グレート・ギャッピー よ。だから、いつだって楽しいわ。この前はね、あたし、椅子にひっかけて夜会服をやぶい ・一週間もたたないうちに、 ちゃった。そしたらあの人がね、あたしの名前と住所をきくの : 『クロワリエ』から、新しい夜会服のはいった包みが届いたわ」 「それをそのまま貰っておいたの ? 」と、ジョーダンがたずねた。 「もちろん。今晩着てこようと思ったけど、バストが大きすぎて作り変えなきや駄目なの。 ふじいろ ガス燈のような青い色で、藤色のビーズがついてるの。二百六十五ドルよ」 「そんなようなことをする人には、何かおかしなところがあるものよ」もう一人の娘がきお もんちゃく いこんで言った「そりや、どんな人とでもなんの悶着も起したくないんだわ」 「だれがです ? 」と、ほくがたずねた。 と、言いかけて、二人の娘とジョーダン 「ギャッビーさん。だれかに聞いたんだけど : は、内輪話をするみたいに顔を寄せ合い「あたし、だれかに聞いたんだけど、あの人、どう も前に人を殺したことがあるらしいんだって」 からだせんりつ ばくたちみんなの身体を戦慄が走った。ミスタ・マンプルは三人とも身をのりだして、じ っと聞き耳をたてた。 「さあ、そこまではどうかしらね」ルシルが疑問を呈する「戦時中ドイツのスパイだったと いうほうかあたっていそうよ」 男の中の一人がうなずいて賛意を表明する。 「ぼくはそいつをあの人のことならなんでも知ってるという男から聞いたんですがね、あの もら だめ
「大方、ニューメキシコ州のオックスフォードとかなんとか、そんなとこにきまってる」 かにも軽蔑したようにトムは、噛んで吐きだすように言った。 「ねえ、トム。あんたがそんな見栄坊なら、なんだってあの人を食事に招いたりなんかした のよ ? 」ジョーダンが意地悪くたずねた。 「ディズイがよんだんだよーーーあれは、おれたちが結婚する前から、あいつを知ってたんだ どこで知り合ったものやらわかったもんじゃない ほくたちはいまや、さめてゆくビ】ルの酔いにみんないらだっていた。そして、それを意 ビ識しながら、しばらくのあいだ黙って車を走らせた。やがて、道のかなたに、・・エク ーグ博士の色あせた眼が見えてきたとき、ばくは、ガソリンについてギャッビーが与え ギ 1 た注意を思いだした。 レ 「ニュ 1 ヨークまで行くには十分だよ」と、トムは言った。 グ 「でも、すぐそこに修理工場があるわよ」と、ジョーダンは不満そうに「あたし、こんな焼 けつくみたいな暑さの中で立往生するの、いやよ」 トムは、いらだたしげに両方のプレーキを入れ、ばくたちは、ウイルスンの看板の下に、 さじん 砂塵をまき起しながらいきなりすっとすべりこんで停った。しばらくすると、家の中から主 かなっぽまなこ 人が姿を現わした。そして、金壺眼で車を眺めやった。 「ガソリンを入れてくれ ! 」乱暴にトムがどなった「なんのために車を停めたと思ってるん だーーー景色を眺めるためだとでも思ってるのか ? 」 169
あまりの暑さでございまして、手もふれかねるしだいでございますがー ロではそう言いながら、その実彼は「はい : はい : : : 承知しました」ということを伝え ていたのであった。 執事は受話器を置くと、汗ばんだ顔を光らせながらほくたちのほうへ近づいてきて、ほく たちの堅い麦藁帽子を受けとった。 「奥様は客間でお待ちでございます」声高にそう言いながら、彼は、その必要もないのにわ ざわざ客間のほうを指し示した。この暑熱では、よけいな身ぶりなど、人並みの生命をうち ビにたたえた者にとっては、腹立たしいくらいのものだった。 ャ 日よけが深く影を落したその部屋は、暗く凉しかった。ディズイとジョーダンが、巨大な ギ 寝椅子に身を横たえて、銀製の偶像というか、扇風機のまき起す颯々たる風に舞う白衣を静 レかにおさえていた。 「動けないわ」一一人がいっしょにそう言った。 はだ おしろい ジョーダンは、陽に焼けた肌の上に白粉をぬった手を、しばらくほくにあずけていた。 「で、スポーツマン・トム・ビュキャナン氏は ? 」と、ばくはたずねた。 そうほくがたずねると同時に、その当のご本人が、広間の電話にむかって話している、つ つけんどんなしやがれ声が、すこしこもって聞えてきた。 じゅうたん ギャッビーは、緋の絨毯のまんなかに立って、うっとりとあたりを眺めまわしている。そ のようすを見守ってディズイが、甘くひとの心をそそる笑い声をたてた。と、その彼女の胸 158 ひ さっさっ
