「おそれいりますが、キャラウェイがお会いしたいと、そうおっしやってください 「シカゴからお連れもどしできるもんですか」 ちょうどそのとき、ドアのむこう側から「ステラ ! 」と呼ぶ声か聞えた。まごうかたない ウルフシェイムの声である。 「お名前を書いて机の上に置いていらしてください」急いで彼女は言った「お帰りになった らお渡ししますから」 「でも、彼があすこにいるのがほくにはわかってますがね」 ビ彼女は一歩ばくのほうに近寄ると、いまいましそうに、両手を腰にすりつけるような仕草 をみせた。 ギ 「あんたたち若い人は、無理すればいつでもここへはいれると思ってるけど、そんなやり口 は、わたしども、もううんざりするほど見あきてますからね。わたしがあの人はシカゴだと グ 言ったら、シカゴにいらっしやるのです」 ぼくは、ギャッビ 1 の名を口にだした。 「あらまあ ! 」彼女はそう言って、ばくを眺めまわした「ちょっと、あのーーーお名前、なん とおっしゃいましたつけ ? 」 彼女は姿を消した。と、思うと次の瞬間、戸口にマイヤー・ウルフシェイムが厳然と立ち はだかって、両手をさしのべていた。彼はばくを事務室の中に引き入れると、われわれみん なにとって、実に悲しみにたえぬと、神妙な声で言って、葉巻をすすめた。
はありませんよ。ギャッビー氏は亡くなりました」 先方では長いこと沈黙していた。が、そのうちに驚いたような声が聞え : : : それから、ガ チャンといって電話は切れた。 ・ O ・ギャツッと署名した電報がミネソタ州のある町から届いたのは、たしか三 日目だったと思う。さっそく出発するから自分が行くまで葬式は延期するようにと、ただそ れだけの電文であった。 ビそれはギャッビーの父親で、きまじめな老人だった。びつくり仰天してしまってなすすべ 力いとう ギも知らず、暑い九月の日だというのに、長い安つほいアルスター外套にくるまって、小さく 1 なっている。眼はしじゅう興奮にうるみ、手にした旅行カバンと雨傘をばくが受け取ると、 彼は、白いもののまじった薄い頤ひげをひっきりなしに引っ張りはじめたので、外套を脱が せるのにえらく骨が折れた。彼はいまにもへたへたと倒れてしまいそうだったから、ばくは 音楽室に連れこんで坐らせるとともに、何か食べるものを持ってこさせた。だが、彼は食べ よ、つとしない。 コップの牛乳も、ふるえる手からこばしてしまった。 「わしはシカゴの新聞で見ましてな」そう、彼は言った「すっかりシカゴの新聞に出とりま した。わしはすぐさま出発したのです」 「わたしはまたどうやってお知らせしたらいいかわかりませんでねえ」 彼の眼は、何ひとつ見てはいないのだが、絶えず部屋のあちこちを動いている。 あご
しは二人にカンヌで会ったし、あとにはドーヴィルで会ったこともあるけど、それから二人 はシカゴに帰ってきて定住したというわけ。ディズイは、シカゴで、あのとおりのたいへん は・つらっ な人気者だった。二人は放埒な連中といっしょに動きまわってたけど、みんな若くて金持な ほ・つとうじ 放蕩児ぞろいなのに、あの人には妙な噂一つたたなかった。おそらくあの人がお酒を飲まな いからじゃないかな。酒飲み連中の中にまじって、お酒を飲まないというのは、たいへん得 なことで、ロがつつしめるばかりか、破目をはずすにしても、他のだれにも見られず気にも うわき かけられないような潮時をうかがってやることかできる。おそらくディズイは、浮気したこ ビとなんか一度もないと思うけどー丨ーでも、あの人のあの声には何かがある : ャ そしておよそ六週間ばかり前、あの人は、何年ぶりかでギャッビーの名を耳にしたってわ ギ け。それはーー覚えてるでしょ ? ー・ーあたしが、ウエスト ・エッグのギャッビー氏を知って レるかって、あんたにきいた、あのときよ。あんたが帰ったあとで、あの人はあたしの部屋に はいってきてあたしを起すと「何ギャッビーっていうの ? 」って、そうきいた。あたしが 半分眠ってたけどーーーその人の顔形を言って聞かせるとディズイは、とても奇妙な声で、 それじゃ昔よくつき合ってた人にちがいないって言うの。そのときになってやっとあたしは、 そのギャッビー氏といっかあの人の白い車に乗ってたあの将校さんとが同じ人だと気がつい たってわけ。 ジョーダン・べイカーがこの話をすっかり語りおわったときには、ばくたちは、半時間も 107
