」彼も笑って言った。「夜道を、酔って帰ってくると電話ポ ックスって明るく光ってるだろ。真っ暗な道で遠くから見ても、よく見えるだろ。ああ、 あそこにたどり着いて、みかげに電話しなきや、 x >< x ー x >< >< >< だって、テレホンカ ードを探して、ボックスの中まで人るんだよね。でも今、自分がどこにいて、これから なにを話すのかを考えると、とたんにいやになって電話するのをやめる。帰ってばたん と寝るとみかげが電話で泣いて怒る夢を見るんだ。」 「泣いて怒るのは想像上の私だったでしよ。案ずるより産むがやすし。」 「うん、突然、幸福になった。」 雄一は自分でもなにをしゃ。へっているのか多分よくわかっていないのだろう、とても 眠い声でほっり、ほっりと話を続けた。 「みかげが、母親がいなくなってもこの部屋に来て、目の前にいる。もし怒って縁を切 られたなら、これはもう仕方ないことだと覚悟していた。あの頃、三人でここに住んで いた頃があまりにもつらすぎて、もう会えなくなる気がした。・ : ・ : 客用のソフアに人が 泊まるのは昔つから好きだったんだ。シーツとかばりつと白くて、自分の家なのに旅行 : ここのところ、自分でもあんまりまともに食ってないんで、 に行ってるようでね。 食事作ろうかなと何度か思った。でも食べ物も光を出すだろう。それで食。へると消えち ゃうだろう ? そういうのが面倒で、酒ばかり飲んでた。きちんと説明さえすれば、み
満 1 15 ないの . よね。無理よって言い続けたら、そうかあ、じゃあひとりでどこか行ってこよう ってしょんばり言うの。あたし、知ってる宿を紹介してあげたんだけれどね。」 : : : うんうん」 「あたし、ふざけて、みかげと行っちゃえ ! って言ったのね。本当に冗談でさ。そし たら雄ちゃん、真顔で『あいつ、仕事で伊豆だもん。それに、これ以上あいつをうちの 家族に巻き込みたくないんだ。今、せつかくうまくやっているところなのに、悪くて さ。』って言うの。あたし、なんだかビンときちゃったのよ。あんた、あれは、愛じゃ ない ? そうよ、絶対に愛よ。ねえ、あたし、雄ちゃんの泊まってる宿の場所も電話も キわかってるからさあ、ねえ、みかげ、追っかけてってさ、やっちゃえ ! 」 「ちかちゃーん。」私は言った。「私はさあ、明日の旅行、仕事で行くのよ。」 私はショックを受けた。 私には、雄一の気持ちが手に取るようにわかった。わかる、気がした。雄一は今、私 の何百倍もの強い気持ちで、遠くへ行きたいのだ。なにも考えなくていい所へ、びとり で行きたいのだ。私も含めたすべてから逃げて、ことによると当分帰らないつもりかも しれない。間違いない。私には確信があった。 「仕事なんてなにさ。」ちかちゃんは身をのりだして言った。「こういう 時、女がしてや れることなんてたったびとつよ。それともなあに、まさかあんた処女 ? あっ、それと
: 今日はお願いがあってやってきました。はっき 「ええ、大学のクラスメートです。 り申し上げます。田辺くんのことを、もうかまわないで下さい。」 彼女は言った。 「それは田辺くんが決めることであって。」私は言った。「たとえ恋人であってもあなた に決めていただくことではないように思いますけれど。」 彼女は怒りでばっと赤くなり、言った。 「だって、おかしいと思いませんか。みかげさんは恋人ではないとか言って、平気で部 屋に訪ねたり、泊まったり、わがまま放題でしよう。同棲してるよりも、もっと悪い わ。」彼女の瞳からは涙がこぼれそうだった。「私は、確かに同居していたあなたに比べ て、田辺くんのことをよく知らない、ただのクラスメートです。でも私なりに田辺くん をずっと見てきたし、好きです。田辺くんはここのところ、お母さんを亡くして、まい ってるんです。ずっと前、私は田辺くんに気持ちを打ち明けたことがあります。その時、 田辺くんは、みかげがなあ : : : って言いました。恋人なの ? って私が聞いたら、いや、 って首をかしげて、ちょっと保留にしておいてくれって言いました。彼の家に女の人が 住んでるのは学内でも有名だったから、私はあきらめたんです。」 「もう住んでないわ。」 と、ちゃちやを人れる形になった私の言葉をさえぎって彼女は続けた。 どうせい