でんとう と続いてゆく。彼の靴の上にきらきらと輝いている電燈の光が、秋の葉を思わす黄色な彼女 の髪の毛の上には柔らかに落ちていたが、ミス・べイカーの腕のしなやかな筋肉がかすかに 動いてページがめくられるたびごとに、それがきらりと紙面を走った。 ばくたちがはいって行くと、彼女は、片手をあげてちょっとほくたちのロを制しながら 「以下次号」と言って、その週刊誌をテープルの上に軽くほうりだした。 ひざ 彼女は、その肉体が自己の存在を主張するかに、おちつきなく膝を動かしていたが、やが て立ちあがった。 た「十時か」彼女は、そこに時計があるみたいに天井を見やりながらそう一言うと「この善良な 乙女がおやすみ遊ばす時間だわ」 ギ 「ジョーダンは、明日、ウエストチェスタのト 1 ナメントに出るのよ」と、ディズイが説明 レした。 グ 「ああーーあなた、ジョーダン・べイカーさんですか」 ようやくばくは、彼女の顔に見覚えのあったわけが呑みこめたーーそのひとを食ったとこ びばう ろのある美貌には、アシュヴィルやホット・スプリングズやパーム・ビーチなどのスポーツ マンの姿を撮った多くのグラビャ写真で、すでにお目にかかっていたのである。さらにまた うわさ ほくは、彼女にまつわる何かの噂も聞いたことがあった。非難めいた不愉央な噂だったが、 どんなことだったか、とうの昔に忘れていた。 「おやすみなさい」彼女はやさしくそう言った「八時に起してね、
いをよこした、あの晩というわけ。そこまでもってったあの人の入念なやり口、これは聞か せてあげたかったな。もちろん、あたし、ニューヨークで簡単にお昼でもいっしょに食べた らって、即座にそう言ったわよーーあの人ったら、あたし、気がどうかなるんじゃないかと 田 5 った。『変な真似はしたくない、 変な真似はしたくない』そう言い続けなの『ほくは隣の あいたがら 家からあの人の姿をかいま見たいんだ』って。あんたがトムとはじっこんの間柄だって言っ たらね、あの人は一切を断念しはじめた。トムのことはあまり知らないんだな。この何年間 か、ディズイの名前を見たいばっかりに、シカゴの新聞をずっと読んでたって一言うんだけ もう暗くなっていた。馬車がっと小さな陸橋の下にはいったとき、ばくは、ジョーダンの 黄金の肩に腕をまわして引きよせ、夕食にさそった。急に、ディズイのこともギャッビーの つほみ レこともばくの頭の中からは消え失せて、何ごとにも懐疑的な態度を見せるこの清潔な、蕾の こうぜん ような女、ばくの腕の中で昂然と身をそらせているこの女性だけがばくの頭の中を領してい た。「追われる者と追う者、多忙な者と退屈な者、それしかありはしないのだ」そんな言葉 が耳の奥で鳴りはじめて、われを忘れた興奮にほくを駆り立てていった。 「ディズイだって一生のうちに何かがあってしかるべきじゃない ? 」ジョーダンはささやく よ、つにそ、つ一言った。 「彼女はギャッビーに会いたがってるの ? 「あの人には何も知らせないことになってる。ギャッビーが知らせたがらないのよ。あんた 110 まね
「しかし、あの男はきみを知ってるって言ってたぜ。ルイヴィルで育ったんだって。最後の 瞬間にエイサ・ ードが連れてきて、このかたを乗せてあげる余裕がないかって、そう言っ たんだよ」 ジョーダンは微笑した。 「おそらくあちこちにたかりながら家へ帰って行ったのよ。あたしには、イエールで、あん たのクラスの級長だったって、そう言ってた」 トムとばくとは、あっけにとられた顔を見合わせた。 ビ「ビロックスイが ? 」 「第一、ほくたちには級長なんてなかった ギ ギャッビーか気ぜわしく小刻みに足をふみならした。トムかいきなり彼のほうをかえりみ 「話はちがうが、ギャッビーさん、あなた、オックスフォ 1 ド出だそうですな」 「厳密にはそうじゃありません」 「いや、オックスフォードへ行ったんでしようが」 一行くことは行きました」 「ええ ちょっと言葉がとぎれた。が、やがてトムが、不信と軽蔑の色をこめて 「あんたがオックスフォードへ行ったのも、ビロックスイがニューヘイヴンへ行ったのと同 じころなんじゃないかな ? 」と、言った。 178
りだってことは、こいつにもわかってると思うぜ」 一一人は、ひとことも言わず、ぶつりとかき消すように立ち去った。とたんに彼らは、ばく 、わば幽霊みたいな、ばくたちの同情からさえ絶縁したような感じだっ たちとは縁のない、し 一瞬の後、トムは腰をあげると、ロを切らずに終ったウイスキーの甁をタオルにくるみは じめた。 ・ニックは ? ・ 「こいつ、要るかね、ジョーダン : ピ ばくは返事をしなかった。 「ニックは ? と、彼はまたたずねた。 ギ 「なんだい。 レ「要るかい ? 「いや : : : ばくはただ今日がばくの誕生日なことを思いだしていただけさ」 ほくは三十だった。前途には、新しい十年の無気味な歳月がおびやかすようにのびていた。 ばくたちか、トムといっしょにクーべに乗りこみ、ロング・アイランドにむかって出発し いかにもうれしげに笑いながら、絶えずしゃべっていたが、そ たのは七時だった。トムは、 の声はジョ 1 ダンからもぼくからも遠く離れていて、ばくたちには歩道に響く無縁の人声や、 頭上にとどろく高架線の騒音のようにしか聞えなかった。人間の同情には限界がある。ほく たちは、彼らのいたましい言い合いの記憶が、流れ去る街の灯とともに薄れてゆくがままに 189 びん
