庭に残って監視役をつとめた。「火事だとか洪水だとか、その他の天災地変があるといけな いから」と、彼女は言うのである。 ほくたちがそろってタ食のテープルについたとき、それまで彼のいわゆる人目にたたない 世界に沈んでいたトムが姿を現わした。そして「むこうの人たちといっしょに食事してもか まわんかな」と、言った「おもしろい話をしてるのがいるんだ」 「どうぞ」ディズイが愛想よく答えた「それから、アドレスを書きとめたかったら、ここに あたしの金のペンシルがあるわ」 : : : しばらくして彼女は振りかえった。そしてばくに、ト ビムのそばにいる娘のことを「品はないけどきれい」などと、そんなことを言った。で、ほく ヤは彼女が、ギャッビ 1 と二人きりで過した半時間を除けば、すこしも楽しくはないのだと知 つ、」 0 レ しくがいけなかったのだーーーギャッビー ほくたちのテープルは、特別酔態がひどかった。よ は電話に呼びだされて行ったので、ぼくは、つい二週間前に楽しく同席した人たちの所へ坐 りこんだのだ。しかし二週間前にはおもしろかったものも、いまでは興ざめるばかりである。 「ミス・べーデカー、大丈夫ですか ? 」 彼女はばくの肩にぐったりもたれかかろうとしているのだが、どうもうまくいかない。工 くにこう言われると、坐りなおして眼を開いた。 「なあに ? 」 牛みたいな、眠ったような感じの女が口を開いてミス・べーデカーを弁護した。ディズイ 146
かと、ばくは田 5 った。 「ところでその彼が亡くなったわけだからと、一呼吸おいてからぼくは言った「あなたは 彼の一番親しい友だちなんだし、今日午後、彼の葬式にはいらっしやるでしようね」 「行きたいと思ってますわ」 「そう、じゃ、いらしてください」 かふり 彼の鼻毛がかすかにふるえた。そして彼が頭を振ったとき、その眼には涙があふれていた。 、か、か、り入口、 しになるわけにいかんのです」と、彼は言った。 「それができないんだ ピ「かかり合いになることなんか何もありませんよ。もう何もかも終ったんだもの」 ャ 「人が殺された場合にですな、どんな形にしろ、かかり合いになるのは、あっしはまっぴら ギ もし友だちが死ねば、 なんで。あっしは近寄らないんだ。若いころはこうじゃなかった センチメンタル レどんな死に方をしたにしろ、最後までくつついて離れなかった。そんなのは感傷的だと思 うかもしれんが、冗談じゃない 最後の最後までですわ」 彼には何か彼独自の理由があって、すでに行くまいと、いに決めているのがばくにもわかっ たので、ばくは腰をあげた。 いきなり彼はそ、つ一言った。 「あんた、大学出ですかな ? コ、不グション とっさにほくは、彼が、彼のいわゆる関係を結ばんかと提案するつもりなのだと思った 、刀 / イ ( 、皮よただうなずいて、ぼくの手を握っただけであった。 「友情は死んでからではなく生きているうちに示すということを学ほうじゃないですか」そ 239
「使用人を全部くびにしたとかって聞いたけど」 「あまり口の軽くない人間がほしかったのです。ディズイがよく訪ねてきますしねーーー午後 さては、ディズイの不満にあって、あの大邸宅全体が、カルタの家のごとくにくずれ去っ てしまったのか。 きようたい 「あの人たちは、ウルフシェイムがどうにかしてやってくれと一言うんでね。みんな兄弟姉妹 ビどうしなんですよ。前には、小さなホテルを経営していたのです」 「なるほど」 彼は、ディズイの頼みで、いま電話をかけているのだが ばくに、明日彼女の家へ昼食 レをとりに行かぬかという。ミス・べイカーも行くというのだ。それから三十分の後、ディズ グ イ自身が電話をかけてきた。そして、ばくが行くと知ってほっとした気配だった。何かがあ ったにちがいない。それにしても、わざわざそんな折をよって彼らがいざこざを起すはずは ましてこの前ギャッビーが庭でほのめかしたような愁嘆の場を演ずることは、よも ゃあるまいとばくは田 5 った。 翌日は、焼けつくような暑さ、この夏のほとんど最後の、そしてまちがいなく一番暑い一 日だった。ばくの乗った列車がトンネルを抜けて陽光の中にとびこんだとき、たぎり立つよ うな真昼の静寂を破るものとては、ただ、ナビスコ製菓会社のけたたましい汽笛ばかりだっ 156