ディズイの夫は、各種の運動競技に長じた男で、イエール大学ではフットボールのフォア ワードのエンドをつとめ、ニューヘイヴンはじまって以来の最も強いエンドだった。ある意 味では国民的英雄で、二十一歳にして類いまれなる傑出ぶりを示し、そのため、以後は万事 ばくだい が下り坂をたどっているように感じられるといったふうの男だった。彼の家は莫大な金持で 大学時代ですら、彼の無造作な金の使いぶりは非難の的になったくらいである。が、い ぜいたく まは、シカゴを離れて東部へきたわけだが、そのまた移り方が、あっと息を呑むほどの贅沢 訳注ィリノイ州、シカゴの 、ミシガン湖にある町カら、ポロのための馬の一隊 ビぶり。たとえば、レイク・フォレスト ( び - ・ ャ を連れてくるといったあんばいなのだ。ばくの年輩の男で、そんなことができるほどの金が ギ あるとは、理解に苦しむくらいである。 レ 彼らがなぜ東部へきたのか、それは知らぬ。特別の理由もなしにフランスで一年を過した グ あげく、金持が集まってポロをやるような所を、あちこちと、おちつかなげに転々していた 彼らなのだ。今度は永住するのだ、と、電話でディズイは言っていたけれども、ほくには信 じられぬーーーディズイの胸の中まで見抜くことはできないけれど、しかしトムは、敗色おお いかたいフットボールの試合などにただよう一種劇的な興奮を、むしろれるかのごとくに 求めて永久にさまよい続ける男のような気がするのだ。 そんなわけで、ある風の吹く暖かいタ方、ほくは、昔なじみではあるがその人間を知って いるとはおよそ言いえぬ二人の友だちを訪ねて、イースト・エッグに車を走らせた。二人の つ、」 0 あこが の
それからあとに、走り書きの二伸がついていて 葬式その他についてご一報くださし彳 : 皮の家族についてはぜんぜん存じません。 この日の午後電話のベルが鳴り、長距離の交換がシカゴからだと言ったとき、ほくは、や ピっとディズイからかかってきたと田 5 った。しかし、つながったのを聞くと男の声で、非常に 小さく遠かった。 「スラッグルだがな : レ 「はあ ? 聞き覚えのない名前である。 「えらくまたすました声をだすじゃねえか ? おれの電報、届いたろ ? 」 「電報なんか一つもきませんよ」 「。ハークの野郎がドジをふみやがってよ」早口に相手はまくしたてる「証券屋に堂々と証書 を手渡したとこをパクられちまった。その番号を知らせる回章がたったの五分前にニューヨ ークからまわってきたばかしだったんだ。おどろき桃の木さんしょの木だよ、なあ ? まさ かおめえ、こんな田舎町なんかでよ。ーー」 「もし、もし ! 」息をはずませてほくはロをはさんだ「あのねーー・・・こちらはギャッビー氏で 231 マイヤー・ウルフシェイム
ってきたというような、これからすぐにはなやかな胸躍ることかはじまるのだというような、 そんな気配がただよっているのだ。 ほくは、東部へくる途中、一日シカゴで中休みしたこと、大勢の人が彼女によろしくと一言 っていたことなどを彼女に語った。 さび 「あたしがいないのが淋しいのかしら」彼女はうれしそうに声をはすませて言った。 まち しようじよう 「市全体が蕭条としちゃってね。車はみんな、喪章みたいに左側の後車輪を黒く塗って、北 岸通りでは夜どおしすすり泣きの声が続いている」 ピ「まあ、すてき ! 帰りましようよ、トム。あした ! 」そう言ったかと思うと、まるでとっ てつけたみたいに「あんた、うちの赤ちゃんを見てくれない ? ギ 「そりや、ぜひ」 レ 「いま眠ってるの。三つなのよ。あんた、あの娘を見たことあったかしら」 グ 「そう。ぜひ、見ていただきたいわ。あの娘はね・ーー」 さっきからおちつかなげに部屋の中を歩きまわっていたトム・ビュキャナンが、ふと立ち どまってばくの肩に手をかけた。 「ニック、きみはいま、何してんだ ? 「証券会社の社員だよ」 「どこの ?
