今、多くの人々が <0 認識を持つようになってきています。その人たちもこれから当然老い ていきます。あと五〇年たてば、二〇歳の人だって七〇歳になってしまいます。 (-) というコ ンセプトが出て来た背景には、日本のアメリカ化ということもありますが、やはり、衣食住の 満足、つまり得る物を得てさらになおかつ自分自身とは何かという問いが出てくるところに 0 という概念が広まる理由の一つがあるのです。そうすると、認識が広がった未来はどん なふうになっていくのでしようか。 族 家 <<0 という言葉が持つ意味はいくつかあって、一つは家族に対しての見直しがあります。 家族というのは、たいへん無理があって維持されるものです。そのようにしてまで維持する し 、ことだと一概には言えなくなってい 裂意味は何なのでしようか。家族という形を作ることがいし るのでしようか。家族が無条件にくつろげる場であるという思い込みを捨てる必要があるで 章 第しよう。 我 慢 は 207
<<O は診断的な言葉ではなくて、自分が <O だと思えばそうなんだという自己認知の言葉だ ということ、これを押さえておいてもらうのが最も重要なのですが、もう一つ大切な言葉があ ります。 一アイスファンクショナル・ファミリー 、日本語に訳すと機能不全家族という言葉です。機能 不全家族というのは、一口にいえば家庭の″空気〃の問題のことを言います。機能不全家族の ルールは、否認、硬直性、沈黙、孤立などです。そうしたものを漂わせている家庭の空気であ るわけです。皮膚感覚で感じられる家族の雰囲気・関係です。 そのパターンをあげれば、一つにはズーンと重い空気があったり、外よりも寒々とした空虚 さ、あるいは何かしら張り詰めたような雰囲気、または自分に対しての親の関心や目が、クモ の巣の網の目に入ったように ( 網の目状家族 ) 、思惑が自分のまわりを行きかっていて自分を絡 みとる、というような感覚のある状態です。この場合、親にアルコール問題や、その他の「嗜 コントロール・ドラマーー・だれにもある愛着関係 0-
めなさい」と言います。そうなれば、もう一つの見方を提供していくことになります。 しかし、それはかなりの苦しみを伴います。 をいったんその関係から離れなければいけません。共依存にある 共依存から逃れるためによ、 人が、同じ状況にいることで共に変わっていくということは本当に難しいことです。 私たちが原宿カウンセリングセンターでやっている共依存のグループでは、共依存関係にあ る一方の人が何らかの形でもう一方から離れられるような方法を模索しています。 その一つの方法は、「私はどうしたいか」をはっきり言うことです。たとえば、相手が「お 」病 る茶を出してくれ」といったようなとき、「私はいや」とはっきり言うことです。これは書き文 蜩字にしていると簡単ですが、実際には清水の舞台から飛び降りるほど、大変なことでしよう。 を それほど習慣をかえることは難しいことなのです。それを言ってもかまわない、そして、それ 誰 のを一一 = ロ、つことよ をいいことであって、言うことは少しも怖くないんだと、背後で支える人たちから 家 何度も言われてやっと一言えるかどうかというほど難しいことです。 かなめ れ共依存の人たちは、たいてい家族の要にいる人たちです。たとえばお母さんが我慢している からその家庭はもっているんだというように、我慢している人がいちばん下みたいに思いがち 章 第ですが、実は要であるわけです。その要が行動を変えたら、ひょっとしたら家が壊れてしまう 109
現代社会の風潮の中の一つに、人間が本来もっている感情である「喜怒哀楽ーのうち、「怒」 と「哀」を消していこうとする方向があるような気がします。「哀」は暗いということで消去 され、「怒」は徹底的に封殺されているように思います。激動の時代には「怒」はエネルギー となるのでしようが、いまのようにすべてが平穏化し、システムができ上がってしまうと、 「怒」のもっエネルギーが怖くなってしまい、ふだんから封殺しておこうとする力が働くので はないでしようか。しかし、「怒」はいつのまにか溜まっていくものです。それをどういう形 で出させるかが問題だと思います。 そういった意味では、感情を動かすための「わがまま論」が必要なのかもしれません。わが ままというと、通常は、他人の迷惑も省みずに何かをするものと思われがちですが、他人に迷 惑をかけることは誰もがいやなわけで、ここでいうわがままはそういうことではないのです。 自分の中にある、要求や欲求に正直になるということで、好き放題やるという意味ではありま 「怒」と「哀」のない世界 104
