「身体が裂けちまってーー」 「やめてください、親友ーと、彼はちぢみあがり、「とにかくー・ーディズイは急ぎに急いた とま のです。わたしが停らせようとしても、停るもんじゃない。それでわたしは急プレーキをか ひざ けた。するとあの人は、わたしの膝にくずおれてしまったので、わたしが運転を続けたので 「あの人は明日になれば元気になりますよ」やがて彼はそう言った「わたしはただ、ここで 待っていて、今日の午後のけんかをもとにご主人があの人をいじめはしないか、見ていてや ビろうと思いましてね。あの人は自分の部屋にはいって鍵をかけているのですが、もしご主人 れが何か乱暴を働くようなことがあったら、あかりをつけたり消したりするはすなんです」 「トムは、彼女にさわりもしないさ」と、ばくは言った「彼女のことなんか頭にないよ」 」「わたしは、あの人が信用できないんでね、親友」 グ 「あなた、いつまで待ってるつもり ? 」 「必要とあらば、夜どおしでも。とにかく、みんなが寝るまでは待ってます」 ふと新しい見方がばくの頭に思い浮んだ。もしトムが、運転していたのはディズイなのだ ということを知ったらどうなるか。彼はそこに、ある因果を認めたように考えるのではある まいカ とにかく何かを考えずにはすまぬだろう。そう思いながらばくは家のほうを見や った。階下には二つ三つ明るく輝く窓があり、二階のディズイの部屋からは、ピンクの光が 流れている。 202 かぎ
いた「これじゃ堅くてやりきれやしない」 ばくたちは席を立った。ジョ 1 ダンは、これからご主人を探しに行くと言って、ばくがま だ主人公に会っておらす、そのためなんだかおちつかないと言うからと、弁解した。大学生 ゅううつ はうなずしたか、 、 : その様子は憂鬱そうでもあり、同時に、ほくたちを皮肉ってるようでもあ っ , 」 0 最初にのぞいたバーは、たてこんでいたが、ギャノビーはそこにはいなかった。ジョーダ ンが玄関先の石段の上から見渡してみても見あたらず、さりとてヴェランダにもいない。な ビにげなくほくたちは豪奢なっくりのドアを押してみた、と、中は高いゴシックふうの書斎に はいきょ なっていた。羽目板は彫刻を施した英国のオーク材、おそらくはどこか海外の廃墟からそっ くりそのまま移築したものであろう。 レふくろうを思わす大きな眼鏡をかけた中年のがっしりした男が一人、大テープルの端に腰 しょたな かけていた。いささか酔っているらしく、焦点の定まらぬ視線で書棚をにらんでいる。ほく たちがはいって行くと、勢いよく振りかえり、ジョーダンを頭のてつ。へんから足の先までじ ろじろ眺めまわした。 「きみたちはどう思うね ? ー男はいきなりそうたずねた。 「何をです ? 」 男は書棚のほうへさっと手を振って、 「あれだよ。実をいうと、きみたちがわざわざ確かめるには及ばん。わしが確かめた。あり ごうしゃ
「おそれいりますが、キャラウェイがお会いしたいと、そうおっしやってください 「シカゴからお連れもどしできるもんですか」 ちょうどそのとき、ドアのむこう側から「ステラ ! 」と呼ぶ声か聞えた。まごうかたない ウルフシェイムの声である。 「お名前を書いて机の上に置いていらしてください」急いで彼女は言った「お帰りになった らお渡ししますから」 「でも、彼があすこにいるのがほくにはわかってますがね」 ビ彼女は一歩ばくのほうに近寄ると、いまいましそうに、両手を腰にすりつけるような仕草 をみせた。 ギ 「あんたたち若い人は、無理すればいつでもここへはいれると思ってるけど、そんなやり口 は、わたしども、もううんざりするほど見あきてますからね。わたしがあの人はシカゴだと グ 言ったら、シカゴにいらっしやるのです」 ぼくは、ギャッビ 1 の名を口にだした。 「あらまあ ! 」彼女はそう言って、ばくを眺めまわした「ちょっと、あのーーーお名前、なん とおっしゃいましたつけ ? 」 彼女は姿を消した。と、思うと次の瞬間、戸口にマイヤー・ウルフシェイムが厳然と立ち はだかって、両手をさしのべていた。彼はばくを事務室の中に引き入れると、われわれみん なにとって、実に悲しみにたえぬと、神妙な声で言って、葉巻をすすめた。
