ジョーダンは、さらに言葉を続け「あの人は、あんたがいっか午後にでもディズイをお宅 に招いておいて、そこへあの人が出かけて行ってはいけないかって、そう一言、つのよ あまりにもつつましやかな要求に、ほくはある感動を覚えた。五年間待ったあげくに大邸 宅を購入し、そこへ舞いこむ蛾のむれに、星の光をわかち与えてやったっ駐「星を求める蛾のね というのもつまりはこれ、いつの日か午後にでも、見知らぬ他人の庭に「出かけ て行く」のが目的だったというのか ささい 「いまのような話を全部聞かせたうえでなければ、そんな些細なことが頼めないのかな ? 」 た「あの人、こわいのよ。長いこと待ってたもんだから。あんたが気を悪くするんじゃないか ャ と思ったりね。あれでとっても堅いんだから」 何かほくには釈然としないものがあった。 レ 「どうして、あなたに頼まなかったのかな、会う機会をつくってくれって ? 」 グ 「それは、あの人が自分の家をディズイに見せたいからよ」と、彼女は言った「あんたの家 ならすぐ隣じゃない」 「そうか ! 」 「あの人は、ディズイが自分とこのパーティにいっかふらっとやってくるのを半分期待して たんじゃないかな」ジョ 1 ダンは一言葉を続けた「でも、とうとうこなかった。そこであの人 は、いろんな人にさりげなく、ディズイを知らないかってききだしたんだな。そしてまっさ きに見つかったのがこのあたしってわけよ。それが、あのダンスのときにあたしを呼びに使
2 たいことかあるんだ」 「どうぞ」丁寧にギャッビーは答えた。 「いったいきみはわが家にどんな騒動を起そうというんだ ? 」 とうとうあからさまなことになってしまったが、ギャッビーは満足だった。 「騒ぎを起しているのはこちらじゃないわ」ディズイは、途方に暮れた顔で二人を交互に見 やりながら「あんたが騒ぎを起してるんじゃないの。すこしは自制心を持ってよ」 「自制心だと ! 」ほんとか、というようにトムはおうむ返しにくりかえした「椅子にそっく によ・つばう 北りかえって、どこの馬の骨かわからぬ野郎にてめえの女房をくどかせておくのが最新の流行 たというのか。しかし、そういうつもりなら、おれは除外してもらおう : : : 近頃は、家庭生 活とか家庭のしきたりなんていうと、すぐせせら笑うが、次には何もかも放つほり出して、 レ白人と黒人の雑婚をやらかすだろう」 自分の熱弁に上気しながら彼は、文明を擁護する最後のとりでに、自分がただ一人で立っ ている姿を思い描いた。 「ここにいるのはみんな白人だけどな」と、ジョーダンがささやいた。 「おれは自分が格別人気がないことは知ってるよ。盛大な。ハ 1 テイも開きはせん。友だちを つくるためには、自分の家を豚小屋にせねばならんものとみえるよーーー近頃の世の中では みんなと同じように、ばくも腹を立てていたのだが、それでも彼が口を開くたびに、ほく は笑いたくなった。道楽者から道学者への変身はあまりにも見事であった。 ちかごろ
からだ せてきたが、中ではジョージ・ウイルスンが、寝椅子に坐って、前後に身体をゆすっていた。 しやおう しばらくのあいだは、事務所のドアか開いていて、店にはいってくる者の視線は、 ) なくその中へひき寄せられた。とうとう、これはあまりひどいからとだれかが言って、ドア 、冫し、力し / 、カはド ) を閉めた。ウイルスンのそばには、マイカリスをはじめ、他に数人っき忝 めは四、五人いたのに、後には二、三人になり、ついには、マイカリスが最後に残った赤の 他人に帰るのを十五分のばしてもらい、そのあいだに自分の店へとって返して、コーヒ 1 を いれるような始末だった。それからあとは、彼一人だけがそこに残って、明け方までウイル ビスンにつき添ったのである。 ャ 三時ごろ、ウイルスンのわけのわからぬつぶやきのようすが変ったーーしだいにおだやか になって、黄色い車のことを言いだしたのだ。