あらわ ローがなくては、それは逆にとても怖いものになると思います。そこで感情を露に出してし料 まった後に、フォローしてくれるところまできちんと面倒をみてくれるのであれば本物だと思 いますが、そうでなければ、むしろ少しずつやっていったほうがいいはずです。 カウンセリングに来た人にも言うのですが、彼らは変化を求めて来るわけですが、私は「日 常的な変化こそ確かなものである」という確信があります。それはとても時間がかかります。 必ず「先生、どれくらいでよくなりますか」と聞かれますが、私は「まず三カ月みていただき たい」と言います。それが最低の期間です。あらゆる変化において、ある習慣が定着するのに、 最低三カ月かかります。それを私たちは最小の単位だと考えています。 私たちのグループ・カウンセリングは、週一回、三カ月が最小単位です。 グループは週に一回二時間です。その中の体験や変化は、グループのあった後二日か三日は もちます。「これは私が悪いんじゃないわ。親が悪かったんだ」「コントロールしないでおこ うという気持ちが二日くらいもつ。三日目、四日目くらいになると「でもやつばり私が悪い のかしら」というふうに思えてきます。それでまたグループに出て、みんなに力をもらって、 認知、考え方に再度変化がおこります。「私はこれで健康なんだ、こういうふうに思い悩むこ をいいことなんだ」と思う。でもまた三日しかもたない。 そのくりかえしを一二回くらい行なっていくうちに、思い悩むことはないのだという変化が
今、多くの人々にアダルト・チルドレン (< O) という言葉がしつかりと受け止められよう としていることに嬉しく希望をもっとともに、多少の驚きも感じています。私にとっての は、六、七年前から現代の家族を、そして社会を考えていく上でのコンセプトでした。今 がこのように広く受け入れられるようになったのが一方で意外なことにも感じられるのです。 その理由は何でしようか。ここ数年間の世の中の動きを考えてみましよう。 まず一つとして、政治体制の面で、冷戦構造、二極対立が崩壊しました。そのような影響が ここ一、二年でサブカルチャーの部分にまで及んできたように思います。また、阪神淡路大震 災で、私たちを支えている足元の地面さえ揺れるという不安な体験がありました。オウム真理 教の事件もありました。 政治と自然の激動と宗教の、わけのわからない大事件という三つが起こり、そのことで、今 ままで大量生産されてきたいい子、いい人たちの居場所のなさ感覚が明確化されてきたのでしょ の時代ーーーまえがき
んでいる子どもたちが、両親の元を離れて一人暮らしを始めただけで問題が解決するのを見る皿 につけ、いったい親と子が、同じ屋根の下に暮らすことの意味は何なのかを考えさせられてし まいます。 家族から逃れたいという理由で、一人暮らしをする若者はたくさんいます。それは健康なこ とです。 十八歳を過ぎた子どもが親と同居して争いもなく暮らせるなどということは、なかなかあり えないのではないでしようか。 一人前の性的能力をもった世代の異なる人間が、同じ屋根の下の狭い空間で暮らすことはそ もそも無理があるのではないでしようか。細胞分裂のように親の元から離れていくことが、子 どもの人生のスタートになるのではないでしようか。若者がひとり暮らしをするための公的援 助があってもいいと思います。そのことで多くの思春期の問題は解決するのかもしれません。 家族を形成するのも、父や母を演じるのも、こうしなければいけないというルールは何もあ りません。だから、もし今家族を形成していて、それがまったく苦しい家族であれば、それを 解散するのも一つの方法でしよう。 家族の一人ひとりが善意の人でありながら、 ることで苦しいのだったら、とりあえずそこから脱するしかないでしよう。