それをはずすと、ギャッビーの墓から被いの粗布がひきはがされるのを見ようと、その玉を ぬぐった。 そのときほくは、しばしギャッビーの上に思いをひそめようとしたが、彼はすでにあまり ティズイがことづてもよこさず、花一つ送ってよこさなかった に遠く離れてしまい、ただ、。 ふんまん ことが、格別の貭懣も伴わずに思い浮んだばかりだった。だれかが低く「幸福なるかな、死 と、つぶやくのかかすかにばくの耳に聞えた。 して雨に打たれる者」 (å訓」をも凵。たもの するとふくろうの眼の男がはっきりした口調で「アーメン」と言った。 ばくたちは、雨の中を、てんでに急いで車にもどった。門の所で、ふくろう氏がばくに話 ッ しかけた。 「お宅のほうへはうかがえませんでしたよ」 レ「それはどなたもご同様で」 グ 「なんですと ! 」驚いて彼は言った「いやはや、なんてこった ! 以前はいつも何百と行き おったにな」 彼は眼鏡をはずすと、またその玉を拭いた、外側も、それから内側も。 「かわいそうなやつめ」彼はそう言った。 ばくのもっとも鮮やかな記憶の一つに、クリスマスのころ、高等学校や、後には大学から、 西部へ帰省したときの情景がある。シカゴよりも先へ行く者たちが、十二月の夕刻の六時に、 244 おお
「でも、それはほんとうなのよ」いかにも苦しそうに彼女は言った。 「ディズイはおれと別れはせん ! 」突然トムは、ギャッビーの頭上にのしかかるようにして ゅびわ どなった「彼女の指にはめる指環だって、ひとのを盗まなけりゃならんような、ちゃちな詐 欺師のためになんぞ別れるもんか」 「まあひどいー がまんできないわ」ディズイが叫んだ「ねえ、お願いだから出ましよう 「いったい、きさまは何者だ ? 」トムがどなりだした「マイヤー・ウルフシェイムといっし ピょにその辺をうろっきまわってる一味の仲間じゃないか ということは、たまたまおれも 知ったのさ。きさまの身辺をいささか洗ってみたんでなーー明日はもうすこしやってみるつ もりだ」 レ「そのことでしたらどうぞお好きなように」すこしも騒がずギャッビーは答えた。 グ 「おれはね、おまえのいわゆる『ドラッグストア』なるものがどんなものか、つきとめたん だ」そう言ってトムは、ばくたちのほうをむいて早口にしゃべりだした「こいつはな、例の ウルフシェイムなる男と組んで、ここやシカゴの横町のドラッグストアをいつばい買収して、 大っぴらにエチール・アルコールを売りやがったんだ。それがこいつの芸当の一つなのさ。 はじめて会ったとき、おれはこいつを酒の密売でもやってる男かとふんだんだが、あたらず といえども遠からずさ」 「それがどうしました ? ギャッビーは丁寧な言葉で言った「お友だちのウォルター・チェ 186
イズイは、おれを愛して結婚したんだ、そうしていまでもおれを愛している」 「ちがう」かふりを振りながら、ギャッビーが言った。 「ところが、ちがわんのだよ。問題は彼女、ときどき、変な了見を起して、自分で自分のや こころえがお ってることがわからなくなることがあるんだ」いかにも、い等顔に彼はうなずいた「それにだ な、おれもディズイを愛してるんだ。たまには脱線してばか騒ぎもやらかすが、いつもおれ はもどってくる。心の中ではいつだってディズイを愛してるんだ」 「まあ、むかむかする」と、ディズイが言った。彼女は、ぼくのほうをむくと、オクターヴ けいべっ ビ下げた声にぞっとするほどの軽蔑をこめて「あんた、どうしてあたしたちがシカゴから移っ ャたのか知ってる ? そういう脱線の話をみんなから聞かされたでしようか」 そば ギャッビーは、つかっかと歩いて行って、彼女の傍に立った。 「ディズイ、そんなことはすっかり終ったんだ」熱をこめて彼は言った「もうなんでもあり はしない。あの人にほんとのことを言ってやりたまえーーーきみがあの人を愛したことはつい ぞないんだってーー・何もかもきれいさつばり帳消しだって」 ばうぜん この 彼女は呆然とギャッビーを見つめていた「だってーーーどうしてあの人が愛せる ? あたしに」 「あなたは一度もあの人を愛したことなんかないんだ」 まなざ 彼女はためらった。そして訴えるような眼差しで、ジョーダンとばくとを見やった、自分 こんなことをするつもりは最初はなか のやってることにようやく気ついたというように 183
101 「歯医者ですか ? 」 「マイヤー・ウルフシェイムか ? とんでもない、相場師ですよ」ギャッビーはちょっとロ ごもってしたか、 ーズの勝負を ) : すぐこともなげにつけ加えた二九一九年にワールド・シリ 買収した訳注一九一九年九月二十八日、シカゴ・ホワイト しのはあの男です」 「ワールド・シリ 1 ズの勝負を買収 ? 」ばくはおうむ返しに言った。 あぜん ばくは唖然とした。一九一九年、ワールド・シリーズの勝敗が八百長だったことは、ばく とてむろん覚えている。しかし、そのいきさつなど考えたこともないが、かりに考えたとし ビても、何か避けがたい因果の結果として、ただそうなったとしか考えられなかったろう。一 ャ 人の人間が五千万人の信頼をむこうにまわして賭をやるーー・金庫破りを敢行する銀行強盗の ギ ように、のるかそるか、一発勝負の賭をやるーーそんなことなどとてもばくには田 5 いも及ば レなかった。 グ 「そんなことがどうしてやれたんです ? しばらくしてばくはたずねた。 「なに、その機会があったからやっただけのことですよ」 ろうや 「どうして牢屋にはいらんのです ? 」 「逮捕できないんですよ、親友。彼は抜け目のない男です」 つりせん 勘定はぼくが無理に払った。ウェイタ 1 が釣銭を持ってきたときほくは、混雑した部屋の むこうにトム・ビュキャナンの姿を見かけた。 「ちょっといっしょにいらしてください」と、ばくは言った「声をかけて行かなけりゃなら