に力強く苦しんでいても同情の余地はないわ。だって私、体を張って明るく生きてきた んだもん。私は美しいわ。私、輝いている。人を惹きつけてしまうのは、もし、それが 私にとって本意でない人物でも、その税金のようなものだとあきらめているの。だから、 私がもし殺されてもそれは事故よ。変な想像しないで。あなたの前にいた、私を信じて。 私ね、この手紙だけはきちんと男言葉で書こうと思ってかなり努力したんだけど、お つかしいの。恥ずかしくてどうしても筆が進まないの。私、こんなに長く女でいても、 まだどこかに男の自分が、本当の自分がある、これは役割よって思ってたのに。でも、 もう心身共に女、名実共に母ね。笑っちゃう。 私、私の人生を愛している。男だったことも、あなたのお母さんと結婚したのも、彼 女が死んでから、女になって生きたことも、あなたを育てて大きくしたこと、一緒に楽 満 しく暮らしたこと : : : ああ、みかげを引き取ったこと ! あれは最高に楽しかったわね。 なんだかみかげにとても会いたい。あの子も大切な私の子よ。 ああ、とってもおセンチな気分よ。 みかげに、どうぞよろしく。男の子の前で足の毛を脱色するのはよしなさいって言っ といて。みつともないからね。あんたもそう思うでしよう ? 同封したものは、私の財産のす。へてよ。どうせ書類のことなんてわけわかんないでし 。弁護士に連絡とってね。まあどっちにしろ店以外はみんなあんたのもの。ひとり
いね、じゃ、朝ね ! 」 高いヒールで彼女は駆けてゆき、雄一が、 「 > でも観て待ってて ! 」と言ってその後を追ってゆき、私はぼかんと残った。 よくよく見れば確かに歳相応のしわとか、少し悪い歯並びとか、ちゃんと人間ら しい部分を感じた。それでも彼女は圧倒的だった。もう一回会いたいと思わせた。心の 中にあたたかい光が残像みたいにそっと輝いて、これが魅力っていうものなんだわ、と 一私は感じていた。初めて水っていうものがわかったヘレンみたいに、言葉が生きた姿で 目の前に新鮮にはじけた。大げさなんじゃなくて、それほど驚いた出会いだったのだ。 チ 車のキーをガチャガチャ鳴らしながら雄一は戻ってきた。 「十分しか抜けられないなら、電話人れればい、 と思うんだよね。」 とたたきで靴を脱ぎながら彼は言った。 私はソフアにすわったまま、 「はあ。」 し J 一一 = ロった。 「みかげさん、うちの母親にビビった ? 」 彼は言った。 「うん、だってあんまりきれいなんだもの。」
くやしいくやしい、高かったのにみかげのほうによく似合うわ、とある夜私に着せて みてえり子さんが言った思い出があったからだ。 それから、化粧台の引き出しにごそっと人っていたという彼女の″遺一言状 ~ を私に手 渡して、雄一はおやすみを言い自分の部屋へ去っていった。私は、びとりそれを読んだ。 雄一殿 自分の子に手紙書くなんてすごく妙な気分よ。でも最近、ちょっと身の危険を感じる ことがあるので、もしも、万が一のために書いてみます。ま、冗談だけどさ。そのうち 二人で笑って読みましよう。 でもね、あんた、考えてもみて。私が死んだら、あんたひとりぼっちょ。みかげと一 しんせき 緒じゃない。あの子のこと、もう笑えないわよ。私たち親戚いないのよ。あんたのお母 さんと結婚した時に縁切られて、私が女になった時にはもう、人づてに聞いたところで は呪ってたそうだから、間違ってもおじいちゃんおばあちゃんに連絡とろうなんて思わ ないように。わかった ? ねえ雄一、世の中にはいろんな人がいるわね。私には理解しがたい、暗い泥の中で生 けんお きている人がいる。人の嫌悪するようなことをわざとして、人の気を引こうとする人、 それが高じて自分を追いつめてしまうような、私にはそんな気持ちがわからない。いゝ のろ
。カオ今すぐだって。そ 「今夜、初めて頭が正常に働いたんだ。知らせないわけこ、ゝよ、、 れで電話をした。」 私は聞く姿勢になって身をのりだし、雄一を見つめた。雄一は話しはじめた。 「葬式までの間は、なにがなんだかわからなかったんだ。頭は真っ白で、目の前が真っ 暗で。あの人は、ばくにとってたったひとりの同居人で、母で、父だったろう。もの心 ついた時からずっとそうだったから、思ったよりもずっと混乱して、やることだけはい つばいあって、毎日わけがわからないままころがるように過ぎちゃったんだ。ほら、あ の人らしく普通の死に方じゃなかったから、なにせ刑事事件だからね、犯人の妻だの子 だの出てきたり、お店の女の子たちも狂乱状態になって、ばくが長男らしくしてないと おさまりがっかなかった。