あの黄色い車がだれのものか、見つけだす方 皮の妻が、鼻をはらし、顔に黒あざをつく レ法が自分にあると一言う。ついで、二、三カ月前、彳 ってニューヨークからもどってきたことがあると、だしぬけにそんなことを口走った。 しかし、自分で自分のそうした言葉を耳にすると、彼はちぢみあがってしまい、また痛ま しい声をしぼって「おお、神よ ! 」と、訴えはじめた。マイカリスはそういう彼の気を他へ そらしてやろうと、無細工な努力を払った。 「ジョージ、おまえ、女房をもらってからどのくらいになるね ? なあ、おい、ちょっくら すわ おとなしく坐って、わしのきくことに答えてみい。おまえ、女房をもらってからどのくらい になるね ? 」 218
おも には匂っている。これまでにディズイに想いを寄せた男かいつばいいるということもまた彼 を刺激したーーー彼の眼には、そのため彼女の値打ちが増したように見えるのだ。家の中のあ ちこちに、そういう男の存在が感じられ、まだ騒ぎたっている激情の陰影や反響が、その辺 にびまんしているような気がするのだ。 しかし彼は、自分がディズイの家に足を踏み入れたのは、途方もない偶然に過ぎぬことを 知ってした。、 、 ' シェイ・ギャッビーとしてその将来がいかに輝かしかろうと、 いまは語るべき かくみの 過去もない無一文の青年にすぎず、いっ何時、隠れ蓑の軍服が、肩からすべり落ちぬもので たもない。そこで彼は、自分の機会を最高度に活用した。手に入れられるものはなんでも、貪 らん 婪に無遠慮に、奪いとったーー、そしてついに、ある静かな十月の夜、彼はディズイそのもの を奪いとったのである。彼女の手にふれる権利すら実際にはなかったからこそ、彼女を奪い レとったのだ。 グ 彼は、場合が場合なら、自分を軽蔑したかもしれぬ。たしかにうわべをいつわって彼女を 獲得したにちがいないのだから。といってもほくは、彼が、巨万の富の幻影を利用したとい うのではない。彼はディズイに、うまく、ある安心感を与えたのだ。自分が彼女と同じよう な社会層の出だと彼女に信じさせーーー十分彼女の世話をみてやれる男だと信じこませたのだ。 うしろたて 事実は、彼にそんな能力などあろうはずがない 背後にれつきとした家系の後楯があるで なし、人間とは違った「政府」という機関の気まぐれで、世界のどこへでも吹きとばされて 行きかねない存在である。 め どん
イズイは、おれを愛して結婚したんだ、そうしていまでもおれを愛している」 「ちがう」かふりを振りながら、ギャッビーが言った。 「ところが、ちがわんのだよ。問題は彼女、ときどき、変な了見を起して、自分で自分のや こころえがお ってることがわからなくなることがあるんだ」いかにも、い等顔に彼はうなずいた「それにだ な、おれもディズイを愛してるんだ。たまには脱線してばか騒ぎもやらかすが、いつもおれ はもどってくる。心の中ではいつだってディズイを愛してるんだ」 「まあ、むかむかする」と、ディズイが言った。彼女は、ぼくのほうをむくと、オクターヴ けいべっ ビ下げた声にぞっとするほどの軽蔑をこめて「あんた、どうしてあたしたちがシカゴから移っ ャたのか知ってる ? そういう脱線の話をみんなから聞かされたでしようか」 そば ギャッビーは、つかっかと歩いて行って、彼女の傍に立った。 「ディズイ、そんなことはすっかり終ったんだ」熱をこめて彼は言った「もうなんでもあり はしない。あの人にほんとのことを言ってやりたまえーーーきみがあの人を愛したことはつい ぞないんだってーー・何もかもきれいさつばり帳消しだって」 ばうぜん この 彼女は呆然とギャッビーを見つめていた「だってーーーどうしてあの人が愛せる ? あたしに」 「あなたは一度もあの人を愛したことなんかないんだ」 まなざ 彼女はためらった。そして訴えるような眼差しで、ジョーダンとばくとを見やった、自分 こんなことをするつもりは最初はなか のやってることにようやく気ついたというように 183