まさにそのとおり。それまでぼくは気づかなかったけれども、それは金にあふれた声だっ たーーー高く低く波動するあの声の尽きせぬ魅力はそれだったのだ。りんりんとしたあの響き、 あのシンバルの歌声、あれは金の音であった : いと高き純白の宮殿に住む王女、黄金の娘 びん トムが、一クオート瓶をタオルにつつみながら、家の中から出てくる、そのあとに続いて、 ディズイとジョーダンが、金属性の布の、小さなびっちりした帽子をかぶり、軽やかなケー プを腕にかけて現われた。 ピ「みんないっしょに、わたしの車でまいりましようか ? ギャッビーがそう言って車の座席 の暑い緑の革にさわってみた「日陰に入れておけばよかったな」 ギ 「その車、ギャのシフトは普通のタイプですかな」 「ええ」 グ 「じゃあ、あなた、ばくのク 1 べにお乗りなさい。そしてニューヨ 1 クまでばくにあなたの 車を運転させませんか」 これはギャッビーにとって愉央な提案ではなかった。 「あまりガソリンがはいってないと思うんですがねえ」彼は反対の意向をにおわせた。 「ガソリンはたくさんですよ」乱暴にそう言いすててトムは計器を見た。 ちかごろ 「それにガソリンがきれたら、ドラッグストアに停めればいいし。近頃はドラッグストアで なんでも買えますからな」
は、自分がまちがったことをしているのではないかと思ったが、すぐまた急いで全体をたど り直してみて、別れを告げに立ちあがった。 「でもやつばし、あんたがあたしを棄てたのよ。突然ジョーダンは言った「あんたが、あの まじゃあんたのことなんかこれつほっちも思ってないけど、 電話であたしを棄てたんだ。い ばうぜん でもあんなこと、あたしにははじめての経験だったから、ちょっとのあいだはいささか呆然 としちゃったね」 ばくたちは握手をかわした。 た「そうだ、あんた覚えてる ? 」。ーー彼女はつけ加えて言ったーー「あたしたちがいっか車の 運転のことで話したこと」 ギ 「さあーー正確には覚えてないな」 」「あんた、へたな運転手は、もう一人へたな運転手と出会うまでしか安全でないって、言っ グ たでしよ。あたしはもう一人のへたな運転手に出会ったのよね。つまり、あんな見当はずれ の推測をしたのはあたしが不注意でしたってこと。あたしはね、あんたのことを正直で率直 な人だと思ったんだ。それがあんたのひそかな誇りなんだと思ったの」 - っそ 「ばくは三十ですよ」と、ほくは言った「自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五 つほど年をとりすぎました」 彼女は返事をしなかった。ほくは腹立たしく、しかも彼女が半ばいとおしく、さらにまた たまらなくすまなくも思いなからくびすを返した。
2 たいことかあるんだ」 「どうぞ」丁寧にギャッビーは答えた。 「いったいきみはわが家にどんな騒動を起そうというんだ ? 」 とうとうあからさまなことになってしまったが、ギャッビーは満足だった。 「騒ぎを起しているのはこちらじゃないわ」ディズイは、途方に暮れた顔で二人を交互に見 やりながら「あんたが騒ぎを起してるんじゃないの。すこしは自制心を持ってよ」 「自制心だと ! 」ほんとか、というようにトムはおうむ返しにくりかえした「椅子にそっく によ・つばう 北りかえって、どこの馬の骨かわからぬ野郎にてめえの女房をくどかせておくのが最新の流行 たというのか。しかし、そういうつもりなら、おれは除外してもらおう : : : 近頃は、家庭生 活とか家庭のしきたりなんていうと、すぐせせら笑うが、次には何もかも放つほり出して、 レ白人と黒人の雑婚をやらかすだろう」 自分の熱弁に上気しながら彼は、文明を擁護する最後のとりでに、自分がただ一人で立っ ている姿を思い描いた。 「ここにいるのはみんな白人だけどな」と、ジョーダンがささやいた。 「おれは自分が格別人気がないことは知ってるよ。盛大な。ハ 1 テイも開きはせん。友だちを つくるためには、自分の家を豚小屋にせねばならんものとみえるよーーー近頃の世の中では みんなと同じように、ばくも腹を立てていたのだが、それでも彼が口を開くたびに、ほく は笑いたくなった。道楽者から道学者への変身はあまりにも見事であった。 ちかごろ