らに靴を一足おいてきたんです。たいへんおそれいりますけど、それを執事に送らせていた だきたいんですが。テニスの靴なんです。あれがないと、わたし、どうしようもないんでし あてな てね。宛名は、・・ それから先は、ほくの耳にはいらなかった。ほくが受話器をかけてしまったのだ。 ほくが電話した一 そのあとばくは、ギャッビーに対して、なんだか恥ずかしくなった じごうじとく 人の紳士は、自業自得だという意味のことを言った。しかし、これはほくが悪かったのだ。 この紳士は、いつも、ギャッビーに飲ませてもらう酒の勢いをかりて、ギャッビ 1 を手ひど たく冷笑していた人物の一人だったから、ほくも電話をかけたりする愚は犯すべきでなかった ャ のだ。 ギ 、こニューヨークへ行った。他の方法 葬式の朝、ばくは、マイヤー・ウルフシェイムに会し。 レでは彼に連絡することができそうもなかったからである。エレベ 1 ター・ボーイに教えても らって押し開けたドアには「スワスチカ持株会社」と記され、はじめ、中にはだれもいない いたずら のかとばくは田 5 った。しかし「もしもし、もしもし」と、何度か徒にくりか、んし叫んでいる と、仕切り壁のむこうで何か言い合いしている声が起り、やがて、美しいユダヤ人の女性が、 仕切り壁に設けられた戸口に現われ、黒い眼に敵意をこめて、まじまじとばくを見つめた。 「だれもいませんよ」と、彼女は言った「ウルフシェイム氏はシカゴへ行きました」 この科白の前段は明らかに嘘だった。というのは、中で『ロザリオの唄』を調子はすれの ロ笛で吹きだした者があったからである。 せりふ
ばくは彼に会社の名を言った。 「聞いたことないな」こともなげに彼は言った。 しやく これにはばくも癪にさわったが「いまにわかるさ」とだけ、簡単に答えておいた「東部に おちつけばそのうちわかるよ」 「そりやおちつくさ。おれは、大丈夫、東部にちゃんとおちつくよ」彼はそう言いながらデ イズイをちらと見やったが、それから、そのうえにまた何か言われはせぬかと警戒するよう まね にほくのほうを振りかえり「ほかの所。イ こ主むようなばかな真似はやらん」 ビ このときいきなりミス・べイカーか「そりやそうよね ! と、言った。あまりだしぬけで、 、ばくはひくりとしたが、 ( くがこの部屋へはいってきてから彼女がロにしたこれが最初の言 葉だったのである。それは、ほく同様、彼女自身をも驚かせたらしく、彼女はあくびをする レと、器用にするすると身体を動かして部屋の中に立ちあがった。 「身体がコチコチになっちゃった。はじめからあのソフアに寝かせられどおしだもんね」 「なにもあたしを見ることないじゃない と、ディズイが言った「ニューヨークへ行こ、つつ てお昼から言ってたのはあたしのほうよ」 いえ、あたしは結構」ちょうど調理室から運ばれてきた四つのカクテルを見て、ミス・ べイカーが言った「いま絶好のコンディションなんだから」 ビュキャナンは信じられないというように彼女を見やり、「ほんと , と言、つと、自分の しすく 飲み物を、まるでグラスの底の雫でも飲むみたいに一気に飲みほしながら「あんたっていう