されることから起きる現象ですが、娘はこのことで二回目に傷つくわけです。そこで娘は絶望 し、それが原因で神経症などのいろいろな症状を出してしまいます。神経科の先生ならわかっ てくれるだろうと実際に医者にかかると、医者は医者で、それは君の妄想だろう、と言うので す。こうして、その娘さんは三回傷つくというわけです。ここまでくると、もう完全に絶望し て誰も信じられなくなるというのは当然のことでしよう。 普通ではなかなか想像できないでしようが、もともとこうした家族はあって、最近の傾向と しては増えてきているのが特徴です。原宿カウンセリングセンターを訪れる人の中にも、たし かにこのような体験をした人が何人もいます。 性的な虐待を受けた人のためのカウンセリングでは、私たちがやることはただ一つです。 あなたには何の責任もありません。あなたが思っているすべてのことは妄想ではなくて、 現実なんです、あなたが傷つけられたと思うのは正しいし、傷つけたのは親なんですよ。 族 というようなことをくりかえし話すのです。それこそ < O と同じです。それでも、やつばり 家 私が悪いのではないか、ここまで育ててもらったのは誰のおかげなのか、と思いつづけてしま る れ 物うのですが。 章 第性的な虐待を受けた女性はたいていは、まず、自分がどうしてそのような行為を受けなけれ
この一部の <0 の人たちが家族にしがみついているのは、南極に行って防寒具がなければ死 んでしまうのと同じように、どんなに苦しくても家族がいなければ生きていけないのだと思っ ているからです。どんな家族でも仕方がない、孤独よりこの地獄のほうがましだと思っている のです。また、一方で家族像が悲惨な分だけ、過大にふくらんだ家族への期待で家族にしがみ ついています。 このように 0 の人たちは、まったく家族をもたないか、もしくは夢のようにふくらみすぎ た期待に満ちた家族か、と引き裂かれた家族観を持っています。 私は以前から中年の << O について書きたいと思っていました。なぜなら、私たちの世代は ずっと未整理のままきていて、自分たちでも全然整理できていないからです。その私たちの世 代をくくれる一つの言葉として「中年 <<O 」という言い方があると考えています。 族団塊の世代の人々が作った家族とは、どんなものだったのでしようか。団塊の世代の人々は、 戦前の前近代的な家族に対するアンチテーゼとして、民主主義的な家族を理想としました。し る 物かし実際には、団塊の世代の男性は、高度経済成長の後を受けてワーカホリック的な生活を強 いられました。これを学生運動で鍛えたガッツで乗り越えてきたのです。 章 第女性に目を向けると、「という雑誌に掲載されていた統計で読んだのですが、私為
しいかもしれません。男にも、本当に 共依存の関係を、もう少し男女の関係に持ってきても、 不幸な女にくつついてその人を助けることに意味を見つけている人がいます。自分が救済者に なることで、満足感を得るということです。 こつにくあいは 私は、そういう人がいても、それが悪いとは思いません。骨肉相食むような恋愛をしようと、 それはその男女の勝手です。それで困ったと思ったら変えればいいのだと思います。ただそれ に子どもが入ってくるとまずいと思います。そこが一つの境界だと考えています。 愛しすぎる女というのは、母よりも女を選択してしまうということでしよう。 男と父は、今の社会、カルチャーからは両立します。でも母と女というのは、聖母マリアと る売春婦のような関係で、非常に二極分化していると一一 = ロえます。聖なる母とみだらな女の分離と 用 いうのは、私たち女性にとってとても難しいところです。そこをうまくやっていかなければい を けないのが家族です。つまりとてもいいお父さんとお母さんが、しつは夜自分たちの部屋に の行ってセックスをするんだという、そういう矛盾が絶えず同じ屋根の下に起こっているのが家 家 族です。だから、家族は難しいのです。 編男に対する共依存と、我が子に対する共依存は同時には起こり得ません。適当に両方に起こ り得るというのは、むしろ健康なことです。ちょろっと子どもにやり、ちょろっと男にもやる 章 第というのは、普通の人ということです。だいたい普通の人というのは、なんでもちょろっちょ