ころがやつは、無理やり二階へあがってこようとするんだよ。あの車がだれのものか知らせ なかったら、おれを殺しかねないほど逆上してやがった。家の中にいるあいだ、ずっとポケ けんじゅう ットの拳銃から手を離さんのだよーー」彼は反抗的にいきなり言葉を切った「おれがあいっ じご・つじとく に知らせたからどうだというんだ ? あの野郎のは自業自得じゃないか。ディズイと同じよ うに、きみもあいつの眼つぶしにひっかかったのだろうが、しかし、あの野郎、なかなかの したたか者だからな。大ころでも引っかけるみたいにマートルを轢いておきながら、車を停 めもしなかったんだぞ」 ばくは何も一言えなかった。言うとすれば、それはちがうということだが、これはロに出せ 、ない事実だった。 ししカ 「もしきみがだな、おれだけはつらい思いをしなかったとでも思うのならだよ しよっきたな レおれがあのアパートを引き払いに行って、あの大のビスケットの箱の野郎があすこの食器棚 の上にのつかってるのを見たときには、おれは、坐りこんで赤ん坊みたいに泣いたんだぜ。 まったく、たまらなかった。ーー」 ほくは彼をゆるすことも、好きになることもできなかったが、彼としては自分のやったこ とをすこしもやましく思っていないこともわかった。何もかもが実に不注意で混乱している。 トムも、ディズイもー・ー品物でも人間でもを、めちやめちゃ 彼らは不注意な人間なのだ にしておきながら、自分たちは、すっと、金だか、あきれるほどの不注意だか、その他なん だか知らないか、とにかく一一人を結びつけているものの中に退却してしまって、自分たちの
はじめはなんのことか要領を得なかったが、五分もたってうすうすわかったところによる と、この男は自分の社の周辺で、あるひっかかりから、ギャッビーの名を耳にしたのだった。 そのひっかかりというのがどんなことか、彼は明かそうとしなかったが、あるいは彼にもよ くはわからなかったのかもしれぬ。とにかくその日は彼の休みの日で、彼はあつばれ衆に先 きゅうきょ んじてさぐりを入れに急遽出向いてきたのであった。 それはめくら射ちで射った一発にすぎなかったのだが、しかし、新聞記者の勘は正しかっ た。ギャッビーの悪名は、彼の歓待を受けたあげく彼の過去についての権威となった何百人 ひろ ビという人びとによって拡められるがままに、夏の間にもますます増大して、いまでは一つの ャ ニュースになりかかっていた。「カナダに通ずる地下ルート」に似た現代の神話が彼の身に ギ はまつわり、彼は家に住んでいるのではなくて、家のように見えるのは、その実、船であり、 うわさ レロング・アイランドの沿岸をひそかに行ったり来たりしているのだという噂がまことしやか わっぞう グ に語り伝えられていた。こうした話を捏造されるのが、ノース・ダコタ州のジェイムズ・ギ ャツツにとって、なぜ満足を与えることになったのか、そのいきさつを語るのは簡単でない。 ジェイムズ・ギャツツ これが彼のほんとうの、あるいはすくなくとも法律上の、名前 だった。それを彼は十七歳のとき、彼が世に出る第一歩を踏みだしたその歴史的な瞬間に変 更してしまったのだーーー・ダン・コウディのヨットが、スピーリア湖上のもっとも物騒な浅瀬 と・つびよ・つ のむこうに投錨するのを見た、そのときである。その日の午後、破れた緑のジャージーを着、 みずぎわ デニムのズボンをはいて水際をうろついていたのはジェイムズ・ギャツツだったが、ボート