つば ってることを、知ることだけは身にしみて知っていて、壺にはまった語調で二言三言話せば、 そいつをものにできると信じているのだ。 行ってすぐばくは、ギャッビーを見つけようとしたのだが、 ばくが彼の居所をたすねた二、 三の人たちがみな、一兼こ オ。いかにも驚いたというふうにぼくを見つめ、彼の動静など知るも のかといわんばかりの返事だったので、ほくはこっそりとカクテルのテープルのほうへ逃げ て行ったーーー相手もおらぬ男が一人でぶらついていても、べつに場ちがい者に見えぬ所とい えば、広い庭の中でもここしかなかったからである。 ビ どうにも気まずくてやりきれぬばかりに、そのうち酔っ払って騒ぎだしそうな形勢のほく そのときちょうど家の中からジョーダン・べイカーが出てきて、大理石の石段の だったが、 上に立った。すこしそり身になって、軽蔑したように庭の光景を見おろしている。 歓迎されようがされまいが、 ばくは、だれか相手をつくらぬことには、通りすかりの者に グ おちついて言葉もかけられぬような気持だった。 「こんばんは ! 」と、ばくは、彼女のほうへ歩み寄りながら大きな声で呼びかけた。声は不 自然なほど高く庭に響いたようだった。 「あんたがいらっしやるだろうと思ったの」ほくが歩み寄って行くと、気のない声で彼女は 答えた「お宅はお隣だったつけと思ってーー」 彼女は、すぐまた相手になってやるという印に、機械的にばくの手を握っておきながら、 おりから石段の下で立ちどまった黄色いそろいの衣裳を着た二人の娘のほうに耳をかした。
生活の中にはいりこみ、しかも、だれにも知られずだれからも非難されぬといった、そうし た想像にふけるのが好きだった。ときどきばくは、心の中で、人目につかぬ街角に立った彼 女のア。ハ 1 トまであとをつけて行く。彼女は、戸口で振りかえり、ばくにむかってにつこり たそがれ やみ ほほえ 微笑みかけたのち、ほの暖かい闇の中に消えてゆく。魅惑的な大都会の黄昏どき、ばくは払 さび いきれぬ淋しさにつきまとわれることもあるーーそしてこの同じ淋しさを他人の中にも感じ たものだ 時間がくるまで食堂の前をぶらついて待ったあげく、やがてひとり淋しく定食 をしたためて帰って行く貧しい若い事務員たちーー夜の、そしてまた人生の、もっとも胸躍 たる瞬間を、むなしく浪費している、黄昏どきの若い事務員たち。 ギ八時になり、四十何丁目あたりの小暗い街 ~ 月か、五列にならんで劇場街にむかうタクシー の群れに埋めつくされるころになると、またばくの心は沈んでくる。停ったタクシーの中に、 レ肩を寄せ合った人影が見え、はずんだ声が聞える。何かおかしいことでも言ったのか、笑い グ 声が響く。そして煙草の火が、車の中で、くねくねと判じ難い弧を描くのが見える。ばくは 自分もまた、きらめく世界へと急ぐ身であり、彼らと同じ心のときめきを味わっているのだ と想像しながら、彼らに祝福を送ったものだ。 しばらくのあいだほくは、ジョーダン・べイカーの姿を見かけなかったが、夏も盛りとな ったころ、また彼女にめぐり逢った。はじめのうちほくは、彼女とあちこち歩くのが得意だ った。彼女はゴルフの名選手で、だれでもその名を知っていたからだ。が、やがては、それ だけでおさまらなくなってきた。ほんとうの恋とはいえなかったけれど、愛情をたたえた興 がた