「いつでもあなたのご都合のよいときで結構です」 彼の名をたずねる言葉が舌の先まで出かかったとき、ちょうどジョーダンがこちらをむい て微笑を浮べた。 「どう、もう楽しくなった ? と、彼女は言った。 「ずっとよくなりましたね」そう答えてほくは、また、新しく近づきになった男のほうへむ きなおった「こういうハ ーティは、わたしには異例ですよ。まだご主人にお目にかかっても いないんだから。わたしの家はこのむこうなんですがーーー」と、ぼくは、眼に見えぬ遠くの しーカき 生垣のほうへ手を振って「ここのギャッビー氏が、招待状を持たせて抱えの運転手をよこし 3 、たんですがね」 ちょっとのあいだ彼は、けげんな顔をしてばくを見ていたが、 レ「わたしがギャッビーですが」と、だしぬけにそう言った。 グ ! 」思わずほくは叫んだ「いや、これは失礼しました」 「わたしはまた、親友、あなたは、ご存じとばかり思ってましてね。あまりいい主人ぶりで なくて申しわけありません」 いや、深い理解のにじんだと言ったのではまだ 彼は深い理解のにじんだ微笑を浮べた たりぬ。それは一生のうちに、四、五回しかぶつからぬような、永遠に消えぬ安心を相手に えいごう 感じさせるものをたたえた、まれにみる微笑だった。一瞬、永劫に続く全世界にむかって ほはえ 微笑みかけーーーあるいは微笑みかけるかに見えてーー次の瞬間、相手の面上に集中し、あら
女が逆巻く激情にとらえられているのがわかったので、ばくは、彼女の気をしずめるよすが にもなろうかと、彼女の小さな女の子のことをたずねてみた。 「あたしたち、お互いのことをよく知らないわね、ニック」だしぬけに彼女はそう言った 「またいとこ同士といったってさ。あんたは、あたしの結婚式にもこなかったし」 「ばくはまだ戦地から帰ってなかったもの」 「そうだったわね」そう言って彼女は何かためらうふうだったが「あのね、あたし、ずいぶ んつらい思いをしたのよ、ニック。おかげで何もかも素直に信じられなくなっちゃった」 ピ彼女がそんなことを言いだしたについてはそれなりの理由があることは明らかだったので、 ャばくは話の続きを待ったけれど、彼女はそれ以上を話そうとしなかった。それでほくは、お ずおずとではあるが、また彼女の娘のことに話をもどした。 レ 「もうロがきけるだろうな、それから・・ーーものを食べたり、いろんなことが」 うつ 「ええ、それはもう←、と、彼女は答えた。そして他のことに心をとらえられているような空 ろな眼つきでばくを眺めていたが「あのね、ニック。あの娘が生れたとき、あたしがなんて 言ったか教えてあげる。聞きたくない ? 「いや、とんでもない」 「それを聞いたらあたしの最近の気持がわかってもらえると思うんだーーあたしが世の中っ てものをどう思ってるか。あのね、あの娘が生れて一時間もたたないころよ、トムはどこに 2 いるやらわかりやしなかった。あたし、麻酔がさめたとき、とてもすてばちな気持でさ、さ