こな を借りて「ツオロミー 号」に漕ぎ寄せ、そこに投錨していては風を受けて三十分もすると粉 みじん 微塵になってしまうとコウディに知らせてやったときにはも、つ、ジェイ・ギャッビーになっ ていた。 その名はしかし、そのときよりもずっと前から彼の胸に描かれていたのだろうとばくは田 5 が、彼らを自分の両親と考えることは、どう う。両親は甲斐性のない敗残の百姓だった ェッグに住む しても彼の夢が許さなかった。実をいうと、ロング・アイランドのウエスト・ ジェイ・ギャッビーなる人物は、彼が自分について思い描いた理想的観念から生れ出たのだ。 ピ彼は「神の子」なのだーー・「神の子」、もしこの言葉が何かを意味するとすれば、彼のよう だから彼は、「彼の父なる神の御業に励まねばならぬ、 な場合をこそいうのであろう けんらん 1 絢爛豪華な世俗の美の実現に奉仕せねばならぬ。そこで彼は、十七歳の青年がいかにも思い レ描きそうなジェイ・ギャッビーという人間を創りだした。そしてこの人間像に、彼は最後ま グ で忠実だったのである。 ねぐら 一年以上も彼は、貝掘りをしたり、鮭釣りをしたり、その他、飯と塒を与えてくれる仕事 ならなんでもやりながら、スピーリア湖の南岸をうろっきまわっていた。肉のしまりかけた とびいろ のんき 鳶色の肉体が、この苦難時代の、激しくもあり暢気でもある仕事を、生きぬいたのは当然で ある。彼は若くして女を知っていたが、女は彼を毒するというので、軽蔑するようになった。 若い処女ならば無知だし、他の女たちはまた、もつばら自分の運命にのみ没頭している彼か らすれば当然と思えることにも、逆上して大騒ぎを演じるからだ。 135 いしょ・つ さけっ
新潮文庫最新刊 子どもたちはなぜ荒れ、閉じこもるのか 乃南アサ著ドラマチックチルドレンそれぞれの問題から立ち直ろうと苦しむ少年 少女の心理を作家の目で追った感動の記録。 人魂売りに首遣い、さらには闇御前に火炎魔 小野不由美著東 ~ 只思 ( 聞人、魑魅魍魎が跋扈する帝都・東京。夜闇で 起こる奇怪な事件を妖しく描く伝奇ミステリ。 日本からナチスドイツへ贈られていた剣道の 帚木蓬生著ヒト一フーの防目一 ( 防具。この意外な贈り物の陰には、戦争に運 ( 上・下 ) 命を弄ばれた男の驚くべき人生があった / 自分は幼い頃、どんな時幸福で、どんな時不幸 親ができるのは だったろう。何が今の自分を育んだろう : 「ほんの少しばかり」のこと 三児の父が、心をこめて語りつくした親子考。 遅筆ゆえに将来を案じ、せめて田舎に土地だ けでも買おうとする漫画家を描く「枯野の宿」 っげ義春著蟻地獄・枯野の宿 など片編。貸本時代中心のつげ漫画集第三弾。 子供の命名でパニック。戒名を自分で考えて し四苦八苦ーーー本名、あだ名、ペンネーム、匿 清水義範著々翌則かいつばゝ 名などなど名前にまつわるすったもんだ川篇。 山田太一著
にむかって、明日、カントリ】・クラブでいっしょにゴルフをしよ、つとしきりに誘っていた 「あら、この人はもう大丈夫よ。彼女はね、カクテルを五、六杯やると、きまってさっきみ こいにきゃあきゃあやりだすんだ。お酒をやめなくちゃいけないって、あたし、言うんだけ どねえ」 「やめてるよ」うつろな声でミス・べ 1 デカーが言う。 「わめいてるのが聞えたわよ。だからあたし、このシヴィット先生に言ったんだ『先生、あ たんたの助けの要る人がいますよ』って」 「そりや、べ 1 デカーさん、感謝しただろうな、きっと」また別の仲間が言った、あまりあ ギ ヘーデカーさんの頭をプールにつけたときには、服 りがたそうな声でもない「でもあんた、。 レまですっかり濡らしちゃったわね」 きら グ 「何が嫌いだ 0 てあたし、プールに頭をつけられるくらいやなことないよ」 , ろれつもあやし くミス・べ 1 デカーがつぶやく「いっかニュージャージーじゃ、おかげで搦れそうになっち やった」 「じゃあ、やはりやめるべきですな」シヴィット先生がたしなめる。 「自分はどうなのさ ! 」すごい勢いでミス・べーデカーが言う「あんたの手なんかふるえて るじゃないか。あんたの手術なんて、まっぴらだ ! 」 こんな調子だった。最後にばくの記億に残っているのは、自分がディズイとならんで立っ 147