アルコール依存症 - みる会図書館


検索対象: コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ
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1. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

アルコール問題で、非常に傷ついた人です。一九八〇年代に入ってから『私は親のようになら ない』という本を書きました。この本は日本でも翻訳されています。 『私は親のようにならない』というタイトルは、実にびったりとしたネ ーミングです。飲んで いるお父さんを見て、その側で悲嘆にくれながらも決して別れようとしないお母さんを見て、 私はあんな人生を送りたくない、と思います。誰でも、不幸な親を見れば、私は親のようには なりたくないと思います。不幸な家庭に育った人ほどそうです。それがそのまま題名になって います。 もう少し言うと、私は親のようになりたくない、でもなってしまった、という人が多いので す。そのことも、この本には書いてあります。専門用語で「世代連鎖」と言います。『私は親 のようにならない』という本を読むと、アルコール依存症の家族で育って大人になった人の約 半数は、同じようにアルコール依存症になると記されています。残りの半数は、自分はならな くても、アルコール依存症の人と結婚してしまいます。つまり、本人か配偶者がアルコール依 存症であるのが、八割がたを占めてしまうというのです。非常に希望のない話ですが、それが 『私は親のようにならない』という本の骨子です。 さらにを三つのタイプに分けています。前著では①責任を負う子ども、②なだめる子ど も ( 調整役 ) 、③順応する子どもと説明しました ( 詳しいことは一一八頁でも述べますが、私

2. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

姑へと、その対象は代わっていきます。このように共依存はもっとも回復しにくい嗜癖といえ ます。底をつかないことには、嗜癖は回復しないのですから。 女性にとって、母と女性は別個のものとする考え方もありますが、むしろそう考えさせられ ートタイム てきたという言い方のほうが正しいでしよう。私には母と女は重複可能であり、 母、 ートタイム女、 ートタイム妻といろいろあると思いますが、それそれが矛盾しないで 共存していけると思われます。 アルコール依存症の特徴をよく表しているのが、かって斎藤茂男さんが書いた『妻たちの思 秋期』 ( 共同通信社 ) に登場するひたむきの妻たちでしよう。そのひたむきの主婦がとっても温 かい家庭をつくろうと思っているのに、夫は仕事依存で家にいないし、育児もたいへん、とい う一種の空虚感でお酒にはしるという例が紹介されていました。 このように主婦の場合のアルコール依存症は夫婦間の葛藤が主要な問題です。あるいは、思 春期からいろんな問題を引きずっていながら結婚して主婦となったときに表面化してくるから かもしれませんが、夫婦関係がうまくいっているときにはアルコールの問題はありえないこと です。 たとえば、ある主婦のケースを見てみましよう。 100

3. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

「アルコール依存症」と「共依存、の違いについて記してみましよう。それによって共依存の たいへんさがいっそう理解してもらえると思うからです。 お酒という物質に嗜癖するのがアルコール依存症で、人でなんとかしようとするのが関係嗜 る癖の共依存です。どっちが潔いかというと、物質嗜癖のほうが潔いと思います。結果的に苦し むのは、自分だけですから。 を アルコールは特に自分の体を痛めていくわけですし、過食症も拒食症も食べ物に嗜癖して最 後には死の危険性もあるわけです。嗜癖して死ぬなんて、自分だけを苦しめるという意味で、 家 実に純粋なものです。 れ しかし共依存は自分の体を痛めつけるわけではありません。そもそも自分を捨てているから、 そ 底をつくこともありません。困った人は ( 見ようによっては ) 周囲に満ちていますから、嗜癖 章 第の対象を次から次へと代えていけばいいのです。夫から子へ、 ( もし問題がなければ ) 子から しとおしい アルコール依存の女性は、、

4. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

アルコール依存症は主に、家族関係、ライフサイクルのどこかでと、ある程度は類型化でき ます。さらにいえば、私は、女性のアルコール問題はライフサイクルの危機に発生すると思っ ています。 人生のどの時期で発生するかで、いくつかに類型化できます。ドロップアウト型、夫婦間葛 からのす 藤型、空巣型、老齢化を迎えてのアルコール型とかに分けられます。しかし人生の危機という ものはいつでもあるわけで、人はその危機を乗り越えようとしてお酒を飲み、それが結果的に 依存症にさせる、というのが私の考えです。 女性があらゆるシーンでアルコール依存症になるというのは、その人が自分でまじめに悩む 病 る からです。他者を使わずに自分の問題を悩むのです。他人に乗りうつって生きることの空虚感 す を埋めていく共依存か、自分の体を痛めながらお酒を飲んでやっていくかということになれば、 を 他人を利用しないで自分で自分の空虚感をひきうけるという「潔さ」という点で、アルコール の依存症のほうが上ではないかという考えです。 家 れ そ 章 第 103

5. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

この章では、アダルト・チルドレン (< o) という言葉に共通の認識を持っていただけるよ うに、説明をしておきたいと思います。 アダルト・チルドレンというのは、チルドレン・オブ・アルコホリックスの人が、アダルト になった人、というふうに考えます。つまり、アルコール依存症の家族に育った子供が大人に なったということです。 かって、非常に狭い意味ではそういうふうに使われていましたし、今もそう使います。 <0 という言葉を理解するとき、必ずこれを前提にして考えることが大切になります。 O はアルコール問題から発生したということ、これが一つのポイントです。 しかし、アルコール依存症というと、非常に一部の狭いものだろうという誤解もあります。 読者のなかにも、殴ったり蹴ったり暴れたり、仕事をしなかったり、手がふるえる人のことを アルコール依存症だろうと思っている人が多いのですが、それだけではありません。アルコー <O か否かは自分で決める

6. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

まないわよね。本当に飲まないわよね。だってこの子は受験だもの」と言います。面会につい てきた子どもは、そのそばでうなずいて黙っています。子どもは、「僕が一番をとらないとお 母さんが苦しむ。だめなお父さんがいる家族の中で、僕だけはこの家族を支えてがんばらな くっちゃ」と思っています。そうしないと家族が崩壊してしまうのではないかと思っています。 アルコール依存症の子どもは、そういうふうに育っていきます。 世の常識で、アルコール依存症の子どもには不良が多いとか、非行が多いとか言われますが、 それはまったくの誤解です。アルコール依存症の家族の子どもは、ある年齢までは、とてもい い子です。それこそ、お母さんの期待通りです。お母さんがすっと頭で思ったことを、三秒後 の には実現しているような子どもなのです。お母さんの「 ( アー。という溜め息一つで、お母さ る さんが何を言っているかわかるようないい子どもとして、お母さんを支えます。自慢の息子や娘 目 駐で育っていくというのが、アルコール依存症の家庭の子どもの平均的な育ち方です。 そういう人たちを見ていて、コ・メディカルの人たちは、「あの子たちも、ひょっとしてと ても苦しいんじゃないか」と思ったのではないでしようか。 今 ぜ その中で、ある一人のケースワーカーは、「それは私と同じじゃないか。と思ったのです。 章 第その人は、クラウディア・ブラックというアメリカ人女性です。彼女もです。お父さんの

7. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

そのうちに、病院側も辟易してしまって、「うちの病院ではアルコール依存症の人は入れまい せんーと、病院から閉め出されるようになります。そうすると、ちまたにあふれたアルコール どうしたらいいんだろうと 依存症の人たちは、酒はやめられないし、病院は入れてくれない、 考えました。そこで作られたのが自助グループでした。苦しみや問題を、今日一日共有しなが ら自分たちで自分たちを助けていくグループのことを、自助グループと言います。今日一日、 私は酒をやめたいという人が集まって、 ーティングをすることで回復していく。それが、い わゆる自助グループの原点です。 自助グループでは、誰が先生で誰が患者ということはなく、みんな同じ立場、みんな同じ苦 しみを抱えています。自助グループは「支配ーのない場所です。 自助グループができたことで、アルコール依存症の治療はくるりと変わりました。どんな専 門家が治療しても、病院を出れば必ず飲んでしまっていたような人たちが、自助グループに行 くことで、お酒をやめられるようになりました。 このような事実から専門家が学ばされたことは、アルコール依存症という病気は、本人の性 格、人格ではなくて、その人がどういうふうに生きるか、どういうふうな人間関係を持ってい るか、逆に言えばどれくらい人間関係の持ち方が下手かという、人間関係にかかわる病気だと いうことがわかりました。人間関係障害です。一時的には処方されて薬を飲むこともあります

8. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

癖」がある場合が多いのです。 ところで、嗜癖という難しい言葉をここまで何度か使用してきましたが、英語ではアディク ションといいます。たとえば、父親はアルコール依存症ではないけれど仕事依存症だとか、ま たはギャンブル依存症があるとか、酒は飲まないけれどひどい暴力をふるうというように、 < O の説明でずっと登場してきた「アルコールーに置き換えることのできる他の問題のことです。 そもそも O は O O ( アダルト・ チルドレン・オブ・アルコホリックス ) 、つまりアルコ ル家族で育った人のことを言っていたのですが、日本で O のグループをつくると、父親はア ルコール依存症ではないけれど、同じように嗜癖を抱えているので自分もグループに入りたい の という人が出てきました。 る れ さ ここで、つまり機能不全家族で育った大人も <0 とひとくくりにするようになった 目 駐のです。このことで <<o の対象が大きく拡がったのです。 が、何かわけがわからず苦しい、苦しいと言っている人だとすると、この言葉は流行語 ぜとして風船がし・ほむように忘れ去れていくだろうと思います。今まで、シンデレラ・コンプ レックスとか、モラトリアム人間だとか、いくつかの一言葉が世の中を賑せて消えていったよう 章 第 に。でも、 O という言葉は消えないと思います。実態があるからです。「嗜癖ーやアルコー へき

9. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

の る れ さ 目 注 ぜ アルコール依存症も、本人はたしかに飲んでいます。それはそれとして置いておいて、その 章 第周りの人に対して働きかけて、関係を変えるようにしていくのが、いちばん近道ではないかと砺 し、一時的には病院に入って点滴を受けるかもしれません。ですが根幹は、その人を取り巻く 人間関係と、その人がその中でどういうふうに生きていくかという問題です。それがアルコー こ一つい一つことが ル依存症の一番の基本にあります。一九六〇年代の半ばから終わりくらいに、 わかってきました。 アルコホリックが人間関係の病気だということであれば、そのすぐ側にいて、その人を支え たり、苦しんだり、その人に振り回されている人、つまり配偶者、親などに目を向けなければ いけません。周りの人が変わることで、本人が変わるのではないか。つまり、アルコール依存 症の治療ではまず家族を見るべきではないかということになって、本人から家族へと視点が 移っていきました。これはとても大きな変換でした。 みなさんの中には、精神科の病気は、本人の問題だと思っている人がほとんどだと思います が、本当にそうなのでしようか。病気を出しているのはたしかに本人です。ですが、よく見て いくと、本当にひどいのは親だったり配偶者だったりします ( これは、犯人探しではありませ

10. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

そうすると今までの将棋や、 ドミノが倒れる方向が反対になります。黒だったカードがひっ くり返って白になる。 そのことで今までの常識から解放されて、楽になるのです。 嗜癖はこのように、「自覚」をすること、「自己認知ーすることで、パッと局面が変わります。 アルコール依存症を否認していた人が、「私はアルコール依存症だ」と認めることで、酒のな い人生を踏み出します。それを嗜癖問題では「底をつく」といいます。 ドラマの転換点には「自己認知ーと「底をつく」が欠かせないのです。 私はの人たちに、「今までの自己認知は、あなたにとって似合わない服だったのね」と いうふうに言います。似合わない服は着替えなければいけなかったわけです。たとえば、結婚 したことや、その他すべて。しかし今さら着替えられないのだったら、どうすればいいので しよう。今までは苦しいながらも、親の愛情だと思っていたものが、そうではなかったと気づ ざんき いたら、一種の喪失感につながるのではないでしようか。取り戻せないものに対する慚愧の念 なのです。つまり、オールグッドにはならないのです。一つ「ああ楽になる」ということがあ れば、それに伴う副作用が当然あるものです。でも、気づく前よりは、「気づいてからのほう がずっといい」というふうに考えましよう。 <O だと認識するということは、アダムとイプがりんごを食べてしまったようなものです。