みかげのことは、ずっと頭にあったんだ。これは本当だよ。 いつも、あった。でもどうしても電話できなかった。みかげに知らせたとたんに、全部 が本当になってしまいそうでこわかったんだ。つまり、父親である母親があんな死に方 をして、自分がひとりきりになったことがね。それにしても、あの人はみかげにとって もとても親しい人だったのに、知らせないなんて今思うとムチャクチャだよな。きっと ばくは狂ってたんだろう。」 手元のカップを見つめて、雄一はつぶやくように語った。打ちのめされた彼を見つめ て「どうも私たちのまわりは。」私のロをついて出たのはそんな一言葉だった。「いつも死
ゝげは帰らずにここにいてくれるかもしれない。 とりあえず話を聞いてくれることもあ りうる。そんな幸福を考えて期待するのがこわかった。すごくな。期待しておいて、も しみかげが怒り狂ったら、それこそ真夜中の底にびとりで突き落とされる。こんな感情 を、わかってもらうように説明する自信も、根気もなかった。」 「あんたって本当にそういう子ね。」 私の口調は怒っていたが、目があわれんでしまった。年月が二人の間に横たわり、テ レ。ハシーのようにすぐ、深い理解が訪れてしまう。私のその複雑な気持ちは、この大ト ラ野郎にも通じたらしい。雄一は言った。 キ「今日が終わらないといいのにな。夜がずっと続けばいいんだ。みかげ、ずっとここに 住みなよ。」 満 「住んでも 、いけど。」どうせ酔っぱらいのたわ言だなあと思った私はっとめてやさし く言った。「もう、えり子さんいないのよ。二人で住むのは、女として ? 友達として かしら ? ・」 「ソフアを売って、ダブルべッドを買おうか。」雄一は笑い、それからかなり正直に言 った。「自分でも、わからない。」 その妙な誠実さは、ゝ カえって私の胸を打った。雄一は続けた。 「今はなにも考えられない。みかげがばくの人生にとってなんなのか。ぼく自身これか
と言ってしまった。我ながら情けない発言だと思った。彼女は私をきつ、とにらんで、 「言いたいことは全部言いました。失礼します。」 と冷たく言い放ち、コッコッ音を立ててドアへ歩いていった。そして、ばーん、とド アをすごい音で閉めて、出ていった。 全く利害が一致していない面会が、あと味悪く、終わった。 「みかげちゃん、絶対に悪くないよー。」 栗ちゃんがそばに来て心配そうに言った。 を「うん、あの人変よ。やきもちで少し変になってるんだと思うわ。みかげちゃん、元気 キ出してね。」 典ちゃんが私をのぞき込むようにやさしく言った。 満 午後の光が射す調理室に立ちつくしたままで、私は、とほほほ、と思った。 歯プラシとタオルも置きつばなしで出てきたので、夕方は田辺家に帰った。雄一は出 かけたらしく 、いなかった。私は勝手にカレーを作って、食べた。 私にとってここで、ごはんを作ったり食。へたりするのは、やはり自然すぎるくらい自 然だわ、とあらためて自分に聞いた答えをぼんやりとかみしめていたら、雄一が帰って きた。「おかえり。」私は言った。彼はなにも知らないし、悪くないのになんとなく彼の
キッチン してね、と言った。 ・・違う。先月末に会った。そうだ、夜中のコンビニエンス、あの 時だ。 マトへ走っていったら、人口の所で 私が夜中眠れなくてプリンを買いにファミリー ちょうど仕事明けのえり子さんと、お店で働く実は男の、女の子たちが紙コップのコー ヒーを飲んでおでんを食。へていた。私がえり子さん ! と声をかけると、私の手を取っ て、あらー、みかげうちを出たらすっかりやせたわね、と笑った。青いワンビースを着 ていた。 私がプリンを買って出てくると、えり子さんはコップを片手で持ち、きつい瞳で闇に 光る街を見ていた。私はふざけて、えり子さん顔が男してるよ、と言った。えり子さん はばっと笑顔になって、いやあねえ、うちの娘はヘらずロばっかりで。思春期がはじま ったのかしらね、と言った。私、成人してるんですけど、と私は言い、お店の女の子た : : : うちに遊びに来るのよ、と、ああよか 0 た、笑顔で別れた。あ ちが笑った。そして れが最後だ。 旅行用の小さな歯プラシセットと、フ = イスタオルを探し出すのに何分を要しただろ う。私は支離滅裂だった。引き出しを開けたり閉めたり、トイレのドアを開けてみたり、 花びんを倒して床をふいたりをくりかえして部屋中をうろうろ歩きまわり、結局なにも