トラウマ - みる会図書館


検索対象: コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ
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1. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

す。簡単に類型化できるほど、人間は単純にできていないのも真実だと思います。 むしろ私が懸念するのは「心的外傷」というメタファー性を保証された言葉ではなく、横文 字の「トラウマーという耳慣れない言葉を使用することの問題点です。「心的」とはあくまで 比喩であって「心の外傷」という意味ではありません。「的」という言葉がそのメタファー ( 隠喩 ) であることを保証しているのです。「心の」となった時、傷が実態化するのです。しか し日本ではカタカナを使った途端にそれをひとり歩きさせ、無定見に共有する傾向があります。 この言葉も「トラウマ」と訳された途端に、実体としての心の傷、それが心のどこかに存在す る、それをさがす、という倒錯が生じる危険性があります。そして親子の間でも娘が「トラウ マを受けたのよ。それを何とかしてちょうだい ! 」と母を責め、その母がどうやってトラウマ を治したらいいのでしよう、とうろたえるという現象がすでに起きています。 味 気 またアメリカの新進女性学者、キャシー・カルースは、フロイトの理論を展用して、「出来 で 傷事を悪夢としてくりかえし見ること」がトラウマだと解釈しています。 の 「現代思想」という雑誌に掲載された、「トラウマからの / への出立」という論文には次のよ うに述べられています。 章 第「生命が肉体的危機にさらされたからでなく、その危機を心が認識するのに一瞬おくれをとっ 123

2. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

ラウマを与えてしまったから、何とかしようーというのは、対応のしかたとして一八〇度の違 いです。 ですから、日本で俗説トラウマがもっと流用された時には、日本的な共依存関係がもっと もっと強化されてしまう。加害、被害という言葉は、苦しみを受けた人に対して「あなたは悪 くない」という免責性を強調するために、加害者としての親を浮き立たせることはあります。 しかし当の親に対して、「トラウマを与えた人」という加害性をあまりに強調すると、親が子 どもから手を引くどころか、さらに子どもの面倒を見るようになってしまいます。「支配」を 強化することになるのです。 作家の村上春樹さんの翻訳した『心臓を貫かれて』 ( マイケル・ギルモア著、文藝春秋 ) という 本があります。そこに出てくるのはすさまじい家族の物語です。父親に殴られつづけて育った 著者の兄が連続殺人鬼になって逮捕され、裁判で死刑を宣告される。その後無期懲役になるわ けですが、兄は断固銃殺してくれと主張して結局は銃殺されるのです。著者である弟は、なぜ 自分の兄が無意味な殺人をしたのか、自ら死刑になることを望んだのかということについて 綿々とつづっています。その背景には親から受けたトラウマがあり、そしてアメリカという国 のすさまじいほどの混乱さを読み取ることができます。 116

3. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

最近も <O のグループで、あるお母さんから、こんな話を聞きました。 一流大学を出た二七歳の娘が就職をしたが、ちっとも職が定まらないというのです。そして、 仕事を辞めるたびに、彼女は親を責めるという。「私は、あの時、お母さんからトラウマを受 けた。このトラウマが治らない限り、自立できない」と言って責めてくるそうです。 これに似た事態は、今後もっと起きてくるのではないでしようか。今まで家族の問題という のは、つかみどころがありませんでした。人と人との間、つまり関係なのだから、はっきりし た実態がないわけです。それが俗説のトラウマという言葉ができることで、なにか実態として の傷があるように思われてしまう。得体の知れないトラウマが一人歩きすることで、それを 巡って親と子が対立したり、攻撃されたりということが起きてしまうかもしれません。 本来、人間の心というのは、傷を受けたり傷が治ったりというふうに、自然科学のようには いかないものです。それを無視して「トラウマ」が連呼されることに危険性もあります。 <O 概念の中の「トラウマ」考、ー俗説「トラウマ」は要注意 ! 114

4. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

トラウマに関して少しばかり調べてみました。それによると、日本の精神分析家も、やはり 俗にいうトラウマに関しては慎重であるべきだと言われています。単純に心に傷を受けて、そ と。 、というものではない、 の傷を癒せばいし トラウマは発展途上の概念なのです。 トラウマというのはトロームというギリシャ語の″体の傷〃からきています。それをウィリ アム・ジェームスが一八九四年に初めて″心〃にも転用しました。 な。せ、「心の傷」に援用されるようになったのでしようか。この場合の「傷ーはあくまでも メタファー、すなわち比喩だと思います。傷をもたらすような体験とか、傷をもたらすような 経験とか、そういったことを指すのです。それを「心的外傷」と日本では訳されました。別に 心の中に実体としての傷があるわけでもなんでもないのです。 私たちの体験には、①記憶され、整理されているものと、②記憶されてはいるが何か異物の トラウマ解釈 120

5. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

< O か否かは自分で決める アメリカで起こった < O だれにもある愛着関係 コントロール・ドラマ <0 は時代の先駆け 第三章それは、家族の誰かを利用する病い 他者を利用するのが共依存 アルコール依存の女性は、いとおしい 「怒」と「哀」のない世界 好きでやっているのに、「我慢」と言う人 第四章「心の外傷」では気味悪い <O 概念の中の「トラウマ」考ーー俗説「トラウマ」は要注意ー トラウマ解釈 トラウマの対極にある「インナーベアレンツ」 カウンセリングの時代

6. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

成長する過程において心の傷になってしまったという表現がありますが、心の傷と言ったとき に、それは「傷ーという対象化が起こります。しかし本当は、心的外傷が起こるような「関 係」が問題なのです。 親から与えられた「傷」と捉えずに、傷を受けたとしか思えないような体験が起きた「関 係」を焦点とするのです。そこにあるのは親と自分の関係なのです。長年の親子の関係があっ て、そのワンシーンとして生々しい体験が出てくるのです。でも、それは背後に多くのものが あって、そしてそれが長い時間幅の中でどういうふうに変形されてきたかという、すべての体 験の中と過程に意味があるので、「食うな」「出ていけ」という部分的なものだけを取り出して トラウマだというのは、短絡的に過ぎると思います。 もし傷をつけられた言辞を覚えていたとします。しかしそれはトラウマじゃない。その前後 のことで、なぜその一言葉が出てきたのか、ということです。レイプされてしまったというよう な連続性のない暴力的な出来事、もしくは言われもなく親に殴打されて片眼が見えなくなって しまったなど、そういったものをトラウマと呼ぶのならわかりますが、投げつけられたささい な一言の一言葉をトラウマと言っていたのでは、きりがないということです。 これまで見てきたとおり、「トラウマーに対していろいろな見方があることが、おわかりい

7. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

第四章「心の外傷」では気味悪い ただけたと思います。 それぐらい「トラウマ」は発展途上の概念なのです。 アメリカではベトナム戦争以降、 (P9(・( 「 aumatic st 「 ess D 一「 de 「 ) 、つまり心的外 傷後ストレス障害が広く認知されました。というのはトラウマのことです。しかし、日本で 使われるようになったのは、阪神淡路大震災以降のことです。ですから今後さらに様々な定義 がなされていくでしよう。 そうした状況の中で申し上げたいことは、とは自己認知による概念であるということで す。この基本さえ押さえていれば、今後トラウマがどのように定義されようとも、自己申告に よる <O の健康さ、つまり <O プライドは変わらない。動揺しない。 このことが、客観性を持たない概念の、逆に強みなのです。 129

8. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

トラウマという言葉がもたらす弊害は、トラウマだけを見つめ、自分を見つめないですむと いうことです。また単純な因果論に走って、トラウマを癒せば自分が変わる、というお手軽な 短絡思考に陥る危険性があるのです。 前出の二七歳の女性が「私が自立できないのは母親から受けたトラウマのせいだ」と主張す この ることと、 < O の人たちに「全部親のせいにしていいんだ」とアド・ハイスをすること 二つは似ているようで違います。 前者のように言われたとき、母親はもっと支配するようになるでしよう。「私がこの娘をな んとかしてあげなくっちゃーと思い、さらに世話をし、さらに面倒を見ます。それで母娘の関 係は、より一層、共依存的なものが強化されるようになります。しかし 0 の人が親のせいだ と言ったとき、それは「自分が悪い」と責めることをやめるための切り口としてなのです。自 味分が楽になるためのプロセスとして、いったん親のせいにしてもいいということを、自分に許 「す必要があります。 そう言われた親は心外と思い、腹も立つでしよう。でもそこで「親だって一所懸命だったん の だよーと親の正当性を主張するより、むしろ黙って親のせいにさせてあげることぐらいしか、 親にできることはないのかもしれません。そうやって親のせいにする子どもを受け入れ、そし 章 第て子どもに対しこれ以上のコントロールをしないように手を引くのです。手を引くのと、「ト Ⅱ 5

9. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

このような陰影のはっきりしたアメリカという国で、明快な暴力・虐待に対して用いられる ことで、「トラウマ」という言葉は一般化してきたのです。 それをそのまま日本に入れて、トラウマとか虐待といっても、例外的な一部にはあてはまる かもしれませんが、大多数の <<0 や家族の問題には、不適当です。なぜなら日本の特質とは、 ″愛憎半ばする〃というものです。愛憎半ばしたときにはトラウマとはいえません。 私はこのごろ、クラウディア・ブラックの O の三類型 ( 六八頁に掲出 ) もそのまま日本に 適用させるのはちょっと違うのではないかと考えています。クラウディア・ブラックは「責任 をとるタイプー「調整役」「順応者ーの三つを言っていたのですが、日本のアルコール家族の << O の類型は、「責任をとるタイプ」と「調整役」がいっしょになり、「順応者タイプ」と、さら に「愛憎を引き裂かれるタイプ」を新たに加えたいと思います。 私は様々な場所でアルコール依存症の専門家の研修にかかわっています。あるとき三グルー プの専門家の人たちにそれそれ、父、母と三人の子どもでサイコドラマをしていただきました。 詳しくは前著で述べておりますが、サイコドラマはまず自分が自分以外の役割をとって演じ るのです。サイコドラマはもともと心理療法の一環として、アメリカの精神科医ヤコプ・レ ビ・モレノ ( 一八八九 5 一九七四 ) が演劇を心理療法に使おうとして創始したものです。 118

10. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

ジュディス・・ ーマンの『心的外傷と回復』 ( 原題は "TRAUMA AND RECOVERY" みす ず書房 ) を翻訳した中井久夫・神戸大学教授は、訳者あとがきの中で、書名にトラウマという 言葉を使わず、心的外傷と訳した理由を述べています。 つまり日本語においては、現段階ではトラウマや単に外傷という使い方は一般に定着してお らず、精神科医、臨床心理学者の内輪の世界にとどまっているためというのです。 私はこの中井氏の姿勢、言葉に対する厳密性は、その言葉にかかわる者として、非常に大切 なことだと思います。 発展途上の概念であるトラウマを、簡単にそして声高にして叫ぶ今の日本の風潮に、私は危 惧の念を抱いてしまうのです。 悪 味私は、 <0 という言葉をいわゆる「限局性一過性の心的外傷ーから脱却させたほうがいいと 「思います。つまり明快な暴力や性的虐待との区別です。 傷毎日のくりかえしの生活の中でずっと習慣的に経てきて自分の肌の中にしみついてしまって の いるようなことは、傷として対象化するより、血液に溶け込んで自分の一部になっていると 言ったほうがいいでしよう。 章 第親が子を叱るときに「もう飯を食うな」とか「家から出ていけーと言ったことが、子どもの 127