ード・ローズヴェルト夫人。知ってるかな ? 昨夜どっかで会ったんだよ。わしは、ここ一 すわ 週間ばかりというもの酔い続けでね。それで、書斎にでも坐ったら酔いがさめるかと思った んだ」 「で、いかがでした ? 「ま、ちょっとだな。まだわからん。まだきて一時間にしかならんからな。わしはきみたち に本の話はしたつけか ? ありや本物だ。ありやきみ 「それはもううかかいましたよ」 ほくたちは彼と厳粛な握手をかわしてまた外へ出た。 ズックを張った庭の舞台の上ではダンスがはじまっていた。老人が若い娘を押しながらく ギ るくるといっ果てるともなく不格好な円を描きつづけてゆく。もっとましな連中は、しゃれ かたすみ 」た形に身をくねらせて抱き合い、片隅を離れず踊り続けるーー、、そして、相手を持たぬ大勢の 娘たちは、自分勝手に踊りまわり、オ 1 ケストラに、ひとしきり、バンジョーや打楽器の労 をはぶかせたりしている。夜半までには、興奮がいやがうえにも高まってきた。有名なテナ ーかイタリアの歌を歌えば、悪名高きコントラルトがジャズ・ソングを歌い、曲目の合間に しろうと は庭中いたるところで素人の「芸当」がはじまったりして、幸福そうな筒抜けな爆笑が夏の 夜空高く舞いあがってゆく。二人一組になった芸人がーーーそれは先刻の黄衣をまとった娘た ちだったがー・・ーーコスチュ 1 ムをつけて幼稚な芝居をやり、シャンペンが、フィンガー・ポー ルよりも大きなグラスでふるまわれた。いっしか月は空高くあがり、「海峡」の水に砕ける
う彼は言った「死んでからは、万事をそっとしておくのが、あっしの法則なんで」 ぬかあめ 彼の事務所を辞したとき、空はすでに暗くなっていて、ばくは糠雨の中をウエスト・エッ グに帰ってきた。服を着がえて隣へ行ってみると、ギャツツ氏が興奮して、玄関の間を行っ たり来たり歩いている。息子と息子の財産に対する彼の誇りは刻々と高まっていたが、いま 彼は、ばくに見せるものをつかんだのだ。 「ジミーのやっ、この写真をわしのとこに送ってよこしましてな」そう言って彼は、ふるえ る指で紙入れをとりだすと、「これですよ」 やかた ビそれは、この館の写真だったが、四隅はこなれ、多くの人手に渡って汚れていた。彼は、 ャ そのこまかな所までいちいちばくに熱心に指摘してきかすのである。「どうです ! 」と言っ ギ ては、ばくの眼の中に嘆賞の色を探す。この写真を彼はいつも人に見せ見せしてきたから、 レいまでは、家そのものよりも写真のほうが、実在感を持つようになっているのであろう。 グ 「ンミ 1 のやつがこれをわしに送ってよこしましたが、なかなかきれいな写真だと思います よ実によく撮れている」 「とてもいいですね。あなた、最近、彼にお会いになったんですか ? 「二年前に会いにきてくれました。そうしていまわしが住んでる家を買ってくれたんです。 あれが家をとびだしたときには、わしらはむろん一文なしでした。しかし、いまにして思え ば、とびだしたのにも理由があったんですな。あれは、洋々たる前途が自分の前にひらけて いることを知っとったんですよ。そうして、あれが成功してからというもの、わしにはほん 0 、ヾ すみ
かと、ばくは田 5 った。 「ところでその彼が亡くなったわけだからと、一呼吸おいてからぼくは言った「あなたは 彼の一番親しい友だちなんだし、今日午後、彼の葬式にはいらっしやるでしようね」 「行きたいと思ってますわ」 「そう、じゃ、いらしてください」 かふり 彼の鼻毛がかすかにふるえた。そして彼が頭を振ったとき、その眼には涙があふれていた。 、か、か、り入口、 しになるわけにいかんのです」と、彼は言った。 「それができないんだ ピ「かかり合いになることなんか何もありませんよ。もう何もかも終ったんだもの」 ャ 「人が殺された場合にですな、どんな形にしろ、かかり合いになるのは、あっしはまっぴら ギ もし友だちが死ねば、 なんで。あっしは近寄らないんだ。