部へ行こうと思いましてねえ」 「奥さんもかね」驚いたように、トムの声が高くなった。 「あれは十年も前からそう言ってるんですよ」彼は、額に手をかざしながら、ポンプにもた れてちょっと休んだ「しかし今回は、あれが行きたかろうがなかろうか、とにかく連れてく つもりです。ここに置いとくわけにはいきませんや」 クーべが、砂塵をまき起しながら、ばくたちの前をさっと通り過ぎた。打ちふる手がちら りと見えた。 ビ「いくらだ ? 」とげとげしい語調でトムがたずねた。 「つい二日前にちょっと妙なことに感づきましてね」と、ウイルスンが言った「それでわし ギ も、動く気になったんですよ。車のことであなたにご迷惑をかけたのもそのためなんで」 レ「いくらかね ? 」 「一ドル一一十セントで」 容赦なく炒りつける炎熱に、ようやくばくの頭も混乱しはじめていたが、これはまずいな と思ったのはほんの一瞬で、すぐそのあとからウイルスンの嫌疑がまだトムにかかっていな いことを矯った。ウイルスンは、マートルに、何か自分から離れた別の生活があることを発 見し、その衝撃のために肉体まで病気になったのである。ほくは、彼のようすを見つめ、次 にトムを見てみた。トムも一時間たらず前に、これと同じような発見をしたわけである そしてふとほくは考えたのだが、人間はしよせん似たり寄ったり、知性の相違、人種の違い 171 けんぎ
「即死」眼をむいて、トムはおうむ返しに言った。 「かみさんが道へとびだしたんだ。くそたれ野郎め、車を停めもしなかった」 「車は二台ですぜ」と、マイカリスが言った「こっちへきたのと、むこうへ行ったのと」 「どっちへ行ったんだ ? 」きびしい語調で警官がきいた。 「それぞれ両方へ行きましたよ。ところでかみさんは」ーーーと、彼は、毛布のほうへ片手を あげたが、途中でやめて、またおろしてしまったーー・「かみさんは、そこへ駆けだして行っ た。そうして、ニューヨークからきたやつが、時速一二十マイルから四十マイルで、もろにぶ たっかった」 「ここはなんという所かね ? と、警官がたずねた。 ギ 「名前なんかありませんや」 はだ 肌の色の淡い、身なりの立派な黒人が一人進み出て「黄色い車でしたよ」と、言った「大 グ きな黄色い車です。新しい」 「事故を目撃したんだな ? と、警官がたずねた。 「いや。しかし、その車が、この先でわたしのそばを通り過ぎましたからね、四十マイル以 上の速さで。五十マイル、いや六十マイルかな」 「ここへきて、名前を言ってください。さあ、どいた、どいた。この人の名前を書くんだか ら」 こういう会話の中の言葉が、事務室の戸口で身体をゆすっていたウイルスンの耳にもはい 195 からだ
には、それは実に名案だと思った。彼はその家を見つけてきた。雨風にさらされた安手の平 屋で、月八十ドル。ところか、いざとい、つときになって、彼はワシントンに転勤をム叩ぜられ、 けつきよくばく一人がそこへ行くことになった。持ち物とては、大が一匹・ーーー逃げだすまで の数日間はすくなくともばくの持ち物だったー・ーそれから古いダッジが一台、フィンランド こんろ の女が一人。彼女は、ほくのべッドを整え、朝食を調理し、電気焜炉を操りながらフィンラ えいち ンドの叡智をひとりつぶやいていた。 ( 孑たったか、ある朝のこと、ばくよりもっと最近この地にきたある男か、 ビ路上でほくをつかまえると「ウエスト・エッグの村にはどう行くんでしようか」と、途方に ャ 暮れた様子でたすねたのである。 ギ ばくは教えてやった。そしてそのまま先へ歩いて行ったのだが、もうばくは孤独ではなか レ った。ばくは案内者だった。開拓者であり、土地の草分けである。この男によってぼくは、 かいわい はしなくも、この界隈の市民権を付与されたようなものであった。 きぎ 陽光は輝き、樹々の若葉は物の生長するさまを高速度撮影でとらえたような感じで、勢い よみがえ よく萌えでている。ほくは、この夏とともに生命がまた蘇るのだという、あの何度か味わっ た確信をまた抱いた。 一つには、読むべきものがたくさんあり、それにあふれるばかりの健康は、無理にも引き かぐわ とめなければ、若々しくも香しい外気の中にとびだして行こうとする。ぼくは、銀行業務や クレジットや投資信託に関する本をいつばい買いこんだが、それらは、造幣局から出てきた