若いころはこうじゃなかった センチメンタル レどんな死に方をしたにしろ、最後までくつついて離れなかった。そんなのは感傷的だと思 うかもしれんが、冗談じゃない 最後の最後までですわ」 彼には何か彼独自の理由があって、すでに行くまいと、いに決めているのがばくにもわかっ たので、ばくは腰をあげた。 いきなり彼はそ、つ一言った。 「あんた、大学出ですかな ? コ、不グション とっさにほくは、彼が、彼のいわゆる関係を結ばんかと提案するつもりなのだと思った 、刀 / イ ( 、皮よただうなずいて、ぼくの手を握っただけであった。 「友情は死んでからではなく生きているうちに示すということを学ほうじゃないですか」そ 239
「売ろうとしてるんです」 「ええ、で、これにはあなたも興味がおありだと思うのですが。たいして時間は奪われない でしようし、相当お金になると思うのですよ。いささか内密を要する仕事ですが」 いまにして思えば、このときの会話は、もし事情がちがっていたら、ばくの人生の一つの 危機になったと思う。しかし、そのときは、芸もなくあからさまに援助の申し入れを受けた わけだから、ばくは、そこまで聞いただけで、彼の話をさえぎるのになんの迷いもなかった。 「ぼくはいま、手いつばいでしてね。たいへんありがたいけど、これ以上の仕事はとても引 ピきうけられません」 ャ 「ウルフシェイムとは、全然接触をする必要がないはずですが」ギャッビ 1 はそう言ったが、 ギ ( くが、昼食の席上で話にでた「仕事のって」に尻ごみしていると推察した そ、つい、つ彼は、 レにちかいない。しかしばくはそ、つではないと、はっきり言明した。彼は、ばくがまた話を切 ばくは自分のことでいつばいで、彼のそ りださぬかと、なおもちょっと待ちうけていたが、 の気持に応じてやる余裕はなかった。で、彼は心ならずもうちへ帰って行った。 夕方の経験でばくは幸福で無我夢中だったのだ。玄関の戸口をはいるばくは、深い眠りに 落ちてゆくようなものだったと思う。だから、ギャッビーが、コウニイ・アイランドへ行っ たかどうか、あるいは何時間くらい彼カ邸をこうこうと輝かしなから「部屋をのそいて」 しオカ ばくにはわからない。翌朝、ほくは、会社からディズイに電話をかけて、彼女をお 茶に招いた。 114 しり
グレート・ギャッピー 「つい去年よ。女の子と一一人で行ったの」 「長く行ってらした ? 」 「ううん。モンテ・カルロへ行って、帰ってきただけ。マルセーユ経由で行ったの。発っと きは、千二百ドル以上持ってたんだけど、カジノの特別室で二日のうちにうまいとこ巻きあ げられちまった。帰りはさんざんよ、えらい目にあっちゃった。ほんとにあんな贈らしい町 って、ありやしないわ ! 」 たそがれ 窓から見る黄昏ちかい空が光に映えて、一瞬青くとろりとした地中海の海の色を思わせた が、そのとき、マッキー夫人の甲高い声に、ぼくは、また部屋の中へ引きもどされた。 「あたしも、もうすこしでまちがいをおかすとこだったのよ」威勢よく彼女はそう言明する のである「チャチなユダ公に何年もおっかけまわされてさ、もうちょっとで結婚するとこだ った。あんな男じゃあたしがもったいないとは自分でも思ってたさ。みんなが、あたしにむ かって『ルシル、あんな男、あんたの足下にも及ばないじゃないの ! 』って、そう一一一〔うんだ もの。でもね、もしもチェスタに逢わなかったら、あの男に捕まってたと思うな」 「なるほどね」と、マートルはうなずきながら「しかし、なんといったって、あんたはその 人と結婚しなかったんだから」 「それがどうしたっていうの ? 」 「ところが、あたしは結婚したっていうのよ」マートルは焦点をばかしてそう言った「そこ 的か、あんたとあたしのちがうとこさ」